◆ 土器と言語 (言語の発生):  nando ブログ

2009年10月04日

◆ 土器と言語 (言語の発生)

 土器の歴史を見ると、欧州よりも先に、東アジアで土器が誕生した。
 このことを、言語の歴史と結びつけて考えることができる。
 ( ※ 本項では、「言語の発生」という話題を扱う。)

 ──

 以下、朝日新聞の記事( 2009-10-03 )の要旨。

 土器の歴史を見ると、世界各地で発見された最古の土器の時期は異なる。
 東アジアは1万5千年前ごろが多い。特に最古のものは日本の縄文土器で、1万6千年前。非公認だが中国で1万8千年前という報告もある。
 一方、南アジア・西アジア・アフリカは9千年前。欧州は 8500年前。
 つまり、日本は、欧州に比べて、倍ぐらい古い時期に土器が誕生している。
 これは不思議だ。理由ははっきりしないが、推測はつく。
 研究者の説によると、環境の変化のせいだ。日本では当時、氷河期の終わりに近づいたので、気温上昇にともない、亜寒帯的な森林から落葉樹も混じる森林へと変化した。ドングリなどが入手しやすくなり、そのアク抜きのために、土器が必要になった。また、同じくらい古い土器の見つかったロシア(グロマトゥーハ)では、魚油を取るために魚を土器で煮ていたのかもしれない。一方、西アジアでは、土器以外で、焼成された土製品は作られていたので、土器を作るための知識はあった。だが、西アジアでは、先土器新石器時代から小麦が主食であり、パンを焼くのに土器は必要なかった。

 ──

 以上が新聞記事の要旨。
 なかなか興味深い記事だが、前半と後半とで、意義が別れる。前半は遺跡の事実なので、そのまま受け取っていい。後半は推測なので、そのまま受け取れない。私としては、この推測は間違いだと思う。
 「これこれの必要があったから、これこれの技術が生まれた」
 というのは、ダーウィン式の進化論の発想そのものだ。はっきり言えば、ラマルク主義(の延長)だ。
  ・ 水中ではヒレの必要性があるからヒレが生じた。
  ・ 空中では翼の必要性があるから翼が生じた。

 こういう「必要性ゆえに何かが誕生した」というのは、一種のオカルトであって、科学とは何の関係もないデタラメだ。
  ・ 東アジアでは土器の必要性があったから土器が生じた。
  ・ 西アジアでは土器の必要性がなかったから土器が生じなかった。

 これもまた同様である。何かが生じるかどうかは、必要性とは関係がない。たとえば、コンピュータは、必要だから生じたのではないし、生じた時点では必要なかったから生じなかったのではない。(手回し計算機などを使っていた。)
 何かが生じるか否かは、必要性によって決まるのではなく、それを生じさせるための知恵の有無によって決まる。その意味で、必要性ばかりを強調する研究者の推論は、全然成立しない。

( ※ 歴史家は、「環境の変化のせいで文化が変化した」というダーウィン進化論的な発想を取りすぎる。そのせいで、ダーウィン進化論と同様に、間違いに陥る。先の記事で「環境の変化で植生が変化したから」というのも、同じ種類の間違いだろう。環境は関係ない。)
( ※ ついでに言えば、「草原に出れば直立二足歩行の必要性が出るから、草原に出ると直立二足歩行した」という進化論の説[草原説]も、同じ発想を取っている。こういう間違いが、歴史学にまで影響しているわけだ。)

 話を土器に戻す。
 はっきり言おう。必要性で言うなら、世界各地で必要性はあった。なぜか? 土器は、水を入れる器になり、かつ、水を沸騰させる器になるからだ。水は人間にとって絶対的に必要なものだ。それをうまく使うには、土器があると便利なのだ。
 もちろん、土器がなくても、人間は水を使えたはずだ。実際には、革袋を使っていたのだと思う。革袋でも、水を入れることができるし、水を煮沸することはできる。とはいえ、土器に比べれば、革袋では不便すぎる。土器がいったん生じたあとでは、革袋なんて馬鹿馬鹿しくて使っていられないだろう。
( ※ 革袋は当時、貴重な品物である。衣服などにもなる。それを湯沸かしなどに使っていたら、消耗してしまうので、あまりにももったいない。革袋を取るために次から次へと獣を狩猟する必要があるが、困難だ。特に、狩猟をしない農耕民族では困難だ。)
( ※ そもそも、水の漏れない革袋というものは、作成が困難だ。針と糸があるわけじゃないし。かといって、獣の腸などをかわりに使うとしたら、不潔で破れやすいし、いろいろと不便が生じる。)

