2008年10月17日

◆ バーナンキの背理法(「流動性の罠」批判)

 バーナンキの背理法とは、量的緩和論者が「量的緩和だけでOK」と主張するために提出した証明。ただし、エセ証明である。(間違った証明。)
 では、どこがおかしいのか? 詭弁の原理を探る。

 ──

 クルーグマンは、「流動性の罠」の理論で、量的緩和論の限界を示した。こうだ。
 「『量的緩和だけでOK』ということはない。不況期には、量的緩和には限界がある。ゆえに、それ以外の何らかの策が必要だ」

 これに対して、量的緩和論者は頭に来て、「クルーグマンの説は間違っている。量的緩和だけでOKだ」と主張した。
 なかんずく、バーナンキ(2005年からFRB議長)は、2001年ごろに、後述のような論理で主張した(らしい)。これは日本では「バーナンキの背理法」と呼ばれ、ネットで話題になった。
  → Wikipedia の説明

 この論理は、一見、正当に見える。だが、間違っている。しかしながら、どこがどう間違っているかは、なかなか指摘されなかった。あれやこれやと反論はあったのだが、どれもこれも見当違いの反論ばかりだった。(そのなかにはクルーグマンの反論もある。これもピンボケ。間違いではないのだが、肉を斬っても骨を斬らない。切れ味が鈍い。)
 そういうわけで、バーナンキの背理法は、量的緩和論者からいまだに支持されている。つまり、世界中の多くの経済学者は、「量的緩和だけでOK」と今も信じ続けている。

 そこで本項は、バーナンキの背理法のどこがどう問題であるかを、指摘しよう。これが本項のテーマだ。

 ──

 まず、紹介しよう。バーナンキの背理法による結論は、次のことだ。
 「量的緩和は必ず有効である」

 もう少し詳しく言うと、こうだ。
 「量的緩和を続ければ、必ずいつかインフレ(物価上昇)が起こる」

 このことは、「流動性の罠」という言葉を使えば、次のように言い換えることができる。
 「『流動性の罠』という現象は起こらない」
 ( ※ なぜなら、流動性の罠というのは、量的緩和が無効になることを意味するから。)

 こうして、「バーナンキの背理法」と、「流動性の罠」という概念とは、たがいに正反対であることがわかった。(人間レベルで言えば、水と油。白と黒。犬猿の仲みたいなものだ。実際にバーナンキとクルーグマンの二人が喧嘩しているわけではないだろうが。)

 ──

 こうして、結論についてはわかった。というか、この結論は、量的緩和論者の主張そのものだ。
 そして、バーナンキの背理法は、この結論を導く出すための論理である。そこでは背理法が使われているので、この論理は「バーナンキの背理法」という名前が付けられた。

 この論理は、要約すれば、次の通り。
 「量的緩和をしても、インフレが起こらないと仮定する。すると、中央銀行はいくらでも紙幣を増刷できる。しかも、物価は上昇しない。ならば、お金を刷るだけで、政府の歳入をまかなえるから、徴税する必要がなくなる。こうして無税国家ができる。……しかし、そんな馬鹿なことがあるはずがない。ゆえに、最初の仮定は誤り。つまり、量的緩和をすれば、いつか必ずインフレが起こる」


 これに対しては、いろいろと批判があった。大別すれば、次の3通り。
  ・ これは論理がおかしい。論理ミスだ。
  ・ 「無際限の紙幣増刷」は実現性に問題がある。
  ・ 「マネーの滞留」があるから、おかしいんじゃないの?


