◆ 考える力:  nando ブログ

2009年01月31日

◆ 考える力

 「考える力」を養成するために、どうすればいいか? 「入試をマークシート式から、思考力を問う形式に変えよ」と朝日・社説が述べたが。

 ──

 考える力を養成するべきだ、ということについては、ほぼ意見の一致を見られるだろう。(一部のトンデモマニアを除く。)
 問題は、その方法だ。そのためには、どうすればいいか? 
 朝日・社説は、「入試をマークシート式から、思考力を問う形式に変えよ」と述べた。
 学力の質を変えるには、まず大学の入試問題を、暗記型から思考力を試すものに変えることが先決ではないだろうか。
 日本の入試問題は、センター試験のマークシートのような選択式問題が主流だ。ノーベル賞を受賞した益川敏英氏が、大学での経験を踏まえて「(マークシートのような試験は)考える人を育てない」と、その弊害を指摘しているのはその通りだろう。
 いくら考える力が大切だと強調しても、丸暗記で一流大学に入れるなら、高校までの教育が変わることはなかなか難しいだろう。
 生きるための知力をどう育てるのか。大学が知恵を絞る時である。
( → 朝日のサイト
 ──

 これに似たことは、私も前に述べた。マークシート式への批判だ。
  → 考えない教育(マークシート世代)
    http://openblog.meblog.biz/article/1354543.html

 ただ、ここで述べたのは、「マークシート式が駄目だ」という批判であり、特に対策を述べたわけではなかった。(せいぜい「通信添削を使う」などぐらい。)
 本項では、「では、どうすればいいか?」という話を述べる。

 ──

 朝日の主張する対策は、次のことだ。
 「入試を、思考力を問う形式にする」
 「そのためには大学が知恵を絞るべきだ」


 しかしながら、これは、「考えない頭」の代表例だ。
 「どうすればいいですか? 考えてください」
 「私は考えません。大学に考えてもらいましょう」
 何じゃ、こりゃ? 全然、考えていない。朝日は「考えることが大切だ」と述べながら、自分では何も考えないで、大学に丸投げしている。
 ま、朝日は頭が悪いので、自分では考えることができないのかもしれない。だったら、ネットで調べるぐらいのことは、してもらいたいものだ。

 ──

 結論を述べよう。
 「考える」ためには、入試を「考える試験」にすればいいのではない。日ごろの教育を「考える教育」にする必要がある。これが核心だ。
 この核心の上で、あとは、方法論となる。

 (1) 基礎力

 まずは、基礎力を養う必要がある。そして、基礎力とは、暗記力ではない。思考するための基礎力だ。具体的には、次の二つ。
  ・ 文章力。(読解力と作文力)
  ・ 論理力(≒ 文章の構成力)

 前者のためには、「国語力」の養成が必要だ。
 後者のためには、「数学力」の養成が必要だ。
 この二点を重視するといいだろう。

 (2) 訓練

 基礎力の訓練だけでなく、実際に適用する訓練も必要となる。比喩的に言うと、スポーツの基礎訓練だけでなく、試合をすることだ。
 具体的には、「小論文の作成」だ。日記みたいな文学ふうの話ではなくて、論理的な小論文をちゃんと書かせる工夫をする。
 例。「考える力を養うにはどうすればいいか?」という小論文。

 ここで、注意するべきことがある。次の点だ。
 「ゼロから生み出そうとせずに、他者の意見を参考にする」

 ゼロから生み出すことができればいいが、そういうのは、よほど頭のいい人でないと、無理である。そんなことを学童に求めるのは酷だ。専門家の大人でさえできないことを、学童ができるはずがない。
 だから、学童はまず、
 「他者の意見をきちんと調べること」
 が先決となる。
 朝日の例で言えば、「考える力を養うにはどうすればいいか?」を、ネットなどできちんと調べることが大切だ。そして、他人の意見をきちんと調べたあとで、自分の意見を構築すればいい。
 こういう方法を、きちんと学ばせておくべきだ。

