( 金融工学、デリバティブ、サブプライム、不動産バブルなどの話。)
(前項と同じ話題を、別の視点から論じる。)
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( ※ 本項の実際の掲載日は、2009-07-19 です。)
NHK で、「米国の金融危機」や「金融工学」や「サブプライム」を話題にした番組があった。( 2009-07-19 の夜に放送。)
この番組は、それなりに有益だったが、画竜点睛を欠くという感じで、最も肝心なことが抜けている。そこで、核心を示す形で、本項で解説しよう。
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NHK の番組の趣旨は、次の通り。
- 2008年秋以来、米国発の不況が世界全体を覆った。
- その理由は、2008年秋の米国金融危機(金融機関の破綻)である。
- その際、それまで信じられていた金融工学の理屈が破綻した。そういう形で、金融機関全体が危機に陥った。
- ではなぜ、金融工学の理屈は破綻したか?
- その前に、なぜ、金融工学は信じられたか?
- そもそも、金融工学とは、何か? 金融を緻密に数学的に扱う理論だ。
- 具体的に言うと、株価や債権の変動が数学的に扱われる。
- 株価や債権を数学的に扱うには、どうすればいいか?
- 株価や債権には、複雑な変動(ギザギザの変動)がある。それは、物理学の熱変動に似ている。だから、きっと、両者は同じ理論で扱えるだろう。(仮定)
- その仮定に基づいて、きわめて高度な数学を使える。確率解析 という数学だ。
- 実際、その方針で、ブラック-ショールズ方程式という理論ができた。これはめざましい成果を挙げた。
- 金融工学ではさらに、CDO というものが登場した。これは、リスクを整理することで、うまく利益をもたらす「マジック」のような方法だ。
- 具体的に言うと、CDO では、ハイリスクのものやローリスクのものをひとまとめにする。ハイリスクはハイリターンで、ローリスクハローリターン。そこまでは普通と同じ。ただし、ハイリスクのものをたくさんまとめることで、リスクを下げることができる。(数学的に。)……そのことで、リスクを下げる分、利益をもたらす。
- その際、リスクを正当に評価することが大事だ。ところが、リスクがどうなるかは、未来予測に関することだから、誰にもわからない。(神のみぞ知る。)したがって、その分の考察は放棄して、残りの数学的な操作の分だけで、リスクを下げる。
- このようにして、「リスクが少なくて大儲けできますよ」という商品を販売した。それがデリバティブ商品であり、金融工学の成果だ。
- このことの危険性は、金融工学の研究者は、それなりに自覚していた。ところが、金融工学の商品を販売する連中(銀行など)は口車がうまいし、金融工学の商品を買う連中(投資家)は欲が深いせいで口車を信じる。(危険を顧みずに。)……かくて、投資家は、「金融商品をもっと買いたい、もっと買いたい」と言い出して、どんどん購入していった。金融商品の販売額は、ものすごく巨額になった。
- その背景には米国の金余りがある。金余りのせいで、市場には巨額の投機資金が貯まった。その一部は土地投機に向かい、地価を上げた。他の一部は、金融投資に向かい、金融投資を通じて不動産投資に向かった。
- 不動産投資の一部は、低所得者に向かった。彼らは高い利子(9%程度)を払えそうになかった。しかし、「払えなかったら値上がりした土地を差し押さえて転売すればいい」と貸手(銀行)は思った。(実を言うと、前項で述べたように、また、「最初は低い金利に設定したのできちんと払える」というインチキも講じた。)
- ところがあるとき(2008年秋)、そのメカニズムが崩壊した。低所得者はもはや高金利の利息を払えなくなったし、不動産価格の上昇もストップした。
- すると、それまでの「リスクの低いはずの人々」のリスクが急激に上昇した。「同じぐらいのリスクの人々をまとめているから、確率的に安全」であると思えた債権グループが、急激に「返済不能な破綻者ばかりのゴミ債権グループ」に変じてしまった。金融工学はもはや前提から崩壊してしまった。
- 結局、金融工学とは、何だったのか? ある人は言う。「私たちは、すばらしい画期的な新商品を作り上げたつもりだったが、制御不可能なモンスターをつくりあげてしまったのかもしれない」と。一方、ある人は言う。「金融工学は無意味ではない。地震などの自然災害への保険は、規模が大きすぎるがゆえに、普通の保険会社には引き受けられないが、金融工学を使えば、世界中の投資家にリスクを分散できるから、そのような保険を生み出せる。金融工学はちゃんと役立つ学問だ」と。
──
さて。ここでは、核心が述べられていない。では、核心とは何か?
それについて語る前に、すぐ上の点(最後の点)について述べておこう。
「地震などの自然災害への保険については、金融工学は役立つ」
というのは、事実である。では、なぜか?
ここでは、確率的な話が成立するからだ。つまり、地震などの自然災害は、自然現象である。自然現象は、確率的なものだ。そこでは、人間の意思はまったく関与しないで、単に確率的に事象が発生する。だからこそ、確率理論に基づく金融工学もまた、立派に成立する。
一方、経済では、どうか?
