◆ 死刑廃止は宗教観か?:  nando ブログ

2019年12月27日

◆ 死刑廃止は宗教観か?

 死刑廃止を実施している国が多い。その理由は、宗教観ではないか?

 ──

 死刑廃止を実施している国が多い。その理由は、人道主義だと思われることが多い。
 たとえば、朝日新聞は、人道主義の立場で、しばしば死刑廃止を推進する記事を書く。本日記事でも、久々に死刑執行がなされたのを報じるついでに、「死刑廃止を実施している国が多い」と報じた。
 法務省は26日、福岡市東区で2003年に一家4人を殺害したとして強盗殺人罪で死刑が確定した中国籍の元専門学校生、魏巍(ウェイウェイ)死刑囚(40)の死刑を福岡拘置所で執行した。今年の執行は8月の男2人に続き、3人目。
  国際人権団体アムネスティ・インターナショナル日本によると、18年末時点で、世界198カ国・地域のうち142カ国が死刑制度を廃止・停止。日本では、日本弁護士連合会が16年に初めて「死刑廃止宣言」を掲げ、今年10月には死刑廃止と終身刑の導入を同時に求めていく基本方針を決めた。 
( → 8年連続の死刑執行、法相は理由語らず 一家四人殺害:朝日新聞

 こういうふうに「人道主義」の立場で捉える人が、日本では多い。
 しかし私は、疑問を感じた。
 「死刑廃止を実施する国が多いのは、人道主義が理由ではなく、宗教観が理由ではないか?」

 その理由は、こうだ。
 「キリスト教では、自殺はタブーないし罪だとされる。神から与えられた生命を自ら絶つのは、神に対する反逆だと見なされるからだ。
 自分の生命を絶つのでさえ否定されるのだから、他人の生命を絶つのはなおさらだ。ゆえに、死刑は神に対する強い反逆と見なされて、宗教的タブーとなる」

 ここでは、人道主義や倫理観が理由ではなく、宗教観が理由となって、自殺や死刑が否定されるのだ。

 ──

 以上は、仮説である。
 そこで、この仮説が正しいかどうかを検証するために、世界各国の事情を調べてみた。

 調査先は下記だ。
  → 世界の死刑制度の現状 - Wikipedia

 そこから地図を得ると、次のようになる。(赤色が死刑存置国 )


sikei-kuni.png


 このページには一覧表もあるが、長くて見づらいので、整形して、下記に示す。


                                                                          
★ アジア   ─    .
 アフガニスタン  死刑存置 
 アルメニア  死刑廃止 
 アゼルバイジャン  死刑廃止 
 バーレーン  死刑存置 
 バングラデシュ  死刑存置 
 ブータン  死刑廃止 
 ブルネイ  死刑凍結 
 カンボジア  死刑廃止 
 中国  死刑存置 
 台湾(中華民国)  死刑存置 
 東ティモール  死刑廃止 
 香港  死刑廃止 
 日本  死刑存置 
 ヨルダン  死刑存置 
 カザフスタン  死刑存置 
 北朝鮮  死刑存置 
 韓国  執行凍結 
★ アフリカ    ─    .
アルジェリア  執行凍結 
 アンゴラ  死刑廃止 
 ウガンダ  死刑存置 
 サントメ・プリンシペ  死刑廃止 
 ジンバブエ  死刑存置 
 セネガル  死刑廃止 
 トーゴ  死刑廃止 
 ナミビア  死刑廃止 
 ベナン  死刑廃止 
 モーリタニア  死刑存置 
 レソト  死刑存置 
★ ヨーロッパ諸国   ─    .
 アルバニア  死刑廃止 
 アンドラ  死刑廃止 
 ギリシャ  死刑廃止 
 ハンガリー  死刑廃止 
 アイスランド  死刑廃止 
 リヒテンシュタイン  死刑廃止 
 リトアニア  死刑廃止 
 ルクセンブルク  死刑廃止 
 北マケドニア  死刑廃止 
 マルタ  死刑廃止 
 マン島  死刑廃止 
 モルドバ  死刑廃止 
 モナコ  死刑廃止 
★ 北アメリカ及びカリブ海諸国   ─    .
 アメリカ合衆国  死刑存置 
 カナダ  死刑廃止 
 メキシコ  死刑廃止 
 ベリーズ  死刑存置 
 コスタリカ  死刑廃止 
 キューバ  死刑存置 
 ニカラグア  死刑廃止 
 パナマ  死刑廃止 
 セントクリストファー・ネイビス  死刑存置 
 セントルシア  死刑存置 
 セントビンセント・グレナディーン  死刑存置 
 トリニダード・トバゴ  死刑存置 
 タークス・カイコス諸島(英領)  死刑廃止 
★南アメリカ   ─    .
 アルゼンチン  完全廃止 
 ボリビア  完全廃止 
 ブラジル  平時廃止 
 チリ  平時廃止 
 コロンビア  完全廃止 
 エクアドル  完全廃止 
 ガイアナ  死刑存置 
 パラグアイ  完全廃止 
 ペルー  平時廃止 
 スリナム  完全廃止 
 ウルグアイ  完全廃止 
 ベネズエラ  完全廃止 
★ オセアニア   ─    .
 オーストラリア  全面廃止 
 クック諸島  平時廃止 


