◆ 戦争と平和の理論:  nando ブログ

2006年11月13日

◆ 戦争と平和の理論

  
 戦争と平和の問題をいかに解決するべきか? 

 ──

 戦争と平和の問題をいかに解決するべきか? ── これは巨大な問題である。この問題について論じよう。

 まず、ポール・ケネディーの提出した疑問がある。これを紹介しよう。(読売・朝刊・コラム 2006-11-13 )
 米国のラムズフェルド(前)国防長官は、先に、イラク政策について「宥和派と反宥和派の対立」という図式を提出して、「ヒトラーに対して宥和派が間違っていたように、フセインに対しても宥和派が間違っている」と結論した。しかし、この認識は、単純すぎる。
 歴史的に見れば、「宥和派と反宥和派の対立」という図式は、そんなに単純に成立しない。ヒトラーの時代でも、アジアの日本、ドイツのヒトラー、イタリアのムッソリーニ、という三極があった。これらのどれにどう対応するかは、それぞれの立場ごとに異なった。
  ・ 「反日本・親ヒトラー」が、イギリス政府の立場。(宥和派)
  ・ 「反ヒトラー」なら「ムッソリーニと妥協」。(チェンバレン・チャーチル。)

 現代でも同様だ。
  ・ 「イラク占領」なら、「北朝鮮には不介入」(ブッシュ)
  ・ 「イラク撤退」なら、「スーダン介入」(虐殺を放置しない)
 ……(*)
 こういうふうに、立場が一貫しない。どこかに対しては介入主義であり、他のどこかに対しては不介入主義である。自分自身もそうだ。(上記の最後の立場 (*) である。)
 どこに介入してどこに介入するべきではないのか? そういうことを記した文書は、どこにもない。国連憲章は「その都度考えよ」と記しているだけだ。解答などはどこにもない。しかし、解答はなくても、この問題を考えることは重要だ。

 なかなか卓見である。解答を出したからではなく、問題を提起したからだ。真に独創的な人物は、良い解答を出すよりは、良い問題を出す。人々の気づかない問題を出す。それは人々の気づかない真実を見出すということだ。
 近年では珍しく、大いに感心したので、ポール・ケネディを称えておこう。また、この記事を掲載した読売新聞の度量にも、敬意を払おう。

(余談だが、外部の卓越したコラムニストに寄稿を依頼するのは、新聞社としてはとても立派なことである。朝日みたいに自社の記者の見解ばかりを大々的に掲載していると、新聞の品位そのものを損なう。朝日は十万円ぐらいの原稿代を惜しむせいで、新聞全体を低品位にしてしまっている。ケチ。深部そのものが、買う価値がなくなる。その点、読売は、ネットでは済まない卓越したコラムを読めるので、買う価値がある。読売の記者の記事は詰まらなくても、外部のコラムニストの書いた記事がとても優れているからだ。下手な書籍を買うより、ずっといい。)

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 話を戻そう。
 「介入と不介入を決める基準が存在しない」
 というのがポール・ケネディーの指摘だ。そこで、私は、この基準を示そうと思う。デカい問題が提示されたら、解決せずにはいられない、というのが私の性分だからだ。
 以下では、この基準を出すために、たたき台としての試案を出す。何らかの見解を押しつけるということはしない。最終的な結論は、人々が討議して決めればいい。とにかく、私としては、たたき台としての試案を出す。

 まず、話の筋道を決めよう。
 私としては、何らかの基準を天下り的に提供する、ということはしない。そんなことをしても無意味だからだ。天下りでは、基準にはならない。ただの一意見にすぎない。
 一意見でなく基準になるためには、誰にも納得してもらえるもの(学術的なもの)である必要がある。では、それは、どうすれば得られるか? 
 天下りとは逆の方法によってだ。すなわち、演繹的な方法ではなく、帰納的な方法によってだ。
 そこで、帰納的な方法を取る。すなわち、最初に結論を出すのではなく、結論に至るための根拠を先に出す。それは、どこにあるか? 歴史にある。
 すなわち、ある基準を出して歴史を見るんではなく、歴史の例から何らかの基準を見出そうとする。
 では、いよいよ、歴史を見よう。

