書き直した項目は、下記にあります。そちらを読んでください。
→ Open ブログ 「文明の形成」
──
《 以下はすべて取り消します。 》
初期文明の発生は、土器を見るとわかる。( → 前項 )
このことと、古代の都市文明の発生を照合しよう。すると、文明が次のように移動したことがわかる。
中国 →(インダス)→ メソポタミア → エジプト → ギリシア → ローマ
つまり、古代の文明は西進した。
──
古代の文明は西進した。このことは、世界地図を見るとわかる。

この図からわかるように、
中国 →(インダス)→ メソポタミア → エジプト → ギリシア → ローマ
という順序は、「東から西へ」という順序だ。このように大きな流れがある。これは非常に重要なことだ。
このことと、土器の発見と、言葉の発生とを考えると、以下のように重要な認識をすることができる。
(1) 人類の東進
人類は東進した。まず、現生人類(ホモ・サピエンス)は、約 20万年前に、アフリカで誕生した。その後、スエズ運河のあったところ(地峡)を渡り、西アジアを経由して、北は欧州に移り、東はアジアに移った。
ヨーロッパ
↑
アフリカ → 西アジア → 南アジア → 東アジア
ヨーロッパ方面への進出は白色人種という亜種をもたらしたが、アジア方面への進出は黄色人種という亜種をもたらした。( ※ 詳しくは Wikipedia の「モンゴロイド」「人種」などを参照。)
なお、アフリカを出たのは6万年前で、アジアの東端に達したのは3万年前、との推定もある。
(2) 初期文明の西進
いったん東アジアに到達した人類は、そこで土器を発明し、言葉を発明した。( → 前項 )こうして初期文明ができたあと、この初期文明は、上記の「人類の東進」と(ほぼ)逆の方向をたどって、西進していった、と推定される。(仮説)
ヨーロッパ
↑
アフリカ … 西アジア ← 南アジア ← 東アジア
これは仮説だ。この仮説を裏付けるために、以下のことを示す。
(3) 都市文明の西進
初期文明からさらに発展した都市文明を考えよう。人類が都市文明を形成するようになると、立派な遺跡が残るようになる。そこで、古代の都市文明を見ると、冒頭の地図の通りになる。再掲しよう。

この図からわかるように、
中国 →(インダス)→ メソポタミア → エジプト → ギリシア → ローマ
という順序がある。つまり、「東から西へ」という順序が。
具体的に文明発祥の年代を示すと、次の通り。(出典は Wikipedia など。)
・ 中国(長江) …… BC 7000 〜 BC 5000 ごろ (農耕は BC 12000ごろ)
・(インダス)……… BC 3000 ごろ
・ メソポタミア … BC 5500 ごろ(農耕は BC 9000 〜 BC 8000ごろ)
・ エジプト ……… BC 4500 ごろ(農耕は BC 9000 ごろ)
・ ギリシア ……… BC 1500 ごろ
・ ローマ ……… BC 500 ごろ
ここで例外はインダスだ。(少しだけ時期が後になっている。)
一方、インダス以外では、「西に行くほど時代が新しい」というふうになっている。つまり、文明発祥の時期を見る限り、「文明は西進する」と言える。
ただし、中国(長江)とメソポタミアは「文明発祥」と言えるが、エジプト・ギリシア・ローマは、「文明発祥」というよりは、他の土地で発症した文明が流れ込んで都市文明になった、という形だ。
( ※ 以上の記述と数値は、最初に本項を記述したときとは、記述内容を変えている。)
(4) 文明の西進
以上の諸点を勘案して、次のように推定できる。・ 人類の初期文明は、東アジア(中国)で誕生した。
・ そこでは、まずは言葉が生じ、次に土器が生じた。
・ 初期文明は、地球を西進していった。
・ 初期文明の西進から数千年 遅れて、都市文明が各地で発達した。
・ インダスでは、初期文明から都市文明までに、時間がかかった。
