◆ ハンプティ・ダンプティ (Humpty Dumpty):  nando ブログ

2010年01月11日

◆ ハンプティ・ダンプティ (Humpty Dumpty)

 ハンプティ・ダンプティは、マザーグースの一つ。ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」にも登場する。英語圏では誰もが知っている有名な童歌。
 ところが、これは、日本語ではうまく理解されていないようだ。どこがポイントなのかも、うまくつかめていないようだ。そこで、私が説明する。

 ──

 【 原文 】

   Humpty Dumpty sat on a wall.
   Humpty Dumpty had a great fall.
   All the king's horses and all the king's men
   Couldn't put Humpty together again.


 【 直訳 】

   ハンプティ・ダンプティは塀の上に座ってた。
   ハンプティ・ダンプティは大きく落ちた。
   すべての王さまの馬と人がみんなでやっても
   ハンプティを元には戻せなかった。


 【 一般解説 】
 これは、なぞなぞであり、その答えは「卵」である。そのこころは、「回復不可能なこと」である。

 ──

 以上読んでも、何のことだか、ピンと来ない人が多いだろう。
 そこで私が、わかりやすい訳を示す。

 【 新訳 】

   ハンプティ・ダンプティ 塀に乗る。
   ハンプティ・ダンプティ 落っこちた。
   馬が引いても 人が押しても
   ハンプティを元には戻せない。


 「なぜなら割れちゃったから」というのが、オチである。

                 (南堂久史・訳)

 ──

 で、これの面白さは、どこにあるか? 
 「 put ... together again 」という言葉の多義性にある。
 これを熟語で見ると、「元に戻す」(バラバラになったものを集めて復元する)という抽象的な意味になるが、単に「 put 」だけを見ると、「置く」という意味になる。
 だから、最後の together again まで読まないと、「いくら置こうとしても……」という感じで読める。
 で、「いくら置こうとしても……」という感じで読んでいたら、なぞなぞの解答としては、「(バラバラになったものが)抽象的に回復不可能」という意味に転じてしまった。そこに、多義性の面白さがある。

 というわけで、英語の「 put 」という言葉の多義性を理解しておかないと、面白さがわからないわけだ。意味だけ見て、「元に戻らない」というふうに意訳しても、面白さが伝わらない。
 特に、最初から抽象的な意味で「元に戻せない」というふうに訳したのでは、ちっとも面白くない。むしろ「置き方を元のような置き方に戻せない」という感じで訳す方がいい。

 ──

 ともあれ、ここには、シャレがあるわけだ。
 こういうシャレとしては、日本語で言うと、次のような例も考えられる。
 「覆水盆に返らず、って知っている?」
 「星一徹がちゃぶ台をひっくり返したこと?」
 ここで、「覆水盆に返らず」を抽象的な意味で理解するだけでは、面白さは伝わらない。

 ま、マザーグースというのは、ほとんどがシャレである。シャレがあるのだから、シャレを理解しないで、意味だけ訳しても、ちっとも面白くない。
 まして、「マザーグースの知識」なんていうのを、知識として勉強しても、ちっとも面白くない。
 「言葉の面白さ」というのを理解しないで、英語の知識だけ勉強しても、まともには理解できないのである。



 [ 参考 ]
 ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」にも、ハンプティ・ダンプティが登場する。
   → Wikipedia (図つき)

 ここにもハンプティ・ダンプティの例が見られる……と思ったら大間違いなので、注意のこと。( Wikipedia の解説は十分ではない。)
 ルイス・キャロルの「鏡の国のアリス」は、言葉遊びの童話である。そこでは、言葉そのものがいろいろと面白おかしく使われる。たとえば、お勉強の lesson はだんだん時間が短くなる。なぜなら lessen だからである。(ダジャレ。)
 ニヤニヤ笑いをする猫(チェシャ猫)は、猫がだんだん消えていくと、そのあとに、ニヤニヤ笑いだけが残る。猫が消えて、笑いだけが残る。……これをアニメ化したのがある(ディズニーだったか?)。そこでは、猫の口だけが残って笑っていたが、とんでもない。口だけが残るのでなく、笑いという抽象的なものだけが残るのだ。(このイメージの由来は「チェシャ猫のように笑う」という慣用句。)
 同様に、「三月のウサギのように気が狂っている」から、気違いふうの「三月ウサギ」というキャラクターも出現する。
  → Wikipedia(由来の慣用句)

 ハンプティ・ダンプティも同様である。ハンプティ・ダンプティは、もともとは「なぞなぞの答え」としての存在にすぎなかった。それを擬人化して、童話の登場人物にさせたのが、「鏡の国のアリス」だ。
 だから、「鏡の国のアリス」に出てくるハンプティ・ダンプティを、「ハンプティ・ダンプティの一つの姿」と見なすのは、妥当ではない。これは一種のパロディだからだ。
 
 日本語で言うと……ちょっとうまい例が見つからないが、次のような例がある。
 「キ印」という言葉にならって、頭に「キ」という印を付けた登場人物がハチャメチャな行動をする。
 「へそで茶を沸かす」という言葉にならって、笑っている人の腹にヤカンを載せて省エネ湯沸かし器。

 ──

 ともあれ、「鏡の国のアリス」の挿絵に出てくるハンプティ・ダンプティを、本物のハンプティ・ダンプティだと思ってはならない。あれは(挿絵画家でなくルイス・キャロルが)擬人化したものにすぎない。本物のハンプティ・ダンプティは(抽象的な)「なぞなぞの答え」と見なすのが正しい。特に、「卵」という答えが出る前のもの(問題段階のもの)だ。
 その意味で、「ハンプティ・ダンプティとは卵のことだ」という認識は、誤りである。それは、「問題は答えである」というような表現であり、馬鹿げている。「ハンプティ・ダンプティ」というのは、なぞなぞの問題文の中だけに現れる存在だ。



 【 関連サイト 】

  → 金井美恵子の詩(ハンプティ・ダンプティ)
 
 面白い詩なので、ご一読をお勧めする。
 最後にオマケで書いてある石原慎太郎の評も、傑出している。
 
 この人は頭がいいですね。感心する。
 


 【 関連項目 】

 「不思議の国のアリス」と「鏡の国のアリス」という書籍そのものについては、下記で紹介している。

  → 知的な書評ブログ「不思議の国のアリス」
 
posted by 管理人 at 21:49 | Comment(0) | 一般 このエントリーをはてなブックマークに追加 
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