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これはどういうことかというと、
「高齢者については賃金を引き下げていじめてやれ」
ということではなくて、
「高齢者については賃金を引き下げても、雇用を増やせ」(失業を解消せよ)
ということだ。
現状では、最低賃金の額は、年齢にかかわらず一定だ。そのせいで、中年以下の人々が優先されて雇用されるので、高齢者はいつまでたっても雇用されないことが多い。実際、高齢者の求人倍率は 0.7倍程度である。
有効求人倍率は、55〜59歳で0.70倍、60〜64歳で0.69倍、65歳以上で0.71倍。
( → 政府調査 (PDF) )
ここでは大量の高齢者が失業状態になっている。だから、その失業状態を解消するために、最低賃金を引き下げればいい。
単純な理屈ですね。特に説明不要だろう。
というわけで、
「高齢者の雇用を増やす(失業状態を解消する)ために、最低賃金を引き下げよ」
という主張が成立する。そして、その意味は、
「低い賃金で雇用したいと望む会社を増やすこと」
である。
蛇足だが、需給曲線で解説しておこう。
現状では、高齢者の労働需給は、「供給過剰、需要不足」である。つまり、「勤務したい人が多すぎて、雇用したい会社が少なすぎる」という状況である。そこで、労働力の価格(= 賃金)を引き下げることで、労働力の需要(= 職場)を増やすことができる。
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なお、このことは、一般的な意味での「最低賃金を引き下げよ」ということとは異なる。あくまで高齢者に限った「最低賃金の引き下げ」である。
話は似ているが、まったく事情は異なるので、その違いを説明しよう。
一般的な意味での「最低賃金を引き下げよ」ということは、古典派の学者が主張している。たとえば、池田信夫の記事がある。下記。
→ 池田信夫 blog : 賃金を下げれば失業率は下がる
→ 池田信夫 blog : 雇用を増やす唯一の方法
→ 池田信夫 blog : 「格差是正法案」は格差を拡大する
これはもっともらしく思えるが、まったくの間違いである。
一般に、古典派というのは、「ミクロ経済学の理論をマクロ経済に適用する」という根源的な過ちを犯しているが、ここでも事情は同様だ。
ミクロ経済では、「賃金を下げれば労働需要は増える」と言える。しかしマクロ経済では、そのことは成立しない。マクロ経済では、次のようになる。
「一般的に賃金が下がると、所得が減り、需要が減るので、国全体の経済規模はさらに縮小していく。賃下げすればするほど、生産量が増えるのではなくて、生産量は縮小していく。つまり、デフレが悪化する」
わかりやすく説明しよう。
最低賃金を引き下げると、国全体の労働者は増えるか? 「増える」と池田信夫は思い込んでいる。しかし実際には、増えはしない。
たとえば、最低賃金を引き下げたとき、トヨタや新日鐵やサントリーなどの雇用が増えるかというと、まったく増えない。なぜなら、これらの企業では、最低賃金よりもずっと高い金額で雇用がなされているからだ。最低賃金の額が上がろうが下がろうが、これらの企業にはまったく影響しない。
では、最低賃金が下がると、どうなるか? たいていの企業は、最低賃金よりも高い金額で雇用がなされているので、たいていの企業にはまったく影響がない。一方、非常に非効率な経営をしている企業では、影響がある。これらの企業では、最低賃金以下で雇用する量が増えるので、これらの企業では雇用が増える。
では、それは、望ましいことか? いや、望ましくない。それは、「最低賃金」という制度の根源を考えればわかる。この制度は、「労働者の福祉のため」にあるというよりは、「非効率な経営をしている劣悪な企業を市場から退場させるため」にある。他の企業では時給 1000円を払えるのに、非効率である劣悪な企業では時給 700円しか払えない。そういう非効率な企業は、さっさと市場から退場してもらった方がいい。そして、残された労働資源は、効率的な企業に再配分されればいい。そのことで、一国全体の経済の効率は改善するし、賃金水準も向上する。……そういうことだ。これが「最低賃金」という制度の意味だ。
ただし、である。この制度が単純に維持されていると、弊害が生じる。
「賃金水準に下限があると、能率の低い人々は、賃金が妥当な水準まで下がらないせいで、労働市場から排除されてしまう」
ということだ。つまり、雇用されないで失業している人々が増えてしまう、ということだ。
このことは、母子家庭や病弱の人々にも当てはまるが、特に、高齢者には強く当てはまる。高齢者は、能率が低くて、最低賃金以下が妥当な場合があるのだが、その場合にも、能力にふさわしい賃金(700円)で雇用されることはなく、「最低賃金制度のせいで失業する」ということになってしまうのだ。
これは、一国全体で見ると、きわめて無駄なことである。せっかく働ける能力を持つ人々が、「能率が普通よりも劣る」ということゆえに、(低賃金で働くかわりに)、まったく働けなくなってしまうのだ。その結果が、冒頭の数字(高齢者の求人倍率が 0.7倍)という結果になる。
さて。これを解決するのが、本項の提案だ。つまり、
「高齢者については、最低賃金の額を引き下げる」
ということだ。
では、このことは、先に述べたこと(一般的に最低賃金を引き下げること)とは、どう違うのか?
