──
朝日新聞(朝刊 2011-01-03)に、「為替の経済学」というタイトルのインタビュー記事がある。高安美佐子の話。
要旨は、次のような話だ。
──
(1) 為替変動のような不安定な現象は、経済学のモデルでは説明が付かなかったが、経済物理学の手法では解明しつつある。
(2) ブラウン運動のような運動は、ただの分子のランダムな運動だが、市場の価格変動には法則性がある。それは「加速度」のような原理だ。市場の参加者が他人と同じことをする「順張り」や、他人と違うことをする「逆張り」という傾向をもつ。そのせいで、時間とともに、正または負の加速度が付く。その加速度の強さや方向を観測していけば、値動きの「くせ」がわかる。
(3) 暴落や暴騰が起こるメカニズムも解明されてきた。市場の参加者が増えると、価格に「ゆらぎ」が生じる。その「ゆらぎ」が、みんなの「順張り」によって生じる加速度によってどんどん増幅されて、大きな価格変動が起こる。確率的にはきわめて低い確率でしか起こらないはずの大暴落や大暴騰がたびたび見られのも、加速度がゆらぎを増幅させた結果だ。
(4) 従来の経済学では、ミクロとマクロが分かれていた。しかし、私(高安)の考えでは、素粒子のふるまいと宇宙の動きが同じ原理で説明できるように、人間の行動を表すミクロのモデルが正しければ、マクロの価格変動まで説明できるはずだと思う。また、時間スケールを拡大していけば、インフレやバブルといった大規模な事象も記述できる。そうやってミクロとマクロをつなげたい。
──
この話には、間違いと真実とが混ざっている。
まず、(2)(3) は、まったく正しいと考える。私としてもまったく同一意見である。ただし、私が (2)(3) に賛同している、という意味ではない。 (2)(3) は、とっくに私が前に述べていることだ。下記項目で。
→ Open ブログ 「気温の非周期変動モデル」 (2008年07月14日)
ここでは最後に、次のように結論している。
気象と経済は似ている。そこには同じ原理があるはずだ。次の二つが。
・ 増幅過程
・ 1/f 揺らぎ
つまり、高安秀樹が「フラクタルやカオス」なんて言っていたころから、私は「増幅過程」や「1/f 揺らぎ」という概念で、上述記のインタビューの (2)(3) のようなことを述べていた。
その意味で、インタビューの (1) は、正しくない。つまり、それは、経済物理学の成果ではなくて、経済物理学を批判する立場からの主張なのだ。「 1/f 揺らぎ」はまだしも、「増幅過程」というのは、経済物理学を批判する立場からの発想(経済学からの発想)なのである。
特に、「人間の心理による増幅」というふうに、人間の心理を重視するのは、経済物理学を批判する立場の発想なのだ。
そういうふうに、「経済物理学を批判する立場の発想」を、「経済物理学の発想」だと勘違いする(自己の間違いを認識できない)から、いまだに (4) のような勘違いをする。このことについて説明しよう。
────────────
まず、(4) を再掲しよう。
(4) 従来の経済学では、ミクロとマクロが分かれていた。しかし、私(高安)の考えでは、素粒子のふるまいと宇宙の動きが同じ原理で説明できるように、人間の行動を表すミクロのモデルが正しければ、マクロの価格変動まで説明できるはずだと思う。また、時間スケールを拡大していけば、インフレやバブルといった大規模な事象も記述できる。そうやってミクロとマクロをつなげたい。この人の認識は、根本的に狂っている。
まず、「ミクロとマクロ」というのは、「個と全体」のことではない。マクロ経済学は、全体の経済学だが、ミクロ経済学は、個の経済学ではない。ミクロとマクロの違いは、「部分市場と全体市場」の違いだ。次のように。
・ ミクロ経済学 …… 布団産業(など)の市場原理
・ マクロ経済学 …… 1国全体における全産業の生産量の変動
したがって「人間の行動を表すミクロのモデル」というときの「ミクロ」とは、ミクロ経済学のことではない。それは「ミクロ行動学」ではあっても、「ミクロ経済学」ではないのだ。
この程度の経済学のイロハも知らないのでは、あとは何をかいわんや。
「従来の経済学では、ミクロとマクロが分かれていた。」