  ────────────

 そこで、新たに私なりの考えをなそう。
 土器が生じたかどうかは、土器が必要であるかどうかで決まるではない。土器を作るための知恵があるかどうかで決まる。
 では、知恵があるとは? 私の考えでは、こうだ。
 「知恵があるとは、知恵が蓄積するということであり、言語があるということだ」

 この言語は、当初は口承言語であり、文字言語ではない。ともあれ、言語があれば、知識が社会で共有されるようになり、文化が生じる。すると、土器を作るための知識も、文化の形成という形で、形成されるようになる。

 つまり、土器から言えることは、こうだ。
 「土器が形成された時期は、言語が形成された時期の少し後である。逆に言えば、土器の形成された時期を見ることで、言語が形成された時期を推測できる」


 ──

 ここから非常に重要な結論を得ることができる。
 「言語が形成された時期は、東アジアでは、1万6千年前よりも少し古い時期。南アジア・西アジアでは、9000年前よりも少し古い時期。欧州では、8500年前よりも少し古い時期」


 これは仮説だ。しかしながら、この仮説を採ると、言語の発生時期について、さまざまな問題を解決するために、きわめて符合する。
  • 南アジアと欧州は、同系統である(印欧語)。しかも、欧州の言語は、南アジアの言語よりも、少し後になって出現している。
  • 東アジアの言語は、おおむね同系統と見なせそうだ。(膠着語)
  • 印欧語は、どれもこれも、おおむね似ている。系統をたどることもできる。つまり、それだけ若い言語である。(進化論的に言えば、分岐の量が少ない。)
  • 東アジアの膠着語は、どれもこれも、かなり違っている。系統をたどることも困難だ。つまり、それだけ古い言語である。(進化論的に言えば、分岐の量が多い。)
  • 膠着語は、「きれいだね」とか「僕だよ」とかいうふうに、単純な「名詞 + 助詞」の形の文章を取ることができる。つまり、名詞的・単語的である。その分、古い言語である。
  • 印欧語は、「SVO」「SVOO」「SVOC」など、きちんとした文法構造をもつ。膠着語ほど単純ではない。つまり、それだけ発達した言語である。その分、新しい言語である。 ( ※ この箇所、実は正しくない。あとで 【 追記 】 のところで解説している。)
 つまり、文法を見ると、次のことが言える。
 「あらゆる意味で、印欧語は、東アジアの言語に比べて、若い(歴史の浅い)言語である。東アジアの言語の方が、ずっと古く生じたものだ」

 こういうことが、言語から推察される。
 そして、それと同じことが、土器からも推察されるのだ。しかも、土器の歴史を見ると、その年代までわかる。
 おおむね、次のように言えるだろう。(本項の結論。かなり長い。)

 ──

 東アジアで言語が生じたのは、2万年前ごろ。東アジア各地で言語が伝わり、と同時に、知識が共有されるようになったので、各地で独自に土器が出現した。(西の限界は、カザフスタン[グロマトゥーハ]のあたりまで。)
 一方、南アジア・西アジア・欧州では、その言語が伝わらなかった。そのせいで、文化も形成されず、知識も蓄積されず、土器も出現しなかった。土器を作るための基礎知識(土の焼成)は知っていたが、土器を作るための文化がなかったのだ。
 しかるに、1万年前ごろ、東アジアの言語が南アジア(インド)に少しだけ流入した。そこから言語がどんどん伝わっていったが、伝わると同時に、言語が急激に変化・発達していった。その際、「SVO」などの文法構造を取るようになった。
 9000年前に、南アジアでメソポタミア文明 の源流が生じた。ここに移住したのはシュメール人だが、シュメール人は東アジアの一部から言語を持ち込んだ、と推測できそうだ。
 シュメール人の文明を起点として、印欧語の文明圏の影響がひろがっていき、同時に、言語もひろがっていったのだろう。かくて印欧語が徐々に形成されていったのだろう。

 シュメール人は、当初は小規模に農耕をしていただけらしい。その後、村落ができたりして、さらには都市文明を構築するようになっていった。こうしてメソポタミア文明が展開していった。
 紀元前3500年に、楔形文字が発明された。人類最古の文字である。
 その後、エジプトでも文字が誕生した。(ヒエログリフ
 さらに、楔形文字とヒエログリフを基礎として、そこから変化する形で、アルファベットが誕生した。
 楔形文字、ヒエログリフ、アルファベットは、おおむね互換性をもっていたが、それというのも、それ以前に、全体として似た言語構造をもつ音声言語が出現していたからだ。(印欧語)
 こうして、アルファベットをもつ文字言語が誕生した。そのあとは、各地で言語が発達したが、いくら異なる言語だと見えても、根っこは同じであり、印欧語という同じグループに含まれる。
 その後、ギリシア文明やローマ文明の影響が非常に大きくなり、そこから文化的な影響の形で、言語も影響を受けるようになった。しかし、これは文化的な問題であり、単語レベルの問題であるから、話は全然別のことだ。(今日でも日本語が英語圏の影響を受けて、外来語が多くなっているが、こういう単語レベルの問題は、言語そのものの問題とは違う。)