 この表は、すべての国を網羅したものではない。スリランカのように「いったん凍結後に、復活」というような国は、この表では示されていない。
 それでもともかく、Wikipedia のデータは得た。
 このデータからは、冒頭の仮説(推測)は「いくらかは正しい」と判断していいだろう。
 つまり、死刑廃止は、人道主義や倫理観ゆえに唱える日本人が多いのだが、世界レベルでは、むしろ宗教観ゆえに実施されることも多い、と見なしていいだろう。(そういう傾向がいくらかはある。ただし例外も多いので、一概には決めつけれない。)

 詳しく言えば、下記の通り。
  ・ アジアやイスラム諸国では、「死刑存置」が多い。
  ・ キリスト教のヨーロッパ諸国は、すべて「死刑廃止」
  ・ アフリカと北中南米では、はっきりとしない。




 [ 付記 ]
 なお、米国は、キリスト教圏というよりは、「人種のるつぼ」状態であるが、キリスト教徒である白人でも「死刑存置」の意見が多いようだ。この点では、例外ふうの扱いとなる。これはたぶん「銃所持に賛成」というのと同様で、共和党ふうの保守派の人々が多いせいだろう。



 [ 補足 ]
 本項では、死刑の対象となる罪は、あくまで「殺人」(複数殺人)に限られる。殺人以外の一般犯罪では、死刑はあってはならないと考える。いわずもがなだが。

 なお、私見だが、「憎悪や金銭欲のような動機がはっきりとある殺人」とは別に、「ただの楽しみで殺人をした」というような愉快犯としての殺人犯は、別の基準で死刑を決めるべきだと思う。この手の愉快犯は、1名の殺人であっても死刑にしてもいいだろう。
 具体的な例は、新幹線傷事件の犯人だ。
  ・ 殺人をする動機は特になかった。
  ・ 強いて言えば、刑務所に入ることが動機だった。
  ・ そのために、無期懲役を狙って、1名だけの殺人をした。
  ・ 無期懲役の判決が出て、「狙い通り」と万歳三唱をした。

    → 「見事に殺しきりました」新幹線殺傷事件…初公判での被告の驚きの発言と動機とは
    → 無期懲役で「万歳三唱」 新幹線殺傷判決、テレビ・新聞はこう伝えた
 被告はこれまでに、「刑務所に一生入りたい」と繰り返し、一方で「自分の命が惜しくてたまりません」と死刑にはなりたくないとする考えを公判で示していた。無期懲役の判決は、検察による求刑通りであり、被告の「希望通り」の結果でもあった。
( → 無期懲役で「万歳三唱」 新幹線殺傷判決、テレビ・新聞はこう伝えた
 ここでは、無期懲役は「刑罰」ではなく、「ご褒美」になってしまっている。こういう状況を改めるには、この手の「愉快犯」みたいな殺人犯には、「1名殺人であっても死刑」にするべきだろう。



