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「成長か分配か」と二項対立で考える発想がある。(そういう人がいる。)
たとえば、次の記事がそうだ。
→ 立憲民主党はなぜ若者の支持を得られなかったのか?
この記事では、「成長か分配か」と二項対立で考えたあと、「成長重視の自民党の政策の方が、分配重視の立憲の政策よりも、若者に支持された」と結論する。
たしかに、「成長を分配よりも優先する」というのは、もっともらしい説だ。だが、もっともらしいがゆえに、別に、若者に限ることなく、多くの人に支持されやすい。
たとえば、連合(特に全トヨタ労連)は、「成長を分配よりも優先する」という方針を取っており、「内部留保の蓄積を賃上げよりも優先する」という会社の方針に同調して、賃上げを抑制することをポリシーとしてきた。そのせいで、「内部留保よりも賃上げを」と主張する共産党系の労組とは、敵対関係に陥った。

実を言うと、「成長を分配よりも優先する」という方針は、間違いとは言えない。少なくとも、昔の高度成長期には、それは完全に正しかった。当時はその方針によって、賃上げを抑制して、会社の資金に回したことで、日本は高度成長をなし遂げた。
また、「今は我慢してお金を貯めて、あとで大きな成果を得る」というのは、日本人の勤勉実直な精神に合致しており、賢明な方針だとも思えた。
そういうことから、この方針を取れば、昔と同様に高度成長をなし遂げることができるだろう……と思うことは、不自然ではない。むしろ当然だろう。
では、昔はそうだからといって、今も同様だと言えるだろうか?
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昔と今とで同じことが成立するかどうかは、現実を見ればわかる。日本は、バブル破裂の 1990年以後、30年以上にわたって、賃上げを抑制してきた。「成長を分配よりも優先する」という方針を取り続けてきた。では、その結果、高成長を達成したか?
否、である。つまり、「成長を分配よりも優先する」という方針を取り続けてきたことの結果は、高成長ではなく、低成長だったのだ。つまり、「夢よもう一度」というふうに信じてきた方針は、成立しなかったのだ。
では、どうして昔と今とでは、違うのか? 同じ方針を取っても結果が違うのは、どうしてか?
これは謎だ。困った。どうする?
そこで、困ったときの 何とやら。うまい説明を示そう。以下の通り。
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成長を大切にする、という目的そのものは正しい。問題は、その方法だ。「成長を実現するために、分配を後回しにする」という方針は、正しいか?
昔は、それが正しかった。なぜなら、昔は資金不足(特に外資不足)だったからである。成長を実現するためには、設備投資が必要だが、その設備は外国製であって、外資(ドル)がなくては購入できない。ドルは、日本が勝手に印刷するわけにも行かないので、何とかして国内で掻き集めるしかない。そこで、外国製の煙草や酒を購入するのをやめさせて、それで浮いた金で、外国の設備を購入しようとした。……つまり、消費を抑制して、投資を増やそうとした。
同様のことを、外資でなくて国内資金(円)についても成立させた。国内で消費物資を生産して消費するのを我慢する。そのかわり、生産するための設備を生産して投資する。こうして「投資を消費よりも優先する」という方針が取られた。
それは、企業と労働者の関係で言えば、「企業の投資資金を優先して、労働者の賃上げを後回しにする」ということでもあった。
そして、その結果は? 見事に高度成長をなし遂げた。つまり、「企業の成長を優先して、労働者への分配を後回しにする」という方針は、最終的には成長の成果の還元という形で、労働者の分配をも増やしたのだ。ちょうど、木をすぐに刈らずに、木を大きく育ててから収穫するように。
以上は、高度成長期に成立したことだった。当時はそれが正しかった。
では、今はどうか? 21世紀に入ってからも、同様のことが成立するか? それが問題だ。
「成立する」と信じた人々は多い。たとえば、冒頭の記事の人がそうだ。彼は「成長か分配か」という二項対立で考えたあとで、「成長を分配よりも優先するべきだ」と結論した。
連合もまた、同様である。
では、本当にそうか?