 (1) ヒトラー
 ヒトラーの問題については、私はこう考える。
 ヒトラーに対して宥和的であるべきか反宥和的であるべきかは、簡単には言えない。
 ヒトラーができてしまえば、もはやのさばらすことは無理なので、反宥和的であるべきだ。つまり、対立的であるべきだ。
 しかし、そもそも、ヒトラーが成長したこと自体が問題だ。そして、それは、欧米各国が自ら望んだことなのである。
 「強力な共産主義国家であるソ連と対抗するために、極右のヒトラーをのさばらせ、共産主義に対する防波堤とする」
 これが当時の欧米各国の方針だった。ところが、実際にその方針を取ったら、あにはからんや、ヒトラーは巨大になりすぎて、育ての親である欧米に牙を剥くようになったのだ。
 つまり、鬼子である。かわいい子供だと思っていたら、それは実は凶悪な鬼子であったのだ。そして、ここでは、「鬼子である」ということに気づかなかったこと(錯覚していたこと)に、根源的な問題がある。
 ヒトラーが鬼子であることは、実は、もともとわかっていた。国内的にも反ユダヤ主義などでとんでもない立場を取っていることは、もともとわかっていた。しかし、「反共」ということゆえに、あえて目をつぶって許容していたのが、欧米であった。
 ここには、「鬼子をかわいい子供だと見なす」という錯覚があった。そして、その背後にあるのは、「共産主義は途方もない悪である」という見解(偏見といってもいい)だった。この見解(偏見)ゆえに、「敵の敵は味方」という判断に従って、ヒトラーを許容した。

 (2) フセイン
 フセインの場合も、実によく似ている。
  ・ 許しがたい敵 …… ソ連  / イラン
  ・ 敵の敵(味方)…… ヒトラー/フセイン
 こういう関係にある。ソ連に対抗してヒトラーを許容したように、イランに対抗してフセインを許容した。「憎っくきソ連に対抗するならやむを得ない」と感じてヒトラーを許容したように、「憎っくきイランに対抗するならやむを得ない」と感じてフセインを許容した。
 ブッシュは何か誤解しているのかもしれないが、フセインを許容して援助してきたのは、米国自身なのである。親米派のパーレビ国王を打倒したイランを蛇蝎(だかつ)のように憎んで、それに対して「敵の敵は味方」という論理でフセイン・イラクを援助した。ところが、それは、鬼子だったのだ。その鬼子が牙を剥いて、クウェートを侵攻した。このときになってようやく、鬼子が鬼子であると気づいた。

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 以上の (1)(2) を見ると、非常によく似ていることに気づく。ここでは「敵の敵は味方」という原理から、「鬼子を育てる」ということをして、そのあとで、「鬼子が牙を剥く」という誤算が生じた。……これが原理だ。
 こうなったあとで、「宥和派か反宥和派か」と問うのは、あまり意味がない。そもそも鬼子を育てたこと自体が問題だからだ。
 こういう根源を理解しよう。

