◆ 経済物理学 1:  nando ブログ

2011年01月03日

◆ 経済物理学 1

 経済物理学とは、物理学の手法を経済学に取り入れて分析しよう、という方法だ。たとえば、カオスやフラクタルの理論で、経済学を分析する。

 ──
 
 経済学というものは、現在、科学とはなっていないと見なされる。原理の解明もできないし、将来の予測もできない。まして、デフレの制御もできない。(できると思い込んでいる経済学者はたくさんいるが、ほどんどすべては失敗した。(例外としての南堂説を除く。)
 そこで、科学の代表である物理学の手法を使えば、経済学を科学的に分析できるのではないか……という発想で考えるのが、経済物理学だ。
 何だかすごいことのようだが、実は素人じみた発想にすぎない。「恋愛を科学的に分析すれば、モテモテになる」とか、「商売を科学的に分析すれば、大金持ちになる」とかいう、安直すぎる発想だ。
 恋愛の達人や、商売の達人は、その道を究めるからこそ、達人になれる。なのに物理学者が、生半可な知識で、恋愛や商売をやっても、失敗するのが落ちだろう。とはいえ、それに気づかないまま、その道に進む人がいる。たとえば、経済学のことをろくに知らないまま、物理学の方法を適用しようとする人がいる。

 経済物理学の研究者としては、日本では、高安秀樹という人が、以前から有名だ。その概要は、下記。
  → 高安秀樹・インタビュー

 要するに、人間を分子のように見なして、分子の集まりを分析する物理学の手法を応用しよう、という発想だ。統計学的な手法や、カオスやフラクタルの理論を用いる。
 しかし、これには、根源的な問題がある。次の二通りの違いだ。
  •  分子はそれぞれがまったく同一のものであると見なされるが、人間はそれぞれがまったく異なる。
  • 分子は心を持たないが、人間は心を持つ。
 この二つの違いがある。このいずれも、統計的な手法に限界があることを結果する。大量の人間が現れれば、大量の人間にはある程度は統計的な分析が可能だが、統計的な手法を越えた現象も出現する。
 その典型が、「集団的な同調性」だ。誰かが何か変わったことをすると、それに同調する人々が増えて、雪崩のように大きな変動をもたらすことがある。ここでは、人間の心理的な行動が、大きな変動をもたらす。ただの統計的な処理では間に合わないのだ。

 このような限界については、前に独立して述べたことがある。以下にまとめて再掲しよう。



 【 小泉の波立ち (2004年9月28日)

 「複雑系の科学と経済学」について。

 複雑系の科学(カオス・フラクタルなど)で経済現象を解明しよう、という態度がある。「高度な数学を使えば、複雑な現象も解明できるはずだ」という素朴な信念による。たとえば、次の新刊書がある。
   → 経済物理学の発見 (高安秀樹・著) ( Amazon )

 別に、この著作をことさら批判するつもりはないのだが、上記のような素朴な発想については、私は以前から批判してきたので、あらためて言及しておこう。結論から言えば、このような素朴な信念は成立しない。複雑な現象を理解するには、複雑な数式を使えばいいのではなくて、複雑さがどこから生じるかを本質的に理解するべきなのだ。そして、それは、簡単な一言で説明できる。「人間心理」である。人間心理が揺れ動くから、ごく簡単な原理で複雑な現象が発生する。これを複雑な数式を使って理解しようとするのは、本末転倒だ。
 なぜか? そもそも、次の二つのタイプがある。
  ・ 簡単なものが、複雑な過程を経たすえに、複雑な結果になる
  ・ 複雑なものが、簡単な過程を経たすえに、複雑な結果になる

