では、どこがおかしいのか? 詭弁の原理を探る。
──
クルーグマンは、「流動性の罠」の理論で、量的緩和論の限界を示した。こうだ。
「『量的緩和だけでOK』ということはない。不況期には、量的緩和には限界がある。ゆえに、それ以外の何らかの策が必要だ」
これに対して、量的緩和論者は頭に来て、「クルーグマンの説は間違っている。量的緩和だけでOKだ」と主張した。
なかんずく、バーナンキ(2005年からFRB議長)は、2001年ごろに、後述のような論理で主張した(らしい)。これは日本では「バーナンキの背理法」と呼ばれ、ネットで話題になった。
→ Wikipedia の説明
この論理は、一見、正当に見える。だが、間違っている。しかしながら、どこがどう間違っているかは、なかなか指摘されなかった。あれやこれやと反論はあったのだが、どれもこれも見当違いの反論ばかりだった。(そのなかにはクルーグマンの反論もある。これもピンボケ。間違いではないのだが、肉を斬っても骨を斬らない。切れ味が鈍い。)
そういうわけで、バーナンキの背理法は、量的緩和論者からいまだに支持されている。つまり、世界中の多くの経済学者は、「量的緩和だけでOK」と今も信じ続けている。
そこで本項は、バーナンキの背理法のどこがどう問題であるかを、指摘しよう。これが本項のテーマだ。
──
まず、紹介しよう。バーナンキの背理法による結論は、次のことだ。
「量的緩和は必ず有効である」
もう少し詳しく言うと、こうだ。
「量的緩和を続ければ、必ずいつかインフレ(物価上昇)が起こる」
このことは、「流動性の罠」という言葉を使えば、次のように言い換えることができる。
「『流動性の罠』という現象は起こらない」
( ※ なぜなら、流動性の罠というのは、量的緩和が無効になることを意味するから。)
こうして、「バーナンキの背理法」と、「流動性の罠」という概念とは、たがいに正反対であることがわかった。(人間レベルで言えば、水と油。白と黒。犬猿の仲みたいなものだ。実際にバーナンキとクルーグマンの二人が喧嘩しているわけではないだろうが。)
──
こうして、結論についてはわかった。というか、この結論は、量的緩和論者の主張そのものだ。
そして、バーナンキの背理法は、この結論を導く出すための論理である。そこでは背理法が使われているので、この論理は「バーナンキの背理法」という名前が付けられた。
この論理は、要約すれば、次の通り。
「量的緩和をしても、インフレが起こらないと仮定する。すると、中央銀行はいくらでも紙幣を増刷できる。しかも、物価は上昇しない。ならば、お金を刷るだけで、政府の歳入をまかなえるから、徴税する必要がなくなる。こうして無税国家ができる。……しかし、そんな馬鹿なことがあるはずがない。ゆえに、最初の仮定は誤り。つまり、量的緩和をすれば、いつか必ずインフレが起こる」
これに対しては、いろいろと批判があった。大別すれば、次の3通り。
・ これは論理がおかしい。論理ミスだ。
・ 「無際限の紙幣増刷」は実現性に問題がある。
・ 「マネーの滞留」があるから、おかしいんじゃないの?