 なお、鬼子がいったん育ってしまったあとでは、どうするべきか? この問題を扱うには、以降の例をさらに見よう。

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 (3) フセイン
 フセイン・イラクでは、結局、大量破壊兵器などはなかった。
 また、仮にあったとしても、化学兵器ぐらいなら、別に大騒ぎするほどのことはなかった。なぜ? 北朝鮮を見ればわかる。核兵器を持っていても、放置されるのだ。化学兵器なんて、核兵器に比べれば、子供のオモチャにすぎない。化学兵器の所有など、戦争の理由にはならないのだ。(だいたい、化学兵器なんて、かなり簡単に作れる。オウムだってサリンを作った。数人ぐらいでできてしまうのだ。)
 以上の理由から、フセイン政権にあった罪は、「独裁」だけだ。では、「独裁」は、許しがたい罪なのか? 
 ブッシュは「許しがたい」と述べているが、北朝鮮やスーダンの独裁を放置することからして、本心は「独裁は許しがたい」とは思っていない。本当は、こうだ。
 「米国にたてつく奴は許しがたい」
 北朝鮮は日本の脅威になるだけで、米国にはあまり関係がない。スーダンはもっと関係がない。だから、米国の威信を損なわない限り、独裁は放置されるのだ。

 (4) スーダン・北朝鮮
 スーダン・北朝鮮では、独裁が放置される。ただし、これらの国では、国内で大量の死者が出ている。スーダンでは内戦や虐殺。北朝鮮では餓死。ここでは、自国民に大量の死者が出ている。他国民を殺す戦争ではないが、自国民を殺すことをなしている。……それゆえ、「許しがたい」と判断するリベラリストは多い。ポール・ケネディもその一人。私もまた、そうだ。
 一方で、ブッシュは、「米国民が死ぬわけじゃないから、ほったらかしておけ」という立場。「外国人が死ぬのを解決するために、自国の兵士が死ぬのは、もったいない」という立場。ま、これはこれで、一理ある。

 (5) 中国・ソ連
 中国やソ連は、いくら憎らしい共産主義国家であるとしても、戦争をして滅ぼすわけには行かない。そこで、「封じ込め」という政策を取った。かくて、内部から自壊させる方策を取った。(当の共産国自身も、その方針を取った。)
 その後、ソ連はまさしく崩壊したので、レーガン政権は「保守主義の勝利」と宣言をした。
 一方で、中国では、別の道が取られた。「内側からの体制改革」である。つまり、共産主義体制を取りながらも、その内実は資本主義になってしまったのだ。ただし、純粋な資本主義ではなくて、「段階的に資本主義になっていく」という過程である。当初は家内工業的な小企業ができた。中規模の国営企業もできた。しかし、経済が発展していくにつれて、巨大な私的企業もできるようになった。こういうふうに経済そのものが資本主義化されると、残るのは「言論の自由の統制」と「共産党の権力維持」ぐらいであろう。これは「非民主的な資本主義」とも言える。だったらいちいち騒ぐほどのこともない。欧州のどの国だって、かつてはそういう封建主義だった。中国では二百年遅れでそうなっているのだ、と思えば、たいして違いはない。かつての欧州の王家のかわりに、共産党があるだけだ、と思えばいい。
 このような中国の状態では、誰も特に困っていないのだから、崩壊させる必要はないし、戦争をしかける必要もない。
 とすれば、ソ連に対しても、同様にするのがベストだっただろう。つまり、ソ連を「封じ込め」で崩壊させるよりは、中国のように「内部からの体制改革」を促せば良かったのだ。そのためには、経済的な交流をする方がよかった。なぜなら、共産主義の国営企業では、官僚主義になるので、国営企業の競争力がまったくないからだ。あれば、赤字を出して、実質的に倒産してしまうだけだ。かくて、自然に、現在の中国のようになってしまう。
 「封じ込め」のかわりに「経済交流」こそが、ソ連に「内部からの体制改革」を促したはずだ。これが正解であろう。