 前者ならば、複雑な数式は有効だ。後者ならば、複雑な数式は有害無益だ。
 そして、経済現象は、後者なのだ。複雑なもの(多数の人間心理)が、簡単な原理(マクロ経済の原理)を経て、複雑な結果になる。なのに、これを前者だと誤認するのが、前記の立場だ。
 正しくは、どうすべきか? 人間心理という複雑なものは、複雑なものとして、そのまま受け入れればよい。これを高度な数式なんかでことさら複雑に描写する必要はない。人間心理は、単にバラバラな統計数値として(高度な数式なんかほとんど使わずに)、そのまま用いればよい。一方、マクロ的な原理については、はっきりと明示するべきだ。それこそが「経済の真実を示す」ということだ。
 物事の本質は、シンプルで美しいものだ。普通、それは、「原理」とか「公理」とか呼ばれる。ただし、そうした「原理」や「公理」から演繹的に得られた結論である「定理」は、複雑になることもある。定理を得るときには(演繹的な過程では)、複雑な数式を使ってよい。しかし、「原理」とか「公理」とかを複雑な数式でしか表現できないとしたら、そのようなものは「原理」とか「公理」とかは真実からは遠いのだ。なぜなら、物事の本質は、シンプルで美しいものだからだ。逆に言えば、複雑な数式でしか表現できないようなものは、「原理」や「公理」の名には値しないのだ。
 例として、相対論を見よう。相対論には、複雑な高度な数式が使われている。しかし、複雑な高度な数式が使われているのは、定理を出すための高度な演繹的な過程だけだ。一番最初の原理(相対性原理・光速度一定の原理)は、ごくシンプルなものだ。そして、同じことは、経済学にも当てはまる。経済には、複雑な現象が見られるが、それは、ごくシンプルな原理から発生する。そのシンプルな原理を見抜くのが、経済の真実を知るということだ。カオスだのフラクタルだのは、原理よりもずっと後のレベルの話であって、原理も知らずにそんなことを主張しても、勘違いを起こすだけだ。
( ※ 原理とは? ミクロでは「トリオモデル」、マクロでは「修正ケインズモデル」という原理のこと。)
( ※ 勘違いの例は? 上記書籍では、「インフレを制御できない」という結論を出して、アンチ・インフレの意見を出している。本当なら、「デフレを(金融政策で)制御できない」と書くべきだろう。また、「インフレ」というのは、マクロ的な意味があるものや、貨幣的な意味があるものや、ミクロ的に供給不足に原因があるものなど、いろいろとタイプがあるのだから、それらを一緒くたにして、「インフレ」と呼んでも、ほとんど無意味なのである。本質を理解しないで、物事の表面だけを見れば、物価上昇率だけに着目するので、「インフレ」という言葉を使いたがるが、それは、真実からはほど遠い認識なのだ。)

 さて。もう少し具体的に考察してみよう。複雑系の科学は、どこが問題なのか? 
 それを理解するには、量子力学の法則を考えるといい。現実の量子の動きは、単純ではないが、原理的には、シュレーディンガー方程式で説明できる。たとえば、分子軌道における電子の動きは、複雑きわまりないが、シュレーディンガー方程式や、ある種の近似によって、数式で表現できる。一方、ここで、複雑系の科学を使って、カオスによって何らかの説明もできる。たとえば、統計的な頻度などを調べて、カオス理論で描写できる。だが、そんなことはいくらやっても、量子力学の基本原理には到達できない。
 要するに、変動の仕方をいくら調べても、表面的なことしか理解できない。それは本質とは別だ。では、本質とは何か? 本質とは、場合ごとに変動するものではなくて、場合ごとに変動しないものだ。それは基本的な力である。
 例を示そう。空気中を漂う、木の葉がある。その動きを、カオスやフラクタルで表現できる。そこには統計的な処理があり、その結果、過去の動きから将来を推察できるかもしれない。……しかし、そんなことは、いくらやっても、ほとんど無意味だ。そうしてわかる「漂い方」は、ただの統計処理にすぎない。では、本質とは? そこに働く力だ。すなわち、重力と風力だ。この力が働いている。その力を知るべきなのだ。たとえ目には見えなくとも。
 木の葉の動き方を理解するには、二つの方法がある。一つは、統計的な理解の仕方だ。統計的に調べて、「過去にはこういう動きをしていた」と理解して、複雑系の科学で処理してから、「だから、今後はこうだろう」と予測する。もう一つは、力学的な理解の仕方だ。「木の葉にはこういう力が働くから、こういうふうに運動する」という原理を理解して、現実に適用する。たとえば、現実では、木の葉はひらひらと一定の動きで漂うことがある。その後、空から突風が吹いたり、自動車がそばを通ったり、地形が路地から空地に転じたり、……という状況の変化に応じて、運動が急変することがある。こういう場合には、過去の運動状況から未来を推察する、という方法は適用できない。
 そうだ。「過去の変動状況から未来を予測しよう」という方法そのものが根源的に狂っているのだ。物体の動きを知るには、物体に働く力を知るべきであり、過去の変動など、あまり役には立たないのだ。いくらか参考にはなるが、それだけだ。
 では、なぜ? 物体の動きは、過去の運動の関数になっておらず、力の関数になっているからだ。……変数を誤解してはならない。複雑系の科学には、根本的な勘違いがある。その方法は、まったくの無意味とは言えないが、「どうしても本質を理解できないときに、やむを得ず最小限の知識を得る」というだけの方法だ。
 その方法が有益であることもある。たとえば、台風の予測だ。「台風とは何か」ということを知るには、気象衛星で宇宙から台風の画像を撮影すれば、いろいろとわかるし、いろいろと理解できる。しかし、そういう本質的な知識を得られない時代(百年前)には、地上の人間は、「台風とは何か」をろくに理解しないまま、地上の風向きの変動を統計的に処理したり、複雑系の科学を使ったりして、「台風とはこういう現象なのだ」ということを調べようとする。ま、それが悪いとは言わないが、ピンボケというか、群盲象を撫でるというか、隔靴掻痒というか、とにかく、本質からはほど遠い。
 では、経済学ではどうか? 経済学にも、物価の変動や貨幣量の変動という数字はある。だから、これらの数字を調べて、統計処理をして、複雑系の科学で調べることもできる。しかし、そんなことをしても、まったく無意味だ。なぜなら、経済現象の本質は、物価でもないし、貨幣量でもないからだ。(たとえば、日銀がいくら貨幣を大量に発行しても、莫大な金は市場に眠るだけであって、何の意味もない。)
 経済学でも、本質的なものは、力である。すなわち、経済を動かすための、巨大な力だ。それは、主として、所得の効果だ。所得の変動が、需要の変動をもたらし、生産量を変動させるからだ。……こういう力を分析するのが本筋だ。その肝心の力を無視して、統計的に調べて未来を予測する、なんてのは、本質を逸れすぎた理論である。たとえて言えば、ニュートン力学を理解しないで、投石の運動を統計処理するようなものだ。無意味。
 実例を示そう。上記の書籍では、「インフレは危険なことが多い」という結論する。なるほど、過去の経験則に頼れば、そういう結論は出る。しかし、そういうふうに経験則によって語るというのが、非科学的なのだ。では、科学的には、どうするべきか? 「インフレの本質とは何か」というのを知ればよい。そうすれば、いろいろとわかる。実は、インフレというのは、何種類もある。「貨幣量の増大によって生じるもの」や、「需要の拡大によって生じるもの」や、「供給の縮小によって生じるもの」など。これらはいずれも、物価上昇という現象を起こす。そこで、これらを同じ現象であると見て、全部一緒くたにして「インフレ」と呼ぶ、という立場もある。しかし、そんな立場は、物事の表面(物価)だけを見ているのであり、物事の本質(生産量の変動)を見ていない。それは、いわば、「北極は寒い、冬は寒い。だから、北極も冬も同じ概念で呼ぼう、そして両者を統計的に調べよう」というようなものだ。思考が粗雑すぎる。
 大切なのは、表面ではなく、本質なのだ。目に見える表面的な数字だけを、いくら高度な数学で処理しても、真実に近づくどころか、かえって、真実から遠ざかるだけなのだ。
( → カオス 4月05日 ,4月06日 ,4月07日 ,3月30日




