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民族の共存をテーマに考えよう。
これは、外国人を自由に流入させて、日本中の至るところで外国人といっしょに暮らすことを意味する。
これは可能か?
「可能だ」と見なす人は多い。
たとえば、欧州はその方針の下で、「ユーロ」(欧州共同体)というものを構築して、域内の移動を自由にした。
これに賛同するのが、国際性を重視する人々だ。特に日本において、外国人をたくさん流入させることで、日本を国際的にしよう、と狙っている。
朝日新聞には、その趣旨の記事が多いが、本日もそういう趣旨の記事が出た。
《 曽野氏コラム、共生願う心に波紋 》
ともに住めば摩擦もある。でも、互いに歩み寄れば解決できると、多文化共生を進めてきた街の住民たちは語る。
東京・大久保に15年前から住む40代の韓国人男性は「ばかげている。国際社会では全く理解されない主張ではないか」。
群馬県大泉町では1990年の入管法改正後、企業城下町として日系人労働者が集中し、ピーク時の08年には町の人口約4万2千人のうち日系ブラジル人が5140人(12.2%)を占めた。
町多文化共生コミュニティセンターによると、当初は、ゴミ分別の習慣がないことや、週末のバーベキューパーティーの騒音などで、地元住民との摩擦も少なくなかったという。
日系3世の平野勇パウロさん(36)は「自分たちのコミュニティーで完結して交流を持つ必要もなかった」。だが互いを理解しようとする姿勢が生まれ共生が進んだ。
東京・池袋。地元の豊島区観光協会の斉木勝好会長(76)は中国人店主らにこう繰り返したという。「私たちも中国の文化を理解する。だから、あなたたちも日本人の作法を理解して」
90年代ごろから、家賃の安いアパートに中国出身の留学生らが集まり、次第に中国系商店も立ち並びだした。通りに勝手に物を置く。商店街の会費も払わない。そんな姿勢だった店主らも少しずつ日本の文化になじんできた。中国系2世の店主らが商店街の役員にもなった。
( → 朝日新聞 2015-02-17 )
曾野綾子の人種差別論議に便乗して、民族共存を主張しようとしている。両者はかなり違うことなのだが、「うまく利用してやれ」ということらしい。
だが、朝日の主張には、論理の穴がある。大久保の韓国人であれ、群馬の日系ブラジル人であれ、池袋の中国人であれ、そこにいる外国人は限られた範囲だけだ。そのような外国人の多いところに住みたくない人は、そこを脱出することが可能だ。別の地域に引っ越しすれば、外国人といっしょに暮らさなくても済む。そういう自由がある。
逆に言えば、大久保、群馬、池袋という例では、外国人が多いのは、一定範囲に限られている。範囲が限定されているのだ。とすれば、これは、「外国人との共存が可能だ」ということを示すというより、「外国人との共存が可能なのは一定範囲に限るべきだ」ということを示している。つまり、実例としては、話の方向が逆だ。「これは白である」ということを示そうとして、「これは黒である」という実例を持ってきているわけだ。論理的破綻。
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問題は、「特定の領域で外国人と共存することの可否」ではなくて、「日本中の至るところで外国人と共存することの可否」である。前者の場合には、日本人社会に脱出することが可能だが、後者の場合には、日本人社会に脱出することが不可能だ。なぜなら、日本中のすべてが、外国人だらけになっているからだ。
( ※ 特定地域で共存することについては、議論になっていない。各地に外国人の多い地域があること[いわば隔離されていること]については、誰も批判していない。朝日は、「一定領域に隔離されている」という現状を示して、「日本中で共存すべきだ」と主張しているわけだ。これでは論理が狂っている。)
では、日本中の至るところで外国人と共存することは、可能か? これが本項のテーマだ。
「可能である」というのは、理想論である。この理想論を信じたい気持ちは、よくわかる。私も本来は国際主義なので、こういう理想論を信じたいと思う。個人的希望としてはね。
しかしながら、現実は厳しい。すでに 別項 で述べたように、次のような例がある。
