◆ ポール・クルーグマン:  nando ブログ

2008年10月14日

◆ ポール・クルーグマン

 ポール・クルーグマンが、ノーベル経済学賞を受賞した。そこで、初心者向けに、簡単に解説しておこう。

 ──

 まず、ノーベル経済学賞というのは、ノーベル賞の一部門ではない。とはいえ、広い意味では、ノーベル賞の一部と見なしてもいい。選考・認定するのはノーベル財団だからだ。別にノーベル賞と無関係の団体が勝手に選考しているわけではない。
 とはいえ、他の分野のノーベル賞と毛色が違っているので、いろいろと批判されることもある。「継子扱い」といったところか。
 この件については、あまり立ち入らないので、興味のある人は下記などを読んでほしい。
   → Wikipedia ノーベル経済学賞

 ──

 クルーグマンがノーベル経済学賞を受賞した理由は何か? 
 「貿易の形態と経済活動の配置に関する分析」

 というのが公式の授賞理由である。しかし、これは、名目的なものであって、実際には特に「これ」と呼べるような、特定の大きな業績があるわけではない。その曖昧さは、授賞理由を見てもわかる。説明が曖昧だ。
   → 授賞理由(英文)

 これを読んで思い浮かべることは、次のことだろう。
 「アジア通貨危機の予告と分析」

 1997年以降、アジア通貨危機が起こったが、クルーグマンはそれに先だって、1994年、アジア通貨危機を予告する論文を出した。実は、これはアジア通貨危機を予告するというよりは、アジアの経済成長が見かけのものであることを示しただけであり、通貨危機の予告というほどではないのだが、少なくとも論文の趣旨は正しかった。
 とにかく、「アジアの経済成長が見かけでなくて実態がある」と信じた連中がアジアの通貨を過剰に持ち上げていたことを思えば、通貨危機の原因を指摘していたとも言える。(いわば、通貨バブルを示すことで、通貨バブルの破裂を予告していたことになる。)

 だから、以上のことを授賞理由とすれば、いちおう納得は行くのだが、授賞理由にはそう書いてはいない。たぶん、ぼかすことで、もっと広範な業績を授賞理由としたいのだろう。
 特に、国際分業のようなことを授賞理由としているのは、彼の業績を示すにはふさわしくないような小業績であり、「とってつけたような」授賞理由となっている。
( ※ ちょっと似ているのは、アインシュタインだ。ノーベル賞の授賞理由は「相対性理論」ではなく「光電効果」だった。実は、本当の授賞理由は「相対性理論」なんだが、財団側はあえて「光電効果」を授賞理由にした。そっちにすれば世間から批判されないから、という理由で、名目を別に仕立てた。)
 ──

 とはいえ、上の授賞理由が妥当ではないとしても、クルーグマンはノーベル経済学賞を受賞するに足る仕事を成し遂げている。それは何かというと、
 「旧来の(主流派の)古典派経済学への批判」

 である。彼自身は、これといって特筆すべき独自の業績を成し遂げなかったかもしれないが、彼の舌鋒はめっぽう鋭く、他人の業績を批判するのがうまかった。いや、これは言葉が足りない。「他人の業績を批判する」というよりは、「彼以外のすべてを批判する」つまり「現代の経済学全体を批判する」のがうまかったのだ。
 これは、「言葉の使い方が上手だ」と見なして、「彼は上手な経済エッセイイストにすぎない」と見なす人もいるが、違う。彼は、単に文章が上手だっただけでなく、物事の本質を見抜く目があった。それは、「ワラの山のなかで宝石を見出す」という天才の目ではなくて、「ゴミの山のなかで悪臭の原因を突き止める」という半天才の目だった。
 
