◆ 高度成長期と所得倍増計画:  nando ブログ

2021年11月08日

◆ 高度成長期と所得倍増計画

 高度成長期には、日本は驚異的な経済成長をなし遂げた。それはなぜだったか? 今の日本ではそれが可能なのか?

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 高度成長期に日本が驚異的な経済成長をなし遂げたのは、ひとえに池田勇人の所得倍増計画による。この政策(10年間で所得倍増)が取られたときには、誰もその言葉を信じなかったが、現実には計画以上の成果を成し遂げた。


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池田勇人



 この件は、Wikipedia に詳しい。
 日本の経済史においては、1956年8月から1973年11月頃までを高度成長期あるいは高度経済成長期と呼び、この間、日本は年平均10%という驚異的な経済成長を遂げた。中でも特に、1960年に首相に就任した池田勇人が打ち出した「国民所得倍増計画」によって、成長体制が整備された。

 池田は「国民所得倍増計画」を打ち出し、国民総生産(GNP)を10年以内に26兆円(1958年度価格)に倍増させて、国民の生活水準を西欧先進国並みに到達させるという経済成長目標を設定し、〜

 「所得倍増論」は、はじめは非現実な人気取りと見られ、野党、エコノミスト、マスコミ、一部与党内、また多くの国民の反応は冷ややかで、実現不可能と思われていた。……エコノミストの多くは「所得倍増論」を愚かな暴論としか取り扱わず、痛烈な批判を浴びせた。

 しかし池田は、国際政治経済の大きなうねりや、国内に於いても東京オリンピック開催に向け、大規模なインフラ整備という公共事業が控えていたこと、家電分野を中心にイノベーションが始まっていて、農村を中心とする地方からの勤勉な労働力にも恵まれているといった国内外に於ける成長へのうねりを見据えていた。
 社会資本の充実が経済成長にとって不可欠であるという要件の下、1961年から(1964年修正)5年間に4兆9000億円の道路投資が決定し、〜
 1963年の「新産業都市建設促進法」や1964年の「工業整備特別地域」などで、太平洋ベルト地帯以外にも工場を誘導していくことが意図され、そこに国から多くの補助金を投入して全国各地で、港湾整備、埋立造成、トンネルの堀削、バイパス新設、地方空港、高速道路、新幹線など、産業基盤の大がかりな整備が進行し、〜

 「農業人口が日本の総人口の40%を占めているのに、農業所得は国民所得の20%に過ぎないのが問題である。そこで農業人口を鉱工業やサービス業に吸収して、農民の一人当たりの所得を増やす方向に持っていきたい」〜
 「所得倍増計画」による農林水産業から重工業への労働力流入によって、働き手が農業から離れることで〜
 重工業の発展によって不足した労働力は、主に農村部からの出稼ぎや、若年労働者の集団就職によって補われた。

 貿易自由化:
 池田の自由化に対するスタンスが「所得倍増計画」に反映された。「所得倍増計画」と「自由化」は車の両輪をなす一体の政策であった。池田は……貿易自由化においても、常に主導権を握った。……1960年6月「貿易為替自由化大綱」を閣議決定させ、池田内閣誕生により自由化のスピードが加速、開放経済へと大きく舵を切った。
 貿易自由化の進捗は、当時日本では「第二の黒船」と騒がれた。高度成長政策の支えによって、日本企業の体質も強くなってきたとはいえ、未だ国際市場では一人立ちできるとは考えられていなかった。日本経済が自由化に耐えられるか否かは議論が絶えていなかった。
 池田の退任後自由化はストップし、再開は1970年代となっている。
( → 所得倍増計画 - Wikipedia

 国民所得倍増計画は経済政策として劇的な成果を上げた。計画の数値目標は1960年度の国民総生産額である13兆6000億円の2倍、26兆円を10年以内に達成するというもので、1960年度から年間平均11%の経済成長率を維持し、以後3年で17兆6000億円に到達させることが中期目標とされた。しかし日本経済は予想以上の成長を遂げた。実質国民総生産は約6年で、国民1人当りの実質国民所得は7年(1967年)で倍増を達成した。
( → 池田勇人内閣の政策 - Wikipedia