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 以上の(1)〜(5)という歴史の例を見た。ここから、結論を見出すことにしよう。
 まず、ヒトラーとイラクについては、「敵の敵は味方」という形で鬼子を育てたのが問題だった。だから、「敵の敵は味方」とは思わない方がいいし、鬼子を育てることもしない方がいい。ヒトラーやフセインの独裁体質はもともと明らかだったのだから、「より強い敵に対抗するため」という勝手な都合で、鬼子になりそうな悪を支援するべきではなかったのだ。
 自分で悪を育てたあとで「(悪が育ったのが)誤算だった」と思うのは、愚策である。物事の良し悪しを根源的に理解することが大事だ。
 そして、そのためには、目先の打算にこだわらないことが大事だ。「ソ連に対抗するため」とか、「イラン(ホメイニ)に対抗するため」とかの、目先の打算が、善悪の判断を狂わす。
 こういう目先の打算は、どこから生じるか? 「ソ連は悪だ」とか「イラン(ホメイニ)は悪だ」とかの、「あいつは敵だ」という敵対主義からだ。やたらと敵を見出して、敵と喧嘩したがるのが、保守派である。
 本来ならば、ソ連に対しては中国に対するのと同様に、「内部からの体制改革」を促して、仲良くする方がよかった。そうすれば「核戦争の恐怖」などからも免れたはずだ。「核戦争の恐怖」とは、人類の存亡を賭金とした恐怖のゲームであり、狂気の沙汰である。こんな馬鹿げたことをするくらいなら、中国に対するのと同様に、「内部からの体制改革」を促す方がよかった。
 イランに対するのも同様だ。仲良くして、内部からの体制改革を促せば良かった。ひたすら敵対するべきではなかった。なのに、ひたすら敵対した。そのせいで、フセインを支援し、あげく、鬼子を育ててしまった。そのあとで誤算に気がついても、遅すぎる。

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 とすれば、根源的には、こう言える。
 「あいつは巨大な敵だ」
 という錯覚が最初にある。たとえば、ソ連を「巨大な敵だ」と見なして、何が何でも打倒しなくてはならないと思い込む。イランを「巨大な敵だ」と見なして、何が何でも打倒しなくてはならないと思い込む。……こういう錯覚から、鬼子を育てる結果が生じた。
 こういう錯覚が生じるのは、一種の恐怖心からであろう。臆病な人間ほど、勇敢な態度でふるまう。「ソ連が怖い」「イランが怖い」と怖がるから、これらにたいして強固に敵対的になろうとする。
 むしろ、度胸をもてばいい。「ソ連もイラクも怖くはない」と理解すればよい。その上で、仲良くすればよい。そうすれば、相手国は、現状のまま拡大するのではなくて、自然に内部から改革されるのである。

 このことは、北朝鮮についても当てはまる。経済封鎖をするよりは、多大な経済交流をした方がいい。そうすれば、北朝鮮は国際社会に依存するようになる。となると、国際社会を無視できなくなるのだ。たとえば、GDPの半分を輸出入に依存するようになれば、経済封鎖が怖くて、国際社会に反逆することは不可能になる。一方、現状では、経済封鎖がすでになされているので、これ以上の経済封鎖は怖くも何ともない。それゆえ、いくらでも勝手に独裁ができる。

 戦争のかわりに平和をもたらす方策は、「封鎖」とは逆の「経済交流」なのである。
( ※ 経済封鎖は、「抜かずの宝刀」としてのみ役に立つ。いったん抜いてしまえば、もはや何も切れないのだ。そこを勘違いして、「経済封鎖をすれば敵は屈服するだろう」と思うのは、勘違いである。正しくは「経済封鎖をするぞと脅かせば敵は屈服するだろう」だ。)

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 以上は、すでに存在している「崩壊させがたい国」の場合だ。
 一方、「崩壊させることが可能な国」もある。たとえば、スーダンだ。この場合には、崩壊させるのがベストだ、とも言える。
 アフリカでは、国家間の戦争があるというよりは、私的な利害による内戦があるだけだ、とも言える。ここで「私的」というのは、「一族郎党」みたいなものだ。特定の地域の特定の部族が、それぞれたがいに、国家の利益を食い物にしようとする。……そういう戦いが、延々と続く。A族が国家利益を独り占めしている。それに怒ったB族が反逆して支配権を奪う。すると今度はA族(またはC族)が巻き返す。……という具合だ。
 こういう場合には、根源的に、特定部族の支配権を崩壊させるのがいいだろう。つまりは、まともな国家を建設することだ。