(1) フランスでは先にイスラムを揶揄した風刺漫画の新聞社がテロで攻撃された。
[ 追記 ]2月14日には、デンマークでもテロ発砲事件があった。
犯人は同国出身のイスラム教徒。移民2世らしい。
(2) イギリスでは、(植民地だった)パキスタンからの移民が大量に来て、人口の 1.9%にあたる 118万人まで増えた。しかし ロンドン同時爆発テロ(2005年)が起こって、犯人4人のうち3人がパキスタン系英国人(つまり移民と子孫)だとわかってから、世間との軋轢が増えた。あるパキスタン系2世の女性(31)は、「自分には白人の友人はいない。せめて2歳の娘が大人になるころには移民系の住民が受けら入れられる社会になってほしい」と語った。(読売・朝刊 2015-02-15)……これほどにも外国人移民は世間から排除されているわけだ。そして、そのせいで、うっぷんの溜まった移民がテロみたいな事件を引き起こすこともある。
(3) ドイツも同様だ。あまりにも大量のトルコ系移民が流入して、ドイツの文化が脅かされてしまった。「彼らはまるでドイツを占領するかのような勢いだ」と受け止められている。そのせいで、「反イスラム・デモ」が生じたり、暴動が生じたりする。
→ ドイツではトルコ移民の増加が問題になってます
→ 参考動画( YouTube )
要するに、(一定範囲でなく)国中のいたるところで外国人の移民を流入させると、各地で軋轢を生むのだ。喧嘩や暴動や殺人やテロなどが起こる。
つまり、「民族の共存」という理想を狙って、それを実行しようとしたら、現実はその理想を裏切ってしまったのだ。
このことがさらに進むと、どうなるか? 数%の移民ではなく、数割の外国人が共存するようになると、どうなるか? これは「民族の共存」が完全に実現した状況である。このことで理想的な国際社会が成立したか?
「成立する。各民族は、仲良く共存する」
と見えた時期はあった。ただし、その間、それぞれの民族にはストレスが溜まった。生活も習慣もまったく異なる民族がいつもいることで、ストレスがどんどん溜まった。そして、最終的にはどうなったか? 次の例がある。
→ ユーゴスラビア紛争 ( Wikipedia )
バルカン半島のユーゴスラビアは、スロベニア、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、セルビア、モンテネグロ、マケドニアという6つの構成共和国があったが、クロアチアの独立運動をきっかけに、セルビアとの紛争が起こり、各国は内戦状態(戦争状態)になった。少し前までは異なる民族として仲良く共存していたのに、紛争のあとでは殺しあうようになった。さらには大量虐殺まで発生した。民族浄化のためのレイプ も各地で発生した。およそこの世の地獄といったありさまである。
では、その意味は? 私の考えでは、こうだ。
「できもしない理想をなし遂げようとして、理想ふうの空想に向かって強引に突き進めば、そこに追いつけない現実が反逆する」
民族の共存は理想である。それが実現できれば素晴らしい。しかし、それは理想(空想)にすぎない。その理想を実現するためには、さまざまな痛みが発生する。理想主義者は、その痛みを無視している。しかし、痛みを無視したまま、どんどん先へ突き進めば、痛みが我慢できないほどになる。そしてあるとき、爆発する。その爆発が、ユーゴでは「戦争」「大虐殺」という形で現れた。
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このことは、次の比喩で示すことができる。
(1) 外国民族が流入するというのは、家のなかに他人が入り込むようなものである。ここで「民族の共存」「国際化」を唱えるのは、「家族を解体して、多くの家族が一緒に暮らす」ということだ。しかし、そのようなことは、まったく不愉快だろう。実行すれば、ストレスが溜まる。最終的には、「異なる家族といっしょに暮らせるか」と思って、感情が爆発して、喧嘩することになるだろう。(ユーゴスラビアとそっくりだ。)
