「中央銀行が嘘をついて、人々がその嘘を信じれば……」
という仮定の話だ。
──
( ※ 本項の実際の掲載日は 2009-08-25 です。)
クルーグマンの「インフレ目標」の本質は、次のことだ。
「中央銀行が『景気は回復する』と嘘をついて、人々がその嘘を信じれば、本当に景気は回復する」
つまり、いわば「嘘から出た真(まこと)」である。嘘をついたら、どういうわけか、それがたまたま真実になってしまう、という話だ。
比喩的に言うと、こうだ。
ある女がいる。その女が
「自分はモテモテです。早く私にプロポーズしないと、私は先約済みになっちゃいますよ」
と嘘を言う。そして、男たちがその嘘を信じれば、彼女には男が殺到して求婚するので、彼女は本当にモテモテになる。
つまり、
「女が『私はモテモテよ』と嘘をついて、人々がその嘘を信じれば、女は本当にモテモテになる」
というわけ。
──
これがどうして有効かというと、次の原理があるからだ。
「景気が悪いときに、人々が『景気は悪いままだ』と信じていると、景気はいつまでたっても悪いままだ」
換言すると、こうだ。
「縮小均衡という安定状態では、その安定状態から脱せない。その安定状態から脱するには、何らかの特別なことが必要だ。そのために、中央銀行が嘘をつけばいい。人々がその嘘を信じれば、景気は回復する」
この論理は、まったく正しい。ただし、
「だから中央銀行は嘘をつけ」
という結論は得られない。では何が正解かというと、こうだ。
「その論理は正しいが、その論理には実効性がない。なぜなら、論理のなかの『人々がその嘘を信じれば』という条件(仮定)が成立しないからだ。(「AならばB」という命題が正しくても、前件のAが成立しなければ、Bは成立しない。)……中央銀行が嘘をついたとしよう。そのあと、人々はその嘘を信じるのでなく、人々はその嘘を見破る。つまり、条件(仮定)が成立しない。ゆえに、中央銀行が嘘をついても、景気は回復しない」
これが真相だ。だから、クルーグマンの主張は成立しない。正しくは、こうなる。
「中央銀行が『景気は回復する』と嘘をついても、人々はその嘘を信じないから、現実には景気は回復しない」
これが真相だ。
ここで注意。ここでは、クルーグマンの「インフレ目標で景気回復」という説は成立しない。しかし、成立しないからといって、間違っているわけではない。ここでは単に「実効性がない」だけで。
比喩。
女が男に言う。「あなたがオリンピックの百メートル競走で金メダルを取ったら、結婚してあげるわ」
この言葉は、間違っているのではなく、実効性がないのだ。なぜなら、「金メダルを取ったら」という前件が成立しないからだ。
一般に、前件が成立しなければ、命題は無効化する。そして、それは、「命題が間違っている」というのとは異なる。……混同しないように注意。
[ 参考 ]
池田信夫がクルーグマンの「インフレ目標」について、「ただの冗談だ」というふうに批判しているが、それは間違いだ。彼はクルーグマンの主張を全然理解できていない。
クルーグマンの主張は、確かに実効性を持たない。インフレ目標を実行しても、景気は回復するはずがない。(財政措置なしには。)
しかし、実効性はないとしても、クルーグマンの主張が間違っているわけではない。クルーグマンの主張は、形式論理としては、正しい。ただし、
「人々が中央銀行の嘘を信じれば」
という仮定が成立しないだけだ。
仮に、人々が(大馬鹿ぞろいであるせいで)中央銀行の嘘を信じれば、まさしく、クルーグマンの主張の通り、景気回復は実現するのだ。
そして、人々が中央銀行の嘘を信じるということは、ありえないことではない。実際、2009年の春以降、「豚インフルエンザは大変だ」という嘘を、日本中の人々が信じてしまった。そんな嘘は、世界的に多くの国で信じられていないのだが、日本人だけはその嘘を信じてしまった。2009年8月現在、マスコミは大騒ぎを再発している。(5月中もそうだったが。)
こういうふうに、「馬鹿な人々が政府やマスコミの嘘を信じる」ということは、実際に起こることもある。その意味で、中央銀行が人々の不安をあおりたてて、「インフレになるぞ」と脅せば、愚かな人々がそれを信じて、急激に金を使って景気が回復する、ということも、ありえなくはない。