それは、こうだ。
(1) 一般的に最低賃金を引き下げることは、ミクロ経済学的な方法なので、マクロ的な経済効果(一国の労働需要の拡大)には、影響しない。マクロ的な経済効果(一国の労働需要の拡大)に影響するのは、生産量の拡大だけである。つまり、失業を解消するには、賃下げをすればいいのではなくて、景気を拡大して、生産量を増やせばいいのだ。生産量を増やせば、自動的に、労働需要も増える。逆に、生産量が縮小した状態で、単に賃金の引き下げを実行すると、賃下げによる総所得縮小の効果で、生産量が縮小して、デフレはかえって悪化する。
(2) 一方、高齢者に限って最低賃金を引き下げることは、まさしくミクロ経済学的な効果をもつ。つまり、「配分の変更」「配分の最適化」という意味をもつ。
具体的には、「中年以下の労働需要ばかりが多い」という需給の偏りがあるときに、「高齢者の最低賃金を引き下げることで、高齢者の労働需要を増やす」という結果をもたらす。
つまり、労働需要の配分を、「中年以下の需要」から、「高齢者の需要」へと、変えるわけだ。「配分の変更」という形で。
ここでは、需要について「配分の変更」をするために、「価格調整」という方法を取る。現状では、「最低賃金」のせいで、その価格調整ができないから、その価格調整ができるように、最低賃金の制度を少し変えるわけだ。
ここで注意。この方法は、「価格調整を通じて配分を変える」という方法であり、あくまでミクロ的な方法だ。当然ながら、「労働需要全体を増やす」というマクロ的な効果はない。(池田信夫はそこを勘違いしている。)
ここにあるのは、あくまで「配分の変更」だけだ。当然ながら、高齢者の労働需要が増える分、中年以下の労働需要は減る。高齢者に限った「最低賃金の引き下げ」にともなって、高齢者がたくさん雇用されるようになる分、中年以下の労働需要は減る。そのせいで、中年以下では失業が増えるだろう。
しかし、ここでは、マクロ的な労働需要は問題となっていない。マクロ的な労働需要をどうするかは、あくまで「景気調整」というマクロ的な手法に頼るべきだ。
結局、「高齢者の最低賃金を引き下げる」という方法は、「高齢者の雇用を増やして、中年以下の雇用を減らす」という形で、ミクロ的に「配分の調整」をなす。それが、本項で述べたことの意義だ。
( ※ 労働需要全体の問題は、本項では話題となっていない。それはマクロ的な経済政策の問題であり、マクロの問題はマクロで扱うべきだ。)
[ 付記 ]
「労働価格(=賃金)を下げることで、労働需要を増やそう」
という発想は、一国全体では成立しない(マクロ的には成立しない)。
だが、「中年以下と高齢者」という対比を取るなら、「後者だけの価格を下げることで、前者に対して後者の需要を相対的に増やす」ということはできるわけだ。ただし、ここでは、後者で需要が増えた分、前者で需要は減る。だから、一国全体では、景気回復の効果はない。
このことをやる目的は、「配分の是正」である。従って、これが有効なのは、「配分が偏っているとき」である。具体的には、中年以下にばかり労働需要が偏っているときには、そのような労働需要の偏りをなくすことができる。
これが本項の意義だ。
【 関連項目 】
→ Open ブログ: 生活保護と最低賃金
「生活保護と最低賃金という二つがあるが、乖離している。
その中間的な労働形態があるといい」
という話。
この項目の続編ふうに、本項の話題がある。
→ 賃上げと失業 (2009年08月04日)
最低賃金について述べた、以前の項目。
ここでも池田信夫の説を批判している。
→ http://agora-web.jp/archives/1566945.html
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本項は、割と辺凡な意見だった。私としては、ミスった感じだ。
なお、シルバー人材センターというのもある。これはすでに最賃法の適用外だ。
→ http://openblog.seesaa.net/article/439901099.html
本項は、いちいち提案するまでもなかったようだ。