 ──

 以上が私の考えだ。これが、今回の土器の研究から、私の導き出した判断だ。
( ※ たぶん当たっているだろう、とは思うが、現時点では、仮説の扱い。どうせ昔のことはわかっていないし、「口承言語の化石」なんてものもないのだから、論理的に推理するしかない。)

 なお、メソポタミア文明以降については、(一部には推測が混じっているが)おおむね事実である。典拠は Wikipedia その他。
 本項で特に独自に示しているのは、メソポタミア文明よりも前の部分である。(有史以前、とも言える。歴史の教科書の冒頭にある「文明の黎明」よりも前の部分。通常、歴史の教科書は、「文明の黎明」として、メソポタミア文明から始まる。特に、楔形文字ができて都市文明ができた頃から。本項は、それより前を論じる。文字言語ができるよりも前。)



 【 追記 】
 本項の印欧語についての記述を否定するものとして、次の記述があった。
 ラテン語では、名詞の六つの格変化・性、主語による動詞の語尾変化(英語は三単現のーs・ーesのみ)、それに加えて時制変化、さらに語尾変化によって格や主語がわかる故に、会話・文において概ね主語を明示することもなく、語順による構成も決まっていない。
 日本語の場合は、助詞によって語の役割が決まり、それゆえに語順における厳格さをそれほど持たない。
( → 言語の発生についての論考
 とすると、「SVO」などの構造を話題にした論点は正しくなかった、ということになる。その分、修正して、理解してほしい。今になって微修正して書き直すには、ちょっと話題が大きすぎるので、私としては本文中で修正するのをやめておいた。
 印欧語の特徴としては、「SVO」などの構造ではなく、冠詞や格変化があるようだ。格変化は、膠着語の活用語尾に似ているが、かなり毛色が違うと思える。
 上記のサイトでは、印欧語と膠着語とをまとめて「単一起源」と見なしているようだが、私としてはやはり、さまざまな論拠から、両者は別起源だと考えたい。そして、その論拠の一つが、土器である。



 [ 付記1 ]
 本項では、言語の重要性を述べている。ただし、ここで言う言語とは、社会的に共有される言語(パロールでなくラング)である。それは社会で共有され、社会で知識を蓄えることができる。
 一方、個別で発話される言葉(パロール)には、かなり原始的なものもあったはずだ。それは社会的に言語が形成される以前に、狭い範囲でのみ通じるものだ。たぶん文法構造もなかっただろうし、また、初期には吠えたり唸ったりする声と大差なかっただろう。「ぶーぶー」のように。
 とはいえ、それでも「発話できる」という機能をもつことは重要だ。この機能をもつようになったのはいつかというと、意外にも古く、現生人類よりもはるかに古い原人(ホモ・エレクトス,ホモ・エルガステル )の時代であったらしい。 2 〜 300万年前だ。詳しくは、下記に [ 参考 ]として示す。
 ともあれ、人類が言葉を発声するシステムを備えてから、体系的・社会的な言語(ラング)ができるまでは、非常に長い時間がかかったことになる。

 [ 付記2 ]
 逆に言えば、体系的・社会的な言語(ラング)の重要性がわかる。
 当初(数百万年前)から、単純な発話はできた。その後、数百万年をかけて、少しずつ言語を発達させていった。最初は個体間の感情伝達ぐらいだっただろう。そのうち、何らかの意味を伝えるようになれただろう。さらには、数十語や百語ぐらいの言語体系をもてるようになっただろう。名詞以外のものも使えるようになったかもしれない。……そうして小さな言語体系が各地に無数にできた。しかしそれはたがいに孤立していた。
 しかし、土器の成立前に、(村ぐらいのレベルの)大きな共同体ができた。そこでは共同体内で共通に使われる言語ができた。つまり、体系的・社会的な言語(ラング)の成立である。ここから知識の集積が生じて、土器が生じた。
 その後、数千年を経て、都市国家レベルの巨大な共同体ができた。すると、それまでの共同体ごとのラングは排除され、特定の共同体のラングが都市国家全体のラングとなった。つまり、標準語(または方言)の確立だ。それにともなって、都市国家全体で知識が共有されるようになった。すると、文字が生じたり、青銅器・鉄器ができたりした。ここでは文明が生じたことになる。
 つまり、ラングの確立こそ、文明の発生を意味する。それは、土器の誕生の前に始まり、青銅器・鉄器の誕生の頃に十分な水準に達した。
 ひるがえって、それまでの小さな言語体系は、個体間の何らかのコミュニケーションをすることはできても、知識の集積には不十分であり、人類に文明をもたらすには足りなかった。