 ノーベル物理学賞ならば、ワラの山のなかで宝石を見出せばいい。そこには無数のクズがあり、そのなかで、ちらほらと宝石が隠れている。(つまり真実が。)
 ノーベル経済学賞ならば、そうは行かない。なぜなら、経済学という学問全体が、悪臭を放っているからだ。
 一般に、経済学に従えば従うほど、状況は改善するのではなく、状況はかえって悪化する。最善の場合でも「悪化を食い止める」か「停滞する」(たとえばインフレを阻止する)ぐらいだ。「状況を改善させる」ことなど、ほとんどまともにできた試しがない。(いや、少しはあるが。小規模なケインズ政策など。)

 経済学は悪臭を放っている。経済学は間違いだらけだ。ただし、どこがどう間違っているのか、経済学者は気づかない。彼らは単に「自分は正しい」と言い張るばかりだ。
 そこにクルーグマンが出現した。彼は、「おまえたちは悪臭を放っている。悪臭に気づけ」と指摘して、「悪臭の原因はこれだ」と指摘した。それはまさしくすばらしい指摘だった。……これが彼の最大の業績であり、彼をして世界のスーパースターとした原因だった。
( → 二枚舌でない経済学者(英文) ……多くの経済学者が、「一方の見方ではこうですが、他方の見方ではこうです」というふうに、舌を二枚 使うが、彼は舌を一枚だけ使うので、信頼される、という話。ただしこれを「片手落ちの経済学者」と誤訳する人もいるが。)

 なお、この英語記事のタイトルである one-handed economist という表現によるジョークは、経済学の世界では古くから知られたジョークである。(私のそばにある本の漫画では、手が9本ぐらいあることになっている。うろ覚えだが。)
 経済学者というのは全然アテにならないということは、経済学者自身が悟っている。だから自嘲して、しばしばジョークのタネになる。他の分野ではこういうことはないのだが。
 とにかく、経済学というのは、アテにならないのである。そして、そのことを、クルーグマンはうまく指摘した。そのとき、凡人は単にジョークで皮肉るだけだが、クルーグマンはうまく物事の核心を的確に見抜いた。……こうして、ジョークを言う人は笑いを取るだけだが、クルーグマンはノーベル賞を受賞したのだ。

 ──

 クルーグマンの業績の大きなものは、主流派経済学全体への批判だから、これといって特別の話題だけがあるわけではない。多くの分野にまたがって、あれこれと批判がなされている。
 ただ、特に大きいのは、通貨政策だろう。主流派のマネタリズムの政策に限界があること(インフレ期に有効だとしてもデフレ期には無効だということ)を、「流動性の罠」という概念を利用して、うまく説明した。
 この概念(流動性の罠)は、もともとはケインズの概念だったが、それをうまく拡張して、より広い形で適用した。これはたしかに、立派な業績である。私もまた詳しく説明したことがある。
  → 2002年1月10日1月18日以降

 クルーグマンの最大の業績は、ここにあると言える。だから、上の説明(ここから始まり、長々と続く説明)を、ちゃんと理解すれば、クルーグマンの偉大さもわかる。
 彼は、今日の不況に対する現代経済学の限界を指摘したのだ。人々が「こうすれば不況は解決する」と述べたこと(量的緩和だけでOKということ)に対して、その限界を指摘したのだ。

 とはいえ、このことを理解できない人が多い。クルーグマンがいくら「量的緩和だけでは駄目だよ」と指摘しても、いまだに「量的緩和だけでいい」と主張する経済学者が多い。
 さらには、より楽観して、「今の日本経済は量的緩和のおかげで正常化した。日本は景気回復を果たした。今日のすばらしい日本経済の状況は、過去の量的緩和と不良債権処理のおかげだ」と主張する経済学者も多い。
( ※ 上のブログの池田信夫もそうだ。)
 そして、こういう連中が、「アメリカも日本の真似をして、バブル破裂期には公的資金の注入をすれば大丈夫ですよ」と言い張っているわけだ。日本の現状の株価やワーキングプアも理解しないまま。  (^^);