 しかし、そのような説明のいずれも、説得力がなかった。最後の批判(マネーの滞留の指摘)だけは、かなり核心を突いていると思えたが、バーナンキの論理のどこがおかしいかを、具体的に説明できなかった。
 こうして、あらゆる批判は力不足となり、バーナンキの背理法は生き残った。かくて、量的緩和論者は、「やっぱりおれの言うとおりだ。量的緩和は有効なのだ」と言い張るようになった。

 しかし、バーナンキの背理法は、完全に間違っている。どこがどう間違っているかを、以下で説明しよう。

 ──

 まず、基本として言えることだが、たいていの詭弁に当てはまるように、論理そのものは完璧である。どこも間違っていない。背理法の使い方を完璧に適用している。
 「Aと仮定する。Aならば矛盾。ゆえに非A」
 というふうになる。(形式)論理的には、どこもおかしくない。だから、論理のミスを捜そうとして、鵜の目鷹の目になっても、無駄なことである。たいていの経済学者は、論理に弱いので、「そこに論理ミスがない」と言うことに気づかなかった。そのあげく、論理ミスを捜そうとして、無駄な手間をかけて、撃沈されることになった。

 では、どこに問題があるか? それは、たいていの詭弁に当てはまるように、言葉遣いだ。言葉を自己流に勝手に解釈しているのだ。特に、言葉を二重の意味で使う。……こうして矛盾がひそむことを隠蔽する。
 バーナンキの背理法では、次のように、言葉を二重で使う。
  「インフレ」 …… マイルドインフレ/ハイパーインフレ

 同じ言葉を、あるときはマイルドインフレの意味で使い、あるときはハイパーインフレの意味で使う。こうして、言葉を二重の意味で使う。そのことで、ひそんでいる矛盾を隠蔽する。
 (比喩的に言うと、「灰色」という言葉を「白」と「黒」の二つの意味で使うことで、矛盾を隠蔽する。)
 これが「バーナンキの背理法」にひそむ詭弁のテクニックだ。

 ──

 では、いよいよ、具体的に論じよう。
 バーナンキ( or 量的緩和論者)は、次のことを主張したがっている。
 「量的緩和は有効である。量的緩和を続けていけば、インフレを起こすことができる」

 これは、具体的には、次のことを意味する。
 「少しずつ量的緩和を続けると、少しずつ物価上昇が起こる。たとえば、1兆円で 0.1%の物価上昇、2兆円で 0.2%の物価上昇、というふうに。……だから、少しずつ量的緩和を続けて、適当なところでやめれば、適当なところでやめれば、最適の物価上昇率にすることが可能である」

 このことは、間違いというほどではない。少なくとも、普通の景気状態では、このことは完璧に成立する。たとえば、金利が3%ぐらいのときには、このことは完璧に成立する。(いわゆる金融政策だ。)

 問題は、不況期だ。ゼロ金利のときには、このことは成立するか? 成立しない。
 ゼロ金利のときには、次のことが成立する。
 「少しずつ量的緩和を続けても、少しずつ物価上昇が起こらない。たとえば、1兆円で 0.1%の物価上昇、2兆円で 0.2%の物価上昇、というふうにならない。……少しずつ量的緩和を続けても、効果はまったく生じないままである。ただし、大量に量的緩和を拡大すると、あるとき突発的に、大規模なインフレが起こる

 ──

 上の二つのことをまとめて言えば、次のように対比できる。
 普通の経済のときには、インフレは「マイルドインフレ」の形で起こる。金融政策はマイルドインフレを制御することが可能である。
 不況のときには、インフレはずっと起こらない(流動性の罠)が、あるとき突発的に、インフレは「ハイパーインフレ」の形で起こる。金融政策は、流動性の罠も、ハイパーインフレも、制御することが不可能である。

 以上が正しい。このことはクルーグマンの「流動性の罠」という概念を理解すれば、正しく理解できる。
 そして、ここでは、「インフレ」という言葉が、「マイルドインフレ」と「ハイパーインフレ」という二つの意味で別々に理解されることに注意しよう。

 ──

 ここまで理解すれば、バーナンキの背理法のどこに問題があるかもわかるだろう。彼は、「マイルドインフレが制御できる」ということを、「インフレが制御できる」と言い換えて、そのことで、「ハイパーインフレが制御できる」という結論を出してしまったのだ。……そういうふうに、言葉を二重の意味で使うことで、詭弁を出したのだ。
 ところが、たいていの人は、言葉に問題があるとは気づかないまま、「論理の穴がある」とばかり思っていたから、論理の穴を探ろうとした。そのせいで、撃沈されてしまったのだ。