しかし、そのような説明のいずれも、説得力がなかった。最後の批判(マネーの滞留の指摘)だけは、かなり核心を突いていると思えたが、バーナンキの論理のどこがおかしいかを、具体的に説明できなかった。
こうして、あらゆる批判は力不足となり、バーナンキの背理法は生き残った。かくて、量的緩和論者は、「やっぱりおれの言うとおりだ。量的緩和は有効なのだ」と言い張るようになった。
しかし、バーナンキの背理法は、完全に間違っている。どこがどう間違っているかを、以下で説明しよう。
──
まず、基本として言えることだが、たいていの詭弁に当てはまるように、論理そのものは完璧である。どこも間違っていない。背理法の使い方を完璧に適用している。
「Aと仮定する。Aならば矛盾。ゆえに非A」
というふうになる。(形式)論理的には、どこもおかしくない。だから、論理のミスを捜そうとして、鵜の目鷹の目になっても、無駄なことである。たいていの経済学者は、論理に弱いので、「そこに論理ミスがない」と言うことに気づかなかった。そのあげく、論理ミスを捜そうとして、無駄な手間をかけて、撃沈されることになった。
では、どこに問題があるか? それは、たいていの詭弁に当てはまるように、言葉遣いだ。言葉を自己流に勝手に解釈しているのだ。特に、言葉を二重の意味で使う。……こうして矛盾がひそむことを隠蔽する。
バーナンキの背理法では、次のように、言葉を二重の意味で使う。
「インフレ」 …… マイルドインフレ/ハイパーインフレ
同じ言葉を、あるときはマイルドインフレの意味で使い、あるときはハイパーインフレの意味で使う。こうして、言葉を二重の意味で使う。そのことで、ひそんでいる矛盾を隠蔽する。
(比喩的に言うと、「灰色」という言葉を、「白」と「黒」の二つの意味で使う。あるときは「白」の意味で使い、あるときは「黒」の意味で使う。その両方が成立すると示すことで、矛盾を隠蔽する。)
これが「バーナンキの背理法」にひそむ詭弁のテクニックだ。
──
では、いよいよ、具体的に論じよう。
バーナンキ( or 量的緩和論者)は、次のことを主張したがっている。
「量的緩和は有効である。量的緩和を続けていけば、インフレを起こすことができる」
これは、具体的には、次のことを意味する。
「少しずつ量的緩和を続けると、少しずつ物価上昇が起こる。たとえば、1兆円で 0.1%の物価上昇、2兆円で 0.2%の物価上昇、というふうに。……だから、少しずつ量的緩和を続けて、適当なところでやめれば、最適の物価上昇率にすることが可能である」
ここで言う「インフレ」とは、マイルドインフレのことである。
このことは、間違いというほどではない。少なくとも、普通の景気状態では、このことは完璧に成立する。たとえば、金利が3%ぐらいのときには、このことは完璧に成立する。(いわゆる金融政策だ。)
問題は、不況期だ。ゼロ金利のときには、このことは成立するか? 成立しない。
ゼロ金利のときには、次のことが成立する。
「少しずつ量的緩和を続けても、少しずつ物価上昇が起こらない。たとえば、1兆円で 0.1%の物価上昇、2兆円で 0.2%の物価上昇、というふうにならない。……少しずつ量的緩和を続けても、効果はまったく生じないままである。ただし、大量に量的緩和を拡大すると、あるとき突発的に、大規模なインフレが起こる」
ここで言う「インフレ」とは、ハイパーインフレのことである。
──
上の二つのことをまとめて言えば、次のように対比できる。
普通の経済のときには、インフレは「マイルドインフレ」の形で起こる。金融政策はマイルドインフレを制御することが可能である。
不況のときには、インフレはずっと起こらない(流動性の罠)が、あるとき突発的に、インフレは「ハイパーインフレ」の形で起こる。金融政策は、流動性の罠も、ハイパーインフレも、制御することが不可能である。
以上が正しい。このことはクルーグマンの「流動性の罠」という概念を理解すれば、正しく理解できる。
そして、ここでは、「インフレ」という言葉が、「マイルドインフレ」と「ハイパーインフレ」という二つの意味で別々に理解されることに注意しよう。
──
ここまで理解すれば、バーナンキの背理法のどこに問題があるかもわかるだろう。この理屈では、「インフレ」という言葉を「マイルドインフレ」という意味と「ハイパーインフレ」という意味の双方で使っている。
「インフレはデフレより好ましい」と言うときのインフレは「マイルドインフレ」である。
「インフレは必ず起こる」と言うときのインフレは「ハイパーインフレ」である。
──
話を整理しよう。
バーナンキの背理法は、こう言う。
「金融緩和をすれば、いつかは必ずインフレが起こる」
これが意味することは、次のことだ。
「金融緩和をすれば、いつかは必ずマイルドインフレが起こる」
しかしこれは誤りである。