 ──

 実は、クルーグマン自身の成果は、あまり大したことがない。彼は「インフレ目標」という提案をしたし、これもまた彼の業績の一つと見なされているが、これは、当時は話題になったものの、実際にはたいした業績とは見なされない。
 なぜか? その政策の意味は、次のことだからだ。
 「中央銀行が『物価は上昇しますよ』と嘘をつけば、人々はその嘘を信じて行動するので、嘘が真実(まこと)になる」

 こういう「嘘から出た真実(まこと)」というのは、当時は「うまいアイデア」と思えたのだが、よく考えると、「人々は誰も嘘を信じるはずがない」というふうに思えてきたので、実効性はとうとう理解されなかった。
 ※ ま、妥当な判断ではある。「合理的」な判断という概念を用いるまでもなく、人々は政府のいうことなんかあまり信じないだろう。つまり、クルーグマンの主張の論理自体は正しいのだが、「人々が嘘を信じれば」という前提が正しくないのだ。彼の論理は、「きっかけがあればインフレスパイラルが起こる」ということで、それ自体は正しいのだが、「きっかけ」が起こらないのだ。人々は嘘を信じないから。つまり、人々は経済学者の嘘を信じるほど馬鹿ではないから。
 一般に、経済学者や政府の言葉を聞いて痛い目に遭った人は、もう一度痛い目に遭おうとはしないものである。ちなみに、インフレ目標という嘘を聞いて、その嘘を、世間の半数が信じて、世間の半数が信じなければ、信じた人だけが猛烈に痛い目に遭う。
 また、私としても、この件を批判したことがある。
 「物価上昇によって実質金利をマイナスにすれば、確かにその時点で投資は増えるかもしれない。しかしそれは、有害である。……その理由は二つ。下記。
 第一に、実質金利がマイナスでなければ存続できないような企業(赤字にしかならない企業)を大量に創出させることで、経済体質を悪化させる。量的には拡大しても、質的には悪化する。たとえば、生産性が最悪の業種ばかりが増える。そして、そのあと、景気が回復したら、(マイナスの金利という補助金を失うので)これらの産業はすべて倒産してしまう。ゆえに、馬鹿げている。
 第二に、消費を増やさないで、投資ばかりを増やしても、仕方ない。投資を増やせば消費も増えるだろう、という見込みで投資を増やしても、消費を上回る投資の増加があり、かえって需給ギャップを増やしてしまう。当面は、投資よりも消費を増やすべきであり、投資拡大策は有害無益だ」

 ──

 以上のような理由で、彼の「インフレ目標」という提案は、実は大したことがない、と言えるだろう。(ま、弱い不況のときには役に立つかもしれないが、大きな不況に対してはまったく無効だろう。)
 とはいえ、「インフレ目標」という主張を出す過程で、彼は他の人々の難点をうまく指摘した。「量的緩和だけで万事OK」というような主張は全然駄目だ、ということをうまく指摘した。そして、それは、主流派の経済学全体に対する批判でもある。

 その意味で、クルーグマンがノーベル経済学賞を受賞したことは、今日の日本でも、大きな意味をもつ。なぜなら、今日の日本ではいまだに、「量的緩和だけで万事OK」という主張がなされているからだ。そして、そのあげく、株価低迷やらワーキングプアやら、ひどい状況が何年も続いているのだ。

 ただし、金融界だけは見事に復活した。「金融システムの崩壊を防げ」という名目のもとで、金融界に対して多大な援助がなされたからだ。
 その一例が、ゼロ金利だ。おかげで、国民は利子所得を大量に奪われた。その一方で、企業は金利低下のメリットをろくに受けられなかったから、結局、その差し引きとして、利率の差益が、金融界に莫大に入った。国民の金が莫大に金融界に注がれた。
 こうして、日本国民が貧困化しても、金融界だけは見事に復活した。いや、これは不正確な表現だ。金融界は、国民の富を大量に奪い、国民を死屍累々にさせて、それと引き替えに、自分だけは肥え太った。死者の肉を食って肥え太る餓鬼のように。
 そして、こういう状況を見て、経済学者たちは言う。「金融システムが正常化したから、経済は正常化したのだ」と。
 なぜか? なぜ地獄を天国だと表現するのか? 実は、彼らにとって経済とは、「金融システム」のことであって、「国民の経済」や「生産活動」のことではないからだ。

