◆ ネット民主主義:  nando ブログ

2013年02月14日

◆ ネット民主主義

 (前項 の続き) 政治で民意をすくい上げるために、ネットやIT技術を使うと、うまくやることができる。

 ──
 
 間接民主主義は、民意が行政機関に届きにくい。かといって、直接民主主義は、人口が増えると機能しなくなる。
 そこで、IT技術を使うことで、民意を行政機関にうまく伝えるといい。これを「ネット民主主義」と呼ぼう。

 ネット民主主義は、間接民主主義に直接民主主義の要素を導入するものだ。原理はあくまで間接民主主義だが、民意を行政機関に直接的に届けるようにする。

 《 間接民主主義 》

      選挙
  民衆 ──→ 議員 ──→ 行政機関


 《 ネット民主主義 》

      選挙
  民衆 ──→ 議員 ──→ 行政機関
   └──── ネット ──────┘ 


 つまり、「選挙による議員の選択」という経路とは別に、民衆から行政機関にダイレクトに意見が届くようにする。選挙が通常は4年に1度であるのに比べて、いつでも(常時)迅速に意見の伝達が進む。

 ──

 このような「ネット民主主義」は、すでに部分的に実現している。それは「ネットによる請願」という形で、アメリカで行なわれているものだ。
 これは、「ある意見をテーマとして署名を集める」という形でなされる。こうして電子署名することで、民意が大統領に届く。
  → We the People: Your Voice in Our Government

 たとえば、「オリンピックでレスリングの廃止に反対する」という請願があり、これをホワイトハウス宛に請願する。
  → Put pressure on the IOC to overturn their decision to drop wrestling
 このような「電子署名」という形で、ネット上の請願がなされるのは、本項で述べることの趣旨に合致する。

 ──

 ただし、本項が述べることは、上の「ネットによる請願」だけではない。それをもっと拡張して拡大したものだ。基本は、次のことだ。
 「ネット上で意見の集約をする」


 つまり、単に「方針への賛否」をめぐって署名を集めるのではなく、「あるテーマについて、どのような方針を取るべきか、多様な意見を集約する」というものだ。
 
 わかりやすい例では、次の例がある。
 「オリンピックでレスリングの廃止をやめるとすれば、かわりにどの競技を廃止するべきか?」

 これに対して、「近代五種だ」「テコンドーだ」「ホッケーだ」というような意見が生じるだろう。ただし、あまりにも多様な意見があり、集約されていない。バラバラな意見が無数にあるのでは、行政機関としても扱いがたい。そこで、何らかの工夫によって、意見を集約する必要がある。
 では、どうやって? 

 ──

 単純に思いつくのは、次のことだ。
 「意見のなかで多数決で決める」

 つまり、「寄せられた意見が多いほど、その意見が重視される」ということだ。
 しかし、これは駄目だ。たとえば、意見を募集したら、百人から意見が寄せられた。そのうち 90人は同一の意見で、他の意見は 10人だけだった。では、その(圧倒的多数の)90人の意見が重視されるか? そんなことはない。90人の意見なんて、住民全体(1万人以上)から見れば、ほんの一握りにすぎないからだ。つまり、「意見を出す人のなかで多数決を取る」というのは、意味をなさないのである。

 このことは、次のページでも説明されている。
  → 出すのはムダなの!?「コピペでパブリックコメント」の問題点

 ここで、次のように説明されている。
  ・ パブリックコメントは、多数の同じ意見ではなく「様々な意見を聞く」ための制度です。
  ・ コピペで送っても1件に集約されてしまいます。


 つまり、意見募集(パブリックコメント)という制度では、意見の種類だけが問題となるのであって、多数の人が同じ意見を出しても、単に「1件」と数えられるだけなのだ。

 というわけで、通常の意見募集(パブリックコメント)という制度では、意見の集約はできない。

 ──

 では、どうすればいいか? ここで本項の独自の提案をしよう。
 「意見が寄せられたら、それをネット上で公開する。公開された意見に対して、どれだけの支持を得たかで、重みづけをする」


 これと似たシステムは、すでにある。
  ・ はてなスター (
  ・ facebook の「いいね」

 どちらかというと、はてなスターの方が好ましい。というのは、はてなスターでは、多くの支持を得た意見から順に、ランキング表示されるからだ。こうしてランキング表示されることで、自動的に有力な意見がのぼっていく。しかも、たった一つの意見に集約されるのではなく、10個ぐらいの有力な意見が並置される。そのなかでさらに有力な意見が精選されていく。

 これをもうちょっと高度化したものに、Amazon の読者レビュー評がある。ここでは、読者レビューに対して、「良い」「悪い」の双方の評価を付けることができる。「良い」を多く得ても、「悪い」も多く得れば、その読者レビューは重要性が下がる。

 YouTube では、さらに面白い工夫がある。「悪い」という評価がたくさん寄せられた意見は、表示が消えて(隠れて)しまうのだ。このことで、スパムのようなゴミ意見は、自動的に排除される。

 ──

 以上は、既存の方法だ。私としては、さらに次の方法を提案したい。
 「 Google のページランキングシステムを利用する。『有力だ』と見なされた意見Aが、別の意見Bを『有力だ』と見なしたならば、その意見Bは、『Aから高く評価された意見』として、とても高い評価を得る」