 ──

 【 練習問題 】

 重たい冷蔵庫を押す。力を込めて押す。どんどん力を上げていくと、ある程度まではまったく動かないが、ある程度を越えると急に動き差す。
 このことに、バーナンキの背理法の発想を当てはめて、詭弁をつくってみよ。

( ※ 解答は省略。平易なので。)

( ※ ヒント。冷蔵庫を止めるストッパーはあるか? ある場合と、ない場合とを、分けて考えるといい。その上で、ある場合とない場合とを、意図的にゴッチャに混ぜた曖昧表現をするといい。)
( 《 参考 》 よく似た詭弁に「アキレスと亀」というパラドックスがある。詳しくは → Openブログ「アキレスと亀」



 以下は、細かな話。補足的な話題。(経済学の高度な話。)

 [ 付記1 ]
 流動性の罠のあとで、あるとき突発的にハイパーインフレが起こる。
 では、どうして、そういうことが起こるのか? それは非連続的な変化であるが、そのような非連続的な変化がどうして起こるのか? 
 そのことを疑問に思う人もいるだろう。そこで、説明しよう。

 非連続的な変化を起こすのは、人間の心理である。国民の心理である。
 実際、巨額の物質などが急激に右から左へと転じることはありえない。しかし、人間心理は、容易に右から左に転じる。そのとき、人間心理に従って、預金口座のマネーも、容易に右から左に転じることがある。
 たとえば、「まだまだ景気が悪いだろう」と人々が思っていれば、いくら金が余っていても、人々は消費も投資も増やさない。そのままマネーは大量に滞留する。(これは現状に近い。)
 ただし、あるとき突然、「ここで景気が良くなるだろう」と人々が思うと、多くの人々が消費と投資を増やすので、急激に景気が良くなる。このとき、大量に滞留していたマネーが、一挙に活動状態になる。それがハイパーインフレだ。
( ※ 心理の経済学的な効果については、項目最後の参考文献を参照。)

 ──

 心理によって経済状況が突発的に変化することは、モデル的に説明される。というか、比喩的に表現される。それは、よく知られているように、「薪が積み重なる」「薪に火がつく」というふう比喩だ。

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 [ 付記2 ]
 さて。では、どうすればいいか? 
 クルーグマンが述べたのは、「早めに心理に火を付ける」ということだった。マネーがあまり滞留しないうちに、民衆の心理に火を付ければ、早めにインフレが起こるだろう、と。これが「インフレ目標」だ。
 これに対して、量的緩和論者は批判する。「いちいち火を付けなくても大丈夫。マネーが滞留することはない。マネーを出せば必ずマネーには火がつく」と。
 一方、「日銀には、民衆の火を付ける能力はない」という別方向の批判もある。

 [ 付記3 ]
 「薪に火がつく」というのは、ハイパーインフレの形で起こるだけではない。投機の形で大きく経済を変動させることがある。
 その例は、例の資源価格高騰だ。石油や小麦などの価格が、急激に高騰した。その後、現在では、価格は半額になり、元に戻ってしまった。2008年で、1月は 87ドル、7月は 145ドル、現在は 70ドル)
 ( → 読売の記事。グラフつき。)
 金余りのなかで、資源の市場に大量の投機資金が流入した。すると、相場が急上昇した。そのあとで、大量の投機資金が流出した。すると、相場が元に戻った。
 つまり、金が大量に滞留していると、大量の金があっちこっちに行ったり来たりするたびに、世界の経済はメチャクチャに大変動する。

 そして、これは、経済にとって本質的な出来事ではない。「経済は本来、メチャクチャに変動するものだ」ということはない。
 ではなぜ、経済は変動するかというと、そこに大量のマネーがあるせいだ。
 ではなぜ、そこに大量のマネーがあるかというと、われわれの狂気のせいだ。われわれが「大量にマネーを滞留させておく」という狂気的な経済政策を取るから、世界には狂気的な経済的混乱が起こる。
(いわば、「気違いに刃物」か「テロリストに大量破壊兵器」のようなものだ。……ま、経済学者は、気違いテロリストも同然であろうが。  (^^); )

