景気回復のために政府紙幣を発行しよう、という案がある。しかしたいていの人は、これについて根本的に勘違いしている。そこで正解を示す。
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政府紙幣とは、日銀が発行する紙幣でなく、政府が発行する紙幣である。実効性は、どちらも同じ。(どちらも世間で通用する。)
→ Wikipeda
これを「景気回復の手段として使おう」という自民党内の動きが、 2009年の初めごろにあったそうだ。
しかし、「インフレが起こる」という懸念があって、政府は否定的になったそうだ。
ネット上にも、Wikipedia 以外に、いろいろと情報がある。(検索すればわかる。) 代表的なのは、次の解説だろうか。
→ All about
しかしながら、上記のいずれも、見当違いである。そこで、経済学の立場から、正解を示す。
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(1) 日銀券との等価性
政府紙幣と日銀券とは、基本的には等価である。国民にとっての「価値の裏付け」は同等であるからだ。また、「発行者が誰か」ということは、この場合には問題とならないからだ。(私人が発行したのではない。どっちも国家のお墨付きがある。)
しいて違いがあるとすれば、「政府紙幣には何らかの制限が付く」ということらしい。だが、それだったら、日銀券で「何らかの制限が付いた日銀券」というのを発行しても同様だ。さらに言えば、「何らかの制限の付いた国債」というのを発行しても同様だ。
ただし、このような制限は、市場における流通性を損なうだけだ。結果的に、市場では、額面以下で取引される。たとえば、1万円の政府紙幣が 9000円の日銀券と等価だとされて取引される。……そして、このようなことの結果は、「取引のブローカー」に莫大な手数料の収入が入り、アングラのマネー市場ができるだけだ。国家経済が歪むだけだ。一種の社会主義的な統制経済。最悪。
とすれば、「制限」なんか付けないのがベストなのだ。換言すれば、「政府紙幣の発行」ではなくて、「日銀券そのものの増発」がベストなのである。
(2) インフレの懸念
インフレの懸念については、概念が混同している。
第1に、「物価上昇」という意味でなら、それは何ら問題ではない。仮に7%ぐらいの物価上昇があっても、それにともなって賃金が10%ぐらい上昇するのであれば、ちっとも問題ではない。(差の3%は生産性向上によってまかなう。)……実際、高度成長期には、そういうことが起こった。というわけで、物価上昇そのものは、何ら問題がないのである。単に物価上昇があるだけで、「富の再配分」がなければ、誰も損しないし、誰も得しない。単に貨幣価値が変わって、総生産量が増えるだけだ。何も問題はないだろう。
第2に、「富の再配分」という意味でなら、問題がある。単に貨幣価値が変わって、総生産量が増えるだけでなく、物価上昇にともなって、「富の再配分」があれば、富を奪われる人が大いに困る。そして、そのようなことは、現実に発生することがある。では、どういうときに? ……実は、それこそが核心なのだ。
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政府紙幣(または日銀券)の発行が問題になるかどうかは、次のことに依存する。
「その通貨発行益を誰が得るか」
たとえば、10兆円を増発するとして、その 10兆円を誰が取るか? ……これが問題なのだ。
(1) 国が得る
通貨発行益を、国が得るのであれば、国民は損をする。たとえば、通貨発行益によって、戴冠式をするとか、兵器を買うとか、ピラミッドを築くとか、巨大架橋を築くとか。……この場合、国民から国へと、富が移転する。国は通貨発行益によって何かを購入できるが、その財源は、物価上昇である。そして、その物価上昇の分だけ、国民は富を奪われるから、国民は損をする。
たとえば、政府が 10兆円の政府紙幣(または日銀券)を発行して、10兆円のピラミッドを建てれば、政府はその分の利益を得るが、国民は 10兆円の損をする。その損は、「増税」によって生じるのではなく、「物価上昇」(貨幣価値の低下)によって生じる。
(2) 国民が得る
通貨発行益を、国民が得るのであれば、国民は損も得もしない。たとえば、政府が 10兆円の政府紙幣(または日銀券)を発行して、10兆円の減税をすれば、国民は 10兆円の金を得るが、同時に、物価上昇によって 10兆円の損をする。ここでは、国民は損も得もしない。
ただし、同時に、インフレを通じて、総生産が増える。そういうメリットがある。このメリットは、デフレ期にのみ生じて、インフレ期には生じない。(デフレ期には、低下した稼働率の向上によって生産量が増えるが、インフレ期には、もともと稼働率が上限なので生産量が増えない。)
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まとめ。
(i) 政府紙幣は、日銀券と等価にするべきだ。というか、政府紙幣よりも、日銀券そのものを増発するべきだ。
(ii)政府紙幣(または日銀券)を増発した場合、インフレが起こる。ただし、そのインフレが良いか悪いかは、状況しだいだ。
・ 政府が通貨発行益を得る場合には、国民が損するので、悪である。
・ 国民が通貨発行益を得る場合には、国民が損も得もしない。
