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(1) 黒田公約
「2%の物価上昇で景気回復」というのが、9年前の就任時の公約だった。
→ 【講演】黒田総裁「なぜ『2%』の物価上昇を目指すのか」: 日本銀行
そして、そのための手段として用いたのが、「異次元緩和」だった。「黒田バズーカ」とも言われる。「無制限なほど金融緩和をすれば、いつかは物価が上昇するだろう。そのときには不況を脱するはずだ」という発想だ。
この方針の下で、途方もない金融緩和がなされた。特に、日銀による国債購入と株式購入は、債券市場と株式市場を大きく歪めるほどになってしまった。
(2) 3% の物価上昇
それで目的は達成されたか? 達成されなかった。1年前の時点では、金融緩和による物価上昇も賃金上昇も景気回復も起こらなかった。
しかしそのあと、3% の物価上昇が起こった。前日の項目で述べたとおり。
→ 物価上昇率 3% ってホント?: Open ブログ
ただしこれは、日銀の政策の結果ではない。1年あまり前にウクライナ戦争が勃発したせいだ。その影響で、2022年の後半から物価上昇が起こるようになった。海外の資源価格の上昇と、それにともなう円安という、ダブルパンチの効果による。
この意味では、いわばタナボタふうの形で、物価上昇は起こったことになる。
(3) 物価上昇の効果
しかし、物価上昇それ自体が目的だったわけではない。輸入物価の高騰による物価上昇は、ただの「コスト・プッシュ・インフレ」であり、「悪いインフレ」だ。より正確に言えば、「インフレでなく、スタグフレーションだ」と言える。問題は、物価上昇にともなって景気回復は起こったかということだ。
景気回復はどうだったか? 企業は「コロナ禍からの脱出」という形で、以前よりは業績の回復が見られたが、コロナ禍の前に戻りかけたというぐらいで、たいして好調にはならなかった。国民はもっとひどくて、物価上昇があって賃上げはなかったので、物価上昇の分、実質賃下げとなった。かろうじて 2023年に賃上げがあったが、その賃上げの率は、平均で、 2.75% であり、物価上昇率よりも 1割ほど低い。つまり、実質的には賃下げだ。これはすなわち、「インフレでなく、スタグフレーションだ」ということになるので、景気回復の効果はない。
結局、黒田総裁以前には「デフレ」だったのだが、最終的には(インフレをめざしたあげく)スタグフレーションになってしまったわけだ。
まあ、そのすべてが黒田総裁のせいだとは言えない(コロナ禍やウクライナ戦争の影響が大きい)のだが、少なくとも、彼のめざしていた状態がまったく実現していないということは事実だ。その意味で、黒田総裁の政策は大失敗に終わったと言えるだろう。
※ 物価上昇率が3%というのは、2022年全体を通じての率だ。2023年3月の物価上昇率(前年同月比)は 3.2% である。( → 総務省 )。ゆえに、 2.75% という賃上げ率では、まったく足りない。2023年には以前よりも貧しい生活を送らざるを得なくなる。
(4) 本人の弁
黒田総裁の退任の弁は、どうだったか? 報道を見よう。
黒田氏は会合後の記者会見で、大規模な金融緩和を続けてきた、この10年間を「経済、物価の押し上げ効果を発揮した。金融緩和は成功だった」と振り返った。
日銀は国債や上場投資信託(ETF)を買い入れ、大量に保有している。保有額が膨らんだことについて「負の遺産では」との質問に対し、黒田氏は「何の反省もありませんし、負の遺産だとも思っておりません」と答えた。
黒田氏は会見で、大規模緩和について「政府の政策とも相まって、経済、物価の押し上げ効果をしっかりと発揮し、物価が持続的に下落するという意味でのデフレではなくなっている」と述べた。
一方、政府と日銀が13年に掲げた「物価上昇率2%」を持続的、安定的に達成するという目標は果たせなかった。これに関して、黒田氏は「(日本では)賃金や物価が上がらないことを前提とした考え方や慣行が根強く残っている」とし、「目標の持続的、安定的な実現までは至らなかった点は残念」と話した。
( → 黒田総裁、国債買い入れ「何の反省もないし負の遺産とも思ってない」:朝日新聞 )
振り返れば、黒田総裁は2013年4月、「2年で2%物価目標を達成する」と高らかに宣言して異次元緩和に乗り出した。ところが2年を過ぎ、3年4年……7年8年と経っても2%目標はいっこうに達成できない。
黒田総裁は会見で、この10年やってきたことは正しかったと強調し、理解を得て任期を終えたいようだった。
一言でいえば、黒田会見は「大事なことを話さず、やりすごすための会見」だった。
政策に疑問を呈したり批判的なニュアンスを含んだりする質問はできるだけ受け付けない。受けたとしても、まともには答えない。気に入らない質問をする記者はできるだけ指名せず、都合のいい説明だけをひたすら垂れ流す。その繰り返しだった。