というのは、ある程度は事実だが、すでに経済学においては完全に統一されている。それは「トリオモデル」という概念だ。
→ トリオモデル
すでにわかっているが、ミクロ経済学とマクロ経済学は、統合されている。それぞれは別の原理があり、つなぐ理論がある。
・ ミクロのモデル (トリオモデル)
・ マクロのモデル (修正ケインズモデル)
・ 両者をつなげる理論
当然ながら、「ミクロとマクロを統合的に説明する一つの原理」なんてものは、ない。物理学の手法は、経済学には、適用できない。無理に適用しようとすれば、真実から逸れてしまうだけだ。
「人間の行動を示す原理によって、インフレやバブルといった大規模な事象も記述できる」
という見込みは、まったく成立しない。インフレやバブルといった大規模な事象については、すでに説明されている。
簡単に言えば、次の通り。
インフレは、「需要過剰インフレ」「供給不足インフレ」「貨幣増発型インフレ」「コスト・プッシュ・インフレ」など、いろいろある。それぞれ原因は別だ。ただし、いずれにも、インフレスパイラルの効果が働いて、増幅される。
バブルは、増幅過程に対する「頭打ち」という概念で説明される。
→ Open ブログ 「気温の非周期変動モデル」 (2008年07月14日)
デフレは、修正ケインズモデルにおける「デフレ・スパイラル」という増幅過程の概念で説明される。デフレから脱出できないことは、「縮小均衡」という概念で説明される。デフレから脱出する方法は、「中和政策」や「需要統御理論」で説明される。
要するに、正解はすべてわかっている。そこに対して、物理学の手法を導入しても、トンチンカンになるだけだ。
ただし、すでにわかっていることを、新たに導入すれば、いわば剽窃(ひょうせつ)する形で、「これは経済物理学の成果です」と鼻高々になることもできる。
それが、冒頭のインタビューだ。経済物理学を批判する立場から示された (2)(3) の概念を、逆に、経済物理学の成果だと言い張れば、「経済物理学は真実を手に入れた」と威張ることもできるだろう。……ただし、その場合は、「経済物理学」というよりは、「経済学理論泥棒」と呼ぶ方が適しているが。
それにしても、すでにある理論の一部をかすめとって「学問成果だ」と言い張るとしたら、あまりにも安直すぎますね。
[ 付記 ]
ついでだが、「増幅過程」というのは、私の独創ではない。経済学の世界では、はるか昔から知られていたことだ。
1/f 揺らぎというのも、物理学の世界ではずいぶん前から知られていた。
この両者を合わせて、株価や気象の変動にも適用できると述べたのは、たぶん、2008年07月14日の私の話(上記)が、最初だろう。
ま、誰が最初かは、どうでもいい。大事なのは、次のことだ。
・ (2)(3) のことは、別に、経済物理学の成果ではない。
・ (4) の見通しは、まったく成立しない。見当違いの間違いだ。
一言で言えば、「経済物理学はピンボケ過ぎる」ということだ。言っていることがすべて間違いだとは言わないが、こんなことをいちいち聞いて学ぶ必要はない。私の話をちゃんと読んで学んでいれば、その百倍も知識を得ることができる。
【 追記 】
増幅過程というものは、株価変動や気象変動のような「一見ランダムに見える変動」には適用可能だが、バブル崩壊やインフレ・デフレというマクロ経済の現象には適用できない。その意味で、
時間スケールを拡大していけば、インフレやバブルといった大規模な事象も記述できる。そうやってミクロとマクロをつなげたい。という高安美佐子の目論見は、まったく成立しない。成立しないということすら、理解できていないようだ。(経済学の知恵があれば理解できるはずだが。)
バブル崩壊やインフレ・デフレというマクロ経済の現象には、マクロ的な原理が働く。「日本のバブルの崩壊過程」とか「米国の金融バブルの崩壊過程」というバブル崩壊を見れば、株価の大暴落が付随するし、株価の暴落の原理と同じような原理(増幅過程の終焉という原理)が見出されるが、それ以前の「バブル成長」という過程では、心理的原理のほかに、マクロ的な原理が働く。基本的には、「バブル成長」には「金融緩和」が付随している。ここに本質がある。