 アフリカの問題の根底にあるのは、教育がないことである。教育がないから、国家の建設という概念がなく、単に一族の利害のことしか考えられない。
 ま、日本だって、明治維新以前(あるいは江戸時代以前)では似たようなものだったから、偉そうなことは言えないが。江戸時代には、寺子屋ができて、教育が進んだ。こうなると、もはや「戦争をして忠誠心を発揮するのが偉い」という価値観は崩壊してしまった。アフリカもまた、教育を進めて、同様にすることが必要だろう。

 ともかく、アフリカでは、文明化と国家建設を、同時になす必要がある。そのためには、国連や先進国が主導を取って、国家建設を推進する必要がある。「現地人主義」なんかをするよりは、先進国の人間が主導を取る必要があるだろう。
 ただし、かつての植民地の名残があるので、欧米人が主導を取るのはまずい。それゆえ、アジアや南米などの非白人が主導を取るべきだろう。
 これが基本となる。
 なお、細かいことを言えば、[ 補足 ]の通り。

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 まとめ。

  ・ ヒトラーやフセインに対しては、「敵の敵は味方だ」という態度を取らない。
  ・ 鬼子は鬼子であることを認識する。
  ・ そのためには、崩壊させがたい「巨大な敵」と対抗しようとするべきでない。
  ・ 崩壊させがたい「巨大な敵」には、「内部からの体制改革」を促す。
  ・ そのためには、経済交流を進める。相互依存関係を強める。
  ・ 共産主義や独裁は、封鎖されれば維持されるが、交流があれば自壊する。
   そのことを理解しておけばいい。共産主義や独裁には、怯えるな。
   これらに対して、「恐怖心」を過度にもつな。民主主義の強さを知れ。


 以上が結論となる。

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 さらに考察を続けよう。深遠な問題を探る。

 まず、ヒトラーについて見よう。
 ヒトラーについては、この鬼子を生んだ根本原因がある。それは「ベルサイユ条約」だ。第一次大戦後、戦勝国は敗戦国のドイツに対して、巨額の賠償金を課した。「そんなことをするべきではない。そんなことをすると戦争が起こる」とケインズが警告したのに、巨額の賠償金を課した。
 で、ドイツは、どうしたか? 莫大な賠償金を支払うことが困難になった。国家崩壊の危機。当然ながら、戦争を選択した。戦争をすることで、大陸欧州を完全に支配し、賠償金の支払いを免れた。
 したがって、大陸欧州を支配したところまでは、ヒトラーのやったことは完全に正気であった。それが最も賢明な方針であるからだ。「自国を叩きつぶす」という方針を他国が取るのであれば、その他国を逆に叩きつぶすのが最も賢明である。
 ヒトラーの誤算は、調子に乗りすぎて、ソ連まで支配しようとしたことだ。このことで、戦力が二分された。あげく、東側のソ連でも、西側のイギリスでも、戦いに負けた。特に、アメリカが参入してからは、決定的となった。
 ソ連侵攻は、根源的に無理だった。イギリス侵攻は、アメリカの参入を招いた。どちらも大失敗だった。フランス占領の時点でやめておけば、大成功だったのだが。
 ヒトラーに対して、「宥和派と反宥和派の対立」というのは、無意味である。ヒトラーが変なことをしなければ(大陸欧州の支配でやめておけば)、宥和派と反宥和派のどちらも無意味であったからだ。単に欧州が巨大なドイツになっていただけのことだ。これに対しては誰も止めることができない。
 ヒトラーに対してなすべきことは、ヒトラーにどう対処するかという選択ではなくて、ヒトラーを出現させる政策を取らないことである。つまり、ベルサイユ条約を提出しないことである。