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正解を教えよう。
上の発想が成立するのは、資金不足のときだけだ。上の例で言えば、設備を購入するための資金(ドル)が不足している場合だけだ。ドルは日本政府が勝手に印刷するわけには行かないから、ドルが不足しているときには、日本国内で融通するしかない。
だから、「成長か分配か」という二項対立が成立する。また、「設備投資か消費か」という二項対立も成立する。また、「企業の金か労働者の金か」という二項対立も成立する。
一方、現在はどうか? 話の前提となる「資金の不足」が生じていない。なぜなら、昔と違って、今では円を日本政府が印刷できるからだ。金が足りなければ、いくらでも金を印刷できるので、資金不足などは生じていない。だから金の使い道について、「設備投資か消費か」という二項対立は成立しない。同様に、「企業の金か労働者の金か」という二項対立も成立しない。同様に、「成長か分配か」という二項対立も成立しない。
では、このような二項対立が成立しないとしたら、何が成立するのか? それを教えるのが、マクロ経済学である。そこでは「インフレスパイラル」という概念が現れる。(乗数効果という発想と同様だ。)
不況のときには、設備は不足していない。むしろ、設備は過剰である。需要不足のせいで、設備の稼働率が低下して、設備は遊休している。こういう時点では、設備を投資する意欲もないので、投資資金の不足も生じていない。
不況のときに消費しているのは、供給でも投資でもなく、消費である。ここで、消費のために金をつぎこむと、その金が消費に回るので、生産が増える。設備の稼働率も上がる。すると、設備不足が起こりがちになって、投資も増える。かくて、消費が増えることのおかげで、投資も生産も増える。そのことが労働者に、所得の増加をもたらす。するとそれが消費の増加をもたらす。こうして、経済拡大の循環が起こって、好況のスパイラルが発生する。
所得増 → 消費増 → 生産増 → 所得増 → ……
という循環だ。これによって生産増加が持続するので、成長が達成される。
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ここでは、大切なことがある。こうだ。
「最初に(減税などの形で)所得増をもたらすと、そのことで、好況の循環が発生して、成長が達成される」
換言すれば、こうだ。
「先に分配を実現することで、あとで成長が達成される」
これは、高度成長期とは、成長と分配の順序が逆だ。高度成長期には、成長のあとで分配をするのが最善だった。しかし、今のような低成長期(不況期)には、先に分配を実施することで、成長が達成されるのだ。
つまり、資金不足で投資資金が枯渇していたときと、資金過剰で投資資金がありあまっているときとでは、なすべき方針は正反対となるのである。
昔なら、「成長のために分配を我慢するべきだ」という発想が成立したのだが、今では「分配をしてこそ成長が達成される」という発想が成立するのだ。
なのに、そのことを理解できないまま、分配の抑制ばかりをしている。だから、その金は、どこにも行かずに、行き所を失って、滞留する。その滞留した金は、投資にも向かわず、消費にも向かわず、単に国債を買うための資金になるだけだ。……これが、金余り時代の低成長の構図だ。
換言すれば、不況期には、「成長のために分配を我慢するべきだ」という発想を取ることで、かえって低成長が実現してしまうのだ。
つまり、「成長か分配か」という発想を取ると、そのどちらか一方が実現するのではなく、どちらも実現しなくなってしまうのだ。逆に、「先に分配を」という発想を取ると、「成長も分配も」というふうに双方を実現させることができるのだ。
ここでは、最初の発想の取り方しだいで、「成長と分配の双方が実現しない」か、「成長と分配の双方が実現する」かが、決まることになる。
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結局、昔の高度成長期と、今の低成長期では、成立する原理がまったく異なっている。
なのに、そのことを理解しないまま、昔の原理(二者択一)を信じているから、結果的には、双方を失ってしまうのである。