(2) ホームステイでは、まったくの外国人が他人の家(ホーム)で共同生活する。ここでは「外国人との共同生活」が可能であるように見える。しかしこの際、外国人の側は、生活をホームの生活に同化している。衣食住のすべてで、ホームの側の指示に従う。つまり、完全な従属だ。一方、外国人の側が、ホームに従属せず、まったく独立した生活をするとしたら、それはもはやホームステイではない。そのような形で外国人が勝手に好き勝手に家のなかを動き回られたら、ホームの側は耐えかねてカンシャク玉を爆発させるだろう。最終的には、大喧嘩になるはずだ。
以上の (1)(2) からわかるだろう。家族の例ですら、他の家族との共存などは不可能だ。かろうじて可能なのは、一方が他方に完全に従属するという形の場合だけだ。
とすれば、国レベルでも、同様なのである。他の家族と一緒に暮らすと、すごくストレスが生じるように、他の民族といっしょに暮らすと、すごくストレスが生じる。それが、ドイツやフランスで起こっていることだ。(大量のイスラム系移民の流入。)
アメリカではどうか? アメリカの場合には、多くの移民が来ているが、彼らはアメリカ社会に溶け込むことが要請される。「英語を話して、アメリカ社会の一員として生活する」ことが要請される。だからこそ共存が可能だ。(ホームステイと同じ。)
一方、大量のヒスパニックが英語を話そうとせず、各地でヒスパニック社会を構築して、英語の通じない独自国家みたいなものを構築したら、アメリカはそれを決して許容しないだろう。かろうじて許容するとしたら、ごく少数の場合だけだろう。(たとえばアーミッシュ。)
いずれにせよ、大量の外国人が流入して、その国に溶け込もうともせず、独自の民族社会を続けていれば、最終的にはユーゴスラビアのようになるだろう。つまり、感情が爆発して、戦争や大量殺害という結果になるだろう。
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以上の教訓は何か?
「理想を掲げるのはいいが、現実を見失ってはいけない」
ということだ。
ホームステイで国際化を進めるのを見て、「国際化は素晴らしい」と思うのはいい。しかしその際、「ホームステイはホームに完全従属する形で成立する」ということを見失っているのだ。理想ばかりを見て、現実を見失っているのだ。そのあげく、理想ばかりを押し進めようとすれば、「異なる家族が共存する」というような無理難題をめざして、最終的には大喧嘩の爆発に至る。
国際化というのは、とても大切なことだ。しかしそこではあくまで「他人同士として親しくする」というふうに、限界を弁えるべきだ。もともと他人同士であるのに、「他人でなく家族のように暮らす」というのは、「好きでもない相手と強制結婚させられる」というのに近い。「こんな奴とはいっしょに暮らしたくない」と思う相手といっしょに暮らすことを強要されたら、人はストレスが溜まるし、あるときは耐えかねて爆発する。
要するに、「愛」「協調」「親善」というのは、それをめざすのはいいにしても、それを強引に押し進めて強制すれば、現実が反逆するのである。
夢想的な国際主義は、永遠の平和という理想をめざしたあげく、現実には戦争と虐殺をもたらす。皮肉なことに、めざしたものとは逆の結果をもたらす。
無知ゆえの夢想ほど危険なものはないのだ。にもかかわらず、欧州や朝日新聞は、その「無知ゆえの夢想」にこだわり続ける。それが破滅への道だと気づかないまま。
【 関連サイト 】
(1) 引用
世界的に高福祉国家として知られる国、デンマーク。デンマークは長年、 人道主義の観点から移民を寛容に受け入れてきた。しかし、現在では人口の約10%が移民となり、 移民の増加に伴って様々な社会問題が生じ始めた。
( → 大阪大学 石黒研究室 )
(2) デンマークのテロ
デンマークの公共放送などによると、男は「オマル・アブデル・ハミド・フセイン」という名前で、両親がパレスチナ系。男はデンマークで生まれ育ち、2013年にナイフで地下鉄の乗客1人を刺した罪に問われて禁錮刑判決を受けて、今年1月に出所したばかりだった。
( → 読売新聞 2015-02-18 )
(3) 動画
→ テロリストの画像(YouTube)
[ 余談 ]
それでもまだ、「外国人の流入を許容するべきだ」と思うのであれば、「独立」をも想定するべきだ。つまり、「外国人が大量に流入して、独自の閉鎖社会を作ったあとで、その外国人が日本から独立する」という事態だ。
