◆ テロとイスラム教:  nando ブログ

2019年08月13日

◆ テロとイスラム教

 テロはイスラム教の組織によってなされることが多い。イスラム教は、テロの温床なのか?

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 テロ組織はイスラム教の組織であることが多い。IS(イスラム国)もそうだが、アルカーイダもそうだ。いずれも、イスラム教の強大なテロ組織である。後者は9・11テロで米国に大被害をもたらしたこともある。
 こういう例を見ると、「イスラム教 = テロ」というような結びつきを考える人も多いだろう。では、本当にそうか?

 ──

 私がこう思ったのは、ほかでもない。次の事件があったからだ。
  → インドによるカシミール支配 - Google 検索

 ニュースでいろいろと報道されているとおり。
 ところが、これに対して、世界各国は「見て見ぬフリ」だ。いくら住民が弾圧されても、知らぬ顔の反米で、ほおかむり。騒いでいるのは、朝日の社説ぐらいだ。
  → カシミール問題 無責任なインドの行動:朝日新聞(社説)

 さて。ここで大事なことは、次のことだ。
 「カシミール地方は、イスラム教住民の地域だ。そこで弾圧されているのは、イスラム教徒だ」

 つまり、イスラム教徒が不当に弾圧されているのに、世界各国は「見て見ぬフリ」なのである。

 似た例は、中国が弾圧する新疆ウイグルもある。ここでも、イスラム教徒が弾圧されている。しかも、仲間であるはずのアラブ諸国にまで見放されている。(中国が怖いせいらしい。)
  → なぜ中国のウイグル人弾圧にイスラム諸国は沈黙するのか?

 さらに似た例を挙げると、(有名な)パレスチナ支配がある。ここでも、イスラム教徒が弾圧されている。なお、ここでは、イスラエルというユダヤ教徒に弾圧されているが、トランプや米国というキリスト教徒の、多大なるイスラエル支援も関与している。

 ──

 以上を見ればわかるだろう。「イスラム教徒はテロをなす根本的な悪の集団」というよりは、「多くの国から弾圧されて、テロ以外には対抗手段をもたない人々の集団」とってもいいくらいだ。彼らがテロをするのは、まともな軍隊をもたないからである。それだけのことだ。
 たとえば、仮日本が侵略されたら、日本は自衛隊で反撃するだろう。米国の強力による反撃もあるだろう。
 一方、イスラム教徒の場合には、自衛隊のような国家規模の軍隊をもたない。だから仕方なく、小規模なテロ組織で反発する。悪質だからテロをするというよりは、大規模な軍隊を持てないから小規模なテロをするわけだ。そして、そのまた根源は、彼らをテロに追い込むように、他の国々がイスラム教徒を追い詰めているからだ。

 以上の図式は、もちろん、単純すぎる。現実には、これほど単純な話では済まない。テロ組織には、麻薬販売による利権など、明らかに「悪の組織」としての面もある。
 とはいえ、彼らが一方的に悪だというのも、妥当ではない。新疆やカシミールで、無実の住民たちが弾圧されているとき、「見て見ぬフリ」をしている西側諸国にも、大きな罪はあるのである。
 ここで、「インドは弾圧するな」「中国は弾圧をするな」と言って、西側諸国が制裁をするならば、西側諸国にも正義はあるだろう。しかし現実には、そうではない。朝日の社説が訴えなければならないように、西側諸国はだんまりを決め込んでいる。このとき、西側諸国には罪が生じた。弾圧された住民に残されたすべは、次のいずれかしかない。
  ・ 強権による弾圧を甘受する
  ・ 強権の不法性を訴えるために、テロ行為をする


 後者の事件は、将来的に起こりそうだ。つまり、われわれが不正義を見逃していることによって、われわれのみにテロが襲いかかる危険性が高まるのである。

 「東京オリンピックで平和の祭典を訴えよう」
 なんていう馬鹿騒ぎをしている暇があったら、カシミールのために少しは声を上げるべきだろう。それこそが将来的なテロの危険の芽を摘む。彼らのために働くことが、自分自身の安全をもたらす。「情けは人のためならず」だ。

 カシミールの記事を読んだら、世界の平和のことを考えよう。平和を考える場は、五輪だけではないのだ。

posted by 管理人 at 14:52 | Comment(1) | 政治 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
考えるほど複雑です。無信教な日本人には。

そもそも宗教の危険さを考える時、
オーム真理教のようなモノから、キリスト信教、
仏教も親鸞信教から真言宗のようなところまで、
創価学会のようなところまで色々ありますが、

供物を要求するをモノサシにしたとき、
大量に供物を要求するキリスト教や信教、
階層を作るヒンズー強、
少量の供物は必要な仏教、
それに比べるとイスラム教、供物を分けあう
そんなイメージ。要は宗教的な共産主義。
もしかすると究極の共産主義なのかも。

そう考えたとき、
宗教家のトップが脅威と感じるのはイスラム教。
なのではないか?
人と富を共有する考えは、寺院や教会を消す。

日本は無宗教だからこそ
正義真理、性善説をビジネスでも貫けるのではないのか?
世界政府に必要な宗教や、人としての素性は、
どんな民族像になるのだろうか?
原爆を受け入れる日本人は、
イスラムと対局にあるのか?同じではないのか?
ジハードの逝く果ては、日本が到達した境地?







Posted by メルカッツ at 2019年08月16日 23:24
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