 [ 余談 ]
 日本については、「死刑廃止をしないのは、日本人の倫理観が高いからだ」と私は考える。
 ここで言う倫理観の高さは、日本が世界でもトップレベルの治安のいい国であることから、裏付けられる。道路上でもゴミは少ないし、泥棒も少ないし、落とし物は盗まれない。こういう「治安の良さ」は、日本人の倫理観の高さから来る。そして、そういう倫理観の高さゆえに、「殺人は許されない」と考える。それゆえ、殺人犯には「死をもって償え」というふうになる。
 一方、キリスト教の国では、殺人をしても、「神の下で懺悔(ざんげ)すれば許される」というふうに考えがちだ。こういうふうに「人を殺しても許される」というふうに考えるような、倫理観の低い国では、「死刑囚は命を奪われない権利がある」というふうに考えがちなのだろう。

 ただし、朝日新聞のような半可通だと、「欧米諸国が死刑廃止をするのは、彼らの倫理観が高いからだ」と思い込む。なぜなら、「死刑を執行することは、人が人を殺すことだが、それは許されないからだ」と思うからだ。
 しかしこれは勘違いである。死刑を執行することは、人が人を殺すことではない。制度が人を殺すことである。そして、その制度の下で、死刑囚の命を奪うと決めた人は、死刑囚自身なのである。彼が他人の命を奪ったとき、同時に、「自分の命も奪われる」ということを選択したからだ。
 死刑囚が死刑になるとしたら、それは、他の誰かが「こいつを死刑にする」と決めたからではない。死刑囚自身が「他人の命を奪う」と選択して、同時に、「制度によって自分の命を奪われる」ということを選択したのである。それを決めたのは、あくまでも死刑囚となる自分自身なのだ。他の誰かが彼に殺人行為をなさせたのではない。自分自身が殺人行為をしたのだ。そのとき同時に、自分自身を死刑で死なせるということを選んだのだ。
 死刑制度とは、ただの「ブーメラン」という仕組みであるにすぎない。「人を殺せば、自分の命も奪われる」というブーメランだ。そのブーメランに向かって殺意を投じたのは、自分自身なのだから、死刑囚を殺すのは自分自身なのである。
 ここを勘違いして、「他の誰かが勝手に恣意的に死刑囚を選んで、勝手に殺す」と勘違いしているのが、朝日新聞のような人々だ。彼らは決して倫理観が高いのではなく、単に勘違いしているだけなのだ。あるいは、「殺人犯は殺人することが許される」というふうに、倫理観が低いだけなのかもしれない。

  ※ この件は、別項でも論じた。
     → 死刑執行の責任は? : nando ブログ



 【 関連サイト 】

 → 「死刑制度」容認80%超 否定派を大幅に上回る 内閣府世論調(2015)
 → 死刑、どう考える?:1 現状は:朝日新聞(2018)
posted by 管理人 at 23:10 | Comment(2) | 一般 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
私自身はよくわかりません。というか死刑に賛成か反対か決めかねています。南堂さんの主張はよく理解できます。人を殺すなら自分も死ぬ覚悟をするという制度の社会で生きるということですね。人を殺しても自分は死ななくてもよいという制度の社会で生きれば、人を殺す計画を立てることができます。一人殺しただけなら自分は死ななくてよいという制度であれば戦略の幅が大きく広がります。日本ではそうです。こう考えると日本の制度は論理的にちょっとどうかと思います。私の友人も死刑絶対反対です。人が人を殺すと思っています。しかしこの問題では議論ができません。死刑賛成などの気配を見せようものなら気が狂ったように嫌悪を示すのでまともな議論ができません。死刑反対論者ってみんなヒステリーを起こすような人なのでしょうか。
Posted by SM at 2019年12月31日 14:21
 ニュース。

> 「死刑やむをえない」約8割 内閣府世論調査
2020年1月18日
 https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200118/k10012250051000.html
  https://www.asahi.com/articles/ASN1K5WJ5N1KUTIL00G.html
Posted by 管理人 at 2020年01月19日 13:08
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