 こういう連中は、今もまた、「アメリカは金融界に公的資金を投入せよ」と大騒ぎしている。それでどうなるかも理解しないまま。というか、それでどうなったか、日本の現状を理解できないまま。
 今の経済学者は、クルーグマンのノーベル経済学賞の受賞を、理解するべきだ。彼がどんな業績を上げたかを知るためではない。彼がわれわれの誤りをいかに記したかを知るためだ。彼について知るためではなく、われわれ自身について知るためだ。彼の放つすべらしい光を見るためでなく、われわれの放つ悪臭に満ちた闇を見るためだ。
 地獄のなかにいるときには、真実に目を開く以外にない。地獄を天国だと偽る人(つまり主流派の経済学者)の言葉をいくら聞いても、地獄から抜け出すことはできない。
 





   ※ 以下は余談ふうの話(後日談)です。
   ※ 特に重要でもなく、特に読む必要はありません。




  【 追記 】
 15日になって、朝日と読売を初め、クルーグマンについての記事(評価や解説)が出た。これについて論評しておこう。(マスコミへの悪口を書く。  (^^); )

 ──

 朝日も読売も、珍しくまともな記事である。クルーグマンの業績として、貿易理論についての貢献(つまりノーベル賞財団の述べた名目的な理由)のほかに、実質的な重要な貢献(流動性の罠)に言及している。建前だけでなく、本質をとらえている。とても立派なことだ。

 また、もっと立派なことがある。それは、「流動性の罠とは何か?」を正しくとらえていることだ。つまり、クルーグマンが「量的緩和だけでは駄目だ」と述べて「インフレ目標」を提唱した、という事実を、はっきりと記述していることだ。これもまた、とても立派なことだ。

 以上の話を聞いて、「当り前じゃないか」と思う人が多いだろう。ところが、さにあらず。朝日や読売の昔の記事ではどうだったか? 次のように述べるだけだった。
 「インフレ目標とは、量的緩和のことである。量的緩和をすれば、物価が上昇するから、それで景気が良くなるのだ。だから日本は、クルーグマン教授の方針に従って、量的緩和をすればいい。それだけで景気は回復する」

 ここでは「インフレ目標」を「ただの量的緩和」として記述している。「量的緩和だけでは駄目だ(だからインフレ目標が必要だ)」と述べたクルーグマン教授の主張を曲解して(というか正反対に解釈して)、「量的緩和だけしていればいい」と記述している。
 しかし、このように「量的緩和だけ」というのは、いわば「ミニインフレ政策」というべきものだ。それは昔から古くある説(マネタリズムの一部)であるにすぎない。そんなものは決して「インフレ目標」とは言えない。
 しかしながら、朝日も読売も、このような政策(ミニインフレ政策)のことを、「インフレ目標」と呼び続けた。このことは、とんでもない誤解なので、私が繰り返し指摘してきた。下記の通り。(いずれも 2001年 )
  →  8月22日8月25日8月27日8月29日b9月14日b ← おすすめ9月18日9月20日第3章 ミニインフレ政策

