◆ 政府紙幣の意義:  nando ブログ

2009年08月27日

◆ 政府紙幣の意義

 景気回復のために政府紙幣を発行しよう、という案がある。しかしたいていの人は、これについて根本的に勘違いしている。そこで正解を示す。

 ──

 政府紙幣とは、日銀が発行する紙幣でなく、政府が発行する紙幣である。実効性は、どちらも同じ。(どちらも世間で通用する。)
  → Wikipeda
 これを「景気回復の手段として使おう」という自民党内の動きが、 2009年の初めごろにあったそうだ。
 しかし、「インフレが起こる」という懸念があって、政府は否定的になったそうだ。

 ネット上にも、Wikipedia 以外に、いろいろと情報がある。(検索すればわかる。) 代表的なのは、次の解説だろうか。
  → All about

 しかしながら、上記のいずれも、見当違いである。そこで、経済学の立場から、正解を示す。

 ──

 (1) 日銀券との等価性

 政府紙幣と日銀券とは、基本的には等価である。国民にとっての「価値の裏付け」は同等であるからだ。また、「発行者が誰か」ということは、この場合には問題とならないからだ。(私人が発行したのではない。どっちも国家のお墨付きがある。)
 しいて違いがあるとすれば、「政府紙幣には何らかの制限が付く」ということらしい。だが、それだったら、日銀券で「何らかの制限が付いた日銀券」というのを発行しても同様だ。さらに言えば、「何らかの制限の付いた国債」というのを発行しても同様だ。
 ただし、このような制限は、市場における流通性を損なうだけだ。結果的に、市場では、額面以下で取引される。たとえば、1万円の政府紙幣が 9000円の日銀券と等価だとされて取引される。……そして、このようなことの結果は、「取引のブローカー」に莫大な手数料の収入が入り、アングラのマネー市場ができるだけだ。国家経済が歪むだけだ。一種の社会主義的な統制経済。最悪。
 とすれば、「制限」なんか付けないのがベストなのだ。換言すれば、「政府紙幣の発行」ではなくて、「日銀券そのものの増発」がベストなのである。

 (2) インフレの懸念

 インフレの懸念については、概念が混同している。
 第1に、「物価上昇」という意味でなら、それは何ら問題ではない。仮に7%ぐらいの物価上昇があっても、それにともなって賃金が10%ぐらい上昇するのであれば、ちっとも問題ではない。(差の3%は生産性向上によってまかなう。)……実際、高度成長期には、そういうことが起こった。というわけで、物価上昇そのものは、何ら問題がないのである。単に物価上昇があるだけで、「富の再配分」がなければ、誰も損しないし、誰も得しない。単に貨幣価値が変わって、総生産量が増えるだけだ。何も問題はないだろう。
 第2に、「富の再配分」という意味でなら、問題がある。単に貨幣価値が変わって、総生産量が増えるだけでなく、物価上昇にともなって、「富の再配分」があれば、富を奪われる人が大いに困る。そして、そのようなことは、現実に発生することがある。では、どういうときに? ……実は、それこそが核心なのだ。

 ──

 政府紙幣(または日銀券)の発行が問題になるかどうかは、次のことに依存する。
 「その通貨発行益を誰が得るか」

 たとえば、10兆円を増発するとして、その 10兆円を誰が取るか? ……これが問題なのだ。

 (1) 国が得る

 通貨発行益を、国が得るのであれば、国民は損をする。たとえば、通貨発行益によって、戴冠式をするとか、兵器を買うとか、ピラミッドを築くとか、巨大架橋を築くとか。……この場合、国民から国へと、富が移転する。国は通貨発行益によって何かを購入できるが、その財源は、物価上昇である。そして、その物価上昇の分だけ、国民は富を奪われるから、国民は損をする。
 たとえば、政府が 10兆円の政府紙幣(または日銀券)を発行して、10兆円のピラミッドを建てれば、政府はその分の利益を得るが、国民は 10兆円の損をする。その損は、「増税」によって生じるのではなく、「物価上昇」(貨幣価値の低下)によって生じる。

 (2) 国民が得る

 通貨発行益を、国民が得るのであれば、国民は損も得もしない。たとえば、政府が 10兆円の政府紙幣(または日銀券)を発行して、10兆円の減税をすれば、国民は 10兆円の金を得るが、同時に、物価上昇によって 10兆円の損をする。ここでは、国民は損も得もしない。
 ただし、同時に、インフレを通じて、総生産が増える。そういうメリットがある。このメリットは、デフレ期にのみ生じて、インフレ期には生じない。(デフレ期には、低下した稼働率の向上によって生産量が増えるが、インフレ期には、もともと稼働率が上限なので生産量が増えない。)

 ──

 まとめ。

 (i) 政府紙幣は、日銀券と等価にするべきだ。というか、政府紙幣よりも、日銀券そのものを増発するべきだ。
 (ii)政府紙幣(または日銀券)を増発した場合、インフレが起こる。ただし、そのインフレが良いか悪いかは、状況しだいだ。
   ・ 政府が通貨発行益を得る場合には、国民が損するので、である。
   ・ 国民が通貨発行益を得る場合には、国民が損も得もしない
 (iii)損も得もしないインフレが、善となるか悪となるかは、そのときの景気しだい。そのときがデフレならば、インフレになるのは好ましい。(景気回復になるから。) 一方、そのときがインフレならば、さらにインフレになるのは好ましくない。(悪性インフレになるから。)


 簡単に言えば、こうだ。
 「通貨発行益を国民がもらうことにして、デフレのときに実施するのであれば、日銀券の発行は好ましい。逆に、それらの条件の一つでも満たされないのであれば、それは好ましくない。」