 ヒトラーへの対応がもたらす教訓は、何か? こうだ。
 「憎悪は敵対をもたらし、敵対は破局をもたらす

 このことは、別の形で裏付けられる。
 第二次大戦後、上のことを教訓として、戦勝国は憎悪の処置を取らなかった。戦後賠償を一切、放棄した。逆に、(破壊に対する代価としてはあまりにも小額ではあったが)戦勝国の側から援助を与えた。ドイツにも日本にも、援助を与えた。このことで、敗戦国の側には、感謝が生じた。──かくて、憎悪と復讐の悪循環の連鎖は断たれ、平和の安定的な状況が構築された。

 以上は、半世紀以上前の過去の例における、戦争と平和のメカニズムだ。憎悪は戦争をもたらし、援助は平和をもたらした。
 このことは、現在に敷衍することができるし、あらゆる状況に一般化することができるだろう。

 (第一次大戦後の)反ドイツであれ、以後の反ソ連であれ、近年の反イラン(ホメイニ)であれ、いずれにせよ、そういう憎悪は、のちに、別の形で想定外の戦争をもたらす。
 憎悪のある限り、状況が歪み、どこかで戦争が噴出する。とすれば、憎悪をなくすことが、戦争を根絶させる根源だ。

 そして、憎悪をなくすには、愛があればいいのではなくて、恐怖をなくせばいいのだ。「ソ連が怖い」「イランが怖い」「ドイツが怖い」という恐怖をなくせばいいのだ。民主主義を信じる勇気をもち、敵への恐怖をなくせばいいのだ。

 考えれば、イラク戦争もまた、「アルカイーダが怖い」という恐怖から生じた。アルカイーダへの恐怖と憎悪が、のちに別の形で想定外の戦争をもたらしたのだ。
 また、現在の中国やイランについて言うなら、「このあと徐々に民主主義が広がるだろう」と信じて、中国やイランを国際社会の枠内に組み込んでおけばいい。そうすれば、体制が内部からだんだんと改革されていく。逆に、これらの国を国際社会から断絶させれば、独裁体制が強固に持続するだろう。(たとえば北朝鮮やキューバのように。)

 あらゆる戦争には、共通の原理がある。そこでは「恐怖」と「鬼子」がキーワードとなる。そしてまた、戦争を回避するには、「愛」ではなく、「勇気」と「交流」がキーワードとなる。

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 [ 補足 ]
 アフリカでは、独裁国家を崩壊させた方がいい。そのための方法を示す。
  ・ 先進国が武力介入するのは、コストが高くつきすぎるので、不可。
  ・ むしろ、内戦を促す。必ず被害者がいるから、被害者に内戦をさせる。
   「坐して殺されるよりは、戦う方がマシ」と信じる人々に、強力な武器を与える。
  ・ 武器は、なるべく、「有効期限付き」のものにする。
   銃でいえば、特殊な銃にして、消耗品の弾丸が容易に製造できないタイプ。
   そういう銃があるかどうかは知らないが、とにかく、そんなタイプの武器。
  ・ 勝利のあとで一派による独裁が成立しないように、諸派を林立させる。
  ・ 勝利のあとでは、諸派による合議制の政権を作る。
  ・ その政権は、立法府は比例代表制にすることが好ましい。
  ・ その政権は、行政府は間接大統領制が好ましい。
   つまり、立法府における議員の投票で、大統領が決まる。
   大統領が、首相を任命する。
  ・ 立法府の安定のためには、首相が「首相任命議員」を選任する。
   これに2割ぐらいの議席を与えて、立法府を安定化させる。
  ・ 首相は、公平のため、初期の十年間は外国人に任せる。
   ただし、特定の外国に偏らないように、二年ぐらいで交替させる。
   以前の首相は退去せず、そのままアドバイザーとして助言する。
  ・ 十年後には、首相は、現地の人にしてもいいし、あとしばらく外国人に
   任せてもいい。自由にすればいい。
  ・ 国家の当面の目標は、教育制度の拡充だ。ODAなどは、施設の建設の
   ためには使わず、教育予算に使う。(教科書や鉛筆やノートなど。)
  ・ 世界各国は、こういう目的のために、金を使うべし。
   武器なんかを購入するよりは、平和の建設のために、金を使うべし。
   ミサイル防衛網に数兆円をかけるよりは、北朝鮮の国内安定化のために
   数千億円を援助する方が、よほどマシだ。(金正日の退任後だが。)