 経済物理学という発想については、以上のように、私はかねて批判的な立場を採ってきた。
 その方法がまったくの間違いということはないのだが、本質をずらした点で騒いでも、あまりにもピンボケ過ぎる、という評価だ。

 この話は、次項以降に続く。

  → 次項 (経済物理学 2)


posted by 管理人 at 10:48 | Comment(6) | 経済 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
>物事の本質は、シンプルで美しいものだ。

これは何が根拠なのですか?相対論を例に出していますが、それは「原理には美しいものがある。だから原理は美しいのだ。」と主張しているように見えるのですが…
原理は原理としてあるだけで、美しいかどうかは関係ないと思います。
Posted by 経済学徒 at 2016年01月09日 13:10
 参考:
  → http://j.mp/1POMHeY

 まあ、歴史的には、天才たちは「真理は美しいものだ」と信じて、美しいものを探して、真実を探し当てました。
 単に「真実は正しいだけだ」と信じた凡人たちは、大きな真実を発見できませんでした。

 どちらの立場を取るかで、その人の種類も決まるのでしょう。どちらを信じるかは、ご自由に。
 
Posted by 管理人 at 2016年01月09日 16:03
あまり納得できない回答ですね。
信じない人は無能だ、と決めつけているような感じがします。

人には自分が正しいと思いたいたがるところがあります。しかし確固たる根拠がない主張は他人からの同意は得られにくいものです。
こうやって批評を書くのであれば、もっと客観的な根拠を提示してほしいです。
別に他人から認められたいと思っていないのならいいのですが。
Posted by 物理学徒 at 2016年04月26日 12:05
> Posted by 物理学徒

何言っているんだか意味不明なので、意味の通る言葉で書いてください。

「信じる」云々は本文では書いていません。一つ前のコメント欄で書いているだけ。コメント欄のことですか? 

しかしあなたは「こうやって批評を書けば」と言っているので、本文を対象としているように見える。本文には「信じる」という語は出てきません。一方、一つ前のコメントは、ただの軽い個人の主観的な感想であって、批評ではありません。

あなたは何の話をしているの? まったく意味不明。

Posted by 管理人 at 2016年04月26日 14:13
>Posted by 物理学徒
>客観的な根拠を提示してほしいです。

同意です。事実の裏付けされるデータで語ってもらいたいです。
Posted by 通りすがりの物理学科生 at 2016年05月20日 09:43
>同意です。
同感です。でした。訂正します。
Posted by 通りすがりの物理学科生 at 2016年05月20日 10:10
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