・ 初期文明の西進にともなって、各地で言葉がまとまった。
・ 初期の言葉は中国語だった。
・ 中国語から発展する形で、アルタイ語(膠着語)が生じた。
・ アルタイ語は、中国語には影響を及ぼさず、周辺で混合した。
(タミル語と古代日本語との類縁性[ 大野説 ]もこれが理由。)
・ インドでは、アルタイ語から分岐して、印欧語が生じた。
・ 印欧語は、山脈に遮られ、アルタイ語から分断された。
(山脈は、ヒマラヤ山脈とアラカン山脈。)
・ 初期文明がメソポタミアに至ったのは、BC 9000 のシュメール人の移動。
・ 初期文明がエジプトに至ったのは、BC 5000 の、バダーリ文化の頃。
・ 初期文明がギリシアに至ったのは、BC 2000 のアーリア人の移動。
・ 各地に初期文明が到達したあとで、各地で都市文明が発生した。
・ 初期文明の西進は、人の移動による情報伝達だった。
・ 都市文明の西進は、各地で都市文明が独自に誕生したことによる。
※ 上記では傍系の文明を省略した。「フェニキア」など。
(5) 二通りの西進
以上のうち、特に最後の二点が重要だ。まとめれば、こうだ。「初期文明の西進は、人の移動による情報伝達だった。当然、各地の初期文明は、つながりがあった。そこには強い影響関係があった。言葉にしても、文化にしても、各地の初期文明には関連性があった。一方、各地の都市文明の西進は、各地で都市文明が独自に誕生したことによる。」
図式的に示そう。
(A)初期文明は、次のような流れがあった。
西 ←─────── 東
これは、水の流れのような、連続的な流れだ。人が移動することで、文化や言語も移動した。( or 伝播した。拡散した。)
(B)都市文明は、次のような時間差があった。
T1 ●
T2 ●
T3 ●
T4 ●
T5 ●
時間が移るにつれて、 ● が移動するように見える。しかし本当は、それぞれの ● はまったく別のものである。何かが移動しているように見えるが、実際には何も移動していない。単に発生時期がずれているだけだ。
( ※ 比喩的に言うと、サッカー場で「人のウェーブ」がある。ここでは、巨大な波が移動しているように見えるが、実際には、人の立ったり座ったりする時期がずれているだけだ。何かが横に移動しているわけではない。)
このように、初期文明の西進と、都市文明の西進は、まったく別のことである。
ただし、注意。初期文明の西進があったから、都市文明の西進も起こったのだ。両者は大いに関係がある。(別々のことではあっても、無関係ではない。)
初期文明の伝達から、都市文明の発生までには、各地で時間差があった。そのせいで、都市文明の西進には、いくらかズレが生じることもある。
その例が、インダス文明だ。初期文明の伝達から、都市文明の発生までには、かなり時間がかかった。そのせいで、あとになって初期文明の伝達したメソポタミアで、先に都市文明が生じてしまった。
ともあれ、こうして、初期文明の西進と、都市文明の西進が、関連的に説明された。
( ※ ここから何がわかるか、ということは、あとの項目で述べる予定。とりあえず現時点では、「文明の西進」という重要な点を理解すればいい。)
このあとは、補充的な話。以上の話のための根拠など。
[ 補足1 ]
中国が最古の文明の発祥地であり、かつ、最古の言語の発祥地である、ということには、根拠がある。
第1に、(初期)文明については、土器だ。土器から文明の存在が推定される。これは、前項で述べたとおり。また、上記サイト(長江文明)にも、B.C. 14000に土器があった、と記されている。同時期に、日本にも縄文式土器があった。