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  【 追記1 】

 「鬼子の発生」という形で、(1) (2) ではヒトラーとフセインを取り上げた。
 これ以外に、次のものも取り上げることができる。
 (2b) アルカイーダ(ビン・ラディン)
 このことは、アフガニスタンの状況と関連する。

 アルカイーダは、鬼子である。その事情を説明しよう。
 アルカイーダは、いきなり誕生したテロリストではない。通常は、パレスチナに同情したイスラム教徒がテロリストになった、というふうに信じられている。しかし、パレスチナに同情したイスラム教徒なら、世界中に莫大にいる。
 では、なぜ、アルカイーダだけが問題なのか? それは、アルカイーダだけが武装しているからだ。
 ではなぜ、アルカイーダだけが武装しているのか? それが問題だ。実は、アルカイーダの武装は、アメリカ自身が与えたものなのだ。

 このことは、アフガニスタンの状況と関連する。
 近年ではアフガニスタンでは、アメリカとゲリラが対立状態にあるが、その 1980年代には、ソ連とゲリラとが対立状態にあった。これはソ連の一方的な侵攻であったらしい。そして、ソ連の侵攻を阻止するために、CIAは 21億ドルもの巨額の援助をアフガンのゲリラに与えた。その大部分は武器のために使われた。こうして、多大な武装をするゲリラ(アルカイーダを含む)が出現した。
 すなわち、アルカイーダという鬼子を、米国自身が育ててしまったのだ。その鬼子が、今になって、米国に牙を剥いているのである。予想外ながら。

 ──

 この問題の根源には、さらに別問題がある。そもそもなぜ、ソ連はアフガニスタンに侵攻したのか? どうやらイランでイスラム革命があったことに起因するらしい。ホメイニのイスラム拡大が、ソ連自身にも影響すると見て、ブレジネフがイランとソ連との中間にあるアフガンに侵攻したらしい。(イスラム革命を怖がったわけ。)

 で、そのイスラム革命というものが、そもそも米国の失政に起因する。親米のパーレビ国王を過大に援助したせいで、イランの民衆の反発を食らい、イスラム革命が起こった。
 で、その親米のパーレビ国王を支持したのはなぜかといえば、ソ連に対抗して親米派を構築することが有利だ、と思えたからだ。
 その一方で、ソ連はアフガニスタンに親ソの共産党政権を作り、共産主義の国家を作ろうとしたあげく、イスラムの反発を食らってしまった。
 要するに、米国は親米派の政権を作って、イスラム教徒の反発を食った。ソ連は親ソ派の政権を作って、イスラム教徒の反発を食った。あげく、どちらも、イスラム教徒に牙を剥かれた。

 結局、根源的に考えると、根底にあるのは、1980年以前にある米ソ対立である。
 この対立ゆえ、中間となる位置のイランやアフガニスタンで、両者が勢力を競いあった。
 で、そこに巻き込まれたイスラム教徒が、あっちに引っ張られたりこっちに引っ張られたりしたあげく、どっちにも牙を剥いた。かくて、鬼子がどんどん育っていった。