正しくは、こうだ。
「金融緩和をしても、マイルドインフレは起こらない」
では、何が起こるかというと、こうだ。
「金融緩和をすれば、マイルドインフレは起こらない状態が続くが、あるとき突発的に、ハイパーインフレが起こる」
デフレ下では、このようなことになる。なぜなら、「流動性の罠」の状態にあるからだ。
バーナンキの背理法は、完全な間違いか? そうではない。デフレでない状態( i.e. 「流動性の罠」を脱した状態)では、バーナンキの背理法は成立する。つまり、金融緩和によってインフレが起こる。しかるに、デフレのもとでは、バーナンキの背理法は成立しないのである。(流動性の罠ゆえに)

──
結局、次のように言える。
「量的緩和は有効である。なぜなら、量的緩和を無限に続ければ、いつかはインフレが起こるはずだからだ」
という説(バーナンキの背理法)は、正しくない。なぜなら、正しくは、次のようになるからだ。
・ ある範囲まで …… 量的緩和は無効 (物価上昇なし)。
・ ある範囲以降 …… ハイパーインフレ (急激な物価上昇)。
このようになる。
( ※ このような不連続的な変化の例としては、「氷の上に荷物を置く」ということがある。氷の上に荷物を置いて、少しずつ荷物を重ねていく。ある程度までは何も変化が起こらないが、あるとき突発的に、変化が起こる。/似た例は → 次項 )
《 注記 》
バーナンキの背理法は、詭弁の一種である。
そこでは論理に穴があるのではない。言葉に曖昧さがあるのだ。その曖昧さとは、「インフレ」という言葉に、「マイルドインフレ」および「ハイパーインフレ」という二つの概念をまぎれこませていることだ。
そして、「インフレが起こる/インフレが起こらない」ということを論じているときに、「マイルドインフレ」と「ハイパーインフレ」を区別しないまま混用している。特にデフレ下では、問題だ。正しくは、金融緩和をしても「マイルドインフレは起こらないが、あるとき突発的にハイパーインフレになる」となる。なのに、「いつまでも何も起こらないはずはないから、いつかはマイルドインフレが起こる」というふうに話をすり替えてしまっている。
ここでは言葉が曖昧に使われている。だから言葉を正確に使えば問題はなくなる。なのに、この話を聞いた人々は、「論理の穴がある」とばかり思っていたせいで、論理の穴を探ろうとする。そのあげく、撃沈されてしまう。
バーナンキの背理法は、論理が間違っている誤謬なのではない。言葉が曖昧である詭弁なのだ。そこを理解する必要がある。
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【 練習問題 】
重たい冷蔵庫を押す。力を込めて押す。どんどん力を上げていくと、ある程度まではまったく動かないが、ある程度を越えると急に動き差す。
このことに、バーナンキの背理法の発想を当てはめて、詭弁をつくってみよ。
( ※ 解 答は省略。平易なので。)
( ※ ヒント。冷蔵庫を動かしにくくする摩擦( or ストッパー)は、あるか? ある場合と、ない場合とを、分けて考えるといい。その上で、ある場合とない場合とを、意図的にゴッチャに混ぜた曖昧表現をするといい。)
( 《 参考 》 よく似た詭弁に「アキレスと亀」というパラドックスがある。詳しくは → Openブログ「アキレスと亀」 )──
【 追記 】
冷蔵庫よりももっと適したモデルを、考案した。下記に記してある。
→ バーナンキの背理法 2(モデル)
以下は、細かな話。補足的な話題。(経済学の高度な話。)
[ 付記1 ]
次のことは成立しない。
「量的緩和は有効である。少し量的緩和をすれば、少し物価上昇が起こる」 ……(*)
バーナンキの背理法は、この両者をゴッチャにしている。前者の二つを証明しているのに、後者の方を証明したつもりになっている。論理のペテン。そして、そういうインチキが成立するわけは、「インフレ」という言葉を曖昧に使っているからだ。(「ハイパーインフレ/マイルドインフレ」)
何事であれ、言葉や概念が曖昧であると、そこにはインチキが入り込んでしまうのだ。
《 注 》
すぐ上で述べた (*) が成立しないことは、「流動性の罠」と呼ばれる。ゼロ金利の状態では、投資需要が不足しているので、金利の引き下げようがなく、投資需要を増やせない。資金供給を増やしても、資金需要は増えない。……このことはクルーグマンが「流動性の罠」という概念で証明した。
バーナンキの背理法を信じている人は、「流動性の罠」という概念を理解できないのも同然だ。経済学的な理解が欠落していると言われても仕方ない。
[ 付記2 ]
流動性の罠のあとで、あるとき突発的にハイパーインフレが起こる。
では、どうして、そういうことが起こるのか? それは非連続的な変化であるが、そのような非連続的な変化がどうして起こるのか?
