◆ 中国の民主化:  nando ブログ

2011年07月29日

◆ 中国の民主化

 中国では、民主化は起こるだろうか? 高速鉄道の事故のあとでは、民衆の不満が噴出しているが。

 ──
 
 中国では、高速鉄道の事故のあとで、民衆の不満が噴出している。共産党の一党独裁が揺らいでいるように見える。そこで、「中国でもエジプトなどのように独裁体制が崩れるか(民主化するか)」という問題が出る。
 これについて、池田信夫が考察している。
  → 池田信夫ブログ
 なかなか興味深い話だ。いつもならば、池田信夫をけなすところだが、今回の話は、なかなか卓抜だと思う。
 といっても、彼の話が卓抜だというよりは、私が前に述べた「秩序理論」の話と合致するからだ。(その点では、彼もなかなかセンスがある。)
  
 池田信夫は、「ゲーム理論」の延長で「複数均衡点」という話に持ち込んでいる。しかし、どちらかと言えば、「相転移が起こる」というふうに考えた方がいい。( cf. プリゴジンの発想。)

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 相転移という概念を取ると、どうなるか? 
 民主化が起こるか否かでは、「プレーヤーの自由な意思選択による状況変化」でなくて、個人意思を超えた社会的事象としての「社会的な状況変化」が問題となる。
 つまり、「誰がどういう選択肢を取るか」ということはあまりな関係なくて、「社会が全体としてどのように変化しつつあるか」が問題となる。(社会というものの意思選択の自由度は大きくない。)

 池田信夫ふうに考えるなら、(ゲーム理論ふうに考えるので)「意思の選択」が問題となる。だから、「中国国民がどれほど革命に参加する気になるか」が問題となるだろう。そこではあくまでも意思の問題となる。(その意思の持主が閾値を超えるか否かという問題となる。)

 しかし、私の考えでは、個人レベルの「意思の選択」はあまり問題とならない。むしろ、社会の深層構造が問題となる。(明白な意思選択よりも、それ以前に横たわる潜在的な共通意識が問題となる。)
 そして、それを理解するには、ソ連における民主化を見るといい。

 ソ連の民主化では、何が起こったか? 直接的には、エリツィンが立てこもったことだが、それによってソ連政府が崩壊するというのでは、理屈が通らない。たとえば、東京都知事が都庁に引きこもったとしても、それによって日本政府が崩壊することはありえない。

 では、ソ連では、何が起こったか? こうだ。
 「エリツィンが立てこもったとき、ソ連軍は当初、エリツィンを攻撃しようとしたが、結局は攻撃を諦めた」

 その意味は、こうだ。
 「軍がソ連政府への忠誠を放棄した」
 つまり、こうだ。
 「軍が政府から離反して、民衆の側に付いた」

 これが本質だ。

 一方、これとは正反対の事例が、天安門事件だ。そこでは、こうだった。
 「軍が政府に忠実であり、民衆を大量に虐殺した」


 以上をまとめれば、次のように対比できる。
  ・ 軍が政府の側に付く → 民主化は失敗する
  ・ 軍が民衆の側に付く → 民主化は成功する


 ──
 
 だから、問題は、軍がどちらの側に付くかだ。政府の側か、民衆の側か。
 そして、その違いは、次のことによる。
 「反政府感情が、国民全体を覆う感情として、軍にも共有されるか」


 ソ連崩壊の局面では、反政府感情は、国民全体を覆う感情として、軍にも共有されていた。なぜならば、そのときの政府は、ゴルバチョフ大統領を放逐した、クーデター政権だったからである。正当性そのものがなかった。ここでは、
     ソ連 対 ロシア

 という図式は成立せず、かわりに、
     クーデター政権 対 ロシア政権

 という図式が成立した。そして、ソ連軍は、クーデター政権の側に付かなかった。そのことで、クーデター政権による統制は崩壊した。同時に、民主化が成功した。(ロシア主導で。)

 ──

 では、中国では? それが問題だ。問題を再掲しよう。
 「反政府感情が、国民全体を覆う感情として、軍にも共有されるか」


 この問題には、現時点では、答えにくいが、一応答えるなら、次のように言える。
  ・ 現在の中国政権は、正規の政権であり、正当性はある。
  ・ 高官による腐敗が蔓延しており、民衆の不満がとても強い。
  ・ 高速鉄道の事故により、その不満が爆発寸前にまで高まっている。


