「知的生産の方法」について、あちこちでハウツーが示されている。本項では、ハウツーのかわりに、基本原則を示す。
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「知的生産の方法」というと、古くは「京大式カード」というものがあった。今では化石みたいなものだが、パソコンのない時代にはそれなりに有益だった。ともあれ、そこでは、あれこれとハウツーが示されていた。(書名は「知的生産の技術」)
現代でも、似た話題で、あれこれとハウツーを示す本が売れている。特に勝間和代がそうで、「これを読めば知的生産が 10倍」というふうにホラを吹く。また、経済雑誌にも、同じ話題の記事がしばしば掲載される。(「 Google アプリで生産性 5倍」みたいな。)
本項では、ハウツーではなく、基本原則を示す。 (技術でなく方法。)
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そもそも、知的生産なんて、普通の人には無縁だ。学者ならば、ちょっとは実りある論文を年に何本か書くだろうが、しかし、そこでは重要なのは研究成果であって、知的生産のハウツーなんかではないはずだ。まともに研究さえしていればいいのであって、知的生産のハウツーなんか習得してもあまり意味はない。どちらかと言えば、知的生産そのものではなくて、知的生産の下準備のハウツーがあるだけだ。そんなことをいくら効率化しても、肝心の創造的な活動はもたらされない。
たとえば、クラゲの発光物質を発見したノーベル賞学者がいるが、彼にとって大切だったのは、クラゲの発光物質を探り出すための実際的な研究方法であって、知的生産の方法なんかではなかったはずだ。アインシュタインだって同様だ。どちらかと言えば、「ヒラメキの方法」でも探る方が、よほどマシだ。(といっても、探っても、見出せないだろうが。)
ともあれ、知的生産の下準備ではなくて、肝心の知的生産について、本項では話題にする。
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ノーベル賞学者みたいな天才ならば、いちいち教えを請う必要はない。天才ではない普通の人のために、ここで知的生産の方法を示そう。次の二点だ。
・ 自分がトップクラスの専門家になれるニッチな領域を選ぶ。
・ 専門領域で、非専門的な知識を導入する。
以下、順に説明する。
(1) ニッチな領域
自分がトップクラスの専門家になれるニッチな領域を選ぶべきだ。
どんな人であれ、何らかの得意分野というものがあるはずだ。その得意分野のなかで、ニッチな領域を選ぶ。そこでは自分がトップクラスになれる。
逆に言えば、自分がトップクラスになれないような、メジャーな領域を選ぶべきではない。たとえば、数学が得意だからといって、トップクラスになれないのであれば、数学を選ぶべきではない。自分よりもずっと優秀な人間がいっぱいいる領域に入っても、何の成果も上げげられずに終わってしまうだけだ。
普通の人なら、たとえば、料理みたいなことをすればいい。それも、ラーメンみたいに競争の激しい領域ではなく、もっとマイナーな料理を選ぶ。
とにかく、猛獣だらけのところに入る兎みたいになってはならない。自分が偉そうに威張れるようなマイナーな領域を選ぶべきだ。格言で言えば、こうだ。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」
( ※ これは、世渡りのための格言だが、知的生産にも当てはまる。……それがポイント。知的生産もまた、世渡りの一種かな。 (^^); )
(2) 非専門的な知識
こうして領域を選んだら、その領域で、専門家としてトップクラスになる。ここまでは当然だ。(そうなる領域を選んだのだから。)
そのあと、他の優秀なライバルに対抗して勝つには、どうすればいいか? ライバルと同じことをやっていても、勝てはしない。また、たいていの方法は、すでに他人がやっていて、自分が何か考えても、二番煎じである。せっかくひらめいても、すでに他人が考察済み、というのが普通だ。
しかし、独自性を発揮する方法もある。それは、他人が考えもしなかった方法を取ることだ。そのためには、どうすればいいか? ゼロから自分で生み出せばいいか? いや、そんな天才的なことは、まず無理だ。
そこで、非専門的な知識を導入するといい。つまり、専門分野とは別の分野の知識を導入するといい。特に、隣接分野の知識を。
たとえば、物理をやっているときに、化学や生物学や天文学の方法を持ち込む。たいていの物理学者は、化学や生物学や天文学には疎いから、化学や生物学や天文学の方法を持ち込もうとはしない。そこで、化学や生物学や天文学の方法を持ち込むことで、独自の業績を上げることができる。
ただし、である。単に化学や生物学や天文学の方法を持ち込もうとしても、化学や生物学や天文学の方法をろくに知っていないのでは、何にもならない。ただの素人の思いつきにしかならない。また、いきなり付け焼き刃で化学や生物学や天文学を学んでも、咀嚼されないままだから、ろくな思いつきは出てこない。
では、どうすればいいか? こうだ。
「あらかじめ広範な学問分野を学んで、教養力を付けておく」
つまり、教養的な読書をたくさん積んでおけばいいのだ。特に、学生時代に。また、社会人になってからも。
専門家として大成するためには、専門知識を蓄積すればいいのではない。
専門知識を蓄積すればいいのは、実務家だけだ。たとえば、医者が手術するとか、税理士が税務をするとか、弁護士が法律を扱うとか。こういう実務では、専門知識を蓄積すればいい。
一方、知的生産をするのであれば、専門知識を蓄積するだけでは駄目だ。知識をいくら吸収しても、知識を自分で生み出すことはできない。知的生産とは、自ら生み出す創造的活動なのであって、そのためには専門知識をいくら吸収しても駄目なのだ。外にあるものをどんなに吸収しても、自分の内部から外へ創出することはできない。
ともあれ、「あらかじめ広範な学問分野を学んで、教養力を付けておく」ことが大切だ。そのためには、読書をすることが大事だ。そして、読書の目的は、単に知識を習得することではない。読書体験を通じて、自分の頭を鍛えることだ。読書とは、情報を得ることではなくて、思考法を鍛えることだ。読書するときには、考えながら読む必要がある。「速読法で一冊の本を10分間で読みました、これで時間が節約できました」なんていうのは、愚の骨頂だ。むしろ、一冊の本を読むのに、たっぷりと時間を掛けて、考えながら読むべきだ。
そして、そういう読書体験を重ねていくことで、知的生産の能力を高めることができるようになる。
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結局、知的生産の方法とは、情報の整理の方法ではない。思考力を高める方法だ。そして、そのためには、思考力を高める訓練を、日頃からしておく必要がある。これこそが王道だ。
逆に、お手軽なハウツー本を読んで、短時間で一挙に知的生産力が高まると思うとしたら、その安直なお手軽な思考をただちに矯正する方が先決だろう。(そんな発想だと、ハウツー本を買うだけのカモになるだけだ。)
【 関連項目 】
→ 書評 ブログ 「読書と大学図書館」
→ Open ブログ 「知的生産とパソコン」
→ Open ブログ 「独創性と道具」
→ nando ブログ 「思考法」カテゴリ
2010年02月24日
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