そのことを疑問に思う人もいるだろう。そこで、説明しよう。
非連続的な変化を起こすのは、人間の心理である。国民の心理である。
実際、巨額の物質などが急激に右から左へと転じることはありえない。しかし、人間心理は、容易に右から左に転じる。そのとき、人間心理に従って、預金口座のマネーも、容易に右から左に転じることがある。
たとえば、「まだまだ景気が悪いだろう」と人々が思っていれば、いくら金が余っていても、人々は消費も投資も増やさない。そのままマネーは大量に滞留する。(これは現状に近い。)
ただし、あるとき突然、「ここで景気が良くなるだろう」と人々が思うと、多くの人々が消費と投資を増やすので、急激に景気が良くなる。このとき、大量に滞留していたマネーが、一挙に活動状態になる。それがハイパーインフレだ。
( ※ 心理の経済学的な効果については、項目最後の参考文献を参照。)
──
心理によって経済状況が突発的に変化することは、モデル的に説明される。というか、比喩的に表現される。それは、よく知られているように、「薪が積み重なる」「薪に火がつく」というふう比喩だ。
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[ 付記3 ]
さて。では、どうすればいいか?
クルーグマンが述べたのは、「早めに心理に火を付ける」ということだった。マネーがあまり滞留しないうちに、民衆の心理に火を付ければ、早めにインフレが起こるだろう、と。これが「インフレ目標」だ。
これに対して、量的緩和論者は批判する。「いちいち火を付けなくても大丈夫。マネーが滞留することはない。マネーを出せば必ずマネーには火がつく」と。
一方、「日銀には、民衆の火を付ける能力はない」という別方向の批判もある。
[ 付記4 ]
「薪に火がつく」というのは、ハイパーインフレの形で起こるだけではない。投機の形で大きく経済を変動させることがある。
その例は、例の資源価格高騰だ。石油や小麦などの価格が、急激に高騰した。その後、現在では、価格は半額になり、元に戻ってしまった。2008年で、1月は 87ドル、7月は 145ドル、現在は 70ドル)
( → 読売の記事。グラフつき。)
金余りのなかで、資源の市場に大量の投機資金が流入した。すると、相場が急上昇した。そのあとで、大量の投機資金が流出した。すると、相場が元に戻った。
つまり、金が大量に滞留していると、大量の金があっちこっちに行ったり来たりするたびに、世界の経済はメチャクチャに大変動する。
そして、これは、経済にとって本質的な出来事ではない。「経済は本来、メチャクチャに変動するものだ」ということはない。
ではなぜ、経済は変動するかというと、そこに大量のマネーがあるせいだ。
ではなぜ、そこに大量のマネーがあるかというと、われわれの狂気のせいだ。われわれが「大量にマネーを滞留させておく」という狂気的な経済政策を取るから、世界には狂気的な経済的混乱が起こる。
(いわば、「気違いに刃物」か「テロリストに大量破壊兵器」のようなものだ。……ま、経済学者は、気違いテロリストも同然であろうが。 (^^); )
実を言うと、こういうこと(経済学者のせいであえて世界経済が破壊されてしまうこと)は、よくあることだ。
特に、米国の金融危機(サブプライムローン)にも、このことは当てはまる。
逆に言えば、米国の金融危機(サブプライムローン)の根源は、このような「大量のマネーの滞留」にあるのだ。現代経済学者が狂気的だから、あえて世界経済を狂気の奈落に突き落としたのだ。
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【 補説 】
以下は、補足的な説明。話の主題とは別に、副次的な話題。(特に読まなくてもよい。)