( ※ ただし、こういうふうに不安をあおりたてると、景気回復は実現しても、弊害もまた多大になる。昔のトイレット・ペーパー騒動みたいなことが起こるかもしれない。特定の分野で品切れや大幅値上げが起こるかもしれない。下手をすると死者が出るかもしれない。)
とにかく、クルーグマンの主張の核心を知ることが大切だ。その核心は、
「人々が嘘を信じて行動すれば」
ということだ。
この論理を理解したあとで、次の批判は可能だ。
・ それには実効性がない。
・ それに実効性をもたせるには、不安をあおりたてる煽動が必要だ。
・ 不安をあおりたてる煽動があれば、社会的混乱が起こる。
こういうふうに批判することは可能だ。
しかしながら、池田信夫のように、「クルーグマンの主張はただの冗談だ」というふうに軽く片付けるのでは、「クルーグマンの話を全然理解できていない」と批判されても仕方あるまい。(誤読しているか、論理力が弱いか、いずれかであろう。)
[ 付記 ]
上記は論理的な話。以下は経済学的な話。
では、経済学的な正解は? 景気回復のための正しい措置は? インフレ目標が無効なら、かわりにどうすればいいか? ── その答えを言おう。
「嘘によって景気回復」
という口先三寸の方法をやめて、
「実質のある方法で景気回復」
という経済学的な方法を取ればいい。つまり、「金」を使って景気回復をすればいい。具体的には、「中和政策」を取ればいい。つまり、大幅減税をすればいい。
この場合、人々は、中央銀行の嘘(ただの言葉)をもらうのではなく、大幅減税による現ナマをもらえる。現ナマは嘘ではない。それは実効性をもつ。したがって、現実に効力をもつ。
こうして、
「インフレ目標よる言葉ではなく、大幅減税による現ナマによって、景気回復が現実に起こる」
というふうになる。
( ※ 詳しくは → 景気回復の方法は? (総需要の拡大) )
【 補説 】
実を言うと、クルーグマンの「インフレ目標」の本質は、「インフレ目標」そのものではない。つまり、
「インフレ目標を宣言すれば、インフレが起こる」
ということではない。もっと大事なのは、次の二点だ。
・ 景気回復のためには、物価安定よりも物価上昇が必要だ。
・ 景気回復のためには、量的緩和だけでは足りない。
彼らはこの二点を強く主張した。これこそが最も重要な点だ。 ……(*)
→ 「インフレ目標」簡単解説
彼はこの二点を主張した上で、対策として、
「インフレ目標を宣言する」(嘘をつく)
という方針を示した。そして、それは、論理としては正しいが、残念ながら実効性がない。なぜなら人々は、(クルーグマンの期待に反して)嘘を信じないからだ。クルーグマンは、「中央銀行は偉いから、人々は中央銀行を信じるだろう」と期待したのだが、実は人々は何度も痛い目に遭っているので政府関係者の言うことなんか全然信じないのだ。 (^^);
とはいえ、愚かな国には愚かな国民がいるから、政府の嘘をあっさり信じるという例も起こる。
・ 「構造改革で景気回復」という嘘を信じる。
・ 「豚インフルエンザはすごく危険だ」という嘘を信じる。
こういう例もあるから、あながち、「嘘から出た真(まこと)」ということが起こらないとも言えない。 (^^);
ともあれ、クルーグマンの説については、「実効性があるかどうか」を論じてクルーグマンを批判するよりは、彼の提案の前提である二点 (*) を理解する方がいい。彼の主張のキモは、「インフレ目標で景気回復ができる」ということではなくて、「量的緩和だけでは景気回復ができない」ということだ。そして、そのことはまさしく、歴史的に証明されている。
彼の主張の一番大事な点を見失って、揚げ足取りばかりみたいなことをしていると、彼以外の経済学者の大部分(マネタリスト)が間違っていた、ということを理解できなくなる。いわんや、「市場原理で景気回復」なんて言っていた市場原理主義者が、クルーグマンを批判するなんて、天に唾するような行為だ。
人の悪口ばかりを言って喜んでいるような学者は、いつまでたっても、真実にも気づかないし、自分の誤りにも気づかない。ただのピエロにしかなれない。
(……私もピエロになってはいけないので、すぐ上ではピエロの氏名を記しません。「もう書いただろ」なんて言うなかれ。 (^^); )