 [ 付記3 ]
 わかりやすく言おう。「山」「川」「太陽」などを示すだけではダメで、抽象名詞や形容詞によって、抽象的な概念を持てるようになって初めて、それは言語としての重要な役割を果たすのだ。
 そして、言語がそのように高いレベルに発達するには、数百万年もの時間がかかった。
 そして、言語がいったんそのような高いレベルに達したら、そのあとでは文明は急激に発達していった。それまでの数百万年の間に、言語の発達も、文明の発達も、遅々たるものだったのだが、いったん言語が高いレベルに達したら、そのあとではわずか 5000年ほどの間に、文明はものすごく発達した。人類は空を飛ぶこともできるようになり、宇宙に飛び立つこともできるようになり、知能を代替するコンピュータまで手にするようになった。また、核爆弾という、地球全体を破壊する能力までもつようになった。それはわずか 5000年ほどの間になしとげたのだ。……そして、それをもたらしたのは、体系的・社会的な言語(ラング)だったのだ。
 抽象的な概念を扱う言語が、人類に抽象的な思考をもたらし、人類の文明を大幅に発達させた。このことはいくら強調しても強調しすぎることはない。抽象概念を扱うことこそ、人間を人間たらしめるものなのだ。ゆえに、この能力を磨くことこそ、何より大切だと言える。
 ひるがえって、現在、マルチメディア(画像・音声)を扱うことこそ先端的だ、という風潮がある。しかし、いくら画像や音声を使っても、人間の能力は発達しない。いくらゲームをいじったり映画を見ても、その人の知性は向上しない。なぜか? そこでは言語の鍛錬がなされないからだ。
 大切なのは、目に見えるものではない。目に見えないものだ。目の前にある何らかの具体的なものではなく、抽象世界の真実なのだ。……たとえば、愛とか、優しさとか、平和とか、偶数とか、算術とか。……こういうものを概念として理解し、言葉で扱うことで、人間の思考は発達する。
 人は、言葉を使えば、宇宙全体をも自ら操作することができる。「宇宙は 140億年ぐらいの歴史がある」というふうに語ることもできる。しかし、画像を見ている限りは、画面に映じている小さな画像しか見ることができない。しかもそれを自分で操作することもできない。(スクロールして変化させるように「選択」することはできても、まったく別のものを自由自在に「創造」することはできない。仮に、お絵かきソフトを使うとしたら、薔薇を表現するだけでもものすごい時間がかかる。一方、言語ならば、「薔薇」と呼ぶだけで足りる。)
 言語こそは人間に無限の能力を与えるものだ。ゆえに、その能力を駆使することこそ、最も大切なことだ。それによって人間は人間となることができる。
 そして、こういうことが、土器を見ることからわかるのだ。

 [ 注記 ]
 以上では、言語の段階的な発展を、図式的に説明してきた。ただし、この図式的な説明は、物事を単純化して表現したものだ。現実には、それほどきちんと単純化された図式ふうな過程を取ったわけではあるまい。
 上の図式的な説明は、あくまで単純化した表現だ、というふうに理解してほしい。
 もう少し詳しく説明しよう。
 上の図式的な説明は、あくまで単純化した表現だ。ということは、現実は、もっと流動的で、混合的で、複雑な過程であったはずだ。具体的には、次の通り。
 上の説明では、村レベルの共同体のできた時点で初めてラングができて、そのあと国家レベルのラングができた、というふうに、二段階で表現されている。しかし現実には、それほど単純ではあるまい。
 国家レベルのラングができる前に、各地のラングは交流して混合していたはずだ。というのも、人間レベルの交流があったからだ。
 しかもそこには、多大な年月もあった。その間、歴史的に征服による言語の普及もあっただろうし、被征服による言語の抹消もあっただろう。
 しかもアジアの各言語は、全体として、膠着語という枠組みを保ち続けた。まったく別系統の言語にはならなかった。逆に言えば、膠着語という枠組みがあったことから、全体としての統一性が認められるし、交流や混合も推定される。同様のことは、印欧語にも当てはまる。
 ともあれ、言語の成立の過程は、非常に複雑である。簡単な図式で説明しきれるものではない。ただ、「複雑だった」と表現するだけでは、何が何だかわからない。そこで、おおまかに、単純な図式を呈示した。その図式だけですべてが説明されるわけではないが、おおまかな枠組みはその図式でいくらか説明できるだろう。
 そのことで、個別の言語の成立過程を言語学的に具体的に説明し尽くすことはできないだろうが、「言語とは何か」という本質的(言語哲学的)な問題には、一応の答を示すことができるだろう。