実を言うと、バーナンキの背理法には、論理のインチキもある。論理の穴ではないのだが、論理のインチキがある。それは「前提を(こっそり)もぐりこませてしまう」という手法だ。
バーナンキの論理では、
「少しずつ量的緩和をすれば、少しずつインフレが起こる」
ということが前提とされている。しかし、これは、
「流動性の罠が成立しない」
ということだ。
つまり、バーナンキの背理法とは、次のことに等しい。
「流動性の罠が成立しなければ、流動性の罠は成立しない」
だが、これは、「AならばA」というトートロジーである。論理的には絶対的に正しいし、否定のしようがない。
かくて、彼の結論としての
「流動性の罠が成立しない」
という命題は、論理的に正しい。論理的には。……ただし、そこでは、
「流動性の罠が成立しない」
という前提が暗黙裏に導入されている。前提を隠しながらこっそり導入することで、論理全体が正しいと見せかける。これもまた、よくある詭弁の手口だ。
プレイボーイが女に言う。
「キスしてもいい? それとも、胸に触っていい?」
「え、どっちもいやよ」
「あ、赤くなった。じゃ、僕のことを好きなんだよね? ね? だったら、どっちもOKだよね? キスと胸、どっちにしようかな? とりあえず、胸にしよう」
「え、やだってば」
「胸はイヤなの? じゃ、キスしちゃおう」(チュッ)
ここでは、「キスも胸もどっちもイヤだ」(ツンデレじゃない)という真実を隠して、「僕のことを好きなんだから」という前提を(こっそり)もぐりこませている。ありもしないことを、真実だと見せかけて、勝手に前提に取り込んでしまっている。
バーナンキの背理法がやっているのは、そういうことだ。
──
バーナンキの背理法では、次の前提が暗黙裏に導入されている。
「従来の経済学が正しければ」
「量的緩和が有効ならば」
「流動性の罠が成立しなければ」
「マネーの滞留が起こらなければ」
このような前提のもとで、「インフレが起こる」と結論する。
しかしそれは、「自分が正しければ自分は正しい」と述べているに等しい。論理的にはただのトートロジーにすぎない。
ここに彼の論理的なインチキがある。
──
そして、この主張を正しく論破するには、言葉の二重性に気づけばいい。そうすれば、こう反駁できる。
「あなたはインフレが起こると主張している。なるほど、量的緩和をどんどん続ければ、いつかはインフレが起こるだろう。その意味で、あなたは正しい。ただし、そこで起こるのは、(今すぐの)マイルドインフレではなくて、(遠い先の)ハイパーインフレなのだ。そのことをあなたはゴマ化している」
* * * * * * * * *
あなたが詐欺師になりたければ、バーナンキの手法を真似するといいだろう。
「お金を貸してくれよ。あとで利息をいっぱい付けて返すからさ。すごい高利率(7%など)で返済するよ。必ず返済する。確約する。だから、金を貸してくれよ」
こうやって大金を借りる。
ただし、借りたあと、決して返済しない。頼まれても、「催促なしにしてくれ」と言って、逃げ回る。つかまったら、こう弁解する。
「いつか返すよ。いつかね。ただし、そのいつかとは、今ではない」
こうやって返済時期を無限に先延ばしする。
そのうち、相手が死んでしまえば、それで良し。あるいは、自分が死んでしまっても、それで良し。結局、借金の返済を免れる。
そして、そのためには、「いつか」という言葉を使えばいいのだ。(バーナンキの背理法ふうに。)
──
一般に、古典派は、「いつか」という言葉を使って、「無限の先延ばし」をするものだ。「長期的には必ずこうなる」というふうな言葉を使って。