(iii)損も得もしないインフレが、善となるか悪となるかは、そのときの景気しだい。そのときがデフレならば、インフレになるのは好ましい。(景気回復になるから。) 一方、そのときがインフレならば、さらにインフレになるのは好ましくない。(悪性インフレになるから。)
簡単に言えば、こうだ。
「通貨発行益を国民がもらうことにして、デフレのときに実施するのであれば、日銀券の発行は好ましい。逆に、それらの条件の一つでも満たされないのであれば、それは好ましくない。」
好ましくない例は、次のいずれか。
・ 通貨発行益を政府がもらう。
・ インフレのときに実施する。
・ 日銀券でなく政府紙幣を発行する。
これで、結論はきちんと出た。
[ 付記1 ]
このようにして金をばらまくと、どうして状況は改善するのか? 無から有が生じるのか? いや、違う。
ここでは、国民は金を得るが、その金の原資は、「政府が紙幣という紙切れをくれること」ではなく、「物価上昇」つまり「貨幣価値の低下」である。これが原理だ。
ただし、物価上昇は、すぐには起こらない。人々が金をもらってから、現実に物価上昇が起こるまでには、タイムラグがある。そのタイムラグの間に、生産量が拡大する。そして、生産量が拡大した結果として、人々は富を得る。そして、生産量が拡大するのは、人々が労働をしたからだ。
つまり、人々が実質的に富を得る原資は、人々が労働することである。景気が良くなると、人々は、富を得るが、単に富を得るのではなく、働くことで富を得るのだ。
ただ、その途中で、「紙幣という紙切れをばらまく」ということをなす。これが結果的に、人々に労働機会を与える。
経済学とは、無から有をもたらすことではない。労働から富をもたらすことができるように、紙幣という潤滑剤を使うことだ。
それはちょうど、錆びついた機械に油を注ぐようなものだ。油を注ぐと、錆びついた機械が動くようになる。しかし、油が機械を動かしているのではない。機械を動かすのは、あくまで機械自身である。ただし、機械自身がその能力を損なわれている場合がある。そこで、潤滑剤としての油が、有効となる。
ここのところを誤解しないようにしよう。油を注ぐと、機械はどんどん物を生産するようになる。しかし、油が物を生産するのではない。油は、機械が物を生産する原理を、正常化しただけけだ。
経済もまた同じ。減税をすると、社会の経済システムが正常化して、物を生産するようになる。しかし、減税そのものが富をもたらすのではない。富をもたらすのは、社会の経済システムだ。減税は、ただちょっと、錆びついた経済システムに油を注ぐ効果があるだけだ。
ただし、錆びついた経済システムにとっては、それは何よりも必要不可欠なものなのである。
そして、そのことを理解しない人々は、次のいずれかを主張する。
・ 「油なんか不要だ。機械の構造を抜本的に改革するべきだ!」
・ 「油は莫大な富をもたらすのだ。油はすばらしい魔術だ!」
こういう誤解を防ぐための解説が、本項である。
[ 付記2 ]
本項で述べたことは、「タンク法」の発想から得られる。タンク法については、別の記述を参照。
→ 2月22日,1月04日 以降
【 追記 】
> 政府紙幣と日銀券とは、基本的には等価である。
> 「政府紙幣には何らかの制限が付く」
について解説しておこう。
等価かどうかといえば、1行目に述べたように、等価である。
ただし最近話題になっているのは、あえて等価でなくするようなものだ。次のように。
「有効期限を設定して、1年以内に使い切ることを義務づける。1年以内に使わなければ、ただのゴミになる」
こういう形で制限を付けて、必ず使い切ることを共用する、というわけだ。(その目的は消費の促進。)
これはこれでアイデアだが、このような制限を付けることは駄目だ、というのが、本項の趣旨だ。「政府紙幣だから駄目だ」ということはない。「制限を付けることが駄目だ」ということだ。
仮に、このような制限付きの紙幣が導入されたら、本来の価値よりも価値が減るから、まっとうな日銀券との間で、低いレートで交換されるようになる。(図書券やビール券などの金券が額面よりも低い価格で取引されるのと同様だ。)
「政府紙幣をもらったら、銀行の預金してしまえばいい」
というアイデアがあるが、これは無効だ。銀行は政府紙幣を預金として受け付けてくれないからだ。(図書券を受け付けてくれないのと同じ。)
ただし、「普段使う消費の分を政府紙幣にして、その分、日銀券を預金する」ということは可能だ。現実には、そうなるだろう。その場合には、何も変わらないことになる。
ともあれ、本項の趣旨は、「制限付きの政府紙幣」または「制限付きの日銀券」(という特殊な紙幣)は駄目だ、ということだ。「日銀券でなく政府紙幣にすると駄目だ)ということではない。誤解しないように。日銀券と政府紙幣は、基本的には同じものだ。……ただし、同じものなら、いちいち別にする必要はない。「自販機では使えないようにするための専用紙幣」なんていうのは、利便性が下がるだけで、馬鹿馬鹿しい。(二千円札と同様に、嫌われてしまう。)(もっとも、五千円札だって、自販機では使えないが。)
ですから、追加発行を止めるタイミングがあると思うんですが、それはどういう時なんでしょうか。
それが分からないと、バクチに近い事になるのではないかと愚考するのですが。
超簡単な問題なので、自分の頭で考えてください。
高校生レベルの頭があればわかる。
ついでですが、最初に発行するべき総額は、マクロ経済学的に決まります。約 20兆円前後と推定されます。その理由は、難しい理論が必要なので、素人には理解は無理です。素人がロケットの設計をできないのと同じ。