 [ 参考 ]
 → 英語版 Wikipedia
 引用と機械翻訳も示す。

 Homo ergaster (or either of the two species generally classified collectively as Homo erectus, Homo erectus and Homo heidelbergensis) was conceivably the first of the hominins to use articulate language. For a time, this capability was thought to be restricted to fairly primitive language because of the narrowness of the cervical vertebr?. Such a conclusion was reached from the study of the cervical vertebr? in the Turkana Boy. These specific vertebr? later revealed that KNM-WT 15000 suffered from a stunted vertebral growth, which restricted its breathing (and therefore, the ability to produce speech). A recent find in Dmanisi, Georgia of a normal H. ergaster vertebra has been compared to that of Turkana Boy's. Sound-production would not have been restricted in this vertebra, which is within the normal range of correspondent modern human vertebr?. It is certainly recognised by endocasts that H. habilis had a significant mode of communication (though its hyoid and construction of the ear do not support spoken language), and that H. ergaster had a more advanced form of this communicative neurology. It is therefore certainly conceivable that H. ergaster had the ability to use what could be called language.

 ホモ・エルガステル(一般に、2つの種のどちらかがHomoとしてerectus、ホモエレクトス、およびHomo heidelbergensisをまとめて分類した)は多分、使用するヒト科の1番目が言語を明確に話すということでした。 時間、頚のvertebrと#230の狭さのためこの能力によってかなり原始の言語に制限されると考えられました; そのような結論に頚のvertebrと#230の研究から達しました。 トゥルカナ族少年で。 これら#特定のvertebrと230。 KNM-WT15000が成長を妨げられた脊椎の成長が欠点であった後で明らかにされます。(成長は息づかい(そして、したがって、スピーチを製作する能力)を制限しました)。 Dmanisi、正常なH.ergaster脊椎骨のジョージアの最近の掘り出し物はトゥルカナ族Boyのものと比較されました。 発音はこの脊椎骨で制限されていないでしょう、通信員近代人vertebrと#のノーマルレンジの中にあるもの。確かに、頭蓋腔などの内形を示す型で、H.habilisにはコミュニケーションの重要なモードがあって(その舌骨と工事ですが、耳では、話し言葉をサポートしないでください)、H.ergasterにこのコミュニケーションの神経学の、より高度なフォームがあったと認められます。 したがって、確かに、H.ergasterには言語と呼ぶことができたものを使用する能力があったのが想像できます。


 [ 注記 ]
 すぐ上では、ホモ・エルガステルが発声機能をもつことが示されているが、それでも現在のように複雑な発声機構をもっていたとは言えないだろう。
 実を言うと、人間の発声機構は、ものすごく複雑だ。そのことは、歌を聴けばわかる。人間が楽器によって人間の声を真似ようとしても、とても不可能だ。どのような楽器も、人間の声のように複雑な演奏をすることはできない。(せいぜい高低と大小だけだ。)
 なぜか? 人間が楽器で操作するときには、十本の指(と2本の足)しか使えないからだ。一方、発声機構においては、さまざまな筋肉を複雑に制御できる。「脳のホムンクルス」からしても、発声機構がどれほど複雑な制御をなしているかわかる。
 そして、そのような複雑な制御や複雑な発声機構は、当初のホモ・エルガステルにはまだ備わっていなかったはずだ。実際に備わったのは、たぶん、ネアンデルタール人になってからだろう。( → 参考サイト
 それでも、ネアンデルタール人やクロマニョン人が誕生してから、約2万年前に言語(ラング)が生じるまでには、非常に長い時間がかかったわけだ。



