◆ 死刑の本質:  nando ブログ

2008年06月09日

◆ 死刑の本質

 死刑の本質は何か? 犯罪抑止か? 遺族の報復感情を満たすことか? いや、そのいずれでもない、と私は考える。死刑の本質を探る。

( ※ 本項は、もともとは前項に記述したものを、移転して独立させたものです。)


 ──
 
 死刑の本質は何か? 私の考えでは、次の通り。
  
 (1) 恣意的な刑罰ではない
 死刑は、政府が恣意的に決めるのではない。誰が死ぬかを決めるのは、死刑を受ける人自身である。彼が殺人をしたとき、彼自身がおのれの死刑を決める。(自動報復装置)
 (2) 倫理の有無
 (1) のような自動報復装置がなければ、殺人がのさばる。そのことで社会の倫理が崩れる。
 (3) 死刑の理由
 死刑の目的は、「犯罪抑止力」「遺族の報復感情」が理由とされることが多い。しかし私は「倫理の維持」こそが重要だと考える。
 (4) 生きる資格
 死刑廃止の理由として、「人間の生命は何よりも大切だ」という見解がある。その通り。しかしそれだからこそ、その掟を破った人は、もはや「生きる権利」を喪失する。そして、それを決めたのは、殺人者本人である。
 (5) 死刑の本質
 以上のことから、死刑の本質がわかる。それは、個別の事例で個別の犯人を処刑することではなくて、「自動報復装置」を備えることで、社会的な「倫理」を維持することである。つまり、倫理維持の制度だ。

 以上について、詳しく説明しよう。

 ──

 (1) 恣意的な刑罰ではない

 「死刑」とは、恣意的な刑罰ではない。「こいつが気に食わないから、こいつを死刑にしてやれ」というような恣意的な刑罰ではない。ここを勘違いしてはならない。
 なるほど、王政時代であれば、「王への反逆罪」というようなものがあって、あっさりと死刑になった。このようなものは、恣意的な刑罰と言える。「こいつが気に食わないから、こいつを死刑にしてやれ」というようなものだ。
 しかし、現代の死刑は、恣意的な刑罰ではない。では何かというと、「自動システム」である。つまり、「人を殺したら、その人もまた同じ目に遭う」という、自動システムだ。
 そして、そのことで、社会的な倫理が保たれる。つまり、「他人をひどい目に遭わせたら、自分もひどい目に遭う」というふうに。
 ここでは、殺人犯を死刑にするのは、王様や政府ではない。彼自身である。彼自身がその道を選んだのだ。

 似た例を挙げよう。核兵器のある軍事施設に、電流の流れる有刺鉄線があったとする。そのまわりに、「危険、近づいてはいけません、感電します」と書いてあったとする。さらにそのまわりは、高い塀が囲んでいたとする。……ところが、馬鹿な泥棒が、塀をよじ登って、さらには警告をあえて無視して、感電したとする。このとき、この泥棒は、「感電したから賠償せよ」と訴えることができるか? もちろん、できない。「感電する」とわかっていて、あえてそういう違法行為をしたのだから、訴えることはできない。
 なのに、「人を感電させることはいけない」と考えて、この電流を切ってしまったら、どうなるか? 泥棒が施設にもぐりこんで、核兵器をいじって、社会に大量の被害をもたらすかもしれない。たとえば、十万人の死亡。
 この話からわかるだろう。危険防止のための自動システムを用意することは、恣意的な刑罰とは違う。ここを根本的に勘違いしてはならない。

 (2) 倫理の有無

 「もし自分が人を殺したら」と考えてみよう。ここで、実際に人を殺した後ならば「助かりたい」と思うだろうが、人を殺す前にどう思うかを考えよう。
 あなたがつい、酒に酔って、職場の女子社員にキスをしてしまったとする。すると、女子社員が「セクハラです! 会社に訴えます! いくら金を積んでも無駄です!」と文句を言ったとする。あなたは困った。そんなことをされたら、家で妻にバレて、離婚されかねない。(あるいは、結婚前なら、婚約が破談になる。)また、職場で出世直前なので、その出世が妨げられる。そこであなたの心に魔が差す。「この女を黙らせることはできない。とすれば、殺すしかないな。さもなくば身の破滅だ」と。
 しかし、ここまで考えても、あなたの倫理観が引き留める。そして、その倫理とは、「悪いことをしてはいけない」ということではなくて、「悪いことをすれば因果応報になる」ということだ。
 ひるがえって、因果応報にならないのであれば、「合法的に悪をなしたい」という人は、わんさといる。たとえば、ビル・ゲイツであれ、トヨタの社長であれ、マクドナルドの社長であれ、大量の人々に迷惑をかけて、自分の富を増やしている。彼らはとんでもない悪党だ。船場吉兆の社長と大差なかろう。……そして、彼らの心の底にあるのは、「違法でなければいいさ」または「バレなければいいさ」ということだ。つまり、「悪いことをしてはいけない」のではなくて、「罰されることをしてはいけない」というだけだ。(だから「バレなければいい」という発想になる。)
 つまり、倫理観を保っているのは、「因果応報」だ。それは (1) の自動システムのことである。
 しかるに、この自動システムがなくなったら、どうなるか? 「悪いことをしても罰されない」ということになれば、人々はどんどん悪いことをするようになるだろう。
 また、罰されるにしても、軽い罰であるにすぎないのであれば、「悪をしても利益よりも罰金の方が少ないから、悪をなした方が得だな」と思うようになるだろう。(たとえば独禁法違反がその例だ。)
 というわけで、「殺人」という巨悪をなしても、それに対する「因果応報」が(殺人に比べて)軽い罰であれば、人々は倫理観をなくす。殺人への閾値が低くなる。