「経済については、金融工学は役立つ」
というのは、まったく成立しない。NHK の番組では、「物理学の理論が経済学にも適用できるだろう」という仮定が導入されていたが、この仮定はまったく成立しない。── つまり、金融工学というのは、前提となる原理からしてまったく間違っているのだ。(砂上の楼閣、と言える。)
では、なぜか? 次のことが言えるからだ。
「経済は、自然現象ではない。経済は、人間の心理で変動する」
これは具体的には何を意味するかというと、次のことを意味する。
「経済(特に景気)の変動は、マクロ経済学の理屈に従うのであり、確率に従うのではない」
わかりやすく言うと、次の違いがある。
・ 確率的な変動 …… ランダムに事象が起こる
・ マクロ的変動 …… スパイラル的に事象が拡大する
具体的に言えば、次の違いがある。
・ 確率的な変動 …… 破綻の確率は常に一定である (ランダム)
・ マクロ的変動 …… 破綻の確率は変動する (好況期と不況期)
ここで一番大事なのは、次の認識だ。
「バブル期には、景気はどんどん上昇するが、あるとき突然、急落する」
つまり、
「バブルはいつか破綻する」
ということだ。
これがマクロ経済学で最も重要なことだ。ところが、金融工学では、マクロ経済学の認識がまったく欠落していた。「景気の変動はない」という仮定を取った。換言すれば、
「不動産バブルは永遠に続く。土地価格は永遠に上昇し続ける」(土地神話)
を信じた。
( ※ 上昇期のまま、変動がないと仮定すれば、永遠の右肩上がりという結論になる。)
これは、たとえると、次のことに似ている。
「富士山を登っていくと、いつまでたっても、上り坂だ。だから、このまま登りつづければ、無限の高さに達するだろう。おそらくは天に届くだろう」
これは馬鹿げた理屈だ。上り坂がどこまでも続くということはない。いつかは頂点に達して、そのあとは下落になる。当り前のことだ。
そしてまた、同じことは、土地バブルについても成立する。土地バブルがどんどん膨張しているときには、価格が上昇一辺倒だが、いつか、土地バブルが破裂すれば、価格は下落の一辺倒となる。
ところが、金融工学を信じる人々は、そういう発想が欠けている。「景気に変動はない」「バブル状態はずっと続く」という仮定に基づいて、その仮定のなかで、勝手にリスクを最小化しようとする。……そして、そこでは、「将来のバブル破裂」というリスクは、まったく無視されている。
──
ここまで見れば、金融工学とは何か、その本質がわかるだろう。
(1) 金融工学の関係者は、次のことだと主張した。
「金融工学とは、リスクの管理を最適化することで、数学的な操作だけで富を生みことだ。コンピュータのキーを打つだけで、リスクを最適化する処置を取り、そのことで莫大な富を生み出せる。キーボードだけで富を生み出せる素晴らしい方法だ。マジックとも言えるし、錬金術とも言える」
(2) 実際には、次のことであった。
「金融工学とは、空間的なリスクと時間的なリスクを、分離することだ。まず、空間的なリスクをうまく操作することで、リスクを最小化することができる。そのことで、何らかのメリットを生み出せる。(ここまでは事実。) ただし、そのメリットは、あまりにも小さくて、多大な富を生み出すことなどはできない。ただのリスク管理にすぎない。 一方、時間的なリスクもある。そこでは、危険なものをすべて将来に先送りし、安全なものだけを現在で取り扱う。そして、危険なものについては、目をふさぐ。(あるいは隠蔽する。) そのことで、安全な現在だけを見せながら、『安全ですよ、ローリスクですよ』と口にしながら、顧客に債券を販売して、販売手数料をたくさんちょうだいする。しかし、時間がたつと、未来がやってくる。未来には、危険が含まれている。そこには『バブル破裂』という危険も含まれている。それが時限爆弾のように襲いかかる。先送りされていた(隠蔽されていた)リスクが、具現化する。……こうして、過去に得ていた架空の富の、ツケ払いを迫られる」
──
要するに、金融工学とは、一種の詐欺なのである。
もうちょっと正確に言おう。金融工学そのものは、詐欺ではない。それはただのリスク管理にすぎない。ただし、リスク管理は、巨額の利益をもたらすことはない。
一方、「金融工学を利用することで莫大な富を生み出せる」と吹聴した連中がいた。彼等はそれを他人に信じさせた。(自分でもそれを信じていたが。自分で自分をだます形。他人をだますには、まず自分をだます、ということか。)
現実には、「金融工学を利用することで莫大な富を生み出せる」ということはない。ただし、そういう嘘を吹聴することで、別のことを利用した。別のこととは? 不動産バブルである。簡単に言えば、土地転がしだ。土地を転がすことで、
100 → 110 → 120 → 130 → ……
というふうに、価格を次々と上げていった。なるほど、それが成立する間は、誰もが儲かるように思えた。しかしそんな土地転がしは、いつかは破綻する。そのときまでは細々と小金を稼いでいたが、あるとき、ババを少数ながらもつかんでいたことによって、巨額の損失を負う。── これがバブル破裂であり、そしてまた、金融破綻の本質だ。