この本質を見ないまま、「バブル崩壊の仕方」という形態分析だけを見ても、本質から逸れすぎている。
比喩的に言うと、雪の成長について、「水分子の構造から来る六角形の形状の原理」というのを理解するのは、それなりに意味があるが、「冬には温度が低くなるから雪ができる」という核心を見失ったまま、雪の形状ばかりを見ていても仕方がない。「雪害の対策」を考えているときに、気温や湿度を考えずに、雪の形ばかりを研究していても、雪害については何も理解できない。あまりにもピンボケ過ぎる。
経済物理学について研究しようとするなら、まずは経済学についてきちんとした理解を得ることが先決だろう。そのような「きちんとした経済学」を提示できていない経済学界にも責任はある。だが、とりあえずは、「きちんとした経済学」を学ぶことの方が、経済物理学を研究するよりも先決だ。下記で入手できる。
→ 経済学講義(経済学の教科書) (無償)
[ 余談 ] |
どちらかというと、金融市場の統計的性質に重点を置いたもののようで、上記のミクロ、マクロに関する間違いは、単に言葉の用法上のミスであるのでは?と思えます。高安氏が言っているミクロマクロは、物理学のコンテキストでのミクロマクロという意味だと思います。なので、この点をつついてもあまり有用な批判にはならないかも。
また、バブルについても彼らが考えているのは、マーケットクラッシュのタイミングのような、ミクロ経済学よりずっと限定された部分だという印象を受けます。ようは、バブルが生じる経済的なメカニズムにはあまり興味がないようです。
ミクロ経済学は需要と供給や均衡点を説明しますが、市場の価格変動に関する具体的なモデル(入手可能なデータから、いつ暴落がおきるか?のような問いに答えるもの)がないので、一方的に批判ばかりせず、まぁ、そういうことをやってる連中もいるのか、程度に受け止めるてもよいかと思います。確かに、上の記事だけ見ると紛らわしい印象は受けますが。
金融工学しかり、経済物理学しかり、経済学を知っている人から見るとどうなのか、興味もあるのでそういうすれ違いがないほうが、有益な批判もできるというものではないでしょうか…
まぁ、「経済物理学」なんて名前が悪いのかもしれませんね。(名前は重要というのが個人的信条です)
「素粒子のふるまいと宇宙の動きが同じ原理で説明できるように...」と有ります。
物理学は、素粒子もそうですが、それより格段に大きい分子内のレベルでも、一般の運動の法則や相対性理論が全く成立しない動きをする。というので、長年、議論になっていて、もし、物理学でのミクロとマクロの統一論が今後できれば、ミクロの(物理学の)動きでマクロ(経済学)が説明できるかもしれないと思います。
そこでは変数は人間心理であって、原子レベルの物理現象じゃないんです。
仮にそういう方針が成立するとしたら、経済現象の前に人間の心理がわかるはずなので、「人がいかに愛をするかが物理学によってわかる」ということになります。
そんなことを信じるのは、よほどおめでたい人だけでしょう。
インタビューに答えている高安氏は、統計学的な手法や古典力学的な物理ではなく、あくまで統計物理と言及されていますが…
本文中、木の葉の運動の例えをだされていますが、どれも的はずれな印象を受けます。統計物理であれば、木の葉一枚一枚の動きを分析するものではなく、『たくさん落ちてきている木の葉が様々な風に吹かれた末にどういう密度で分布するのか。』を記述するものです。
あくまでそれぞれ分子の〈全体の動き〉について記述しているのであって、分子一つ一つの動きを考えて、それを拡張して運動を予測するものではありません。
また、管理人様は強く『分子に心はないが、人間には心がある』とおされていましたが、分子に、それぞれの分子が互いに影響を与え合っている点について記述されます。人間の心理についても、感情には個人差があるので全く同じではないにせよ、それぞれが大きな視点で見た時、周りの動きに合わせて心の動きによって同じ様な振る舞いをするわけですから、同様に記述できるのではないかと思われます。
つまりは、個々人の愛について知ることは出来なくても、恋人たちのデートプランはおおよそ検討は着く。といったところでしょうか。