◆ 自由とは何か? (政治):  nando ブログ

2010年07月01日

◆ 自由とは何か? (政治)

 リベラリズムとは、何か? それは社会的な自然淘汰主義への反発として理解される。

 ── 
  
 「自由」という概念は、今日では、経済的な意味での「自由主義」として理解されるのが普通だ。( → 前項「自由とは何か? (経済)」)
 ただし、経済的な意味とは別に、政治的な意味での「自由」というものもある。それは、特に「リベラリズム」という概念で理解される。
    cf. Freedom , Liberty
 では、リベラリズム(政治における自由主義)とは、何か?

 ──

 リベラリズムを「自由を求める主義」として理解するのは、妥当ではない。なぜなら「自由を求めない主義」(全体主義)というものは、今日では考察の対象外だからだ。
 リベラリズムを理解するには、その反対概念として、保守主義を考えるといい。この両者は、政治的には、どう違うか?
 典型的な例としては、米国の「保守党 vs 民主党」という対比がわかりやすい。また、日本の「自民党 vs 民主党」という対比がわかりやすい。また、「読売 vs 朝日」という対比もわかりやすい。(ただし最近の朝日はめっきり保守化してしまった。ここでいう朝日は、古き良き朝日のことだ。)

 こういう対比を取ると、次のように原理を示せる。
  ・ 保守主義 …… 社会における自然淘汰主義を是認
  ・ リベラル  …… 社会における自然淘汰主義を否認

 詳しくは、次の通り。

 ──

 (1) 保守主義

 保守主義は、社会における自然淘汰主義を是認する。ここで、「自然淘汰主義」とは、「弱肉強食」のことだ。
 その意味は、「各人のエゴによる社会の進化」だ。つまり、各人が自分のエゴを追求すれば、社会全体の利益が増す、という発想だ。これを経済的に示したのが、「市場原理」である。
 それと同様のことを政治的に推進するのが、保守主義だ。具体的には、次のような例がある。
  ・ 金持ちを優遇すれば、人々はいっそう努力して、社会は発展する。
  ・ 貧乏人を冷遇すれば、貧乏人は怠けられなくなり、社会は発展する。
  ・ 福祉を最小化し、競争を最大化することで、国家は発展する。

 ここでは、「エゴのための行動」というのを、積極的に肯定する。傍若無人に金儲けに励むことは、眉をひそめられても当然なのだが、そういうエゴイスティックな行動が、「国家のため」という名分に合致することになるのだ。だから、こういうエゴイスティックな行動を推進するために、金持ちにはあまり課税するべきではない。
 これが「保守主義」である。ここでは、個人の「エゴ」が、国家の「発展」に転化するので、エゴをやればやるほど善となる。また、他人に思いやりを示すようなことは、他人に怠け癖を付けさせることになるので、悪になる。

 (2) リベラル

 リベラリズムは、保守主義へのアンチテーゼとなる。つまり、社会における自然淘汰主義を否認する。社会的な「弱肉強食」を否認して、かわりに、「社会的な優しさ」を重視する。単純に言えば、「福祉重視」ないし「助け合い」だ。
 ここでは、「各人のエゴによる社会の進化」なんてものは認めない。むしろ、各人が自分のエゴを追求すれば、かえって社会全体の利益が脅かされる、と考える。
 これを経済的に示したのが、「市場原理主義への批判」だ。つまり、「競争すれば経済状況は改善する」という発想を否定するものだ。
 それと同様のことを政治的に推進するのが、リベラリズムだ。具体的には、次のような例がある。
  ・ 金持ちを優遇するより、貧しい人を救え。
  ・ 貧乏人はもともと能力がないのだから、冷遇するより救え。
  ・ 国家を発展させるよりは、一人一人の人間を大切にせよ。

 ここでは、「エゴのための行動」というのを、否定する。傍若無人に金儲けに励むことは、眉をひそめられても当然だし、「国家のため」にもならない。むしろ、応分の負担として、高率で課税されてしかるべきだ。
 これが「リベラリズム」である。ここでは、個人の「エゴ」が、国家の「発展」に転化することはない。そもそも、ここでは「国家の発展」は、あまり目的とならない。むしろ、個人レベルでの優しさや思いやりが、大切だと考えられる。

 ──

 以上でいろいろと対比したが、その根源にあるのは、社会的な自然淘汰主義である。それを認めるか認めないかで、対比が出る。

 保守主義ならば、社会的な自然淘汰主義を信じるので、自らのエゴを「善」と考えるようになる。したがって、労働者の賃金を引き下げ、経営者が莫大な利益を上げることは、「アメリカン・ドリームの実現」として、素晴らしいことだと見なされる。国民の富を奪い、ただ一人の人間が「王」としてふるまうような社会こそ、最も理想的な社会だ。そのような社会こそ、最も進歩した社会だろう。そのような国家こそ、最も強大な国家となるだろう。(具体的には、ビル・ゲイツのような人間が多大な富を得るようになるから、ビル・ゲイツのような人間のおかげで社会全体が進歩する。)
 逆に、「強者が弱者に富を与える」というような共産主義社会では、誰もが怠けて働かなくなり、国家は弱体化するだろう。共産主義こそ、社会の敵だ。
 