格言ふうに言えば、ここでは、次のことが成立する。
「二兎を追うものは、二兎を得る。一兎だけを追うものは、一兎すらも得られない」
何だか不思議なことのようだが、経済学においては、こういう不思議なことも起こるのだ。

※ 上のことを直感的に理解するには、「車の両輪」という発想をするといい。荷車のような二輪車では、左右の両輪を同時に回転させることが大事である。その場合にのみ前進できる。一方、片方の車輪(たとえば右側の車輪)だけを先に回転させて、もう片方の車輪を回転させるのは後回しにする……という発想を取ると、その場でグルグル回って滞留するだけであり、決して前進はできない。(それが、今の日本経済の状況だ。)

[ 付記 ]
もう少し経済学的に説明すると、「外需/内需」という分類をしてもいい。
昔の日本経済は、外需に依存して高成長をなし遂げた。
今の日本経済は、外需への依存度が低くて、内需の割合が高くなっている。行為状況では、内需重視で、消費を増やすことが必要だ。そのためには、所得を増やすことが必要だ。そのためには、企業が内部留保として貯め込んでいる余剰資金を、賃上げに回すことが必要だ。
現実には、そうしないで、やたらと非正規労働者を増やして、賃下げに努めてきた。その結果として、内需の総額が減って、日本経済はどんどん縮小する傾向になった。
これが今日の低成長の理由である。
【 関連項目 】
次の項目も、似た話題を扱っている。
→ 日本はなぜ没落したか?: Open ブログ
ここでは「低成長をもたらしたのは、低賃金の非正規雇用者だ」と示した上で、「非正規雇用の状況を改善せよ」と提案している。一種の「分配」策であり、所得向上策である。このような方法を取れば、日本を成長軌道に乗せることができる。なぜか? 単に賃金を上げるからではない。生産性を向上させるからだ。その理由も、上記項目に記してある。
( ※ 簡単によれば、低賃金・低成長をめざす現状をやめて、高賃金・高成長をめざすようにするからだ。目標が異なるから、結果も異なる。逆に言えば、現状は、低賃金・低成長を目指しているから、結果もそうなったというだけのことだ。)
ちなみに、「非正規雇用の待遇を改善せよ」という提案は、下記項目にある。
→ 野党の取るべき公約: Open ブログ
→ 野党の取るべき政策: Open ブログ
のところについて、1回目の『生産増』まではわかりますが、これが2回目の『所得増』にそのまま結びついているのかが疑問です。
折角需要が伸びて企業の労働者がせっせと働き、企業に利益をもたらしても、その利益が労働者に十分還元されない、つまり、株主中心に利益を流す構造を変えない限り、一度限りの単発的な需要増で終わるのではないかと考えるのですがいかがでしょうか?
(参考)
【日本の賃金を下落させた改革と思想】
https://note.com/prof_nemuro/n/na542758a47f9
今はそこのところが糞詰まり状態になっているから、この循環が成立していないんです。
この糞詰まり状態を正すには、労働分配率を上げるしかない。それは賃上げをするということだ。そのためには労働需給で、労働不足を発生させるのが最短だ。そのためには最初に多額の資金投入をするのが最短だ。
つまり、最初に巨額の減税( or 一律給付)をすれば、すべてはうまく行く……というのが、本サイト(nandoブログ)で何度も述べてきたことだ。たとえば下記。
http://nando.seesaa.net/article/124755375.html
本項では、そこまでは述べずに、もっとずっと初歩的なところの話をしています。
どうやって循環を起こすか(糞詰まりをなくすか)……は、この先に来る話です。本項ではまず、「循環がある」という原理を紹介しています。基礎編。イロハのイ。
ただし、糞詰まりをなくすには、生産増に対応する所得増があればいいわけだから、それは「分配」をきちんとやればいい、ということだ。
だから、本項のテーマ・結論である「分配を同時にやるべきだ」ということに含意されているとも言える。
生産増だけを目指して、所得増(分配)をきちんとやらないと、成長そのものが実現しない、ということでもある。
結局は、本項で示した通り。