 とすれば、今になって、「鬼子が問題だ」「アルカイーダが悪い」「テロリストが悪い」と騒ぐのは、愚かしい。それでは、「自分の罪を理解しない歴史音痴」と思われても仕方ないだろう。
 ちゃんと歴史を見るべし。歴史も見ないで戦争ばかりをしかけても、何も解決しないのである。
 NYテロを見て、「テロリストは悪だから根絶せよ」なんて主張している米国人は、歴史のことを何も知らないわけだ。自分自身が鬼子を育てたことを、忘れてしまっている。天に向かって唾するに等しい。

( ※ アフガニスタンの記述については、 Wikipedia の内容を参考にした。歴史的な事情については、これを参照のこと。)

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  【 追記2 】 ( 2006-12-07 )

 2006年12月初めごろに、興味深いニュースが二つあった。
 (1) ネパールで内戦の停戦があった。政府(王制派)と抵抗勢力(毛沢東派)が、国連の仲介で停戦に合意した。(11月21日付のニュース)
 (2) 米国で米軍のイラク撤退に向けた提言がなされた。これは超党派の独立委員会による提言で、ブッシュ大統領もこの提言を受け入れる方針らしい。

 この二つは、戦争(ないし戦争状態の内戦)を終結させることができる実例である。しかも、共通点がある。「国連の仲介」および「超党派の独立委員会」という、第三者の仲介があることだ。
 では、第三者の仲介には、どのような意味があるのか? 

 すぐに思いつくのは、「間を取り持つ」ということだ。しかし、間を取り持つことだけなら、両勢力が単に交渉すればいいだけだ。
 次に思いつくのは、「足して二で割る案で妥協を導く」といことだ。しかしこれも、両勢力が単に交渉して決めればいいだけだ。

 そこで、私としては、次のことを重視したい。
 「両勢力のメンツを立たせる」
 両勢力にとっては、交渉することも、交渉して妥協することも、論理的にはできる。しかし、論理的には出来ても、感情的にはできない。「これまで多大な犠牲を払ったのは何だったのか?」と思ったり、「死者に申し訳が立たない」と思う。すると、完全勝利をめざして戦うので、結果的に停戦ができなくなる。
 ここで第三者の出番が来る。両勢力の双方に「どちらも犠牲を払いなさい」と提案する。この場合、どちらにしても、自己が譲歩するのは、第三者の言い分を聞くことになるのであって、敵の言い分を聞くことにはならない。したがって、死者に対して申し訳が立つ。感情的にも、「相手に譲歩した」ということにならず、「理性的に行動した」ということになる。自分が相手に屈服するのではなく、感情が自らの理性に屈服しただけだ。

 要するに、第三者の役割は、何か実際に優れた提案をなすことではない。妥協できる案は、両者だけが決めることが出来るのであって、第三者がうまい案などを出すことはありえない。第三者の役割は、その案を提出するために存在すること、ただそれだけなのである。
 妥協案がある。その妥協案は、どちらも飲める。ただし、その妥協案を、敵が提言したのであれば、何としても拒否したくなる。受け入れればメンツが立たない。「何か相手に有利なのではないか?」という疑心暗鬼も出る。そこで、その妥協案を、どちらか一方または双方が出すのではなく、中立的な第三者が出す。それだけのことだ。

 ネパールの場合であれ、米国の場合であれ、最終的に出された案は、もともと存在した平凡な妥協案であるにすぎない。ただし、その妥協案を出した仲介者・提言者が、中立的な第三者だったのである。そのことで、双方のメンツを立たせた。
 ここに、第三者の存在意義がある。

( ※ この意味で、国連は非常に有効である。逆に言えば、国連を無視する動きがあると、非常に有害である。例は、イラク戦争開始時のブッシュ大統領。国連を完全に無視していたために、馬鹿げた戦争が起こった。「米国一極集中」というのは、米国以外による戦争を起こしにくくするが、米国による戦争を起こしやすくなる。……これはかなり野蛮な状態だ。)


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 本項の続編があります。
 → 戦争と平和の理論2
 
posted by 管理人 at 20:16 | 政治 このエントリーをはてなブックマークに追加