 ここでは次のことが重要点であると示されている。
  ・ 社会基盤の整備
  ・ 農業から工業へという、人口への移転
  ・ 貿易自由化

 
 ――

 以上は社会経済的な解釈だが、それとは別に、テクノロジー的な影響もある、と私は考える。
 時代はおりしも工業技術の発展期だった。特に、家庭電器産業が発達しつつあった。松下電器・ソニー・東芝・日立・シャープ・サンヨーなどの家庭電器産業からは、時代の花形となる家庭電器製品が発売されて、普及していった。三種の神器(洗濯機、冷蔵庫、白黒テレビ)と言われるものがそうだ。
 60年代後半になると、新・三種の神器(カラーテレビ ・クーラー・自動車)が話題となった。これは 3C とも言われる。技術的にも、このころは真空管テレビからトランジスタ(IC)テレビに移行しつつあった。また、自動車もこのころから急速に普及しつつあり、自動車産業も急速に発達していった。
 家庭電器産業と自動車産業の発達。この二つは、内需による成長のあとで、外需にむかって急激に輸出を増やしていった。そのことが高度成長期の後半の牽引車(けんいんしゃ)となった。
 以上は「先端産業の発達」というふうにまとめることができる。

 ――

 さて。以上のように、高度成長をもたらした要因を考えると、それらは現在でも成立するだろうか? 考察してみよう。

 (1) 社会基盤の整備

 社会基盤の整備(インフラの整備)は、今も成立するか? 
 公共事業の投資額という金額で言うならば、現代でも十分な額の投資がなされている。だが、その投資効率は大幅に低下した。
 高度成長期には投資効率は1を大幅に上回った。投資した額の何倍もの効用をもたらした。高速道路や新幹線などへの投資は、料金収入が投資額の何倍にもなって、大幅な黒字を得た。
 一方、近年では投資効率が1をかなり下回ることが多い。関西空港や東京湾横断道路は大幅な赤字が問題となった。(そのいずれも、当初は「大失敗」という烙印が押された。だが、その後、状況は大幅に好転して、トントンに近いところまで改善している。とはいっても、大幅黒字という状況ではない。)
 結局、社会基盤の整備は、今でもそこそこ役立つところまでは言っているのだが、それによって何倍もの投資効果を得ることはできていないし、高度成長を達成するほどの効果ももたらしていない。

 (2) 農業から工業へという、人口への移転

 高度成長期には、農業人口が大幅に減少して、(あぶれた二男・三男などの)人口が都市圏の工業に吸い込まれる……という現象があった。
 このことは、二つの効果をもたらした。
  ・ 農業の生産性の向上であぶれた人口を吸収した。
  ・ 工業発達に必要な工場労働者をうまく提供した。

 一石二鳥ふうの効果があって、農業と工業の双方の分野で生産性の向上をもたらした。
 では、現代ではどうか? 農業は主として、定年退職した労働者(高齢労働者)の低賃金労働によってまかなわれており、そのせいで生産性の向上もままならない。機械化を進めようにも、小規模農家が多いので、購入した額の農業機械の償却ができない。となると、農業の大規模化が必要だが、農業の大規模化はここ数十年まったく進んでいない。農業の進歩は停滞している。
 かわりに何があるかというと、外国の技能労働者による低賃金労働を導入することだ。これは奴隷労働を通じた搾取である。こんなことがまかり通るようになってしまった。
  → 技能実習生、農家「早く来て」 2人不足なら収入1千万円減:朝日新聞
 農業は、かつては「生産性の向上」によって高成長をなし遂げたが、今では「奴隷労働の導入」によって搾取をなし遂げているだけだ。改善の方向がまったく、あさっての方向を向いている。
 結果的に、今も日本の農産物はやたらと高価格で、農家はやたらと低所得だ、という矛盾した状態になっている。これは欧州の農業とは正反対だ。欧州の農業は、日本よりも価格が安いのに、農家の収入は多い。……これは生産性の高さが一因でもある。(ただし日本は欧州に比べて、やたらと野菜や果物の見てくれが良い。汚れや傷が少ないという点では、欧州の野菜よりもずっと優れている。ただしその分、価格は大幅に高くなっている。馬鹿げた話だが。見てくれを重視して、高成長をなくしている。)
 結局、今の農業は、「高成長」とはまったく別の方向を向いている。一つは「奴隷労働の推進」という方向であり、もう一つは「生産性よりも見てくれの改善」という方向性だ。

