◆ 朝日の洗脳キャンペーン:  nando ブログ

2008年07月10日

◆ 朝日の洗脳キャンペーン

 朝日新聞がまた外国人労働者についてキャンペーンを張っている。「省エネ・キャンペーン」と同様に。このようなキャンペーンの意図は何か? 人々を洗脳しようとすることだ。その意図を見抜こう。

 ──

 朝日新聞がまた「外国人労働者を日本に招こう」という記事を大々的に書いている。(朝日・朝刊 2008-07-06 )
 しかし、これは、報道記事の体裁を取っているが、一方的な主張を述べているものだ。記事の体裁を取った一方的主張である。こういうのは、明らかに、洗脳キャンペーンだ。

 一般に、新聞などの報道には原則がある。
 「記事と意見とを区別する」

 これは当然だろう。
 報道記事では、自己の立場を抑えて、客観的な事実のみを記す。意見があるときには、賛否両論を記す。
 自分の意見を書くときには、自分の立場を鮮明に出していいが、そこでは「意見であること」を明示し、筆者名を大きく出す。大きく署名をつける。(最後に分析者を示すぐらいでは駄目だ。記事じゃないということを明示する必要がある。)

 ところが、朝日は、この原則を守っていない。記事だか意見わからない、折衷的なものを書く。読者は「事実報道を読んでいるのだな」と思って読み進めると、いつのまにか朝日の記者の個人的見解を事実であるかのように信じさせられてしまう。
 こういう「洗脳」活動は、許されない。それゆえ、私は何度も、批判する。

 では、朝日はどうするべきだったか? 外国人労働者であれ、死刑廃止であれ、そこには賛否両論があるのだから、公正に両者を並べるべきだ。
 なのに朝日はこういうときに、必ず片方だけを取り上げて、大々的に「こちらが正しい」というキャンペーンをして、人々を一方向に導こうとする。つまり、洗脳しようとする。まったく困ったことだ。

( ※ 前回のキャンペーンについても、似た趣旨のことを述べた。 → 国際化の意味

 ──

 朝日は洗脳キャンペーンをする。では、なぜ、そうするのか? 理由は二つ。

 (1) 「これは正しいことなのだ」と思い込む善意。
 「かわいそうな外国人労働者を助けてあげましょう」「国際化時代にはそれが当然です」とか、「可哀想な死刑犯の命を助けてあげましょう」とか、そういう善意。自分が善行をしていると思い込んでいるから、そのことをしても恥じるところがない。「自分はいいことをしているのだ」と勝手に思い込んでる。

 (2) 「こうすればこうなる」という客観的認識の欠如。
 あくまで「善か悪か」という倫理だけで(つまりは好き嫌いだけで)考えているので、論理的・客観的な認識ができない。「こうすればこうなる」という八王がない。全体像を理解できない。たとえば、
 「かわいそうな外国人労働者を助けてあげれば、国内のワーキングプアはますます貧しくなる」
 「国際化時代だといっても、日本一国で世界全体を救うことなどはできない。もしやれば、日本そのものが破綻する」
 「死刑囚を救えば、被害者遺族の心が救われなくなる」
 そういう全体像を理解できない。物事には必ずメリットとデメリットがあるのに、メリットの面ばかりを見て、デメリットの面を見ない。小さなメリットと巨大なデメリットを生むとしても、小さなメリットだけを見る。そして、
 「ああ、おれはすばらしいことを推進している」
 と思い込む。視野狭窄の一種。

 ──

 以上をまとめれば「無知と善意」である。
 そして、このことは、「省エネ気違い」とも共通する。先に、Openブログではこう述べた。
 「何事もメリットもデメリットもある。その双方を冷静に比較することが必要だ。いくらかデメリットがあるからといって、やみくもに否定してしまえば、同時に、メリットが失われて、かえって大被害を招きかねない」
 
 (DDTについては) 見当違いの善意のせいで、かえって悪しき結果を招くことになった。
 
 彼(クライトン)の警告を無視したまま、「自分は正しい」とばかり思い込むようだと、「善意ゆえに悪をなす」という結果になる。 これは、科学音痴にはありがちのことだ。

 単に「盲信と妄想」があるだけだ。そして、その根源は、「無知と善意」である。 たいていのインチキ科学的な政治ブームは、「無知と善意」から生じる。そこには「盲信と妄想」が必然的に生じる。「レンジ袋有料化」もそうだが、「無知と善意」から生じて、「盲信と妄想」として拡大する。