最近( 2009-07-19 )、日本で詐欺師の事件が報道されている。「FX取引で巨額の利益を配当しますよ」と吹聴して、金をたくさん集めて、当初は配当をしたが、最後にはトンズラする、という詐欺だ。(この手の詐欺は、一つだけでなく、あちこちでしばしば起こる。)
そして、こういう詐欺とほぼ同じ構造をもつのが、「土地バブル」だ。
投機資金詐欺では、「投機資金を集めて、その金で初めのうちは(自転車操業で)配当するが、最後に残り全額を持ち逃げする」という形で、投機家に損をさせる。
土地バブルでは、「不動産投資資金を集めて、その金で初めのうちは(土地転がしで)差益を渡すが、最後に土地暴落で損をさせる」という形で、投資家に損をさせる。
いずれにしても、富はまったく増えていない。最初の富を切り売りする形で、富が増えたと見せかけているだけだ。……これが、詐欺の構造であり、また、土地バブルの構造である。
そして、金融工学は何のために使われたかというと、次のことのために使われた。
「土地バブルによる一時的な利益(架空の利益)を、数学的な操作によって生み出された現実の富だと錯覚させた」
このような錯覚をもたらさせたのが、金融工学だ。
真実は、何か? 次のことだ。
「コンピュータをいくら打って取引きしても、現実の富は少しも増えない。金融商品を売買させることで、利益を得ることはできるが、それは、富を生み出したからではなくて、金融商品を売買する人々がいくらか損をしたからだ。つまり、全体では、富はまったく増えていない。単に、金融商品を売買する人がいくらか損をして、それと同じ分、プロフェッショナルな詐欺師が得をする、というだけのことだ。ここでは、富の増加があるのではなく、富の移転があるだけだ」
典型的なのは、次の例だ。
「デリバティブをやると儲かりますよ、とアメリカの銀行が勧誘して、日本の学校法人などがデリバティブの商品を購入する。これで大儲け、と目論見ながら。……そのあと、デリバティブの商品を販売したアメリカの銀行は、クズを高値で売ったことで、大儲けする。一方、クズを高値で買った日本の学校法人などは、デリバティブの商品によって大損する」(実例多数)
デリバティブとは、本質的に、詐欺なのである。それは、富を生み出すことではなくて、「富を生み出しますよ」「儲かりますよ」と口にしながら、他人の富を奪い取ることなのだ。
そもそも、
「本当に儲かるなら自分でやればいいだろ」
というのが、まともな人間の考えることだ。実際、その通り。
しかし、詐欺師というものは、一般に、自分では「儲かる商品」というのを買わない。なぜなら、それが儲からないことを知っているからだ。詐欺師というものは、儲からない商品を「儲かる商品ですよ」と偽って、他人に高額で販売することで、差益をかすめ取る連中だ。
その意味で、「デリバティブは儲かりますよ」というふうに語る連中は、みんな詐欺師なのである。(本当にデリバティブ商品で儲かるなら、他人に販売なんかしないで、自分で買って自分で儲けるはずだ。)
──
結論。
(1)
デリバティブとは、一種の詐欺である。金融工学は、富を生み出す学問ではなく、「富を生み出します」という口車のために利用された学問だ。
( ※ その学問は、詐欺師のために生まれたわけではなかったが、詐欺師の愛用する道具となってしまった。)
(2)
真実は、マクロ経済学で理解される。そして、虚偽は、マクロ経済学を無視することで構築される。それは、「マクロ経済の変動はない」「景気変動はない」という仮定だ。
(3)
この仮定(景気変動がないという仮定)のもとで、「一定のリスク」というものが想定される。それは、普通の景気のときには、特に問題がないかもしれないが、バブル期には、「現実から遊離した好況(バブル)が永続する」という前提を導入させることで、虚偽を真実と見なさせる。
(4)
ただし、この仮定(景気変動がないという仮定)は、現代の主流派経済学(つまり古典派経済学)の発想そのものだ。……つまり、小泉流であれ、ブッシュ流であれ、IMF 流であれ、マネタリズムであれ、いずれも、この仮定を取っている。その意味では、現在の経済学そのものが、根本的に狂っているとも言える。経済学者が詐欺師のお先棒を担いでいる、とも言える。
──
このうち、最後の (4) が重要だ。
米国の経済破綻は、直接的には、金融工学を信じたあげくの金融破綻から発生した。しかし、その背後には、根源的な問題があった。それは、「バブル膨張」という問題だ。
この問題は、米国がマネタリズムの政策を取ったことに起因する。同様のことは、日本のバブル期にも起こった。
ついでだが、それとは逆の意味で、マネタリズムの問題が生じている。日本は、「低金利だけ」という政策(金融だけの経済政策)をとっている。それも、今だけでなく、小泉以来ずっとだ。そのせいで、2001年から 2008年にかけて、日本の国民所得は、大幅に低下してしまった。NHK の番組は、現在の経済危機の根源を、米国の金融破綻に求めた。しかし、米国の金融破綻は、経済危機のきっかけにすぎない。
2000年には世界3位だったのに、2008年には世界 19位にまで下がってしまった。 → 出典 )
その背後では、それまでの金融工学もいくらか影響しているが、最も根源的なのは、別のものだ。それは、金融工学ではなくて、バブルの膨張であり、また、バブルの膨張をもたらしたマネタリズム(= 現代の主流派経済学)なのである。それらが根源的なのだ。