 (3) 貿易自由化

 貿易自由化は、近年では TPP の発効などで、大幅に改善したように見える。だが、改善の量はわずかである。農産物の関税が下がるとはいえ、10年ぐらいかけて段階的に下がるという遅さであるし、最終的に下がった状態でさえ、無税に比べるとはるかに高い関税が残されている。
 このせいで、日本の農家は守られるが、日本の消費者は大損をする結果になっている。高い関税のせいで、高い食品価格となり、日本の実質 GDP を大幅に引き下げている。これは「高成長」とは逆の方向だ。
 この問題を解決して、「高成長」をなし遂げるために、「関税の大幅な引き下げ」を私は提案した。
  → 野党の取るべき公約: Open ブログ
  → 野党の取るべき政策: Open ブログ
 こういうことをやれば、生産性がものすごく低い分野で農業人口が働くことがなくなるので、農業分野での生産性は大幅に向上する。(対抗できない産業は消滅してもいい。たとえば、さとうきび・てんさいの栽培は、消滅してもいい。)
 このようなことを通じて、日本全体の農業生産性を大幅に高めることができる。(小規模農家は多大につぶれるだろうが、つぶれた農家の土地を吸収することで、農業の大規模化も達成される。)
 逆に言えば、それができていないので、現代の日本の農業は低い成長率に甘んじるしかない。

 (4) 先端産業の発達

 高度成長期には、家庭電器産業と自動車産業という先端産業があった。これらの産業が発達することで、日本経済全体の高成長をもたらした。
 では、今はそういう先端産業はあるか? 分野としての産業自体はある。IT産業がそうだ。だが、その内実はひどいものだ。IT産業は、産業としては先端的だが、そこにある個々の企業は、とても先端的ではない。世界の先端から大きく引き離されてしまっている。この点では、世界最先端(になりつつある)企業がそろっていた高度成長期とは大違いだ。
 今の日本には、Google も Apple も Amazon もない。インテルもないし、Netflix もない。はたまた、サムスンもないし、ファーウェイもない。韓国や中国からも大きく引き離されてしまっている。企業そのものが大幅に劣化してしまった、とも言える。
 こういう状況では、かつてのような高成長はとてもなし遂げられそうにない。ゲームをしようにも、ゲームのプレーヤーが大幅に劣化してしまったからだ。

 ――

 以上の (1)〜(4) を見ると、今の日本には高度成長をなし遂げる条件はまったくそろっていない、とわかる。ここで仮に莫大な国家資金を投入したとしても、高成長をなし遂げることなどはできない。

 池田勇人が優れていたところは、当時の状況で何が必要であるかを見極めて、その必要なところに必要なものを投入したことだ。だからこそ、驚異的な高成長を実現できた。

 では、今の日本では、何が必要で、何が求められているのか? その答えは、どこにあるのか? 
 それは、前項に記してある。日本が成長をなすために必要なのは、消費の拡大であり、そのためには所得の拡大が必要である。ここにこそ金を投入するべきなのだ。そうしてこそ、日本は成長軌道に乗る。それは「スパイラルが順調に進展する」(糞詰まりが解消する)ということでもある。
 しかるに、現状はそうなっていない。「分配よりも成長を重視する」という方針の下で、分配を後回しにしようとする。そのせいで、所得が抑制され、消費が抑制されるので、金の糞詰まり状態が発生して、成長の循環は止まってしまう。

 昔は池田勇人が、真相を見抜いて、正解を実行した。
 今の日本の政治家は、真相を見抜くこともできず、正解を実行することもできない。あろうことか、正解とは逆のことをやろうとする。つまり、「分配よりも成長を」と考えて、分配を後回しにしようとする。
 だから日本はいつまでたっても成長しないのである。下記項目で述べたように。
  → 経済成長ならば自民?: Open ブログ
  → 日本はなぜ没落したか?: Open ブログ