 このように過去において、私はマスコミの誤解を指摘してきた。何度も何度も。つまり、過去において、マスコミはそれほどにも愚かだったのだ。
 しかしながら、今回、マスコミは急に真実を記すようになった。昔は馬鹿丸出しの嘘ばかりを書いていたのに、今回は急に真実を記すようになった。……その点は、まことに慶賀すべきことだ。そのことを「立派だ」と褒めておこう。
( ※ ではなぜ、マスコミは今になって、急に賢明になったのか? それは、簡単に推測できる。本項を読んだからだろう。いったんすべてを忘れてしまったあとで、ネットで勉強しようとする。まずは Wikipedia で「クルーグマン」と「インフレ目標」を調べる。だが、情報量があまりにも少なくて、記事が書けない。そこで、もうちょっと詳しく調べると、ネット上にはたった一つだけ、役立つ情報が見つかる。それが本項だ。つまり、マスコミは、本項を読んで、勉強し直したのだろう。……要するに、マスコミが正解を記した理由は、彼らがすべてを忘れて馬鹿になったからだ。馬鹿は馬鹿なりに、カンニングで点を取ろうとする。自分では何も考えられないから、ネットの情報を丸写しようとする。……これが、マスコミが正解を記すようになった、真の理由だろう。)
( ※ なお、その裏付けもある。本項が公開されたのは、14日の午前中。そのあと、Google のランキングは急激に上昇し、目立つようになった。アクセスも、本サイト開設以来の、急激なアクセス数となった。……そのなかにたぶん、マスコミの記者もいたのだろう。)
( ※ ま、よかったですね。これで新聞の読者も、昔のように嘘八百の記事を読まされないで済むようになったんだから。私の記事も、お役に立てたかな。 (^^) )
 ついでに、インフレ目標について(先のように断片的な情報でなく)統一的な情報を示しておこう。詳しくは、これを読むといい。
  → 「インフレ目標」簡単解説


 《 参考 》
 オマケで、参考となるサイトも紹介しておこう。
   → 保守派からのクルーグマンへの批判 (クルーグマンのノーベル賞受賞について)

 ここにはクルーグマンへのひどい悪口の羅列がある。理論的に妥当とか何とかいうより、ただの悪口の羅列である。あまりにも下品である。ではあるが、面白い。   (^^);
 ま、悪口ではあるが、クルーグマンも似たことをしたから、武士は相身互いなのかもしれない。(どこかの日本の大学教授みたいに、羨ましがって、個人的な感情で非難しているのとは違うようだ。悪口にも品がある。  (^^); )

 ──

 で、なぜ、悪口を紹介したか? 悪口が妥当だから? いや、違う。「悪口がイナゴのように押し寄せてくる」ということがわかるからだ。そのことで、「彼が経済学の主流派と対決している」ということがわかるからだ。
 このことは大切だ。本項でも先に指摘した通りだ。クルーグマンは学界の異端児なのである。というのは、彼が間違っているからではなくて、彼以外の大多数が間違っているからなのだ。
 ただしそのことは、新聞ではあまり指摘されない。単に「リベラル」というふうな、政治的な色づけで示されるだけで、経済学的に「異端だ」というな意味づけはされてない。
 しかし、経済学的な位置づけは大切だ。彼は経済学の学界ではほとんど孤軍奮闘しているのである。(ま、スティグリッツという仲間もいるが。)

 こういう状況を理解するべきだ。「クルーグマンはノーベル賞を受賞したから、学界で広く正当性が受容されている」と思うべきではない。むしろ、彼の正当性は、学界はまだまだ理解できないのである。学界はクルーグマンよりもはるかに遅れているのだ。
 そのことは、ちょうど、南部陽一郎がノーベル物理学賞を受賞するのに、あまりにも長い時間がかかったことに似ている。偉大な人物ほど、正当に理解されるには長い時間がかかる。
 現代の学界はまだまだクルーグマンを理解できていない。この状況を正しく理解しよう。彼は決して主流ではなく、学界の異端なのだ。現代の学界の大半は、「インフレ目標とは何か」もまともに理解できないような、頭のかびた連中(マネタリズムの一派)ばかりなのである。