( → 黒田総裁が踏みにじる記者会見倫理 最後も「全く考えておりません」:朝日新聞 )
10年前、就任早々「2年間で2%インフレ目標を達成する」と華々しく打ち上げた黒田総裁。だが結局、2期10年をかけても目標を達成することはできなかった。短期決戦のはずの異次元緩和はいつしか10年の長期戦となり、いまも「出口」が見えないほど泥沼化している。
この日の記者会見で、黒田総裁は異次元緩和が「間違っていなかった」「副作用よりプラス効果がはるかに大きかった」と繰り返した。けっして失敗を認めず、冒頭に紹介したように「負の遺産」もなければ「反省はない」とも語った。
名著「失敗の本質」では、旧日本軍を米軍と比べながら特徴づけている。たとえば米軍のような「長期決戦」志向でなく、「短期決戦」志向だった。グランドデザインを描くのでなく、場当たり的な戦略策定をする傾向があった。結果で評価せず、動機やプロセスを重視して評価するやり方を変えられなかった。こうした点について言えば、黒田日銀にも共通する傾向に見える。
( → 異次元緩和の「負の遺産」にも反省なし 黒田日銀の「失敗の本質」:朝日新聞 )
本人の弁を報道する記事では、黒田総裁に批判的な声が強いようだ。
(5) 評価
結局、黒田総裁の全体を評価すると、どうなるか? 黒田総裁の方針を「実験」と見なしたあとで、「実験の失敗」と評価することが多いようだ。次の指摘もある。
10年の「実験」を通して得た教訓は何なのか。
BNPパリバ証券の河野龍太郎氏は「日本の停滞は構造的な問題が要因で、(黒田氏就任当初に指摘されていた)金融政策の不足が要因ではなかったと証明された」と話す。
( → 緩和10年、成果誇る黒田総裁 それでも「難しかった」のは・・・:朝日新聞 )
「金融政策の不足が原因だから、金融政策を過剰にすれば問題は解決する」
というのが、黒田総裁の立場だった。しかしそれはまったくの勘違いだった、と証明されたことになる。
(6) 正解
では、正解は?
物事の本質を言えば、こうだ。
「金融政策は、インフレを制御するときには有効だ。金利を上げれば、インフレを止めることはできる。つまり、ブレーキをかけることができる。一方、デフレを制御するときには無効だ。金利を下げても、デフレを止めることはできない。つまり、アクセルを踏むことはできない」
高速で走っているときや、下り坂を走っているときには、ブレーキを制御することで、自動車の速度をうまく落とすことができる。しかし、自動車がいったん停まってしまったあとでは、いくらブレーキを緩めても、自動車は加速しないのだ。停まった自動車を加速させるには、ブレーキではなく、アクセルを踏む必要がある。なのに、そうしないで、ブレーキの操作ばかりをしていたのが、黒田総裁だ。
では、黒田総裁は、何をすれば正解だったか? 実は、何をしても正解などはない。なぜなら、ブレーキにをどう操作しても、加速のしようがないからだ。つまり、景気を冷やすのは日銀の役目だが、景気を温めるのは日銀でなく政府の役割なのだ。
では、景気を温めるための方法は何か? それについては、これまで何度も、本サイトで述べてきた。下記にそのまとめがある。
→ 景気回復の方法は? (総需要の拡大): nando ブログ
これらは、政府の財政政策である。特に、「多額の減税を一律給付金の形で給付すること」を推奨している。具体的には、国民各人の 30万円の一律給付金を給付する。それでもまだ足りなければ、二度、三度、と給付すればいい。そうすれば、いつかは景気回復が起こる。そして、景気回復後に、増税をすれば、その後に起こるインフレを収束させることもできる。
より詳しい話は、上記項目のリンク先を読んでほしい。
[ 付記 ]
「泉の波立ち」における解説もある。
→ 泉の波立ち:表紙ページ
→ 経済理論全体の概要(概説ページ)
→ 需要統御理論
※ なお、「過剰な量的緩和は無効である」ということは、何度か指摘してきたが、特に次の記述がある。
Q 物価上昇をもたらす方法としては、金融の 量的緩和 をするのですか?
A ゼロ金利のときは、しません。「流動性の罠(わな)」により、効果がないし、かえってマイナスが多いからです。百害あって一利なし。
( → 「インフレ目標」簡単解説 [2001年9月20日 公開])
ゼロ金利の状態では、いくら金融緩和をしても無効である。そのことは、「流動性の罠」という概念で説明される。そう示したわけだ。
つまり、黒田総裁の方針が間違っていること(失敗は必然であること)は、2001年9月20日の時点で、すでに指摘されていたわけだ。
黒田総裁の方針が失敗することを知るには、2023年4月まで待つ必要はなかった。2001年9月20日の時点で、「泉の波立ち」を読んでおけば済んだのだ。そこで理論的に説明済みだったのである。
【 関連サイト 】
→ 英紙が指摘「日本経済は出口のない『異次元緩和』から抜け出せない」 | 日銀・植田新体制が「現状を維持するしかない」理由とは | クーリエ・ジャポン