( ※ その点、朝日の記事は、全然落第だ。リサイクル関係にしても、「エコや省エネは善だ」と勝手に思い込んでいて、専門知識もないまま、素人的な情報をやたらと書き散らす。考える力がない。そのせいで、読者は嘘情報を信じ込まされて、ひどい目に遭う。たとえば、先日の記述。 → ペレット・ストーブ の [ 付記 ] の、太陽光発電でだまされた被害者の例。)

( ※ つまり、朝日が「考える力」をもたずに、ろくに調べもしないで、嘘ばかりを報道するから、被害者が続出する。ネットを調べれば、本サイトに「太陽光発電は駄目だ」という話がいっぱい書いてあるのだが、そういうネット上の情報をちっとも調べないから、無知のまま、嘘を垂れ流すだ。)

( ※ ここでは朝日の悪口を書いた。ただ、朝日で駄目なのは社説であって、朝日の全体が駄目なわけではない。朝日にも優秀な人はたくさんいる。この件は、すぐあとの話を参照。)

  ────────────

 「考える力」について、すばらしい記事があった。朝日が自分の意見を主張するとろくなことはないが、朝日が取材力を発揮して、優れた人の見識を報道したことだ。
 具体的には、iPS 細胞の山中伸弥・京大教授にインタビューした記事だ。朝日の新聞に書いてあるが、ネットにも掲載されているので、ぜひ読んでほしい。
  → http://globe.asahi.com/breakthrough/090126/01_02.html
 ( ※ こういう優れた記事をネットに全文を載せるのは、もったいないですね。金を払う読者がいなくなる、という気がする。ま、余計なおせっかいかもしれないが。でも朝日は、無料奉仕して読者を減らして、倒産するつもりなのかな? 私だったら、半分だけ掲載しますけどね。)

 ここでは山中教授が重要なことを指摘している。
 「プレゼン力が大切だ」

 これを聞いて、どう理解するか? IT馬鹿ならば、こう理解する。
 「マイクロソフトのパワーポイントを使って、上手なデザインをすればいいのだ」
 しかし、いくらデザインで凝っても、自己満足になるだけだ。文字が小さくて見にくいせいで、「きれいだけれど情報が伝わらなかった」ということになりがちだ。この点は、次のページの後半で指摘されている。
  → http://www.asahi-net.or.jp/~fv6n-tnsk/gates/column246.html
 プレゼンのための「高橋メソッド」というもの。単にデカい文字だけを表示する、という方式。デザインを完全に無視して、デザインなどは皆無。だが、それゆえ、文字による伝達力が最大化している。「わかりやすい」と評判が高い。

 では、高橋メソッドにすれば解決か? いや、そんなことは言っていない。「デザインなどは、凝るだけ無駄だ」と言っていて、デザインを批判しているだけだ。
 別に、「文字だけならばOK」というほど単純な話ではない。世の中、そんなに単純ではないのだ。デザインだけでも駄目、文字だけでも駄目。大切なことは、別にある。

 ──

 話を戻す。山中教授の「プレゼン力」とは、具体的には何を意味するか?
 記事によれば、一般大衆向けの講演ではジョークを言ったりするという。そうやって聴衆の心をつかむ。
 それと同様のことを、学会の発表でもやっているのだ、と考えればいい。つまり、専門家の心をつかむようなことだ。そのためには、ジョークではなく、別のことを言えばいい。
 それは、何か? 「物事の核心を的確に表現する」ということだ。逆に言えば、「ごちゃごちゃと述べて何を言っているのかわからないようでは駄目だ」ということだ。「やたらと細かな専門知識を羅列するのでは駄目だ」ということだ。
 要するに、物事の本質をつかんで、見事に呈示すればいいのだ。では、そのためには? 