 実を言うと、こういうこと(経済学者のせいであえて世界経済が破壊されてしまうこと)は、よくあることだ。
 特に、米国の金融危機(サブプライムローン)にも、このことは当てはまる。
 逆に言えば、米国の金融危機(サブプライムローン)の根源は、このような「大量のマネーの滞留」にあるのだ。現代経済学者が狂気的だから、あえて世界経済を狂気の奈落に突き落としたのだ。




 【 余談 】
 《 「薪に火がつく」ことの、別のたとえ話 》


     上の「薪に火がつく」は、それ自体 たとえ話だが、別の
    たとえ話をしよう。「薪」を「ガソリン」に置き換える。

 冬のある日、枯れ葉がいっぱい落ちていました。それを見た子供が、垣根の垣根の曲がり角で、落ち葉たきをしようとしました。
 「火をつけよう」
 と誰かが言いました。しかし、子供ばかりなので、火がありません。では、どうするか?
 「ガソリンを集めればいい」
 と馬南くんが提案しました。しかし人々は反論しました。
 「ガソリンを集めたって、ガソリンだけじゃ火はつかないだろう?」
 「いや、ガソリンさえあれば、火はつくんだ」
 「どうして?」
 「背理法で説明しよう」と馬南くん。「ガソリンをどんどん集めても火がつかないと仮定しよう。ならば、どんなにガソリンを集めても、火事が起こらないことになる。ガソリンを無限に集めても、火事が起こらないことになる。それなら無料のガソリン安全保管所ができることになる。そんな馬鹿なことはない。ガソリンをたくさん積み重ねれば、いつか火事が起こるに決まっている。火事が起こるとすれば、火がつくからだ。ゆえに、ガソリンをどんどん集めれば、必ず火がつく」
 「なるほど」と人々は納得しました。
 「だからね」と馬南くん。「ガソリンをどんどん集めれば、火がつくんだから、落ち葉たきができるのさ」
 こうして子供たちは、あちこちからガソリンを集めました。しかし、いくらガソリンを集めても、ちっとも火がつきません。ところがあるとき、子供が転んで、ガソリンをこぼしてしまいました。そのとき静電気が走って、ガソリンに火がつきました。

     BOMB!



                     爆弾




  【 補説 】
 以下は、補足的な説明。話の主題とは別に、副次的な話題。(特に読まなくてもよい。)

 実を言うと、バーナンキの背理法には、論理のインチキもある。論理の穴ではないのだが、論理のインチキがある。それは「前提を(こっそり)もぐりこませてしまう」という手法だ。

 バーナンキの論理では、
 「少しずつ量的緩和をすれば、少しずつインフレが起こる」
 ということが前提とされている。しかし、これは、
 「流動性の罠が成立しない」
 ということだ。
 つまり、バーナンキの背理法とは、次のことに等しい。
 「流動性の罠が成立しなければ、流動性の罠は成立しない」

 だが、これは、「AならばA」というトートロジーである。論理的には絶対的に正しいし、否定のしようがない。
 かくて、彼の結論としての
 「流動性の罠が成立しない」
 という命題は、論理的に正しい。論理的には。……ただし、そこでは、
 「流動性の罠が成立しない」
 という前提が暗黙裏に導入されている。前提を隠しながらこっそり導入することで、論理全体が正しいと見せかける。これもまた、よくある詭弁の手口だ。

 プレイボーイが女に言う。
 「キスしてもいい? それとも、胸に触っていい?」
 「え、どっちもいやよ」
 「あ、赤くなった。じゃ、僕のことを好きなんだよね? ね? だったら、どっちもOKだよね? キスと胸、どっちにしようかな? とりあえず、胸にしよう」
 「え、やだってば」
 「胸はイヤなの? じゃ、キスしちゃおう」(チュッ)


 ここでは、「キスも胸もどっちもイヤだ」(ツンデレじゃない)という真実を隠して、「僕のことを好きなんだから」という前提を(こっそり)もぐりこませている。ありもしないことを、真実だと見せかけて、勝手に前提に取り込んでしまっている。
 バーナンキの背理法がやっているのは、そういうことだ。

