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テロ組織はイスラム教の組織であることが多い。IS(イスラム国)もそうだが、アルカーイダもそうだ。いずれも、イスラム教の強大なテロ組織である。後者は9・11テロで米国に大被害をもたらしたこともある。
こういう例を見ると、「イスラム教 = テロ」というような結びつきを考える人も多いだろう。では、本当にそうか?
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私がこう思ったのは、ほかでもない。次の事件があったからだ。
→ インドによるカシミール支配 - Google 検索
ニュースでいろいろと報道されているとおり。
ところが、これに対して、世界各国は「見て見ぬフリ」だ。いくら住民が弾圧されても、知らぬ顔の反米で、ほおかむり。騒いでいるのは、朝日の社説ぐらいだ。
→ カシミール問題 無責任なインドの行動:朝日新聞(社説)
さて。ここで大事なことは、次のことだ。
「カシミール地方は、イスラム教住民の地域だ。そこで弾圧されているのは、イスラム教徒だ」
つまり、イスラム教徒が不当に弾圧されているのに、世界各国は「見て見ぬフリ」なのである。
似た例は、中国が弾圧する新疆ウイグルもある。ここでも、イスラム教徒が弾圧されている。しかも、仲間であるはずのアラブ諸国にまで見放されている。(中国が怖いせいらしい。)
→ なぜ中国のウイグル人弾圧にイスラム諸国は沈黙するのか?
さらに似た例を挙げると、(有名な)パレスチナ支配がある。ここでも、イスラム教徒が弾圧されている。なお、ここでは、イスラエルというユダヤ教徒に弾圧されているが、トランプや米国というキリスト教徒の、多大なるイスラエル支援も関与している。
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以上を見ればわかるだろう。「イスラム教徒はテロをなす根本的な悪の集団」というよりは、「多くの国から弾圧されて、テロ以外には対抗手段をもたない人々の集団」とってもいいくらいだ。彼らがテロをするのは、まともな軍隊をもたないからである。それだけのことだ。
たとえば、仮日本が侵略されたら、日本は自衛隊で反撃するだろう。米国の強力による反撃もあるだろう。
一方、イスラム教徒の場合には、自衛隊のような国家規模の軍隊をもたない。だから仕方なく、小規模なテロ組織で反発する。悪質だからテロをするというよりは、大規模な軍隊を持てないから小規模なテロをするわけだ。そして、そのまた根源は、彼らをテロに追い込むように、他の国々がイスラム教徒を追い詰めているからだ。
以上の図式は、もちろん、単純すぎる。現実には、これほど単純な話では済まない。テロ組織には、麻薬販売による利権など、明らかに「悪の組織」としての面もある。
とはいえ、彼らが一方的に悪だというのも、妥当ではない。新疆やカシミールで、無実の住民たちが弾圧されているとき、「見て見ぬフリ」をしている西側諸国にも、大きな罪はあるのである。
ここで、「インドは弾圧するな」「中国は弾圧をするな」と言って、西側諸国が制裁をするならば、西側諸国にも正義はあるだろう。しかし現実には、そうではない。朝日の社説が訴えなければならないように、西側諸国はだんまりを決め込んでいる。このとき、西側諸国には罪が生じた。弾圧された住民に残されたすべは、次のいずれかしかない。
・ 強権による弾圧を甘受する
・ 強権の不法性を訴えるために、テロ行為をする
後者の事件は、将来的に起こりそうだ。つまり、われわれが不正義を見逃していることによって、われわれのみにテロが襲いかかる危険性が高まるのである。
「東京オリンピックで平和の祭典を訴えよう」
なんていう馬鹿騒ぎをしている暇があったら、カシミールのために少しは声を上げるべきだろう。それこそが将来的なテロの危険の芽を摘む。彼らのために働くことが、自分自身の安全をもたらす。「情けは人のためならず」だ。
カシミールの記事を読んだら、世界の平和のことを考えよう。平和を考える場は、五輪だけではないのだ。
そもそも宗教の危険さを考える時、
オーム真理教のようなモノから、キリスト信教、
仏教も親鸞信教から真言宗のようなところまで、
創価学会のようなところまで色々ありますが、
供物を要求するをモノサシにしたとき、
大量に供物を要求するキリスト教や信教、
階層を作るヒンズー強、
少量の供物は必要な仏教、
それに比べるとイスラム教、供物を分けあう
そんなイメージ。要は宗教的な共産主義。
もしかすると究極の共産主義なのかも。
そう考えたとき、
宗教家のトップが脅威と感じるのはイスラム教。
なのではないか?
人と富を共有する考えは、寺院や教会を消す。
日本は無宗教だからこそ
正義真理、性善説をビジネスでも貫けるのではないのか?
世界政府に必要な宗教や、人としての素性は、
どんな民族像になるのだろうか?
原爆を受け入れる日本人は、
イスラムと対局にあるのか?同じではないのか?
ジハードの逝く果ては、日本が到達した境地?