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メイ首相が辞任した。(マスコミ各社報道)
このこと自体は、私が前に予想していた通りだと言える。
→ 英国の EU離脱延期が決定 : nando ブログ (2019年03月15日)
では、このあとはどうなるか? 現状の混迷のあとで、どう脱するか?
これについては、現地のマスコミを調べるのが手っ取り早い。英語のサイトをググるとよさそうだが、とりあえず日本語のサイトをググるだけでも、英紙の解説記事が見つかった。
→ 英EU離脱、メイ首相辞任後に想定される展開 - ロイター
ここでは要点として、次のことを述べている。
最終的に英国は、EUとの間で何らかの形で移行期間を設けて円滑に離脱するか、突然合意なしで離脱する、または離脱しないといういずれかの道を選ばなければならない。10月末の離脱期限は再延期される公算が大きい。
こう書いたあとで、「合意なき離脱」「総選挙」などのシナリオをいくつか掲げている。
次の話もある。
JPモルガンは顧客向けノートで、合意なき離脱の確率を 25%に引き上げ、総選挙を経てボリス・ジョンソン氏が首相になるのが基本シナリオだと説明するとともに、離脱期日の延期確率は 60%とみなした。
BNPパリバは23日、合意なき離脱確率が 20%から 40%になったとの見方を示した。
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いろいろと見解はあるが、それとは別に、私の見解を述べておこう。
(1) 合意なき離脱
法的・原則的に考えるならば、「合意なき離脱」が最も正統的で常識的だ。なぜか? メイ首相が「離脱」をすでに通告済みだからだ。これによって「通告から1年後の離脱」が自動的に決まった。だから、これが原則なのだ。
現実には、反対論が多くて、意見がまとまらない。そのせいで、原則から逸脱することとなって、混迷が続いている。
とすれば、この混迷をもたらしたのは、「合意をする前に勝手に離脱を通告したメイ首相」に責任がある。常識的には、離脱の交渉がまとまってから離脱すればいいのに、交渉がまとまる前に一方的に離脱を通告した。これは明らかに馬鹿げている。その馬鹿げたことをやらかしたメイ首相が馬鹿すぎるのだが、こういう馬鹿の置き土産みたいな形で、乱痴気騒ぎみたいな混迷が続くわけだ。
結局、「合意なき離脱」という原則が取られたあとで、その原則が通らないまま混迷が続いている、というのが現状だ。
当然ながら、この原則の方向で決着する見通しは小さい。とはいえ、小さいながらも、有力な候補となっている。
なお、これが起こるのは、次の場合だ。
「メイ首相のあとで、離脱派の首相が就任して、議会の反対を押し切って、合意なき離脱を一方的に通告して実現する」
これを阻止する手段はないらしい(ロイター記事による)とのことなので、そうなる可能性はあるわけだ。
これが最悪な事態であることは、産業界の懸念するところだが、そうなる可能性はかなりあるわけだ。
(2) 総選挙
総選挙になる可能性は十分にある。ただし、そこで予想されるのは「保守党の惨敗」と「離脱新党の躍進」であって、保守内部の出来事であるにすぎない。労働党の勝敗などは不明だ。保守の分裂に乗じて、労働党が勝利する可能性はある。その後は、離脱取りやめとなる可能性もあるし、2回目の国民投票となる可能性もある。
ただ、いずれも先行きは不明だ。見通しははっきりとしない。
(3) 2回目の国民投票
最終的に安定を望むのであれば、2回目の国民投票を実施するしかない。なぜなら、国民の多数は「離脱反対」だからだ。世論調査の結果がある。(昨年実施)
英国で現在、欧州連合(EU)離脱の是非を問う国民投票が再実施された場合、過半数が残留を選ぶと見られることが、5日公表の世論調査で明らかになった。2016年の国民投票以降で、残留支持率は最高となっている。