 ──

 バーナンキの背理法では、次の前提が暗黙裏に導入されている。
 「従来の経済学が正しければ」
 「量的緩和が有効ならば」
 「流動性の罠が成立しなければ」
 「マネーの滞留が起こらなければ」


 このような前提のもとで、「インフレが起こる」と結論する。
 しかしそれは、「自分が正しければ自分は正しい」と述べているに等しい。論理的にはただのトートロジーにすぎない。
 ここに彼の論理的なインチキがある。

 ──

 そして、この主張を正しく論破するには、言葉の二重性に気づけばいい。そうすれば、こう反駁できる。
 「あなたはインフレが起こると主張している。なるほど、量的緩和をどんどん続ければ、いつかはインフレが起こるだろう。その意味で、あなたは正しい。ただし、そこで起こるのは、(今すぐの)マイルドインフレではなくて、(遠い先の)ハイパーインフレなのだ。そのことをあなたはゴマ化している」

    *    *    *    *    *    *    *    *    *

 あなたが詐欺師になりたければ、バーナンキの手法を真似するといいだろう。
 「お金を貸してくれよ。あとで利息をいっぱい付けて返すからさ。すごい高利率(7%など)で返済するよ。必ず返済する。確約する。だから、金を貸してくれよ」
 こうやって大金を借りる。
 ただし、借りたあと、決して返済しない。頼まれても、「催促なしにしてくれ」と言って、逃げ回る。つかまったら、こう弁解する。
 「いつか返すよ。いつかね。ただし、そのいつかとは、今ではない」
 こうやって返済時期を無限に先延ばしする。
 そのうち、相手が死んでしまえば、それで良し。あるいは、自分が死んでしまっても、それで良し。結局、借金の返済を免れる。
 そして、そのためには、「いつか」という言葉を使えばいいのだ。(バーナンキの背理法ふうに。)

 ──

 一般に、古典派は、「いつか」という言葉を使って、「無限の先延ばし」をするものだ。「長期的には必ずこうなる」というふうな言葉を使って。
 バーナンキの背理法も、同様だ。なるほど。いつか必ず、インフレが起こる。しかし、そのときまでは、インフレは起こらないのだ。そして、その間、インフレ圧力は、ものすごく蓄積する。そのあと、インフレ圧力がとうとう爆発したときには、ものすごい爆発が起こる。
 しかしながら、古典派は、そのことをゴマ化す。「いつか」という言葉を使いながら、その「いつか」というのが、ほんのすぐ先であるかのように見せかける。……詐欺師さながら。というか、詐欺師そのものだが。

 古典派はいつもこう言う。
 「長期的には必ず、私の言うとおりになる。だから、長期的には、われわれは正しい」
 古典派のこういうインチキ論理を指弾するために、ケインズはうまいことを言った。
 「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」
 つまり、「長期的には」なんていう前提をかぶせて、自己正当化をしようとしても、そんな正当化は無意味なのだ。論理的は正しくても、現実的には意味をもたないのだ。前提をかぶせたとき、命題のすべてが無効化するのだ。

 ケインズは、古典派のインチキ論理を指弾するのがうまかった。ケインズは、物事の核心を見抜くのがうまかった。
 しかしながら、現代の経済学者には、ケインズほどの人物がいない。クルーグマンはケインズに近いが、それでもケインズには遠く及ばない。だから、現代の誰もがこぞって、バーナンキの背理法にだまされてしまうのだ。「いつか」というのを近未来だと思い込みながら。
( ※ 結婚詐欺に引っかかる妄想好きの女のようなものか。)




 【 参考 】 
 本題に戻る。(薪に火がつく、という話の続き。)
 マクロ経済における総生産(GDP)は、人間の心理によって大きく変動する。これは、学問的には「消費性向の変動のマクロ的効果」と表現できる。
 この件は、知りたい人も多いだろうが、簡単には説明できない。厚いマクロ経済学の教科書を長々と読んで、じっくり勉強してほしい。下記に詳しく説明されている。

  → 経済学講義 (経済学の教科書)
 
posted by 管理人 at 20:20 | Comment(1) | 経済
この記事へのコメント
by 管理人  ( 2008年10月19日 10:59 )

 最後に 余談 を加筆しました。
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