( ※ ちょっとマスコミを弁護しておこう。先には、昔のマスコミの誤解を批判した。だが、一概に、マスコミばかりを批判するわけにも行かない。というのは、マスコミは、学界の偉い先生たちの意見を鵜呑みにしているからだ。そして、学界の偉い先生たちが「インフレ目標とは量的緩和のことだ」と主張して、「量的緩和だけで大丈夫」と主張したら、それをそのまま鵜呑みにして記事にするしかない。……だから本当は、お馬鹿なのは、マスコミではなくて、日本の経済学界なのである。実際、経済学者の多くは今でも、なかなか正解にたどりつけない。その意味で、今回の新聞記事では、マスコミは経済学界よりも少し先んじているとも言えそうだ。……なぜ? もちろん、カンニングの効果で。   (^^); )

 
posted by 管理人 at 09:51 | Comment(6) | 経済 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
 クルーグマンの理論(インフレ目標)について、トンデモ解釈が出回っているので、世間が誤解しないように、注記しておく。
 以下、引用。

 ──
 「クルーグマンの結論は
    ……(中略)……
 と要約できるが、この命題は成り立たない。その理由は簡単にいうと、民間主体がこのようなforward-lookingな合理的期待を抱いているのであれば、中央銀行が何もしなくてもそういう長期均衡が達成される。逆にそういう期待を抱いていなければ、ゼロ金利のもとでは貨幣と債券は同等なので、中央銀行がいくら通貨を供給しても期待を変えることはできないからだ(これは彼自身が明言している)。」
http://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/71231c0cbfaca90236295c4ff978a2ae
 ── 

 これでは全然、批判になっていない。この批判は、
 「Aであれば不成立、Aでなくても不成立、ゆえにどっちでも不成立」
 というものだ。
 これじゃ全然、批判になっていない。

 比喩的に言おう。親が子供に「勉強しろ」と言うことは、意味があるかないか?
 「子供が勉強する気があるなら、どっちみち勉強するから、親が言っても効果がない。子供に勉強する気がないなら、どっちみち勉強する気がないから、親が言っても効果がない。ゆえに、親は何を言っても効果がない」

 こういうのを「詭弁」という。なぜなら、ここで親が狙っているのは、次のことだからだ。
 「子供は勉強する気がないが、子供は親の言うことを聞くので、勉強したくないけれど勉強するようになる」

 こういうことがあるから、親が子供に「勉強しろ」と言うことには意味がある。
 つまり、「 is と is not のほかに become もあるぞ」ということだ。

 クルーグマンの説も同様だ。
 日銀(中央銀行)が「物価を上昇させる」と言う。人々がそれを信じれば、物価は上昇する。人々がそれを信じなければ、物価は上昇しない。
 クルーグマンは、「人々は日銀を信じる」と仮定した。この仮定は甘すぎる。むしろ、人々は日銀を信じないだろう。だから、ここでは、クルーグマンの仮定は成立しない。
 とはいえ、仮定の成否は別として、クルーグマンの論理自体は間違っていないのだ。実際、この仮定が満たされる場合(大きな不況期以外。小さな不況やインフレのとき)には、クルーグマンの説は成立する。

 クルーグマンの説を全否定するような説明は、クルーグマンの説を読み違えている。そもそも、「親が子供に……」の例からもわかるように、論理的に狂っている。それはただの詭弁にすぎない。

( ※ なぜこういう詭弁が生じるか? 彼はノーベル賞学者が羨ましくて仕方がないからだろう。たぶん。……その根拠は、次のことからわかる。
 第一に、「本当の名誉は学問的発見が実証されることです」と述べて、自分がもらえないノーベル賞をいかにも軽んじているように見せかけること。「全然興味なし」と見せかけること。
 第二に、「ノーベル賞の受賞者は誰か」と数日前からしきりに予想していたこと。実際はハゲしく興味満々。)
( ※ なお、私はどんな興味があるかというと……ヒゲもじゃのヒゲの色だけです。   (^^); )