調査は調査機関ナットセンと「変わる欧州における英国」が実施し、学者が中心となって分析。残留支持率は59%と、離脱支持率の41%を引き離した。16年の実際の投票では残留支持が48.1%、離脱支持が51.9%だった。
( → EU離脱巡る国民投票、再実施なら残留派勝利=英世論調査 - ロイター )
6:4の割合だから、離脱反対が離脱賛成の5割増だ。圧倒的な差とも言える。国民の意見は「離脱反対」が圧倒的な優勢なのだから、事態を収束させるには、「2回目の国民投票によって離脱反対」と決着させるしかない。
(4) だらだら延期
以上はいずれも「決着を付ける」ことの選択肢だが、別途、「決着を付けない」という選択肢もある。つまり、「ダラダラと延期する」ということだ。
そもそも、メイ首相がこの路線を取るべきだった。党内の意見や世論を聞くということを続けて、どうにも決定しないままにするべきだった。そのまま、うやむやにして、「あの国民投票はなかったことにする」というふうにするべきだった。
しかし、そのようなことは、民主主義に反するのではないか? 国民投票の結果は絶対的なものだから、それに忠実に従うべきではないのか? ……そう思う人も多いだろう。そこで、説明しよう。
上の引用記事にもあるように、16年の投票では残留支持が 48.1%、離脱支持が 51.9%だった。つまり、僅差である。その上、事後しばらくして、賛成論者には転向する人々が続出した。「離脱でこんなふうになるとは思わなかった」というふうに、自分の投票に後悔する人が続出した。(報道された。)
とすれば、「国民投票を絶対視する」ということは必要ないのだ。むしろ、「国民投票をなかったことにする」ということの方が、よほど民主的なのだ。(より民意を反映しているから。)
ここでは、次の対立がある。
「形式的な多数決を尊重するか、実質的な多数決を尊重するか」
なるほど、形式的には、国民投票で「離脱賛成」が勝利した。しかしそれは次の二点で不十分だった。
・ 差は僅差だった。
・ 事後では差は逆転した。
つまり、形式的には賛成派が勝利したが、実質的な民意は反対側にあるようになったのである。(一定の時間の経過後に。)
そもそも、事前調査でも、賛成が多数派になる時期もあり、反対が多数派になる時期もあった。そのうちのほんの短い期間で、賛成派が多数になり、ちょうどそのとき、投票が実施されたので、賛成派が勝った。とはいえ、そんな一時的な偶発的な(かつ僅差の)勝利は、真の民主主義とは言えないのだ。
民主主義を真に実行するのならば、「民意を尊重する」というふうにするべきだ。それこそが民主主義の本質だからだ。
その本質を外れて、「民意よりも形式だ。ただ一回の投票の結果だけを尊重すればいい。たとえそれが民意から懸け離れていても」というのでは、それはもはや民主主義ではない。民主主義の形式を借りた、別の何かである。( ※ 何かとは? 形式主義とでも言おうか。)
というわけで、過去の国民投票にこだわる必要はない。……しかし、だからといって、「2回目の国民投票」に進むには、障害が大きすぎる。
そこで、現実的には、「どうとも決着しない」「何もしないで時間の経過ばかりを待つ」「そうやって うやむやにする」という策が、最も取りやすい道だと思える。
これは、「決着させる方法」ではなく、「決着させない方法」でもある。そして、実質的には「無期限延期」にしておいて、数年後にほとぼりが冷めたころに「廃案」みたいにしてしまえばいいのだ。そのためには、「廃案にするための国民投票」でも実施すればいい。適当な頃合いに。
かくて、当面は「うやむやにする」という策が、最も現実的であると思える。
( ※ 実際にそうなるかどうかは不明。単に対立と混迷状況が続くだけかもしれない。しかしそれならそれで、「うやむやにする」のと、たいして違いはない。英国内の当事者は騒いでいるが、英国外の人々は「勝手に騒いでいろ」と傍観しているだけでいいだろう。仮に英国が「合意なき離脱」をしても、英国が自滅するだけだから、諸外国の人々はほったらかしておいてもいい。)
→ https://www.asahi.com/articles/DA3S14031268.html