 ※ 以下の話は、読まなくていい。間違いというわけではないが、
   いっそう詳しい話を、次項で論じる(予定)。
   どうせ読むなら、次項を読んでほしい。

 [ 余談 ]
 次の疑問が生じるかもしれない。
 「東アジアの方がずっと早く言語が生じたのに、欧州の方が早く文明が発達したのは、なぜか?」
 もしこう思う人がいるとしたら、歴史を全然理解していないので、考えを改めるといい。
 欧州では早く文明が発達した、ということはない。欧州なんて、歴史的には、ずっと遅れていた。なるほど、ギリシア・ローマ文明はあったが、それ以前にあったのは、エジプト文明やフェニキア文明だ。だいたい、(英語の元となる)ゲルマン人なんて、当時は野蛮民族扱いされたいた。
 ひるがえって、アジアでは、インダス文明もあったし、中国文明もあった。別に欧州が先んじていたわけではない。欧州(特に北部)は、どちらかと言えば辺境だった。
 その後、ギリシア・ローマ文明は栄えたが、その次には、暗黒の中世がある。その時期には、アラブ文明が世界最先端だった。(サラセン帝国。)
 ただし、その後、ルネッサンスが起こり、ヨーロッパ文明は一挙に発達した。当時の絵画(ダビンチなど)を見ても、そのレベルの高さに驚く。ただしこれは、ヨーロッパ単独で生じたわけではなく、その前のアラブ文明の蓄積の上に生じたものだ。
 その時期、中国は独裁政治で停滞していた。ただし、日本では、世界でも稀に見る安定した文明が栄えていた。奈良時代・平安時代がそうだ。仁徳天皇のような優れた見識を持つ人物も現れた。
 その後、日本は武家政治とともに戦乱にまみれることになるが、それでも、奈良時代・平安時代があったということは、特筆に値する。また、続く鎌倉時代には、実朝が素晴らしい和歌集をつくった。それは現代の詩歌と比べても遜色がない。(むしろ最近の現代小説の方がずっと劣っている。村上春樹なんて、実朝の和歌よりもずっと劣る、とさえ言える。オタクと同じで、書くものに魂がない。)
 というわけで、歴史というのは、なかなか単純ではなくて、興味深いものなのだ。数百年前の昔の人間を、「今日の人間よりも頭の悪い人間」だと思うとしたら、とんでもない間違いだ。この件は、下記項目でも論じている。
  → 「無常という事」解題

 [ オマケ ]
 土器と聞くと、「石器や青銅や鉄器との関係は?」と思う人もいるだろう。そこで、ついでに答えておく。
 人類の歴史はおおむね、「石器時代 → 青銅器時代 → 鉄器時代」と区別される。土器の時代は、石器時代の後半であり、「新石器時代」とも言われる。……ただしこれは、ヨーロッパの歴史に基づくもの。日本では、青銅器と鉄器は同時に伝わっている。
 印欧語圏で青銅器が生じたのは、紀元前3500年ごろ(メソポタミア・エジプト)からなので、楔形文字の誕生とほぼ同時期である。これはつまりは、「文明の確立」「社会制度の確立」から来るものだろう。(金属器を作るには、専門の金属職人が必要だが、そのためには、社会的な分業が必要だ。そのためには、社会や国家が形成されている必要があるが、そこでは、文字言語が重要だ。)
 このあたりは、私の見解は特に必要ない。Wikipedia などで調べてほしい。


posted by 管理人 at 00:12 | Comment(15) | 歴史 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
 [ 付記2 ][ 付記3 ]を加筆しました。
 タイムスタンプは上記 ↑
Posted by 管理人 at 2009年10月04日 09:32
言語は農業に起源を持っているという説があります。「農耕起源の人類史」という本で詳細が展開されています。この本はタイトルのとおり農耕起源についての本ですのでそちらも勉強になります。特定の要因についての結論は避けられているのですが、農耕社会の形成は非常に困難な歴史の連続であったことが推論されています。私としては自生的秩序の形成が非常に困難であることと対応しているようで興味深いのですが。
ところで土器についてですが、それもまた農耕社会の賜物ではないでしょうか?

農耕→言語

土器

蓄積様式の変化から見た産業様式でいえば、狩猟に対し牧畜と農耕はより蓄積様式としては適していると考えられます。そのような中で言語、技術、土器などの保存容器が結果として発生したと考えることが出来るのではないでしょうか?
多分正確には農耕社会の発展とそれらの発展が相互に影響し合って進展していたと考えることが妥当なのでしょうが。
Posted by 赤いたぬき at 2009年12月21日 11:33
 縄文人は農業をしないで採集生活を送っていましたが、集団生活の村社会を構成していたので、明らかに言語を使っていたと思えます。文字は使わなかったが。農業なしでも言語は可能。

 初期言語は狩猟社会でもすでに使われていたはずです。農業はずっと後。
 赤ん坊が「ぱぱ、まま」と言うのは簡単だが、農業をするのは十歳の子供でも無理。
 本文の最後でも述べたが、初期言語の発生は原人のレベル(数百万年前)から生じているはずです。一方、農業は数万年前から。
 初期言語が先、農業や文化は後。

 社会的言語(ラング)は……それはまた別の話。
Posted by 管理人 at 2009年12月21日 12:58
興味深く読まさせてもらいましたが。どことなしに違和感を感じました。特にパロールとラングという語の捉え方に違和感を感じました。

私も昔はソシュールに興味があって一般言語学講義や関連書籍を読んでいましたのでソシュールの思想はおおよそ、わかります。

ラングなきパロールは無い。ということです。どこか時代に子供が生まれたとして、その子供は親から言葉を教わる(母と父の区別、目や鼻、口などの名前その他、それからそういう語の用い方)ことになるでしょうけども、その子の親はラングの法則にもとづいた発話(パロール)をすることになりますよね。その親が子供だったころにも、その親の親がラングに基づいたパロールをしていたはずです。だからラングがなくてパロールだけある。というのはありえないのではないでしょうか。