 好ましくない例は、次のいずれか。
  ・ 通貨発行益を政府がもらう。
  ・ インフレのときに実施する。
  ・ 日銀券でなく政府紙幣を発行する。

 これで、結論はきちんと出た。



 [ 付記1 ]
 このようにして金をばらまくと、どうして状況は改善するのか? 無から有が生じるのか? いや、違う。
 ここでは、国民は金を得るが、その金の原資は、「政府が紙幣という紙切れをくれること」ではなく、「物価上昇」つまり「貨幣価値の低下」である。これが原理だ。
 ただし、物価上昇は、すぐには起こらない。人々が金をもらってから、現実に物価上昇が起こるまでには、タイムラグがある。そのタイムラグの間に、生産量が拡大する。そして、生産量が拡大した結果として、人々は富を得る。そして、生産量が拡大するのは、人々が労働をしたからだ。
 つまり、人々が実質的に富を得る原資は、人々が労働することである。景気が良くなると、人々は、富を得るが、単に富を得るのではなく、働くことで富を得るのだ。
 ただ、その途中で、「紙幣という紙切れをばらまく」ということをなす。これが結果的に、人々に労働機会を与える。
 経済学とは、無から有をもたらすことではない。労働から富をもたらすことができるように、紙幣という潤滑剤を使うことだ。
 それはちょうど、錆びついた機械に油を注ぐようなものだ。油を注ぐと、錆びついた機械が動くようになる。しかし、油が機械を動かしているのではない。機械を動かすのは、あくまで機械自身である。ただし、機械自身がその能力を損なわれている場合がある。そこで、潤滑剤としての油が、有効となる。
 ここのところを誤解しないようにしよう。油を注ぐと、機械はどんどん物を生産するようになる。しかし、油が物を生産するのではない。油は、機械が物を生産する原理を、正常化しただけけだ。
 経済もまた同じ。減税をすると、社会の経済システムが正常化して、物を生産するようになる。しかし、減税そのものが富をもたらすのではない。富をもたらすのは、社会の経済システムだ。減税は、ただちょっと、錆びついた経済システムに油を注ぐ効果があるだけだ。
 ただし、錆びついた経済システムにとっては、それは何よりも必要不可欠なものなのである。
 そして、そのことを理解しない人々は、次のいずれかを主張する。
  ・ 「油なんか不要だ。機械の構造を抜本的に改革するべきだ!」
  ・ 「油は莫大な富をもたらすのだ。油はすばらしい魔術だ!」

 こういう誤解を防ぐための解説が、本項である。

 [ 付記2 ]
 本項で述べたことは、「タンク法」の発想から得られる。タンク法については、別の記述を参照。
   → 2月22日1月04日 以降



 【 追記 】

> 政府紙幣と日銀券とは、基本的には等価である。
> 「政府紙幣には何らかの制限が付く」

 について解説しておこう。
 等価かどうかといえば、1行目に述べたように、等価である。
 ただし最近話題になっているのは、あえて等価でなくするようなものだ。次のように。

 「有効期限を設定して、1年以内に使い切ることを義務づける。1年以内に使わなければ、ただのゴミになる」

 こういう形で制限を付けて、必ず使い切ることを共用する、というわけだ。(その目的は消費の促進。)
 これはこれでアイデアだが、このような制限を付けることは駄目だ、というのが、本項の趣旨だ。「政府紙幣だから駄目だ」ということはない。「制限を付けることが駄目だ」ということだ。
 
 仮に、このような制限付きの紙幣が導入されたら、本来の価値よりも価値が減るから、まっとうな日銀券との間で、低いレートで交換されるようになる。(図書券やビール券などの金券が額面よりも低い価格で取引されるのと同様だ。)
 「政府紙幣をもらったら、銀行の預金してしまえばいい」
 というアイデアがあるが、これは無効だ。銀行は政府紙幣を預金として受け付けてくれないからだ。(図書券を受け付けてくれないのと同じ。)
 ただし、「普段使う消費の分を政府紙幣にして、その分、日銀券を預金する」ということは可能だ。現実には、そうなるだろう。その場合には、何も変わらないことになる。
 
 ともあれ、本項の趣旨は、「制限付きの政府紙幣」または「制限付きの日銀券」(という特殊な紙幣)は駄目だ、ということだ。「日銀券でなく政府紙幣にすると駄目だ)ということではない。誤解しないように。日銀券と政府紙幣は、基本的には同じものだ。……ただし、同じものなら、いちいち別にする必要はない。「自販機では使えないようにするための専用紙幣」なんていうのは、利便性が下がるだけで、馬鹿馬鹿しい。(二千円札と同様に、嫌われてしまう。)(もっとも、五千円札だって、自販機では使えないが。)

posted by 管理人 at 20:49 | Comment(2) | 経済 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
経済学には全く疎いんで感覚なんですけど、紙幣の追加発行を漠然と続けたらインフレが害になるレベルまで行くように思います。
ですから、追加発行を止めるタイミングがあると思うんですが、それはどういう時なんでしょうか。
それが分からないと、バクチに近い事になるのではないかと愚考するのですが。
Posted by 素人 at 2009年11月14日 01:11
> 追加発行を止めるタイミング

超簡単な問題なので、自分の頭で考えてください。
高校生レベルの頭があればわかる。

ついでですが、最初に発行するべき総額は、マクロ経済学的に決まります。約 20兆円前後と推定されます。その理由は、難しい理論が必要なので、素人には理解は無理です。素人がロケットの設計をできないのと同じ。
Posted by 管理人 at 2009年11月14日 06:48
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