現代の経済危機の背景には、巨大な悪魔がいる。それは、「神」の姿をした悪魔だ。その正体を見抜けずに、悪魔の手先(または指先)にすぎない金融工学という小物だけをとらえても、物事の本質は理解できないままだ。
なるほど、金融工学は、バブル膨張を利用して、さんざん自分たちが金儲けをしようとした。しかし連中は、悪魔の尻馬に載っただけだ。もっと根源的なのは、金融政策そのものなのだ。(「莫大な資金を金融市場に投入して、バブルをもたらした」という金融政策。)
だから、米国の金融危機の本当の真犯人は何かと言えば、金融工学をした人ではなくて、本家本元に当たるものだ。それは、米国の中央銀行に当たる FRB だ。(比喩的に言えば「神」に当たる。)
そしてまた、 FRB のマネー垂れ流し政策を支持した人々(米国の大統領や、米国の経済学界)もまた、FRB と同罪である。
はっきり言おう。世界の経済政策は、もともと狂気の経済政策だらけだった。だからこそ、その狂気の経済政策にしたがって、バブルが膨張し、そのあとでバブルがはじけて、世界同時不況になったのだ。金融工学だけを責めても仕方ない。それは最も目立つ鬼子にすぎない。鬼子の背後には、より根源的なものがある。それが鬼子を育てたのだ。
( ※ 今、日本がひどい経済状況で、自民党が大敗することになるとしても、それはそれで、当然のことなのだ。世界中のあらゆる政府や学者が、こぞって狂気の経済政策を取って、世界の経済を破壊してきたからだ。自業自得というべきか。)
( ※ なお、ブッシュや麻生がダメだからといって、次の政権がまともになるわけではない。オバマだって、鳩山だって、大同小異であろう。いずれも狂気の経済政策を取り続けているのだから。)
( ※ では、正しい経済政策は? それは、これまで何度も示してきたとおり。本項末の「経済学の教科書」を参照。)
[ 付記1 ]
本項のポイントを、簡単に述べておこう。
デリバティブであれ、金融工学であれ、それ自体は、学問的なものであり、悪くはない。
ただし、「デリバティブで儲かりますよ、金融工学で儲かりますよ」と語る連中は、デリバティブや金融工学を悪用する詐欺師である。
そして、この詐欺師の困ったところは、自分で詐欺師であると理解しておらず、自分では本当に富を生み出していると信じてしまっている(錯覚している)ところだ。
「数字を操作するだけで、莫大な富が生み出せます」
というのは、
「打ち出の小槌を振るだけで、莫大な富が生み出せます」
というようなもので、嘘八百なのだが、その嘘八百を、語っている本人すら、嘘だと理解しないままに信じてしまう。
そして、そういう状況をもたらしたのが、「不動産バブル」だ。そこでは、ちょっとした操作のおかげで、どんどん富が生まれてくる。
ただし、その富の根源は、数字の操作ではなくて、「土地転がし」や「バブル」である。そして、その本質は、詐欺の原理(自転車操業の利子払い)と何ら変わりはない。
「百万円預けて、毎月 5万円の利息をもらって、大儲けしていると思ったら、3カ月後には元金もろともトンズラされた」
というようなものだ。そういうインチキがある。にもかかわらず、そういうインチキを見えなくさせるのが、「不動産バブル」だ。
そして、そういう「不動産バブル」をもたらしたのは、金余りである。その金余りは、「金余りが正しい」という経済政策によって推進された。
狂気の経済政策が、狂気の経済状況(バブル)を生み出し、そこで、詐欺師を跋扈(ばっこ)させた。そして、詐欺師の見せた一夜の夢が破れたとき、夢は醒め、厳しい現実が出現したのである。
「何も生産しないのに、富がどんどん増えていくことはない」
という現実が。
[ 付記2 ]
デリバティブの詐欺の本質を示そう。次のような詐欺の形を取る。
「景気のいいときには、会社に利益をもたらして、会社の利益の一部をもらう形で、経営者や社員が莫大な高収入を得る。やがて、景気が悪化すると、これまでのすべての黒字を帳消しにするほどの、莫大な赤字が発生する。そのときは、会社を破産させて、赤字を他人(≒ 社会)に拡散させる。」
つまり、黒字部分と赤字部分を時期的に分離してから、黒字部分だけは自分が戴いて、赤字部分を他人に押しつける。このような形で、社会全体の富を、ごっそりと戴く。一種の泥棒だ。
しかしながら、自分が富を得る時期と、他人が赤字を負担する時期は、同じ時期ではなくて、数年のズレがある。金を右から左へと流すのではなく、時間的なズレがある。それは通常の泥棒とは違う。そのせいで、富を奪うこと(泥棒性)がバレにくい。そのようなインチキ(欺瞞性)がある。
こういうインチキ(欺瞞性)を利用して、他人の富を奪う。だまして、金を盗む。それはまさしく詐欺である。
その詐欺は、前述の自転車操業ふうの詐欺と同様である。最初は儲かっているように見せかけて、儲かっていると見えているときには、自分がその一部をいただく。大儲けの手数料という形で。そして、最後には清算をして、大赤字にする。その赤字の負担は、他人。黒字は自分で、赤字は他人。
要するに、人々をだまして夢想を信じさせ、その夢想を生んだ代金をちょうだいするが、しかしながら、最後に、夢想が破裂したツケ払いを、人々にさせる。