土器がなぜ作られたかという問いについては、私の憶測ですが、首長や王というような支配者、とその他一般人という階級が生まれたからではないか、と思います。人間は自分だけ食えればいい。と考えていると、あまり創造的な仕事はできないでしょうから。エジプトのピラミッドも王という支配者を人々が支持していたから、作ることができたのだと思います。

王という語もいつ生まれたのか考えたら不思議でしょうね、「大人」や「男」や「女」などの語は実体があるから、生まれる。しかし、「王」という語に対応する実体はない。ただ王と呼ばれる普通に人間がいるだけ。ソシュールの思想では言葉はモノの名前ではないので、不思議ではないとは言えるのですが。王というシンボルをなぜ人間が発明したのか、それは不思議ですね。

土器を作るには数字が使えることも重要だったでしょうね。数字というシンボル体系が使えないと人間はなにもできないでしょうね。

おさまりが悪いですがこのへんで失礼。
Posted by まえやま at 2010年03月14日 23:53
 ラングという言葉には、実は二通りあります。
  ・ 社会全体で共有される言語体系(社会の成立が前提)
  ・ 個人の頭のなかにできる言語体系。

 本項で述べているラングは前者。
 あなたの述べているラングは後者。

 こう理解すればいいでしょう。
Posted by 管理人 at 2010年03月15日 07:29
お返事ありがとうございます。

しかしやはり納得はいきません。

人間の頭脳にはランガージュ能力があるから、ラングが生まれるのですが、ソシュール自身がラングはすぐれて社会的なものである。と、主張していたはずです。

人間は他者のパロールに触れたり、みずからパロールをするのでラングの法則を理解できるのです。

例を挙げると、数学や算術なら0の発見が、ありましたが、0という記号をパロールしてくれた一人か少数の人間がいたから、0が使用できるようになった。しかし、0という記号はラングの法則(この場合数学)に完全になじんでいるのであり、既存の数学のラングから逸脱してはいない。

だからパロールのないラングはない。

日本人なら日本語のパロール(おしゃべりや本)に触れるから日本語のラング(言語構造)を身につける。というか理解する。

本(石版、粘土板、木簡、陶片含む)はパロールです。本というパロールが一冊も無いとラングを理解してもらえる可能性が極めて小さくなる。

イギリス人なら英語のパロールに触れるから英語のラングを身につける。

英語のパロールに触れていない日本人は英語のラングを理解しない。だからやはりパロールのないラングというのはありえない。と考えたのです。

南堂さんのラングの解釈には返信の部分も含めて違和感を感じました。しかし、考えさせていただきありがとうございました。
Posted by まえやま at 2010年03月15日 19:25
失礼しました、少し訂正。

だからパロールのないラングはない。

ではなく。

だからラングのないパロールはない。

でした、失礼しました。

言語の集積というのは、つまりはパロールの集積という意味にとるのが、ソシュールの考えかたに近いのではないでしょうか。

上のコメントにも書いたように、本などはパロールですから。ラングがあるから本がパロールとなってあらわれ出る。

標準語や方言が確立するためには、それらの言語(ラング)を多くの人々がパロールをして支えていた。ということを意味しているはずです。集積していたのはやはりパロールではないのでしょうか。

Posted by まえやま at 2010年03月15日 19:38
何だか根本的に勘違いしているようですが、本項の話題は「ラングとパロールの関係」という言語学の話題ではなくて、「ラングはいかにして誕生したか」という歴史的なことです。

あなたの言っていることは間違いではありませんが、言語学の場で語るべきことであり、(いまだラングが形成されていない)何万年も前の話題の場で語るべきことではありません。
Posted by 管理人 at 2010年03月15日 21:09
>>人類の歴史はおおむね、「石器時代 → 青銅器時代 → 鉄器時代」と区別される

「器」で区別すると、
「腕器時代(無器時代)→葉器時代→革器時代→木器時代→土器時代→合成樹脂器時代(プラスチック器時代)」
という事になるんでしょうか。
腕器時代と葉器時代の間に骨器時代(頭蓋骨器時代)が在りそうな気もしますが。
Posted by ヒルネスキー at 2010年05月06日 02:48
1、お説によれば、膠着語は東アジアにだけ存在するという理屈になりますが、他にも存在するようですよ。
2、土器が言語発生の証明となるなら、他の人類の発明も全部言語発生の証明になります。理屈はどうとでもつきます。

中国を中心にすえるのは無理がありますね。

Posted by 匿名 at 2010年05月16日 00:25
> 膠着語は東アジアにだけ存在するという理屈になりますが、他にも存在するようですよ。

 他にも存在するのはわかっています。中東にあります。しかしそれは伝播したものと見なされます。
 「膠着語は東アジアにだけ存在する」のではなくて、「東アジアの言語は膠着語が主体だ」ということです。
 比喩的に言うと、「日本人は日本語を話す」という命題に対して、「英語を話す日本人もいるぞ」とか、「日本語を話す外人もいるぞ」という反論が出ますが、それは反論としては無意味です。多少の例外があっても、基本そのものは揺るぎません。