 [ 付記1 ]
 次の記事も参考になる。
 池田が倍増論を言い出した頃、周囲の人たちは「そんなバカなことが」と与太話程度に受け止めていた。
 しかし、池田は本気だった。彼の下で首相秘書官を務めた伊藤昌哉氏の「池田勇人とその時代」にこんなくだりがある。
 池田邸に夜集まる記者らの間で、衣食は不自由を感じなくなったが住はまだまだ苦しい、と話題になった。これに池田は「そのよくなり方はたいへんなものだよ、君たちの給料だって10年たてば倍になるんだ」と言った。記者らは信用しなかったが、池田は「絶対なる」と譲らなかった。
 政権目当ての「まき餌」と見た周りを尻目に、池田は実現に命を懸けた。
 なぜか。二つの根拠があった。
 大蔵省(現財務省)で税制畑が長かった池田は、市中のモノやサービスの価格の動きに精通していた。石炭、コメ、電力、鉄などの値段や取引量に、給与の動きが見合わず低額だ、という数字的直感がその一つだ。
 もう一つは大蔵省きってのエコノミスト下村治という理論的支柱の存在だ。下村は池田の政策ブレーンらとの勉強会で、あるべき経済政策を議論してきた。
 終戦直後は、工場などの生産設備も被害を受け、経済は抑制的に運用された。放置すれば、貴重な外貨が枯渇したり、インフレが過熱したりする恐れがあったからだ。
 しかし、戦後15年たって環境は大きく変わっていた。下村は論文で「設備投資の状況と国際収支の状況からみて、日本経済にどのような余力が残されているか」と自問。労働力、技術、設備の近代化、合理化などの諸条件が飛躍的に整い、「現状において年々1兆円程度のGNPの増加を実現し得るような状況にある」と分析した。

( → 令和の「所得倍増」、元祖・池田勇人との違い まず確かな展望を  :朝日新聞

 [ 付記2 ]
 下村治については、前に言及したことがある。
 今ではほとんど夢物語に思えるだろうが、かつての日本には「高度成長」時代というものがあった。そこでは年率 11%もの高度成長が達成された。
 ではなぜ、そのような高度成長は達成されたのか? 自然にそうなったのか? 違う。「経済成長率は 11%にできる」という数値を唱えた経済学者がいたからだ。彼は異端の学者だったし、学界からは猛反発を食ったが、異端の首相である池田勇人が、その異端の学説を採用した。
 こうして、「所得倍増計画」という政策が取られた。その結果、まさしく、11%もの経済成長が達成され、所得倍増もまた達成された。
 これが「高度成長」時代に起こったことだ。
 そして、この異端の経済学者の名は下村治という。
  …………
 要するに、下村は世間ではホラ吹きの扱いだった。今の言葉で言えば、トンデモ扱いだった。ところが、現実には、下村の理論の通りに現実が進んだ。トンデモ経済学者の理論を採用した、トンデモ首相がいたから、日本は史上に例を見ない高度成長をなし遂げた。
( → 最大のトンデモ経済学者(下村治): Open ブログ



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 【 関連サイト 】
 岸田首相もまた「所得倍増論」を唱えたことがあるが、実質的には撤回したようだ。
  → 岸田文雄氏に聞く「所得倍増計画」の全貌、分配でアベノミクスを“進化”
  → 岸田首相の目玉政策「所得の倍増でない」 政府答弁書

 批判もある。
  → 岸田首相と昭和時代の「所得倍増計画」、決定的な違いとは

posted by 管理人 at 22:38 | Comment(1) | 経済 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
 こちら(下のURL)の記事(倉山満さんという人が書いた新書の宣伝?)を最近読んでいたばかりなので、本稿も興味深く拝読しました。ありがとうございます。

 https://bizspa.jp/post-525545/

 https://bizspa.jp/post-526343/
Posted by かわっこだっこ at 2021年11月09日 11:12
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