 ──

 ここまで考えると、本項の前半で述べたことと、話が一致することに気づくはずだ。
  ・ 文章表現力
  ・ 論理力 (文章構成力)

 この二点がプレゼンにおいて大切だ、と気づく。そして、そのためには、プレゼンだけが優れていればいいのではない。日ごろの文章表現もまた、しっかりとしていることが必要だ。
 「論文やエッセーでは文章力が皆無なのに、プレゼンでは優れている」ということは、ありえない。つまり、プレゼン力が優れているということは、論文やエッセーで文章力が優れている、ということだ。
 つまり、根源的な表現力が優れているから、プレゼンでも、論文でも、エッセーでも、ちゃんとした表現になる。根源的な表現力の高さが、プレゼン、論文、エッセーなどの、さまざまな形で現れるわけだ。
 
 とすれば、プレゼン力を高めるということは、「パワーポイントの操作力を高める」ということとは、正反対のことだ、とわかるだろう。パワーポイントの操作力などは、どうでもいい。そんなことは、デザイン上手な院生かバイトか助手にでも任せればいい。それよりも大切なのは、根源的な表現力を高めることなのだ。

 ──

 では、根源的な表現力を高めることに、どんな意義があるのか? 
 山中教授の見解では、「友達ができたりして便利」というふうに語られている。しかし、それは、独創的な成果を挙げたあとでのことだ。成果を挙げたあとでうまく発表できる、というだけのことだ。では、肝心の独創的な成果を上げるためには、どうすればいいのか?

 実は、それもまた、根源的な表現力を高めることが肝心だ。なぜなら、次のことがあるからだ。
 「物事の核心を的確に表現する、という能力は、物事の核心を的確に見抜く、という能力だ。それは、研究の初期において、肝心の真実を見抜くことに役立つ」

 山中教授は、iPS 細胞を作る方法について、「物事の核心を的確に見抜く」という形で、独創的な業績を上げた。彼は単に頭がよかったのではなくて、「物事の核心を的確に見抜く」ということができたから、そういう業績を上げることができたのだ。

 ──

 そして、そこでは、次のことが重要だ。
 「物事の核心を的確に表現する、という能力は、他人に対してでなく、自分自身に対して、物事の核心を示すことができる」

 これが決定的に重要だ。言語の能力で一番大切なのは、他人との意思伝達ではなくて、自分自身に意思伝達をすることだ。もっと正確に言えば、自分自身の意思を明確化することだ。

 ES細胞があった。これには、長所と短所があると感じられた。このとき、どうするか? 普通の学者ならば、「どういうことなんだろう」と首をひねったり、「手当たりしだい実験してみよう」と思ったりするだろう。しかし山中教授は違った。彼は、手を動かすかわりに、手を休めた。目を開いて ES細胞の写真を見るかわりに、目を閉じて遺伝子の本質について考えた。目に見えないものについて思いをめぐらした。そして物事の本質をつかもうとした。そのとき、問題点の核心を、頭のなかで表現していった。そうするうちに、霧のような混迷した思考が、だんだんとクリアになっていった。

 これが考えるということだ。そして、そのための能力は、「思考の言語化」という能力にほぼ等しい。頭のなかのモヤモヤとした思考を、きちんとした体系的な思考に構成すること。こういう能力が思考力なのだ。そして、そのためには、
  ・ 文章表現力
  ・ 論理力 (文章構成力)

 を日ごろから養成しておくことが不可欠だ。

 そして、この二つの能力が具体的に結実するのが、(研究者にとっての)プレゼンだ。プレゼンのときだけに、プレゼン専用の能力が、突然出てくるわけではない。それ以前に、基礎的な表現力が必要となる。
 そしてまた、その能力は、独創的な思考そのものを生む力ともなる。その力が、他人にはプレゼン力・論文力という形を取り、自分には思考力(洞察力)という形を取る。