> 土器が言語発生の証明となる

 証明ではなく、推定の根拠です。名探偵ホームズの推論みたいなもの。あやふやな根拠から真実を推定する、という立場。絶対的に正しいという証明はできない。ただし、結果的に真実を見出すことができる。推定の形で。(証明ではない。)
 何もわからない状態よりは、曖昧な根拠でも真実を見出す方が大事だ、という立場。
 厳密な証明がしたいのなら、考古学なんかやらないで、数学者になってください。ちなみに、物理学だって、厳密な証明は皆無です。証明ができるのは数学だけです。
 ただし数学は、現実的な成果がほとんどゼロです。
 「数学は処女のように純粋だ。だから子供を生まない」(アインシュタイン)

> 中国を中心にすえるのは無理がありますね。

 完璧に誤読しています。私の主張は「中国は東端にある」ということです。中心じゃなくて、端です。
Posted by 管理人 at 2010年05月16日 09:01
>>「腕器時代(無器時代)→葉器時代→革器時代→木器時代→土器時代→合成樹脂器時代(プラスチック器時代)」

・・・・・・そう言えばカメ(亀)がいた!
(リクガメの?)亀器が最初の器か!
カメ(甕)って言葉もあるし!
Posted by ヒルネスキー at 2010年12月13日 00:22
記事を読み返してみると、私が、以前コメントした内容はかならずしも正確ではないですね。すいません。

ただし、ラングは社会の成立が前提という南堂さんの指摘は誤解が生じそうな表現ですね。

たしかにソシュールの言うラングは社会的なものですが、この社会とは村や都市や国を意味するのではありません。それからソシュールの言うラングは日本語や英語やアラビア語などの言語体を意味するものでもありません。

ラングという概念は、人々との関係の中で共有される言語を可能にする構造体、という意味でしょう。

ラングは社会に共有されるということの意味は、単に人間同士の関係の中でラングは共有される、というだけのはずです。(いつの時代であっても)

「言語と肩を並べ、言語と対比できる社会制度は見つかりません。」(『ソシュール一般言語学講義』p11より引用)

では社会が成立する条件は何であるのかというと、結婚制度、家族制度ということになるのでしょう。レヴィ=ストロースが言うように、簡潔に表現すれば、「社会とは女性を交換するルール」です。社会は女性を交換するルールにより成り立っている。つまりは、どの時代であっても人間社会は結婚制度、家族制度によって成り立っています。そして、結婚制度、家族制度が成立するのに必要な要素は言語です。いとこの分類の仕方が民族ごとに異なるのは家族というものは言語によって発明された制度であるからなのでしょう。人類は言語の発明と家族制度の発明をほぼ同時期にしているはずです。そうでなければ人口の再生産がうまくいかなくなりますから。人間は食料確保の問題とは別に人口の再生産の問題を考える必要に直面していたはずです。人口の再生産を問題なく維持できる形の家族制度を発明できれば、その民族は長く存続することができたでしょうね。そして、人口の再生産に支障がでるような家族制度を持つ民族は存続できずに滅びたはずです。

人類の存続や発展という視点から考えればテクノロジーというものは枝葉末節の問題にしか思えません。

もちろんこの記事の趣旨は、ラングはいかにして生じたのかということだとは承知しましたが。

ラングが生じたのは人間が結婚のルールを持つ必要があったから、というのも正しいのではないでしょうか。そう考えました。
Posted by まえやま at 2012年05月09日 00:24
 別の項目で解説した本
  → http://books.meblog.biz/article/2502374.html
 を読むといいですよ。特に、第15章。

 結婚との関係で言うなら、一夫一婦制が確立したのは、ここ千年ぐらいのことです。それ以前には雑魚寝の乱婚が多かった。それでも言語はありました。


 
Posted by 管理人 at 2012年05月09日 00:55
 最古の土器が発見された。2万年前のもの。中国で。
 → http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2886850/9189399
 → http://www3.nhk.or.jp/news/html/20120629/k10013196171000.html

 なお、「銃・病原菌・鉄」の著者は、(和訳が刊行されていない)「補章」において、次のように述べている。

世界最古の土器は、12,700年前に日本で作られたものだ。……いまだに世界記録を保持しているのは日本で、肥沃な三日月地帯やヨーロッパに比べて、日本の土器は数千年も古い。
( → http://cruel.org/diamond/whoarethejapanese.html
Posted by 管理人 at 2012年06月29日 20:45
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