「インフレ目標とは何か?」を、比喩的に示す。理解の一助のために。
※ なお、学問的に知りたければ、別途、次のページを参照。
→ 「インフレ目標」簡単解説
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「インフレ目標」では、「中央銀行の目標設定(つまり言葉だけ)によって需要が増える」ということが主張されている。
この当否をめぐって、いろいろと議論がなされる。そこで、理解の一助に、これらの議論(4通り)を、比喩的に表現しよう。
《 現状 》
観光バスが出発しようとしているが、客がいないせいで、出発できない。最少催行人数(出発に必要な最小限の人数)が 25人だが、客が 10人ぐらいしか来ない(需要不足)ので、出発できない。では、どうすれば、状況は正常化するか?
(1) 古典派(市場原理派)の主張
価格を下げればいい。価格をどんどん下げれば、需給はいつか均衡する。だから市場原理だけでOK。
→ 価格をゼロにしたり、価格を原価以下に下げたりすれば、大赤字になる。だったら出発しない方がマシだ。大事なのは需給の均衡ではなくて、赤字を出さないことだ。需給を均衡させて、大赤字を出すのでは、本末転倒だ。(「需給均衡が最適状態だ」という市場原理は成立しない。そんな原理は夢想にすぎない。)
(2) マネタリストの主張
駅からバスの発車場まで、客になりそうな人(≒ マネーサプライ)をたくさん連れてくればいい。客がたくさんいれば、その客が切符をたくさん買うので、バスは発車できるはずだ。
→ いくら人間がたくさんいたって、券売所に人があふれるだけだ。券が売れないと、バスは発車できない。金を払う客が必要なのに、金を払わない人間ばかりたくさんいても、何にもならない。単に人間がたくさんひしめくだけだ。無効。
(3) クルーグマンの主張
客の数の目標を設定すればいい。「応募する客の数は定員の 1.5倍をめざす」と大々的に宣伝すればいい。その宣伝を聞いた人は、「応募者が 1.5倍になるのなら、応募に遅れるとバスに乗り遅れるぞ」と思って、大急ぎで応募するはずだ。宣伝を信じた人が大挙して押し寄せるから、バスはちゃんと出発できる。
→ そんな宣伝を信じるはずがないだろう。ま、もともと人気のバスで、倍率が 0.9 倍ぐらいならば、客は信じることもあるだろう。そういう場合には、主張は成立するだろう。しかし、もともと倍率が 0.2倍ぐらいしかないとき(ひどい不人気のとき)には、そんな宣伝をしたって、誰も信じはしない。バス会社が宣伝すれば大衆が信じると思うのは、楽観主義的な思い上がりだよ。
(4) 私(南堂)の主張
みんな肝心のことを忘れている。バスを発車させるか否かという数合わせ(帳尻合わせ)のことばかりを考えている。そんな表面的な発想では駄目だ。本質が大切だ。
では、本質とは? バスに乗れるだけの金が必要だ、ということだ。なのに、現状では、客には金がない。ここが核心なのだ。そして、金がないとしたら、金を貸す以外には、方法はない。だから、金を与えればいい。
ただし、金は天から降ってこない。だから、金を与えるが、後で金を返してもらえばいい。つまり、「先に金を渡し、後で金を返してもらう」ということだ。
では、それは、可能か? 可能なこともある。その条件は、「各人が金を稼ぐ」ということだ。具体的には、「バスで客を仕事場に運ぶ」ということだ。このバスは、どこかの遊園地向けであれば、乗る客がいないから、運休するしかない。しかし、仕事のある会社向けであれば、仕事をするために乗る客がいるから、出発できる。結局、バスは、仕事場に向ければいい。そして、客は、いったん無料で仕事場まで運んでもらってから、そこで金を稼いで、帰りに往復の運賃をまとめて払えばいい。
以上のようにすれば、バスは発車できる。
→ これでいいはずだ。そして、その本質は、「小手先の論理で物事を操作する」のではなくて、「金がなければ働いて金を稼ぐ」ということだ。……なのに、ここを理解しないで、表面的な経済操作だけで物事を解決しようとしたり、人をだまして勝手に行動させようとしたりするから、他の経済学者の方法は失敗するのだ。
( ※ (1)〜(4) で、赤い矢印( → )のあとの段落は、私なりの説明・見解。)
[ 付記 ]
クルーグマンも、最近では、立場を変えてきている。(3) の限界性を認識して、(4) に近い立場になってきている。
その意味では、現在のクルーグマンは、あまり批判の対象とならない。クルーグマンもようやく、私のような考え方にすり寄ってきたようだ。 (^^);
【 注記 】
本項は将来、別の日付に移転する予定です。1カ月ぐらい前の日付。
(順序の都合で。)
それはないわ
こんにちは。私のブログでは、金融危機後「健全な社会」を作り出すことが、健全な実体経済を取り戻す最短の道であることを訴えてきました。しかし、多くの人の頭の中「経済・金融」というキーワードで埋め尽くされ、「社会」など何も関係のないことと思っているかのようです。そんなことはありません。私だけの訴えでは多くの人は振り向いていただけないようなので、私のブログではドラッカーの著書「ネクスト・ソサエティー」について取り上げてみました。また、一方ではあまり関係ないように見える、今回ノーベル経済学賞を受賞したポール・クルーグマン氏のここ数年の辛らつな「ブッシュ批判」は、形こそ違え結局は「健全な社会」を作くるどころか壊してきたことに対する批判だったと思います。結局は、クルーグマン氏も「健全な社会」を作りだすべきことを主張していたのだと思います。ポスト金融危機には、すでに過去とは違う社会に突入した先進国の「異質な社会」に対するインフラ革新、システム革新が必要不可欠だと思います。詳細は是非私のブログをご覧になってください。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B2%A0%E3%81%AE%E6%89%80%E5%BE%97%E7%A8%8E
もちろん、決めるのは立法府であるわけだが。
どなたか、進言していただけませんか。
せめて私のサイト(泉の波立ち)を読んでから、書き込んでくださいね。ここは言いっぱなしの2ちゃんねるじゃないので。
あと、書き込む場所(項目)を間違えていますよ。
同じようで、微妙に違うような気もしますけど、まあ、ここで議論することもないでしょう。
言葉って、難しいですしね。
客観的(と思われる)事実は、次のとおり。
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Google「中和政策」ヒット数:約138
同じく「負の所得税」ヒット数:約9,990
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不適切なコメントでしたら、削除してください。別にことさらに主張するつもりもないですので(^^)