バーナンキの背理法も、同様だ。なるほど。いつか必ず、インフレが起こる。しかし、そのときまでは、インフレは起こらないのだ。そして、その間、インフレ圧力は、ものすごく蓄積する。そのあと、インフレ圧力がとうとう爆発したときには、ものすごい爆発が起こる。
しかしながら、古典派は、そのことをゴマ化す。「いつか」という言葉を使いながら、その「いつか」というのが、ほんのすぐ先であるかのように見せかける。……詐欺師さながら。というか、詐欺師そのものだが。
古典派はいつもこう言う。
「長期的には必ず、私の言うとおりになる。だから、長期的には、われわれは正しい」
古典派のこういうインチキ論理を指弾するために、ケインズはうまいことを言った。
「長期的にはわれわれはみんな死んでいる」
つまり、「長期的には」なんていう前提をかぶせて、自己正当化をしようとしても、そんな正当化は無意味なのだ。論理的は正しくても、現実的には意味をもたないのだ。前提をかぶせたとき、命題のすべてが無効化するのだ。
ケインズは、古典派のインチキ論理を指弾するのがうまかった。ケインズは、物事の核心を見抜くのがうまかった。
しかしながら、現代の経済学者には、ケインズほどの人物がいない。クルーグマンはケインズに近いが、それでもケインズには遠く及ばない。だから、現代の誰もがこぞって、バーナンキの背理法にだまされてしまうのだ。「いつか」というのを近未来だと思い込みながら。
( ※ 結婚詐欺に引っかかる妄想好きの女のようなものか。)
【 参考 】
本題に戻る。(薪に火がつく、という話の続き。)
マクロ経済における総生産(GDP)は、人間の心理によって大きく変動する。これは、学問的には「消費性向の変動のマクロ的効果」と表現できる。
この件は、知りたい人も多いだろうが、簡単には説明できない。厚いマクロ経済学の教科書を長々と読んで、じっくり勉強してほしい。下記に詳しく説明されている。
→ 経済学講義 (経済学の教科書)
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【 関連項目 】
→ バーナンキの背理法 2(モデル)
タイムスタンプは下記 上記。 ↑
冷蔵庫を傾ける話題。
タイムスタンプは上記 ↑
川の上に、開閉式の橋があるとする。その橋は、水平から90度まで、角度を変えることができる。
この橋の上に、無人の自動車が置いてあった。
船が来たので、橋を上げる必要がある。そこで、自動車をどかす必要がある。では、どうすれば、どかせるか? レッカー車を待っていたのでは、間に合わない。
案1
自動車にパーキング・ブレーキがかかっていなければ、橋をそのまま上げればいい。そうすれば、自動車は自動的に、するすると斜面を下って、橋の外に出る。
これは名案であった。確かにそうすれば、橋を3度ぐらいの角度で傾けたところで、自動車はすべり出して、自動車は橋の外に出た。
案2
自動車にパーキング・ブレーキがかかっていた。そのとき、案1にならって、橋をそのまま上げることにした。というのは、馬難気さんが、次のように主張したからだ。
「橋を上げればいい。橋を無限に上げても(90度にしても)自動車がすべらないということはない。自動車は必ずいつかすべる。だから、橋を上げればいい」
その案に従って、橋を上げた。しかし、自動車にはパーキングブレーキがかかっているので、なかなかすべらない。橋を 45度ぐらいまで傾けたら、ようやくすべり出した。しかし、今度は、勢いがつきすぎて、止まらない。ものすごい勢いで、橋の外の地面にまで落ちていき、地面に衝突した。その自動車は、ガソリン運搬車だった。それが地面に衝突したとき、地面に火事が起こり、あたり一帯は火事で焼けつくされた。ハイパー火事( Hyper-flare )である。そのせいで何百人もの死者が出た。
すると馬難気さんは自慢した。