 ──

 インフレ目標についての基礎知識は、次のページを見てください。
  → 「インフレ目標」簡単解説
http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/93_kaise.htm

 これを先に読んでおけば、勝手読みの勘違いをしないで済んだのにね。Google で検索すれば、二番目に出てくるんだから、もっとネットを活用しましょう。自分がすべてを知っているつもりになっちゃ駄目ですよ。他人の説明にも耳を傾けないと。
Posted by 管理人 at 2008年10月15日 09:28
 本文の最後のあたり(後半)に、【 追記 】 を加筆しました。かなり長いが。

 タイムスタンプは上記   ↑
Posted by 管理人 at 2008年10月15日 20:47
one-handed economist については、反論があったので、注釈しておこう。
原文の全体は次のとおり。
http://www.fsa.ulaval.ca/personnel/vernag/EH/F/cause/lectures/krugman.htm
この全体では、クルーグマンを批判している(というか皮肉っている)。
ただし、皮肉る前に、最初の話題として、クルーグマン賛美の話を紹介している。それが話題の文章だ。そしてここではもちろん、クルーグマンは賛美されている。

 それを紹介したあとで、原文執筆者はクルーグマンを皮肉っている。しかし、その批判は、あとのことだ。また、それは彼自身の見解だ。
 一方、話題になっている箇所(冒頭段落)では、クルーグマンは賛美されている。また、その賛美は、原文執筆者ではなく、大統領や世論などだ。

 そして、冒頭段落に関する限り、one-handed economist という語句は称賛の解釈で与えられる。そして、その称賛を紹介したあとで、その称賛を逆手に取る形で、原文執筆者は皮肉っている。そこでは one-handed economist という語句は「物事を一面的にしかとらえられない」という意味で皮肉っている。

 原文執筆者があとで皮肉っていることと、原文執筆者が引用ふうの形で紹介したこととは、別の立場で書かれたことである。当然だが、「原文執筆者はクルーグマンを皮肉っているから、紹介文でもクルーグマンは皮肉られている」と勘違いしてはならない。
 そして、そういう勘違いを犯したのが、該当箇所について「片手落ち」と訳した人だ。(該当箇所以外についてであれば、まだしも「当たらずと言えども遠からず」であったが。)
Posted by 管理人 at 2008年10月16日 17:09
とても魅力のある経済学者で、受賞にふさわしい人というのはわかりました。
Posted by 口臭の原因発見隊 at 2008年11月13日 13:07
 次の項目を新たに追加しました。参照。

  →  クルーグマンの景気対策
http://nando.seesaa.net/article/112076545.html

Posted by 管理人 at 2009年01月03日 12:16
> いくらマネーを供給しても市中に回らない事に何等言及していないではないか

 この点は私は別所で詳しく解説していますよ。また、クルーグマン批判もしています。
 とりあえず、私のサイトをあちこち読んでから、私を批判してください。私は別にクルーグマンの信者じゃありません。本項は単に彼の美点を紹介しただけ。欠点について言及しているのは、別の項目です。
 相手を批判するときは、相手の主張をちゃんと読んでからにしましょう。(私の主張と正反対のことで濡れ衣を着せられても、迷惑なだけです。)

> 彼の頭の中に国際決済銀行の罠がまるで存在していない

 BIS規制については私も無視しています。頭に存在していないのではなくて、問題が小さすぎるからです。
 大物について語るときには、小物についてはいちいち言及しないんです。

> 間違いであったことに私は気がついた。2008年の日本を見ればわかるように、石油価格の上昇で物価が上がっても消費が伸びるどころか、消費が控えられ、インフレではなくスタグフレーションになりかけた。物価が上昇すると、ますます日本人は金を使わなくなる可能性が高い。

 そんなことは私が7年ぐらい前に予告しています。先に私の話を読んでください。
 → http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/
Posted by 管理人 at 2009年04月15日 21:29
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