 このことは、対立しあう意見同士では機能しないが、同種の意見同士では機能する。
 例。オリンピックで排除する競技は、レスリングでなく、何がいいか。 → 近代五種か? テコンドーか? 
 ここで、「近代五種だ」という意見と、「テコンドーだ」という意見の間では、相互評価の機能はうまく働かない。ただし、「近代五種だ」という意見(複数ある)のなかでは、優れた意見ほど支持を得る。「良い」という評価を得た意見Aの記述のなかで、さらに「良い」という評価で紹介された意見Bがあれば、その紹介された意見Bは、いっそう高い評価を得る。
 ここで、AとBは、ライバル関係にない。Aの意見にしても、いっそう強力な意見が伸びれば、ライバル意見を打倒することができるので、AとBは目的が一致する。ここではAとBの利害が競合しないのである。したがって、優れた意見ほど、どんどん支持を得て、優れたものに集約されていく。
 最終的には、「近代五種だ」が1通り、「テコンドーだ」が1通り、……というふうに、数個の(相異なる)意見だけが残る。似たような意見がいくつも乱立するということはなくなる。つまり、意見の集約がなされる。
 
 ──

 こうして意見の集約が済んだら、あとは、世論調査をすればいい。
 たとえば、次の選択肢を示す。
  ・ 近代五種
  ・ テコンドー
  ・ ホッケー
  ・ 野球
  ・ レスリング


 この中で、上位二つか三つぐらいを選ぶ。そして最終的には、上位2つのなかで決選投票がなされる。……こうして世論が判明する。
 世論が判明したら、そのあと、議会や行政機関が、それを受けて決断すればいい。
( ※ 必ずしも世論調査に従う必要はないが、十分に尊重されるはずだ。あまりにも無視すると、無視した議員や首長が落選する。)
( ※ 世論調査をやたらと重視しすぎても、衆愚政治になりかねないので、注意。

 以上を、私の提案とする。



 [ 付記1 ]
 従来の方式ではどうかというと、普通にあるのは、審議会方式だ。
 ただしこれだと、委員の人選の段階で、官庁の思惑が入る。官庁の思惑に反する人は、人選で排除される。こういうわけで、官僚主導になりがちだ。詳しくは下記。
  → お役所の掟(Amazon)

 [ 付記2 ]
 本項の方式で万能かというと、そうでもない。なぜなら、正しい件を提案することはできても、それを支持するべき人々に十分な知性があるとは限らないからだ。下手をすると、大衆に迎合する意見ばかりが、支持を集めかねない。
  例。原発を停止するべきか?
  例。太陽光発電を推進するべきか?

 これらの意見で、いかにもエコっぽい(衆愚的な)意見ばかりが支持を集めかねない。
 「そんなことはないぞ」と思うかもしれないが、さにあらず。
 たとえば、「太陽光発電を推進するべきだ」という意見は、2008年までは圧倒的に支持を集めていた。これに反対するのは、日本では私ぐらいしかいなかった。
 また、2009年の春の段階では、「豚インフルエンザによるパンデミックを防ぐために、国は大々的な措置を取れ」という大騒ぎがあった。ここでも、「あわてるな。たいしたことはない。せいぜい普通のインフルエンザ並みだ。パニックになるな」と警鐘を鳴らしたのは、私ぐらいだった。
 国民がパニック状態や躁状態になっているときには、正しい意見が支持を集めるとは限らないのだ。どちらかというと、「あいつはトンデモだ」と非難する意見の方が、支持を集める。それが世間というものだ。
( ※ 正しい意見が支持を集めるとは限らない。だから 20年たっても、不況脱出のための正しい政策が取られない。)
( ※ 要するに、「利口が賢明な策を選ぶ方法」というのはあるが、「阿呆が賢明な策を選ぶ方法」というのはない。「馬鹿でも満点を取れる方法」なんて、あるはずがない。それを求めるのは、求めすぎだ。)
( ※ じゃあどうすればいいかと言うと……国民が阿呆ぞろいのときには、国民を啓蒙することから始めなくてはならない。ここでは「知性」と「大衆煽動力」の双方が必要だ。不可能ではないが、かなり難しいですね。)
  
 
posted by 管理人 at 20:07 | Comment(4) | 政治 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
民主主義論では、古くからコンドルセーの定理というのが知られていて、単純多数決だと、正しい判断をする確率が50%を超える場合にのみ、個人の独裁よりも、正しい決定が行われます。

民主的決定の目標を「個人の判断より正しい」よりも緩い、「個人の選好と矛盾しない」としたところで、様々な矛盾が生じることは、社会的意思決定理論で広く知られているとおり。

せいぜい、民主主義の効用とは、「なんとなく自分が決めたような気がする」程度のことなのかもしれません。投票をすると、自分の判断が政治に影響したような気がする。
Posted by 井上晃宏 at 2013年02月16日 02:01
政治の制度設計をする上で、従来、あまり重視されてこなかった事項として、「情報コスト問題」があります。
一般人には自分の生活があり、政治にかまけている時間はそんなにない。
めんどうな政治システムに参加するのは、時間の有り余っている暇人ばかりになってしまって、バイアスが生じる。
雑誌の編集方針をアンケート結果にもとづいて決めると、サイレントマジョリティにそっぽを向かれて失敗するという経験談をよく聞きます。
とすると、めんどうなシステムもいらず、判断も、概ね、政党選択だけでいい選挙という制度は、相対的にはましなんじゃないかと思います。
Posted by 井上晃宏 at 2013年02月16日 02:53
「前項 の続き」のリンクがhttps://petitions.whitehouse.gov/になっています。

なんと管理人さんはホワイトハウスに勤務していたのか、とびっくりしました。
Posted by 北海道の人 at 2013年02月16日 14:55
 ご指摘ありがとうございました。修正しました。

> なんと管理人さんはホワイトハウスに勤務していたのか

 冗談、うまいですね。これまで寄せられたものではピカイチ。  (^^)
Posted by 管理人 at 2013年02月16日 15:10
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