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前項では、ソ連崩壊について論述した。
さらに、ソ連崩壊におけるレーガン大統領の役割を見ていこう。興味深いことがわかる。
ゴルバチョフ時代のソ連は、次の状況にあった。
政権基盤が崩れつつあった。また、経済政策も行き詰まりつつあった。
経済政策の行き詰まりの原因は実はアメリカ合衆国にあった。アメリカのロナルド・レーガン大統領によるソ連のアフガニスタン侵攻に抵抗するムジャヒディンの支援とスターウォーズ計画でソ連の軍事費はかさむ一方で、民需による技術開発がなされなかった。
( → ソ連8月クーデター - Wikipedia )
このころレーガンはソ連を敵視する政策を取り、軍事的に締めつけていた。そのせいでソ連経済は行き詰まりつつあった。このことが結果的にソ連崩壊の一因となった。
このことだけを見れば「レーガンの勝利」と見えなくもない。だが、このことは、ソ連内部の体制内改革派であるゴルバチョフの権力基盤をそぎ、改革に抵抗する保守派の勢力を増すことになった。
アメリカに融和的なゴルバチョフは軍民転換(コンヴェルシア)を掲げて従来の計画経済を改革しようとするも、マルタ会談での冷戦終結に伴う大規模な軍縮はアメリカと軍拡競争を行ってきた軍産複合体の既得権益を脅かすこととなり、クーデター側に軍需産業の代表が名を連ねる原因となった。
ゴルバチョフはエリツィンと4月に和睦し、ソ連邦の基本条約に調印した。しかし、ゴルバチョフ政権を支えていた軍部と保守派は、この動きに抵抗した。
( → ソ連8月クーデター - Wikipedia )
こうして保守派が抵抗を強めていったあげく、ついに、クーデターが起こった。
以上を図示すれば、こうなる。
レーガンの圧力 → ソ連の弱体化 ≒ ゴルバチョフの弱体化 → 保守派の抵抗 → クーデター
要するに、レーガンの圧力が、改革派であるゴルバチョフの力を弱めて、保守派によるクーデターをもたらしたのである。
では、その結果は? 短期的には「ソ連の崩壊」という形で、米国の勝利に導いた。しかしながら長期的には、エリツィンの失敗を経たあとで、独裁者プーチンの長期政権という結末に至った。
要するに、独裁者プーチンの長期政権という現況は、もともとはレーガンの方針のせいなのだ。レーガンがあまりにも強硬であったせいで、結果的にはロシアにも強硬なプーチン政権が誕生してしまったのだ。(クリミアやウクライナの紛争もまた、このような結果の一つである。)
では、どうすればよかったか? 私は当時、こう思っていた。
・ レーガンはゴルバチョフに協力して、体制内変革を支えるべきだ。
・ ソ連の体制改革は、なだらかに移行するべきだ。
現実には、そうならず、逆になった。
・ レーガンはゴルバチョフに協力せず、クーデターをもたらした。
・ ソ連の体制改革は、崩壊という急変を経たあげく、その反動として、プーチン政権に至った。
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さて。ここでは「レーガンの強硬策が、狙いとは逆の結果をもたらした」という皮肉が生じている。そして、そのことは、現代のトランプ大統領にも似ている。
「イランの根本的な政策転換を狙って、イランを抑圧している」
これは、イランの体制内改革を行なっている穏健派を否定するものだ。このままでは、以前(ラフサンジャニ)のように保守派・強硬派が復活しかねない。そうなれば、とんでもない混乱が起こりそうだ。
レーガンとトランプは、気質的にも似ているが、「世界の歴史に大混乱と大損失をもたらす」という点でも、同じことをやらかしそうだ。
【 関連項目 】
→ イランで戦争危機: Open ブログ
トランプの狂気的な戦争政策。(上記項目に続く項目も、いくつかある。)