第2に、言語については、言語学的な推定がなされる。中国語は最も古い言語だと見なされる。Wikipedia の記述から紹介しよう。中国語は「現存する世界最古の言語」だという。(ギネスブック認定。)また、古代漢語は紀元前15世紀に生じていたという。(The New Encyclopaedia Britannica からの転載。)また、文法は、最も原始的な「孤立語」である。つまり、活用形がない。格変化や助詞に相当するものがなく、格を表示することができない。主格や目的格は、語順と意味によって推測がつくだけだ。(一応、助詞や前置詞のような働きをする語もあるが、それがどの語にもくっつくわけではなく、あくまで例外的なものだ。)
以上の二点から、文明でも言語でも、中国語は世界最古のものだと見なせる。実際、最低でも 1万5千年前で、おそらくは2万年前に遡るはずだ。これは、その後の他の文明よりも、ずっと早い。
[ 補足2 ]
初期文明がどのようなものであったかは、日本の縄文時代の研究から、かなりわかってきている。
30〜40年ぐらい前までは、「縄文人は原始人みたいな生活をしていた」と見なされていた。石器をいじって、狩りをして、言葉も使えずに、非人間的な生活をしていた、猿か原始人みたいなレベルの人々だった、というふうに。
しかし近年、縄文人はかなり文明的な生活をしていたことが判明している。詳しくは、下記ページを参照。
→ 縄文人のくらし
これはまあ、途上国にいる現代人みたいな生活である。70年ぐらい前のニューギニア人やピグミーみたいな未開人の生活ではない。かなり文明的だ。特に、漆塗りに至っては、そこに明白な文化があることに驚かされる。(普通の現代人は漆塗りを作る知恵さえもない。その意味で、縄文人は普通の現代人よりも賢い、と言える面がある。部分的だが。)
上記のページを見ればわかるように、日本では1万5千年前ごろから、すでに初期文明はできていた。初期文明はこれほどにも豊かだったのだ。そして、同様のことは、世界各地でも起こっていたはずだ。
たとえば、メソポタミアのシュメール人でも、古代エジプトでも、古代ギリシアでも、都市文明が形成される前に、農耕民族の文明があったことが知られている。それは日本の縄文時代と同様で、かなり立派な文明であったはずだ。
その後、メソポタミアであれ、エジプトであれ、ギリシアであれ、都市文明が栄えるが、それらの都市文明は、決していきなり生じたわけではない。その背後に、数千年に及ぶ初期文明があったのだ。だからこそ、歴史上にいきなり出現した都市文明が、どの都市文明でも非常に高度なものであったのだ。
例。
メソポタミア文明 …… 道路や城壁は立派なものであり、高度な数学や天文学も形成されていた。( 資料 ,NHKの番組の紹介 )
エジプト文明 …… ピラミッドの建築のみならず、黄金のマスクを作った。また、外科手術までなされた。( 解説 )
ギリシア文明 …… ミロのビーナスやギリシア悲劇を持ち出すまでもなく、非常に高度に発達した文明だった。日本文化がこの水準にまで達したことは、いまだにいっぺんもない、とすら言える。
とにかく、文明開化以前の日本と比べても、これらの都市文明がいかに優れていたかがよくわかる。そして、そういうものは、歴史の教科書では「いきなり出現した」というふうに書かれており、「それ以前は資料がないので不明」とされているが、実は、そこには、日本の縄文時代にも似た、豊かな初期文明の歴史があったはずなのだ。
そして、そのような豊かな初期文明があったことの理由は、言葉が存在したことだ。言葉があるからこそ、さまざまな工業技術はなくとも、かなり高度な文明社会を築くことができた。
[ 補足3 ]
補注のような形で、原則を微修正しておこう。
都市文明は、それぞれの地で独自に発達した、と考えられる。ただし、たがいにまったく無関係であったとは思えない。何らかの影響もあっただろう。(原則に対する例外の扱い。)
その一例として、神話の形成が考えられる。エジプト神話と、メソポタミア神話やギリシア神話とを比べると、類似性が見られる。