だから、ツケ払いをするのは、それまで甘い夢想を信じた強欲な人々だけである。何もしないで金儲け、というような夢想を信じていなかった人々は、直接的には、損をしない。
ただし、善良な人々は、直接的には損をしないとしても、詐欺師にだまされた馬鹿連中の面倒を見るという形で、負担を負う。大損をしたのは、デリバティブに投資した強欲な銀行や投資家だが、彼らが破綻したときに、そのツケ払いの影響が社会全体に出回る。(毒が身に回る、というような形。)
こういう形で、善良な人々もまた、大きな負担を負わされる。そして、その一方で、詐欺をした連中(デリバティブで大儲けをした連中)は、「しめしめ」と舌なめずりをしているわけだ。
( 彼らは、「人々が忘れた頃に、また一儲けしてやろう」と思いながら、潜伏している。発病しないウイルスみたいな形。)
まとめ。
「デリバティブで金儲け」というのは、一種の詐欺である。それは、「利益と損失の分離」という形を取り、現在では利益だけを得て、損失を将来に先送りする。そのことで、富が自然に湧いたかのように見せかける。しかしながら、将来、ツケ払いの形で、損失が襲いかかる。しかしそのときには、詐欺師連中は、とっくにトンズラしている。盗んだ巨額の金とともに。
ここに詐欺性があるのだが、たいていの人は、難解な数式に目をくらまされて、その詐欺性という本質を見抜けない。( NHK の番組もまた しかり。)
( ※ なお、詐欺師に直接だまされた連中としては、今回破綻した銀行や投資家などがある。頭のいい彼らがどうしてだまされたかについては、このあとの [ 補説 ] を参照。そこには学問的な問題がある。)
[ 付記3 ]
金融工学は、詐欺か否か? これについて論じよう。(金融工学を商売に利用した連中ではなく、金融工学を学問的に研究した人々について。)
先に述べたように、現実の経済には、空間的なリスクと時間的なリスクがある。空間的なリスクは金融工学で扱えるが、時間的なリスクはマクロ経済学で扱える。ゆえに、金融工学だけでは(= マクロ経済学を知らなくては)、現実の経済を扱うことはできない。
結局、金融工学とは、現実の経済には適用できないものだ。なのに、現実の経済に適用できないものを、現実の経済に適用してしまった。そのせいで、失敗してしまった。
これは当然のことだ。できもしないことを、あえてやろうとしても、しょせん、できないことはできないのだから、失敗するしかない。
例示的に言おう。核融合というのは、現状では不可能なのだから、核融合をあえて実現しようとすれば、必ず失敗する。「核融合でバラ色の未来」と称して1兆円を集めても、約束したバラ色の成果を挙げることはできず、出資した1兆円が消えてしまうだけだ。
このことは、結果的には「詐欺」となる。「核融合でバラ色の未来」と称して1兆円を集めるようなことは、本質的には詐欺だ。ただし、その張本人は、自分がそれを「できない」と知っていれば正真正銘の詐欺師だが、自分がそれを「できる」と妄信していれば、詐欺師ではなくて、愚か者である。自分を天才だと思い込んだ愚か者。
金融工学は、これと同様だ。彼らのやったことは、詐欺師と同じである。だまされた被害者からしてみれば、「詐欺に遭った」と思って当然である。しかしながら、金融工学を実行した人々は、自分を「詐欺師」だとは思っていないだろう。彼らには悪意はないからだ。彼らは夢を盲信していただけだからだ。では、彼らに「悪意」でなくて何があったかというと、「無知」と「自惚れ」である。できもしないことをできると思い込むという、「無知」と「自惚れ」があった。
金融工学は、詐欺か否か? その質問には、すぐ上のことが回答となる。ただ、まとめて言えば、次のように結論できる。
「金融工学を学界の研究対象に閉じ込めておく限りは、詐欺でも何でもなく、ただの学問である。ただし、金融工学を現実の経済に適用しようとすれば、たちまち詐欺性を帯びる。できもしないことを、できるように見せかけるからだ。……そして、そこでは、マクロ経済学への理解が根源的に欠けている。この無理解と無知が、結果的に詐欺性をもたらす」
[ 補説1 ]
NHK の番組のなかで、
「 CDO は素晴らしいデリバティブ商品だ。これこそ金融工学の成果だ」
というふうに自画自賛している話があった。だが、ここには、数学的なインチキがある。それがどんなインチキかを、説明しよう。
( ※ 数学者でも簡単にはわからないような話だから、かなり高度な話となる。ただし、数式よりは、本質を理解する心があればいい。)
仮に CDO の理屈が正しいとしよう。すると、次のようになるはずだ。
「まったく同じローン集合がある。全部で 1000件あるとしよう。それらをバラバラに処理すると、通常のリスク分布となる。一方、それらを整理して、ハイ・リスクのものや、ロー・リスクのものをまとめると、CDO の分布となる。そこでは、ハイ・リスクのものをまとめることで、リスクを減少させることができる」
しかし、である。もしこれが成立するとしたら、組み合わせを変えるだけで、全体としてのリスクが二通りあることになる。まったく同一のものに対して、価値が二通りあることになる。これは、おかしい。(矛盾的。)