 リベラリズムならば、社会的な自然淘汰主義を信じないので、各人のエゴを「善」と考えるようなことはない。したがって、労働者の賃金を引き下げ、経営者が莫大な利益を上げることは、「自分勝手なエゴイズム」として、好ましくないことだと見なされる。国民の富を奪い、ただ一人の人間が「王」としてふるまうような社会は、理想に反する社会だ。それを是正するためには、富の再配分を行なう必要がある。ただし、全員一律にする共産主義は悪だから、高率の課税により、富の再配分をする。
 こうして、「自由」のみならず「平等」を実現する。「エゴ」よりも「平等」を大切にする。ここでは、「社会が進歩する」とか、「国家を強大化する」ということは、目的とはならない。大切なことは、国家を強大化することではなく、一人一人の人間が幸福になることだ。換言すれば、国全体の富を最大化することが目的なのではなく、富の再配分を通じて、「最大多数の最大幸福」ないし「不幸の最小化」が目的となる。ここでは国家よりも一人一人の人間が大切となる。人間主義とも言える。

 ──

 ここで、興味深いことがある。手段と結果とが反対になるのだ。
 リベラリズムの道を取ると、手段では国家を重視しないのに、結果的には国家は発展する。国民間の貧富の差を小さくしようとすると、国家経済は発展するのだ。具体的に言おう。高度成長期の日本は、貧富の差が小さいので、国民全体が中産階級となり、誰もがテレビや自動車を買えるようになり、経済成長率は非常に高かった。国家を重視しない政策が、かえって国家を強化したわけだ。同様のことは、フォードの場合にも成立した。フォードの従業員に高い給与を払うことで、フォードの生産台数が伸びて、国家経済は急成長した。( → 解説
 逆に、自由経済を強化すると、貧富の差が拡大するので、国家経済は弱体化する。具体的に言おう。アメリカは貧富の格差が大きいので、貧しい人はとても貧しくなり、貧しい人が物を買う需要が小さめとなるので、経済成長率が下がる。同様に、近年の日本では、小泉流の「弱肉強食」の路線が取られたので、国民全体が貧しくなった。小泉流の保守主義のせいで、国家を強化しようとして、逆に国家を弱体化させたわけだ。それが「構造改革」だ。( → 構造改革はなぜ駄目か?
 
 ──  

 以上のように、保守主義とリベラリズムは対比される。実にきちんと対比される。
 政治におけるリベラリズムとは何か、ということも、以上のことから明らかだろう。そこでは、「自由とは何か」という問題は生じない。保守主義とリベラリズムでは、信じている「自由」の種類が違うのだ。
  ・ 保守主義の自由 …… エゴイズム (金儲けの自由)
  ・ リベラルの自由  …… 人間性の解放 (精神の自由)


 保守主義では、エゴを推進することが大切だから、政府に干渉されないことが何よりも大切だ。
 リベラリズムでは、人間性の解放をすることが大切だから、社会的な抑圧を除去することが大切だ。

 なお、社会的な抑圧は、「経済的な貧困」という形で現れる。たいていの労働者は、自分で職場を決めることもできず、既定の社会の枠組みに自己を当てはめることしかできない。そのとき、既定の枠組みから、何らかの抑圧を受ける。たとえば、「低賃金労働」とか「サービス残業」とか「パワー・ハラスメント」とか。
 リベラリズムは、「このような社会的な抑圧から人間を解放するために、政府は働くべきだ」と考える。そこでは政府の役割が大切だ。
 一方、保守主義は、そういう政府の干渉を嫌う。「自らのエゴや利益のためには、貧しい人々から富を奪っていいのだ。貧しい人々がどれほど貧しくなろうとも、そのことは国家の進歩に役立つことだから、善なのだ」と信じる。逆に、「リベラリズムのような優しさは、国家を弱体化させるので悪だ」と信じる。

 政治における「自由」については、以上のように説明される。つまり、「自由」という言葉は、保守主義とリベラリズムで、まったく異なった意味合いで理解される。
 
 ── 

 《 余談 》

 余談だが、ここには皮肉的な現象も見られる。
 最も自由を重視するはずの保守主義は、かえって国家の進歩を優先する。「国家のためであれば個人が恵まれないのは仕方ない」というふうに、共同体重視の発想(反・自由主義)の発想を取る。
 逆に、政府による介入を重視するリベラリズムは、政府の介入の目的が「個人の自由を高めること」となる。政府が介入すればするほど、個人の自由は高まる。(たとえば、貧しい家庭に福祉が施されることで、貧しい家庭の生活は自由度を増す。)



 [ 付記 ]
 次のような用語も広く使われている。
  ・ ニュー・リベラリズム …… 本項の「リベラリズム」に相当。
  ・ ネオ・リベラリズム ……… 本項の「保守主義」に相当。
  ・ リバタリアニズム ………… 個人主義。本項では言及せず。

 ※ リンク先は「はてなキーワード」の該当項目。



 【 関連項目 】
  → 自由とは何か? (経済)
    ( 経済における「自由」とは、エゴイズムのことにすぎない。)

  → 構造改革はなぜ駄目か? 
    ( 不況期の保守主義は、自由競争によって経済をかえって縮小させる。)
 
posted by 管理人 at 23:25 | Comment(2) | 政治 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
なんかちょっと違うようなw

『リバタリアニズムは個人主義』としておりますが、リベラリズムも十分個人主義でありますし、このブログの保守主義の内容は、リバタリアニズムを言ってます。
アメリカを理解するには、あと『共和主義』の説明が要る。

あと、アメリカは『共和党VS民主党』ですよ。
Posted by 名無し at 2011年08月08日 21:56
 どれもこれも日本語に直すと「自由主義」になるし、似た概念です。それを整理するのが本項の目的です。
 言葉の定義が、人によって違うのは、仕方ありません。私なりに概念を整理しようとしているのだ、とご理解ください。他の人が別の定義の仕方をするのは差し支えありません。
 実際、別のように区別している人もいますね。ご自由に、というしかない。
Posted by 管理人 at 2011年08月08日 22:20
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。