 つまり、死刑のかなめは、「倫理観の維持」なのだ。そして、これを、多くの人々が維持していることが、社会維持のために必要だ。
 昔の人々は、そのことを深く理解していた。「人の命は大切だ。人殺しをしてはいけない」と深く感じていた。というのも、人と人との交際があったからだ。
 しかるに、現代の人々は、人と人との交際を減らしつつある。こうなると、時代のせいで、「倫理観の維持」は困難になる。さらに、そこに輪をかけて、「死刑廃止」なんていうキャンペーンが展開されたら、人々はますます倫理観を崩壊させていくだろう。

 (3) 死刑の理由

 死刑の本質は、何か? 通常、次の二つの点が言われる。
  ・ 死刑制度による犯罪抑止力
  ・ 遺族の報復感情

 しかし、この二つとも妥当ではない、と私は考える。以下の理由で。
 「今回の大量殺人のような例では、犯人は狂人的なのだから、死刑は犯罪抑止力にならない。気違いには計算はできない。また、もともと死にたがっている。」
 「遺族の報復感情という憎悪だけによって死刑犯を殺すのは、国家による殺人にすぎない。殺人をなくすために殺人をするというのでは自己矛盾だ」
 こういう理由によって、上の二つの点は妥当ではない、と考える。(つまり、通常の死刑存続論は、妥当ではない。)

 では、死刑を廃止するべきか? いや、そうも考えない。なぜなら、私は次のように考えるからだ。
 「死刑が必要なのは、(上の二つの理由ゆえではなく)倫理観の維持のためである。倫理観は人間性の基盤である。仮に、人々が倫理観をなくしたなら、社会はエゴイストの集団となり、犯罪社会となり、もはや文明社会ではない。地獄であるにすぎない。そして、そのような地獄を避けるためには、倫理観の維持が絶対に必要だ。」
 「では、倫理観の維持とは何か? 因果応報が成立するということであり、因果応報を成立させるような自動システムを社会が整備するということだ。そして、そのような自動システムを欠落した社会では、倫理観が損なわれてしまう。『人を殺したって構わないのさ』(どうせろくに罰されないのだから)というような、倫理の欠落した人々がのさばるようになる。」
 「そして、それを誰よりも許しがたく思っているのが、殺人犯の遺族だ。遺族は、殺人犯が憎いから、殺人犯を殺したいのではない。人を殺していて平然としている奴がいるから、そういう倫理観の欠落を許しがたく思うのだ。そして、殺人犯が死んだとき、殺人犯がようやく倫理に従ったと感じて、許す心が生じる。」

 (4) 生きる資格

 しかしながら、それでも、「殺人犯の生命を奪うのは好ましくない。人の命は無限の価値がある」と考える人もいるだろう。そこで、私は次のことを指摘したい。
 人は生きる資格がある。しかし、それは万人が等しく備えるものではない。
 たしかに、生まれたときには、万人はみな生きる資格を備える。しかし、他者を殺したとき、その人はもはや生きる資格を失うのだ。
 そして、生きる資格を失うか否かは、他の誰も決めることができない。王様も、政府も、警官も、裁判所も、誰も決めることができない。決めることができるのは、ただ一人、自分自身である。彼が自分で「殺人」という行為をなしたとき、自動的に、彼は自分の意思で生きる資格を失った(捨てた)ことになる。「こうすればこうなりますよ」とわかっていて、あえてその道を選んだのだから。
 そして、社会がなすことは、彼に死刑をもたらすことではなくて、社会に自動報復システムを整備することだけだ。