そこで、これを「マジック」と感じる向きもあるが、実は、これは正真正銘の矛盾なのである。そして、これが矛盾であることから、最初の仮定は成立しない、とわかる。つまり、CDO の理屈が正しい、ということはない。
要するに、CDO の理屈は間違っている。では、どこが間違っているのか? 以下で説明しよう。
まず、最初のバラバラの状態では、それぞれの集合要素(つまり個別のローン)には、一つ一つのリスクがある。これは当り前だ。
一方、CDO では、同じ程度のリスクのものがまとめられて、いくつかの集合ができる。それはランク付けされた集合だ。
この際、ランク付けされた集合については、空間的なリスクと時間的なリスクとがある。(前述。)
空間的なリスクは、ミクロ経済学的なリスクだ。それは、金融工学の方法で、リスクを最小化することが可能だ。その効果は、ごく微々たるものではあるが、たしかに効果はある。(なぜ微々たるものであるかというと、みんながそろって金融工学をやれば、金融工学をやることのメリットは最小化するからだ。)
一方、時間的なリスクもある。ところが、これについては、金融工学では扱えない。そこで、「扱えないものは考慮しない」という方針で、無視してしまった。結果的に、次のようになった。
・ 個々の物件のリスク …… 空間的なリスク + 時間的なリスク
・ CDO の集合のリスク …… 空間的なリスクのみ
こうして、個々の物件に比べて、CDO の集合では、「時間的なリスク」の分が無視されてしまった。「計算できないから」という理由で、リスクが顧みられなくなってしまった。(このことは番組でも指摘されていた。女性担当者が述べていたが、最初は社内で「どう計算するか」が議論されたが、金融工学では計算不能ということで、無視されることになった。)
つまり、現実にあるリスクが、考慮外となった。現実にある考慮外となることで、理論上ではリスクがなくなることになった。……これがつまりは、「 CDO を使うと、高い利益を得る」ことの正体だ。(理論だけのことだが。)
比喩。家を建てるときには、地震のリスクを考えて、地震対策のコストをかける。しかし、地震のリスクを無視すると、地震対策のコストをかけずに済むから、その分、費用負担が減って、利益が上がる。ただしあとで地震が来ると、とんでもないことになる。他の家は大丈夫でも、自分の家だけは倒壊する。……それと似ているのが、米国の金融危機。
CDO では、未来のリスク(バブル破裂という景気変動によって債権回収が不可能になるリスク)を、考慮しなかった。現在(バブル時)のリスク・レートがずっと続くと考えて、未来の景気悪化へのリスクを無視した。未来の景気悪化へのリスクは、現実に想定されるリスクなのだが、そのリスクを無視した。……こうして、理論上のリスクを減らすことで、利益が上がるようにした。
そして、そういうふうに「未来のリスクを隠蔽する」という操作をしておきながら、そのことを、「高度な数学を駆使したからリスクが下がりました」と宣伝した。
なるほど、「高度な数学を駆使したからリスクが下がりました」というのは、まったくの嘘ではない。ただし、それは、
「高度な数学を駆使したから、そのおかげでリスクが下がった」
というようなマジックが生じたのではない。実は、
「高度な数学を駆使したから、未来のリスクを計算できなくなって、それゆえに、現実にあるリスクが見えなくなった」
というだけのことなのだ。つまり、利口さゆえにリスクが下がったのではなく、愚かさゆえにリスクが見えなくなっただけなのだ。
そして、そのことを勘違いした人々が、「金融工学は富を生み出す」と吹聴して、バブルをいっそう膨張させた。
( ※ 参考のために言うと、日本のバブル期には、「日本式経営が利益を生み出す」という妄想を、人々は信じていた。米国では金融工学という妄想が広がり、日本では日本式経営という妄想がひろがった。どちらも「おのれの利口さを妄想する」というわけ。似ていますね。)
[ 補説2 ]
すぐ上で述べたが、金融工学では「時間的なリスク」が無視される。これは、どういうことか? 本質的には、次のことだ。
・ 空間的なリスク …… 自然科学の対象となる (非人間的)
・ 時間的なリスク …… マクロ経済学の対象となる (人間的)
要するに、空間的なリスクは、自然科学の対象となるから、自然科学の方法が適用できる。そこまではいい。だが、時間的なリスクは、自然科学の方法は適用できない。なぜなら、経済の時間的変動は、マクロ経済学でのみ理解されるからだ。
経済というものは、自然現象ではなく、人間の営みである。それを研究対象とするのは、マクロ経済学だ。マクロ経済学を理解すれば、景気がいかに変動するかもわかる。バブルが膨張して破裂する過程もわかる。そもそも、それを知ろうとしてできたのが、マクロ経済学だ。
ところが、経済学の素人である物理学者が、「経済にも物理学の方法を適用できる」と思い込んだ。これはまあ、思い上がりというか、経済学音痴というか。……比喩的に言えば、「物理学に経済学を適用しよう」とか、「天文学に医学を適用しよう」とか、「文学に音楽を適用しよう」とか、そういうトンチンカンなことである。ま、部分的には、そういうことが「異分野交流」の形でヒントふうに適用されることもあるかもしれないが、「経済現象は物理学で解明できる」と思うなんて、思い上がりも甚だしいし、トンチンカンも極まれり。「経済現象は数学ですべて説明できる」なんて、馬鹿馬鹿しいにもほどがある。(現実を説明するためにモデルがあるのに、「現実がモデルに従う」という倒錯的な発想をしていることになる。「犬がシッポを振る」でなく「シッポが犬を振る」という発想。)