 「人は、自分が正しいことをしていると信じるとき、盲目になる」
( → 該当項目
 以上からわかるだろう。自分の善意ばかりを振りかざしていると、善意ゆえに社会に害悪をもたらすことになる。そのことを朝日はまったく理解していない。
 たとえば、「省エネというキャンペーンをすれば世界はよくなる」とばかり信じて、せっせとキャンペーンをしているが、それが何をもたらすかについては、何も理解していない。
 だから、たとえば、「太陽光発電や燃料電池に莫大な補助金を出す」というような提案を推進する。そのことで社会に莫大な死者を出しかねない、ということを理解しないまま。( Openブログで述べたとおり。)

 ──

 結局、私が言いたいことは
 「洗脳されるな」
 「ブームに踊らされるな」
 「こうすればこうなるというふうに科学的に考えよ」

 ということだ。

 しかし、「善意」を盾にする人は、そのすべてに反対して、こう考える。
 「この善意で世間を染め上げよう」
 「ブームを盛り上げて全員を洗脳しよう」
 「こうすればこうなるという科学よりも、善か悪かという感情的二元論で決めつけてしまえ」
 「結論が善であるならば、そのための論拠は嘘と誇張が許される。いくらでも嘘をついていいのだ。海面が2センチしか上昇しなくても、海面が10メートルも上昇するという嘘をついていい」

 こういう主張がまかり通る。まったく、善意あふれる人々というのは、ひどいものだ。彼らには「自己反省」というものが欠けている。度しがたい。



 [ 付記 ]
 朝日のやっているような洗脳キャンペーンは、報道倫理を逸脱するもので、「悪」だと言える。それはフセインや金正日と同様の悪だ。
 そして、「善のために、悪をなす」というのは、本質的におかしい。彼らがいくら「善のためにやっている」と主張しても、「善のために悪(それも巨悪)をなす」というのは、許されないのだ。それはいわば、
 「社会を改善するために殺人をなす」
 というのと同様のエセ論理だ。そして、そのことに気づかないまま、朝日はやたらと洗脳キャンペーンをする。外国人労働者やら、省エネ補助金やら。
 なるほど、外国人労働者にせよ、省エネ補助金にせよ、そこにはメリットはいくらかある。だが、それならそれで、公正に「これこれのメリットがあります」と述べて、かつ、「これこれのデメリットもあります」と述べるべきだろう。賛否両論を公正に述べるべきだ。なのにそうしないで、一方的な洗脳キャンペーンをすることは、悪なのだ。

 その悪は、「真実に目をふさがさせる」という悪だ。物事には光と陰があるのに、小さな光の部分だけを浮き立たせ、大きな陰を隠蔽する。そのことで真実の全体像を偽る。……朝日はやたらとそういうことをする。
 しかも、ことは、朝日だけではない。「省エネ」という問題では、ほとんどすべてのマスコミが嘘をついているし、世界的な国連ふうの団体にせよ、サミットにせよ、やはり嘘をつく。「これは善なのだから善をなしましょう」と唱えて、国民を下らないことに駆り立てる。レジ袋有料化や、サマータイムや、その他さまざまなことを導入して、国民の生命と財産を毀損させようとする。しかも、自分が何をやっているか、気がつかない。(自分が何をやっているかわからないで物品を壊す子供のようなものだ。というか、狂人のようなものだ。)
 彼らは愚かである。しかも、おのれの愚かさに世界を染め上げようする。だからこそ私は警告したい。「彼らの愚かさに染め上げられてはならない」と。



 【 関連項目 】
  → 国際化の意味 (朝日のキャンペーンの1回目)
  → 外国人労働者の本質
  → 善と偽善

  → Open ブログ 「マイクル・クライトンと地球温暖化」
 
posted by 管理人 at 19:31 | Comment(0) | 政治 このエントリーをはてなブックマークに追加 
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