インフレ目標は、最大限に成功したとしても、インフレではなく、資産インフレを引き起こすだけだろう。
── ( ※ 本項の実際の掲載日は 2010-07-15 です。)
「インフレ目標は、インフレでなく、スタグフレーションをもたらす」と先に述べた。
→ インフレ目標は逆効果
つまり、次の2条件のもとでは、物価上昇は起こっても、生産量は拡大するどころか縮小する。
・ 現状がデフレである
・ 財政政策はない (金融政策で量的緩和のみ)
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一方、「スタグフレーションでなく、資産インフレをもたらす」という場合も考えられる。
これは、現実には起こりにくいが、どういうわけかたまたま、スタグフレーションではない( = 生産量の縮小が起こらない = 人々が消費を減らさない)という場合だ。
具体的には、次のようなケースが考えられる。
「人々が、いっぱい借金をして、土地や株を買う。すると、土地や株の価格が上昇する。すると、自分の富が増えたと錯覚した人々が、どんどん消費を増やす」
つまり、バブルだ。ある程度のバブルが生じれば、消費もまた増える。たいていの人々は、実質所得の減少で、消費を減らすだろうが、一部の人々は、資産インフレのあと、自分の富が増えたと錯覚して、消費を増やす。おかげで、他の人々の消費の減少を補填するぐらい(または上回るぐらい)消費が増えるので、不況にはならない。そのまま、資産価格がどんどん上昇する。
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このように「資産インフレ」(バブル発生)という可能性は、たしかにある。インフレ目標のせいで、「資産インフレ」が起こり、そのおかげで、景気も結構よくなる(バブル景気)という可能性は、十分にある。
これは、「インフレ目標」が最大限に成功したケースだ。
(インフレそのものにはならない。そのことは、前出項目のように、実質所得の減少で説明される。賃上げがなければ、インフレにはならないのだ。)
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では、「資産インフレ」(バブル発生)というのは、望ましいことか? そのことは、米国の住宅バブルを見ればわかる。
米国の住宅バブルでは、数年間の景気拡大を得たが、そのあと、バブル破裂が起こって、ひどい不況になった。たとえば、GMが倒産したり、リーマンが倒産したりした。他にもあちこちに傷を残した。
要するに、バブルとは、「今だけ良ければいいさ」という花見酒経済のことである。あるいは、サラ金人生。「今日は幸福だけど、明日は破綻」という進路。愚の骨頂ですね。(とはいえ、財政赤字を拡大している日本も、似たようなものだが。 (^^); )
ともあれ、「今だけ良ければいいさ」という方針は、愚の骨頂だ。資産インフレは、そのときだけは幸福に感じられるが、近い未来には破綻が待ち受けている。そんな進路を取るべきではない。
その教訓の例は、日本そのものだ。80年代後半に、資産インフレで「わが世の春」を謳歌していたが、以後、20年間にわたって、ひどい経済悪化に落ち込んでしまった。5年間に 10 を得たが、20年間に 100 を失った。あまりにもひどい例だ。
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結論。
財政政策を欠いた「インフレ目標」は、資産インフレをもたらすだけだ。実体経済を拡大させない(インフレをもたらさない)。
投機の金は、消費にも向かわず、設備投資にも向かわず、資産への投機にだけ向かう。そのせいで、資産価格が上昇するので、「自分の富は増えた」と錯覚した人々の消費により、一時的に実体経済は拡大する。つまり、バブルが発生する。一時的に幸福になれる。
だが、やがて、バブルは破裂する。急上昇していた資産価格は、一挙に下落する。と同時に、「自分の富は増えた」というのが錯覚だと気づいた人々は、急激に消費を減らす。そのせいで、ひどい不況に落ち込む。
単なる「インフレ目標」は、バブルをもたらすが、やがてはバブルは破裂する。それは、「甘い汁を少し吸わせたあとで、人生を破滅させる」という方針だ。いわば、悪魔の方針だ。
悪魔は、「これを飲めばとてもいい気持ちになれますよ」と、魔法の酒を与える。それを飲んだ人は、ひととき、素晴らしい幸福を味わえる。そして、そのあと、魂を奪われ、地獄の責め苦にさいなまれる。
財政政策を欠いた「インフレ目標」は、悪魔の政策だ。それは数年間の幸福を与えたあとで、経済全体を破滅させる。日本は一度、その道をたどった。それは、バブル時代だ。そのころ、物価上昇率は低いまま、金融を拡大したせいで、途方もないバブルが発生し、そのあと、途方もないバブル破裂が発生した。
今日の日本の不況は、すべて、80年代後半に「インフレ目標政策」を取ってきたことが理由なのだ。そのことに気づかないと、同じ過ちを繰り返し、同じ破滅を二度も繰り返すハメになる。
【 補説 】
「インフレ目標」は、それ単独では駄目だ。では、なぜか?
実は、それは小手先の理由によるのではない。根源となる発想そのものが駄目だからだ。根源となる発想とは、こうだ。
「経済は金融で動かせる」(マネタリズム)
これを言い換えると、こうなる。
「金さえ大量に押しつければ、経済は否応なく動く」(バーナンキの背理法)
これを比喩的に言えば、こうなる。
「金さえあれば、誰だって俺様の思うとおりになる」
つまり、「札束で頬をひっぱたく」という発想だ。そういう「お金至上主義」が根源的におかしい。
では、何が正しいのか? こうだ。
「世の中、お金だけじゃ、動かない」
経済学的に言えば、こうだ。
「お金を積み増すだけじゃ、お金は効果をもたない。お金を使う人がいなくては、お金は働かない」
原理的に言えば、こうだ。
「経済には、循環構造がある。つぎのような。
生産 → 所得 → 消費 → 生産 → ……
この循環構造で、今は、所得のところが詰まっている。この詰まっているところを開かないで、やたらと金ばかりを積み増ししても、詰まった状態のまま、金の山がふくらむだけだ」
経済の本質は、上記の循環構造だ。ここを無視して、所得も需要も考えないまま、「金だけですべては動く」という発想をしても、駄目なのだ。マクロ経済の頬を、札束でひっぱたいても、マクロ経済は動かない。このことに気づかないのが、金融至上主義者だ。
( ※ つまりは、経済の本質を理解できていない、ということ。)
( ※ 逆に言えば、経済の本質を理解すれば、「金を積み増すだけじゃ駄目だ、消費を増やす必要がある」とわかる。そこで、減税の必要がわかる。)
[ 余談 ]
このようなマネー信奉主義は、マネタリズムと呼ばれる。その牙城は、IMFだ。
IMFはこのたび、「日本は消費税増税を」と提言した。( → 読売・夕刊 2010-07-15 )
この愚については 「泉の波立ち」の 7月16日b の箇所で述べておいた。
2008年10月16日
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