要するに、「数学や金融工学で経済を統御しよう」という発想そのものが、根本的に狂っていたのだ。そしてまた、その本質は、「マクロ経済学を理解していないこと」である。……ここにすべての根源がある、とすら言える。
古典派経済学であれ、金融工学であれ、経済学の一番基本をきちんと理解しないまま、表層だけで物事を解決しようとすると、とんでもないことが起こる。経済学の分野には、「合成の誤謬」のように、「狙いとは逆のことが起こる」という難解な局面がある。その本質的な難解さを理解しないまま、「難しい数学を駆使して物事を解決しよう」とした。そういう単細胞的な幼稚さに、デリバティブをやった連中の本質があるだろう。つまり、
「自分を利口だと思う馬鹿」
「自分を天才だと思う素人」
というのが、彼らの本質だ。そのあげく、彼らは、自分自身をだますだけでなく、世間の人々をもだました。そのあげく社会を、妄想ゆえの暴走に導いた。……これが、米国の金融危機の理由だ。
( ※ マクロ経済学を正しく理解するには? 別項で紹介した「経済学の教科書」を読めばいい。当然ながら、一冊の大部な書物である。 → 該当項目 )
【 関連項目 】
マクロ経済学を理解していれば、将来のバブル破裂はちゃんと予想できる。実際、私は予想して、予告していた。下記の項目で紹介している。
→ 予告された米国金融危機
本項と似た内容の話として、次の項目もある。ぜひ読んでほしい。
→ 金融工学の意味
【 参考 】
「経済学に物理学を適用する」という方法について、参考となる話題を二つ示す。(いずれも、詳しい話はリンク先に記してあるので、リンク先の話をちゃんと読んでほしい。)
(1)
金融工学に対しては、次の趣旨の批判がある。
「初期の金融工学(ブラック・ショールズ方程式)は、計算の簡便のために正規分布を仮定しているが、現実の経済現象はベキ分布に従う」
「ゆえに、正規分布では稀にしかおこらないはずの現象(バブル破裂など)は、現実にはもっと多くの頻度で起こる」
→ Amazon 書評 , Google 検索「ベキ分布」,「ファットテール」
しかしながら、今日の経済物理学では、その点を修正した式も提案されている。それで問題がきれいに解明されたわけでもないが。
→ Wikipedia 「経済物理学」
(2)
経済物理学からの批判は妥当か?
「正規分布でなく、ベキ分布にすれば、巨大な破綻の可能性も予測される」
というのが彼らの主張だ。しかし、これは、「間違いの程度を低くする」というだけであって、「間違いをなくす」ということにはならない。……それが私の見解だ。
そもそも、金融工学が問題となったのは、金融工学の不正確さにあるのではなく、不動産バブルを膨張させたこと(過剰なマネー)にある。これが根源だ。
とすれば、「不正確さをなくす」という是正処置だけを取って、不動産バブルという根源を解消しないのでは、結局のところ、ピンボケであって、破綻を回避することはできない。(せいぜい破綻の規模をやや小さくすることだけだ。)
経済物理学からの批判は、核心から大幅に逸れている。比喩的に言えば、殺人犯の違法性を問うときに、「ナイフを盗んだから銃刀法違反」というふうに、ピンボケの微罪を問うようなものだ。それでは肝心の殺人事件が見逃されてしまう。
経済物理学からの批判は、間違いではないし、少しは妥当であるが、正解からはあまりにも遠い、というのが私の見解だ。
( ※ 金融工学は、不動産バブルのために利用された「嘘」であるにすぎない。人々は金融工学にだまされたが、だまされただけなら、実害はない。実害が生じたのは、銀行がポンポンと金を大量に貸し出したからであり、その根源は金余りにある。根源はあくまで経済学的な事象にある。当然ながら、「嘘」を「真実」に正せば問題がなくなる、というわけではない。正規分布をベキ分布に変えても、やはり問題は生じたはずだ。別の形で。)
(3)
根源的に言うと、「経済学に物理学を適用する」という方法そのものがおかしい、というのが、私の立場だ。この件は、書籍への批判という形で、次の箇所に述べてある。
→ ニュースと感想(9月28日)
つまり、統計的に物事を推測する、というのが、本質的に「ヤマカン」であるにすぎない。コインの表裏ならば、確率的な現象だから、統計的に確率を求めてもいい。しかし、確率的でない現象についてまで、統計的に確率を求めても、トンチンカンになるだけだ。
たとえば、恋愛の成功率ならば、確率的な現象ではないのだから、「下手な鉄砲も数打ちゃ当たる」というふうに広範にアタックするべきではない。そんなふうに行動すると、「軽薄な男」と思われ、かえって全滅しがちだ。むしろ、「きみがすべて」と思って一人に集中的に行動すると、成功率が高まる。
恋愛は本質的に、確率的な現象ではない。(心理的な現象であり、人間的な現象だ。)
そしてまた、経済という現象も、同様である。(市場における商品の分布ならば、たくさんのものを統計的に考えてもいいが、景気変動という唯一無二のものは、統計的には扱えない。)