 私なりに評価するなら、こう言える。
 「反政府感情は、国民全体にひろがりつつあるが、軍には共有されていない」

 つまり、中国の民主化の芽は、国民にはひろがりつつあるが、その芽は、軍にまで浸透していない。軍にまで浸透するには、さらにもう一段階のステップアップが必要だろう。

 ここで、天安門事件を思い出そう。あのときは、軍が民衆を虐殺した。今、同じことが起こったら、どうなるだろうか?
 今の軍は、民衆を虐殺することは、不可能だろう。もし軍が虐殺すれば、そのときこそ、軍は民衆の批判に耐えかねて、軍は政府から離反するだろう。それによって民主化は成立するだろう。
 かといって、軍が民衆を放置すれば、それはそれで、民主化は成立するだろう。
 というわけで、今ふたたび天安門での集結が起これば、中国の民主化は成立するだろう。「必ず成立する」とまでは言えないが、成立する可能性はとても高いだろう。

 ──

 では、当時と今とを区別するものは、何か? 
 ソ連の場合には、「グラスノスチ」があった。それゆえ、軍内にも「ペレストロイカ」という民主化の思想が浸透しつつあった。
 中国の場合には、「グラスノスチ」はなかったが、かわりに、「インターネット」がある。それゆえ、中国国民にも軍内にも、民主化の思想が浸透している。
 また、中国国民はかなり高度に裕福になっている。たとえば、自動車の生産台数は今では世界一である。(日産自動車の生産台数も、日本よりも中国の方が多い。日産自動車の販売台数は、日本に比べて中国は倍以上である。 → 日産の情報 )
 中国はこれほどにも経済的に発展している。こうなると、人々の意識を途上国並みの意識に留めることは不可能だ。どうしても先進国ふうの民主化の意識を持つようになる。そして、そういう意識は、軍にも少しずつ浸透しつつある。
 となれば、天安門事件の当時のように、軍が国民に銃口を向けることは、すこぶる困難になった、と言えるだろう。田舎から出た無知な若者ならば、上官の命令で銃口を民衆に向けるだろうが、ネットで十分な情報を得た若者は、上官に命令されても銃口を民衆に向けることはしないだろう。

 ──

 結論。

 中国において民主化が成立するか否かは、軍において民主化の意識が共有されるか否かによる。そして、それは、すでにかなり醸成されている。
 このあとは、きっかけが起こるか否かによる。それは、天安門にふたたび民衆が集まる、というような形で起こる。そのとき、政府は軍に民衆の虐殺を命じるだろうが、それに軍が従うかどうかで結果は左右される。たぶん軍は、今度は従わないだろう。そのとき軍は、政府の指導部を逮捕するだろう。……そういう形で中国の民主化は起こりそうだ。(いつかはわからないが。)



 [ 付記1 ]
 なお、エジプトのような形での「独裁政権の崩壊」は起こらないだろう。なぜなら、エジプトの場合には、「独裁者は一人」であったからだ。軍が独裁者一人に反攻すれば、独裁政権は壊れる。
 しかし中国では、「独裁者は一人」ではない。「一人による独裁」ではなく、「一党独裁」という形で、「多数による独裁」となっている。その分、軍は離反しにくい。
 軍が離反するとしたら、「国民の虐殺」というような、極端な契機が必要だろう。それが起こるときに、歴史は転回する。
 
 [ 付記2 ]
 本項は、例によって、私の予測である。

 ついでに、他の予測も示そう。
 「今年は冷夏」という私の予測は、当たっている。おかげで最近、この項目への来訪者がやたらと多い。)
 「日本に大地震が来るだろう」という私の予測もあった。これも、当たっている。
   → 日本も地震?
  
 以上を読んだ人は、「原発事故の予測は?」と質問したがるだろう。 (^^);
 それなら、次の項目を見るといい。
   → http://openblog.meblog.biz/article/44325.html
 ここには、次の文句がある。
 「原発は、山をくりぬいたトンネルのなかに設置する。または、炭坑のあととか、大谷石を掘り出したあととか、離島とか。……いずれにせよ、万一のことを考えた場所に設置する。」
 特に福島の事故を予測したわけではないが、福島のような事故を起こさないための対策は、2006年10月31日 の時点で示していたわけだ。
 政府が私の方針を聞いて対策を取っていたら、福島の原発事故は起こりようがなかったのだ。
 

posted by 管理人 at 19:43 | Comment(0) | 政治 このエントリーをはてなブックマークに追加 
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