これと同様のことが起こったのが、ユーゴスラビアだ。ユーゴのなかでクロアチアだけが独立しようとした。それを認めないユーゴスラビア連邦と戦争になった。通常ならばクロアチア側があっさり負けるはずだったが、欧州諸国の支援を得たせいで、クロアチアの側が勝ってしまい、ユーゴスラビア連邦は解体した。
仮に、日本に大量の中国人が流入して、中国人の閉鎖社会を作ったあとで、独立しようとすれば、日本はこれを弾圧しようとしたあげく、戦争になるだろう。通常ならば日本が勝つはずだが、中国人の側が中国の支援を得たら、中国人の側が勝つかもしれない。米国は? これは、侵略ではなく独立なので、米国は介入せず、中立を保つ。日米安保条約の枠外だからだ。
というわけで、奄美大島ないし九州が丸々中国人に奪われることぐらいは、覚悟しておいた方がいいかも。(移民を大量に認めるというのは、そういうことだ。)
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実は、これが現実化したのが、現在のウクライナだ。ウクライナの東部には、大量のロシア人が移住して、ロシア化が進んだ。そのあとで、ウクライナ東部がウクライナから独立しようという事態になっている。
戦後ウクライナは、ソ連の主要産業を担う重要地域として発展した。……良質の石炭・鉄鉱石を産出する東部は重工業地帯として大いに成長する中で、多くのロシア人などが移住した。
( → ウクライナ人 - Wikipedia )
具体的に地図を見ても、東部はロシア系が多い。
→ 地図で見るウクライナ
どうしてこうなったか? ウクライナは歴史的には多くの国家に征服されてきたが、人間はおおむね現地の人々のままだった。ただし東部は無人地帯だった。そこへロシア人がどんどん入ってきた。
南部は、1447年にジョチ・ウルスから独立したクリミア汗国によって支配されるようになった。無人だった東部は次第にモスクワ大公国(のちのロシア)の領域に入った。
( → ウクライナ - Wikipedia )
こうして 500年ほど、ウクライナ人とロシア人の共存が続いた。その間、共存はうまく成立していたようだ。
ところがあるとき、ウクライナ人(西部・中部)が、ウクライナ全体をユーロ圏に入れようとした。つまり、ロシアとの絶縁を求めた。これで暴動が起こったが、欧州の仲介で和平協定が成立して、共存を維持することになった。ところがウクライナ人の側が協定を無視して、クーデターを起こした。このクーデターは通常ならば政権側から弾圧されるはずだったが、欧州が介入して、クーデターの側を支持した。かくてクーデター側が権力を握った。その後、少数派に転じた東部の側が、「欧州に飲み込まれてたまるか」と独立運動を起こした。こうして内戦が勃発した。
→ nandoブログ: ウクライナと鯨と……
まとめて言えば、民族共存が 500年間続いたあとで、欧州の介入によってウクライナは欧州圏に飲み込まれようとした。そのとき、無理やり飲み込まれるのをいやがったロシア系が反発して、内戦が生じたのである。
民族共存は決して安定した状況ではない。あるとき一方の側に偏ろうとする力が働けば、たちまち全体が崩壊して、一挙に国家分断と内戦が発生する。そのことをウクライナの例は教える。
【 関連項目 】
→ Open ブログ: 外国人の居住排斥をせよ
→ ウクライナ問題の解決案
そしてその方法は交通手段の高速化をもって実現すべきで、強制的にやるものではないはずです。でないとひずみが蓄積し、地震が発生します。地震大国とか言いながら地震から何も学ばない日本。
それに何より日本語の習得難易度が高すぎる。
日本語の必要レベルを下げないと外国の人にはつらいでしょう。
異文化を超えて異国人を大量に流入したいなら次のことが日本人にも最低限必要です。
たとえば きほん は ひらがな のみ で ひょうげんする しすてむてき ちえ が ひつようです
水に少し濃い硫酸を入れ、混ぜてからまた濃い硫酸を少し入れる、これを繰り返して、うすい硫酸を作る。
自家製マヨネーズを手作るとき、卵黄とお酢と油を混ぜるのだが、いっぺんに混ぜようとすると、油が混ざらないで分離したままになってしまう。
油を少し入れて混ぜ、よく混ざってからまた油を追加して混ぜる、これを繰り返す。
関係はないけれども、ちょっと似たような現象を思い出しました。