(4)
比喩的に説明しよう。
下敷きを横にして、一端を支えている。すると、他の一端がたえず上下運動する(振動する)。
では、その上下運動は、どのようなものか? 次の二通りの説を、物理学者は提出した。
・ 正規分布
・ ベキ分布
さて。あるとき、「マネー」という名前の重しが のしかかった。下敷きはどんどん下がっていった。それに対して、その後の変動を予想する際、「正規分布」「ベキ分布」という発想が取られた。
「下敷きがいくら下に曲がっても、その後の変動は、確率的・統計的に決まるのさ」
と主張した。それを信じた人々は、「大変動が起こる可能性は少ないな」と思って、賭け金をどんどん積み増した。そのせいで、下敷きはどんどん曲がっていった。そして、あるとき突然、重しがはずれた。曲がっていた下敷きは一挙に、元に戻った。
ここでは、変動は、確率的・統計的に決まらない。むしろ、力学的に決まる。そして、その力学的な変動を探るには、「重しの効果」を知る必要がある。つまり、「マネーの効果」を。……それを調べるのが、マクロ経済学だ。一方、重しの効果を調べずに、確率的・統計的に考えるだけなのが、金融工学や経済物理学だ。そのどちらも、物事の本質を見失っている。
そういう発想の典型は、下記に見られる。株式トレーダーの独白。
→ http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/economic_confe/list/CK2009031802000133.html
最初から最後まで確率でしか考えていないから、景気変動にともなって確率が変動する事態になると、あたふたとして、わけがわからなくなってしまう。
経済音痴の典型。そして、こういう人々が、巨額のマネーを動かしているのだ。
人類の狂気。
ないのでしょう
しかし、詐欺的行為に走らせるインセンティブが大きすぎます
きちんと制度として設けないといけないのでしょう。
累進課税強化、かな。思いつくのは。
タイムスタンプは上記 ↑
AIJ年金消失事件の原理は、先に指摘した。次のことだ。
「運用ミスという形で金融ギャンブルに金を使ったのだろう。
・ 運用して儲けが出れば自分のもの。
・ 運用して損が出れば顧客のもの。
という形のギャンブルだ。で、負けが込んだので、顧客がツケ払い、というわけ」
→ http://www005.upp.so-net.ne.jp/greentree/koizumi/a53_news.htm#78
上の原理は、米国の金融危機(本項)と、同じ原理だとわかるだろう。
・ デリバティブをして儲けが出れば、自分のもの。
・ デリバティブをして損が出れば、国や国民のもの。
具体的には、本文中で次のように述べたとおり。
「景気のいいときには、会社に利益をもたらして、会社の利益の一部をもらう形で、経営者や社員が莫大な高収入を得る。やがて、景気が悪化すると、これまでのすべての黒字を帳消しにするほどの、莫大な赤字が発生する。そのときは、会社を破産させて、赤字を他人(≒ 社会)に拡散させる。」
「つまり、黒字部分と赤字部分を時期的に分離してから、黒字部分だけは自分が戴いて、赤字部分を他人に押しつける。」
これが、米国の金融危機の原理だ。この原理は、AIJ年金消失事件の原理と同じだ。
 ̄ ̄
以上のことから、次のように結論を出せる。
「自由主義経済をのさばらすと、詐欺師が跋扈する。詐欺師を抑えるには、一定の規制が必要だ。特に、嘘をなくすこと(情報を正直に出させること)を、検査することが必要だ」
このことがなされていれば、AIJ の詐欺事件は起こらなかった。
ついでに言えば、ギリシャの財政悪化も、同様である。ギリシャの場合は、国全体が詐欺師となり、赤字を隠して、帳簿を偽造して、ユーロに加盟して、莫大な借金を受けた。そのあとで、
「黒字は嘘でした。借金したけど返せませんよ。 てへ。 (^^)ゞ 」
なんてトボけた。これがギリシャ危機の原理だ。
いずれにせよ、詐欺師の跋扈を止めるには、強力な検査が必要だ。
──
※ 注釈
米国の金融危機の場合には、「嘘つき」という問題はなくて、「顧客が勝手にだまされていた」(妄想を信じていた)という原理があった。
ただ、それを利用して、「勝てばおれのもの、負ければ他人のもの」というインチキ原理をのさばらせたことには、自由主義経済の限界がある。
自由主義経済の原則は、「倒産すれば株主が負担する」というものだ。それが成立しない金融業においては、一定の規制が必要となる。「銀行の赤字は国が負担する」という原理がある以上は、そこは自由主義経済ではないのだから、そこでは一定の国家的な規制が必要だ。
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《 参考情報 》
AIJ年金消失事件の現状:
AIJ年金消失事件では、大部分の金は消えたままとなることになるようだ。
被害を受けた年金基金は、赤字を抱えたまま、解散することになるようだ。
その際、厚生年金の全体が赤字を負担することになり、結果的には国民全体が赤字を負担することになるようだ。つまり、あなたも。
→ http://news.tv-asahi.co.jp/news/web/html/220629087.html