 ──

 ここまで理解すれば、「考える力」のためにはどうすればいいか、わかってきたはずだ。
 もちろん、それは、次のいずれでもない。
  プレゼン力,デザイン力,漢字力,数学計算力,英語力,IT力。

 ただし、世間の人々は、こういうものを「考える力」だと思い込む。そして、こういう力を養成しようとして、「英語で授業を」とか、「学校にパソコンを」とか、そんなことばかり語っている。
 だから、現代の学童は、考える力をどんどん失ってしまうのだ。



 [ 付記1 ]
 すぐ上にも記したが、現状は間違った方向に進んでいる、と言えよう。
  ・ 国語や数学は、あまり重視しない。
  ・ 実用性の見地から、「話せる英語」や「IT教育」
  ・ 愛国心の見地から、「日本史教育」という知識の詰め込み。

 特に、最後の「愛国心教育」(のための日本史教育)は最悪だ。
 これは、「考えない教育」の推進だ。「我らの首領様は偉大なり」と教える北朝鮮と同じで、「日本は偉大なり。君が代にひれ伏せ」というふうに教えて、洗脳しようとする。……「考えないで盲従すること」を教え込ませようとする。
 ま、「愛国心を教えこませよう」とするのは勝手だが、それによってできる日本という国は、「考える力のない人間ばかり」となって、国が崩壊する。愛国心を教え込めば教え込むほど、日本という国は崩壊していく。それはかえって愛国に反することなのだ。
( ※ だから、「愛国心を教えよ」というふうに唱える連中は、日本を崩壊させようとする北朝鮮の工作員であろう。慎太郎なんか、その代表ですね。彼は東京をどんどん崩壊させていく。石原銀行や、洗脳工作などで。きっと、北朝鮮の工作員ですね。   (^^); )

 [ 付記2 ] 
 なお、前半では (1)(2) という二つの方法を示したが、(2) よりは (1) [= 基礎力]の方に着目してほしい。というのは、「基礎力」の点ができてない人々が、あまりにも多いからだ。
 つまり、「考える力」以前に、「読む力」が極端に落ちている人々が多すぎる。「日本語ぐらいちゃんとわかるよ」と思い込んでいて(自惚れていて)、全然、わかっていない。そういう例が、あまりにも多すぎる。

 [ 付記3 ] 
 考える力を養うにはどうすればいいか、ということは、先に示したとおりだ。
 とはいえ、それは、絶えざる努力を必要とする。「こいつをちょこんとやればそれで万事OK」ということはない。野球であれ、音楽であれ、ものすごい努力と鍛錬が必要であるように、考える力を養うためにも、努力と鍛錬が必要だ。
 ただ、一つだけ言うなら、次のことが重要だ。
 「考える力を養おう、という意思を、常に持ち続けること」
 そのことを、子供のころから、ずっと考え続けていれば、大人になったときには、考える力がつくようになるだろう。実際、私は、常にそう心がけてきた。
 「考えることこそ大切だ。記憶するのは二の次だ。また、テストの成績も、二の次だ。高校や大学の入試で合格することなど、あくまで二の次のことにすぎない。記憶力が落ちて、試験の成績が悪化しても、そんなことは気にしない。何よりも大切なのは、思考力だ」
 私はずっとそう思いつづけてきた。そして、そのための参考書も使った。これだ。
  → 「思考訓練の場としての英文解釈」の紹介文
  → 書評ブログ 「思考訓練の場としての英文解釈」

 考える力を養うために一番大切なのは、お手軽なノウハウを身につけることではなくて、考える力を養おうという強い意思をもつことだ。



 【 関連項目 】
 本項とは逆に、「考えない」という悪しき例を、別項で示す。
  → 誤読・誤解の見本 (トンデモマニアの話)

 その他、関連する項目は、カテゴリ内を参照。
  → カテゴリ「思考法」

posted by 管理人 at 21:46 | Comment(0) | 思考法 このエントリーをはてなブックマークに追加 
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