たとえば、スフィンクス。最初に古代エジプトにあったスフィンクスは、ピラミッドの横にある巨大像のようなもので、地平の神である。それは男の顔をしたライオンの姿をして、神聖な存在である。一方、メソポタミア文明にあったのは、女性の顔と、鷲の翼をもち、怪物である。ギリシア文明でもほぼ同様だ。(詳しくは → Wikipedia )
このような神話の類似性からして、それぞれの文明には何らかの関係があったと推定できる。つまり、何らかの影響はあったはずだ。
[ 補足4 ]
最後に話をまとめよう。
世界の都市文明は、西進してきた。その理由は、初期文明が西進したからだ。初期文明は、2万年ほど前に中国で発生し、その後、西進していった。その途中で、孤立後の中国語から、膠着語であるアルタイ語や、屈折後である印欧語などが派生した。初期文明は言葉とともにひろがった。言葉が初期文明をもたらした。そして、その初期文明が長年の間にたくさん蓄積したから、立派な都市文明が各地で開花した。
また、都市文明の開化は、文字の発明とほぼ同時期だった。おそらくは、文字の発明が、知識の蓄積と普及をもたらし、人類の知識段階を大幅に高めたのだろう。大切なのは、言葉である。特に、文字である。
このように、人類の文明の発達は、言葉の発明と歩調を合わせた。口承言語としての言葉の発明は、初期文明をもたらした。文字の発明は、都市文明をもたらした。
つまり、言葉が文明をもたらしたのだ。このことは、非常に重要である。
【 追記 】
世界の言語系統は、印欧語族、アルタイ語族のほかに、セム語族がある。これは楔形文字の研究から、シュメール語よりも古い系統だと見なされる。そのシュメール語も、印欧語よりは古いようだ。
以上から私見を示そう。最古が中国語で、そこからセム語族やシュメール語が派生し、さらにシュメール語から印欧語族が派生した。一方、中国語からは独自にアルタイ語族が発生した。このように考えると、地域の分布と整合する。
アルタイ語族は、新モンゴロイドと関係する。新モンゴロイドの分岐は分子生物学の知見から、1.3万年前と推定されているので、時期的にも整合する。
セム語族は、現在では中東の一部に存在するが、この語族があることは、何らかの文明があったことを窺わせる。それは都市文明でなく初期文明であったはずだから、特に大きな遺跡などを残す必要はない。地理的には、バビロニア(メソポタミア南部)とエジプトの中間が妥当だから、現在もセム語族の残るイスラエルやアラブの領域がその地域だろう。この意味でも、「文明の西進」は補強される。つまり、冒頭の地図において、「メソポタミア南部」と「エジプト」の中間に「セム語族の文明」を想定していい。それは都市文明ではなく初期文明である。(メソポタミア南部からエジプトにかけての地域は、肥沃な三日月地帯とも呼ばれる。)
なお、エジプト語は、アフロ・アジア語族の一部であるから、セム語族とは兄弟関係に当たる。この点からしても、エジプト語やセム語が、中国語と印欧語の中間段階に位置することが推定される。
このような言語の流れは、文明の流れと、ほぼ同一であろう。「文明の西進」は「言語の西進」でもあったわけだ。
( ※ また、それとはまったく別個に、新モンゴロイドの系統が生じたことも推定される。こちらは「言語の北進と展開」と言うべきものか。)
( ※ ドラヴィダ語の系統は不明だが、アルタイ語族との類似性が指摘されている。地理的には、アルタイ語がインドに拡散したあとで、印欧語がインド北部を占有したので、ドラヴィダ語はインド南東部に取り残された、と見なせば説明が付く。ただ、人種的にはドラヴィダ人が新モンゴロイドでないのが不思議だ。ただ、ドラヴィダ人が古モンゴロイドであることからすると、新モンゴロイドの人種的な分岐は、アルタイ語族の発生よりもあとで部分的に生じた、と考えれば説明が付く。とすると、アルタイ語族の発生は、新モンゴロイドの生じた 1.3万年前よりも古いことになる。)
また、最後に 【 追記 】 を加筆しました。