「ほらね。自動車はうまく橋の外に出たでしょ。これで船がちゃんと通れるようになった。私の主張は正しいことが証明された」 (^^)v
見ていた医者が言った。「私と同じだ。手術は成功しました、患者は死にました」
「人はいつか必ず死ぬ」よりも、「100年後には、99.5%くらい死んでる」とでも言及した方が、定量的な議論になります。
「長期的には、不均衡は、価格変化によって、均衡状態になる」の長期がいつかってことも、決して無限定ではありません。不均衡状態におかれた経済主体の寿命や、余裕資金や、金利負担などによって、不均衡で耐えられる期間が制約されます。
不況というものはほとんど一瞬で治すことが可能です。私の言うタンク法を実施する、と政府が表明すれば、その瞬間に有効需要が起こって、一瞬にして不況から脱することが可能です。
それに対して、「いつかは均衡する」なんていうふうに無為無策で言っている古典派の頭のお花畑を批判しているのがケインズです。
そのお花畑の度合いを計量的に示しても意味はありません。「どのくらい馬鹿ならば耐えられるか」「どれほどの不幸ならば耐えられるか」なんてのは無意味です。
「アホなことは今すぐやめよ」というのがケインズの見解です。私も同感。
1.ハーヴェイロードの前提を満足できるような賢い政府は作れない。
2.政策の立案、発動を適切に行える政府が作れたとしても、財政支出拡大による需要増加効果は一時的であり、持続的な成長にはならない。
2については、非常に面倒な議論になりますので、1についてだけ書きます。
南堂さんが、どんな財政政策を考えたところで、民主国家では、それを適切に実行できる政府を作ることは不可能なので、思考実験程度の意味しかないと思われます。
適切な財政政策を行うには、政策の決定を、民主的プロセスから切り離して、一種の賢人会議にゆだねるぐらいの改革が必要です。
金融政策においては、日銀の独立性が、ハーヴェイロードの前提を満足しているのですが、安部発言は、それを否定しようとしたものです。
・ 正解を知らないからやらない
・ 正解を知っていてやらない
実現の可能性は、前者は可能性ゼロ。後者は可能性がゼロではない。ゆえに、少なくとも正解を理解することは大切です。
今は正解を知らない人ばかりだから可能性はゼロに近いが、正解を知る人が増えれば正解が実現される可能性は高くなる。経済学はそういうものです。たとえば金融政策。
今の経済学は、後世から見れば「2世紀前の野蛮なレベル」と見られるでしょう。われわれが18世紀の科学を馬鹿にしているのと同様。
200年もたてば、私の見解がひろく理解されるるはずです。物理や数学でも。別に今すぐ実現する必要はない。200年後に人々が私に追いつけばいい。それだけの話。
後世になっても、検索して引用してもらえるようにするには、少なくとも、CiNiiくらいに登録してもらう必要があります。
ダ・ビンチが、正確な人体解剖図を書いたのに、解剖学に、何ら影響を与えなかったのは、彼が、ラテン語を読み書きできず、当時の教養人の読書世界にアクセスできなかったからです。
そもそもゼロ金利といって、すべての債券の金利が完全なるゼロ、つまり「0.0000・・・」と0以外の数字が、1〜9の数字が一つも出てこない完全なるフラットゼロという金利になっているでしょうか?そんな事にはなっていませんね。
事実上のゼロ金利というだけで、実際にはゼロ金利には陥ってない。
よって、流動性の罠に陥っていない。というのはどうでしょう?
「自動車が時速 0.00000001キロで、カタツムリみたいな速度で移動している。少しは動いているから、停止しているわけじゃない」
この言い分は成立するか?
↓
「論じるのも馬鹿馬鹿しい」というのが、普通の判定です。