 (5) 死刑の本質

 ここまで考えれば、死刑の本質がわかるだろう。
 死刑とは、何か? 個別の死刑判決を下すことではない。むしろ、「因果応報」という社会システムを整備して、その社会システムが実際に機能した、というだけのことだ。裁判所は、恣意的に死刑を下すのではなく、単に社会システムを正常に機能させた、というだけのことだ。
 そして、「死刑廃止」論の本質は、「国家による殺人をやめさせる」ということではなくて、「社会の正常な自動システムをストップさせる」ということであり、「社会の倫理観を崩壊させる」ということだ。
 そして、たいていの人は、倫理観ゆえに、そのことを耐えがたく思う。「悪をなしても罰されないなんてとんでもないことだ」と思う。それが死刑存続論が続くことの理由だ。

 結論。

 問題は、殺人犯を殺すか否かではない。社会に倫理観を保つか否かだ。「殺人をしても殺人犯は生きていられる」というふうになると、どうなるか? そのことでただちに殺人事件が多発するとは言えないだろう。とはいえ、社会の倫理観は、確実に悪化する。
 「人殺しなんて、たいして悪いことじゃないのさ」
 「レイプなんて、たいして悪いことじゃないのさ。殺人よりマシだろ」
 「万引きなんて、たいして悪いことじゃないのさ。殺人よりマシだろ」
 こういうふうに、倫理観は悪化していく。そして、そのせいで、突発的に、愚かな狂人が大量殺人をすることもあるだろう。(確率的には微量だとしても。)

 死刑をどうするかは、死刑をなした犯人をどうするか、ということではない。将来起こるべき殺人行為に対して、それを許容するか否か、ということだ。「絶対に許容しない」というのであれば、死刑を存続させることになる。「何らかの懲役刑になることで許容ししよう」と思うのであれば、死刑を廃止することになる。
 そこには、(普通の)人々の生命を尊重するか否か、という態度の違いがある。もし人々の生命を尊重しないのであれば、倫理観を減らすために、死刑を廃止するべきだろう。「人の生命は絶対不可侵のものだ」という信念を崩壊させるために。



 [ 付記1 ]
 さて。それでも「死刑廃止を」という偽善者は、あとを絶つまい。そこで、妥協策として、次のことも提案しておこう。
 「死刑廃止をして、植物人間刑を設定する」

 前述のように、大量殺人犯は、生きる資格をなくす。そして、生きる資格をなくした人から、「命」を奪うかわりに、「生きる時間」を奪う。「薬物で長期的に眠らせる」という形で。つまり、「植物人間状態にする」という形で。
 ただし、完全に植物人間にするわけではない。ときどき、十年おきぐらいに、目覚めさせる。たとえば、40歳のとき、50歳のとき、60歳のとき、というふうに。……つまり、彼に残された「生きる期間」は、生涯で数日間でしかない。
 ただし、彼には、別の選択肢を用意する。それは(死刑でなく)「安楽死」だ。これを受け入れた場合には、最後の一週間、ぜいたくな生存期間を与える。豪華な食事と酒と娯楽。死の前の最後のぜいたくである。この一週間だけ、彼は人間らしく生きることができる。

 [ 付記2 ]
 死刑であれ、植物人間刑であれ、特別に残虐な殺人の場合にのみ適用される。
 一方、現実に起こる殺人事件の大半は、何らかの必然的な事情がある。たとえば、「男女の痴情のもつれ」とか、「家族同士のトラブルの延長」とか。……こういうのは、通常、殺人事件にはなっても、死刑判決は下らない。執行猶予になることすらある。
 本項で述べたのは、こういう平凡な殺人事件ではないので、混同しないでほしい。「口喧嘩の末に人を殺してしまった」というような、死刑にならない殺人事件を話題にしているのではない。(揚げ足取りをする人がいるので、注記しておく。)
  


 【 関連項目 】
 
  → サイト内検索 「死刑」

  → サイト内検索 「死刑 存廃」
  ※ 「死刑廃止」については、この検索結果を参照。
 
posted by 管理人 at 21:55 | Comment(1) | 一般 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
 死刑の抑止効果について、興味深い記事があったので、一部引用する。
 ──
実際に殺人者を死刑にすることは、殺人を減らす働きがあるのかどうかという研究もなされていた。 そしてその答えは「YES」と出たそうだ。 一人の殺人者を死刑にすることによって、3〜18人の命を助けることができたかもしれないという結果が出ている。 当然この結果に反論者たちは少なからずショックを受け、データそのものに懐疑的ではある。 しかしながら、おもしろいのは、このデータを出した教授も死刑反論者だったようで、彼のセリフが非常に印象的であった。 「死刑にはそりゃ反対さ。だが結果は、死刑が殺人を予防すると出ている。これをどうしたらいいのかね?隠すのかね?」
 → http://labaq.com/archives/50693235.html
 
Posted by 管理人 at 2012年10月10日 06:12
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