前項では日本の開国について論じたが、開国によって日本はどう変わったか?
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明治維新によって日本は近代化した。では、それはどんなものか? よく言われる「文明開化」(科学技術や文化の流入)のほかに、どんなことがあったか?
具体的な変化を知るために、1858年の日米修好通商条約のあとの輸出入を見よう。

出典:日本の歴史事典
グラフによると、(武器と艦船は別として)綿織物・毛織物が目立つ。これらは洋装のための布地だろう。
文明開化を迎えたこの時代、人々のよそおいはどのように変わっていったのでしょうか。
和装が一般的だった明治時代初期に、いち早く洋装を取り入れたのは上流階級の男性たち。海外の要人と会う機会が増え、また西欧に並ぶ国家の近代化を目指すために洋装の推進が図られました。洋装は皇族の対外的な服装や官僚の制服、軍服から始まり、やがて一部職業の制服に広まります。明治4年には郵便、翌年に鉄道業界の制服に採用されたのです。
( → 明治時代初期、洋装のはじまり | ポーラ文化研究所 )
仕立ては国内でも、布は外国製だったわけだ。ここから、毛織りのでスーツを仕立てたり、綿織物でYシャツを仕立てたりしたのだろう。
女性の洋装は遅れたようだ。明治期には下記の通り。
女性の洋装化はなかなか国内では進みませんでした。
多くの人々の服装はというと、変わらず和装でした。一般人にまで洋装が広まるのは大正時代になってからのことです。
ハイカラさんは大正時代になって一般化したようだ。となると、「鬼滅の刃」でも、女性は洋装と和装が混在する。一人で洋装と和装を混在させているキャラ(胡蝶しのぶ)もある。
→ 鬼滅の刃かわいい女性キャラランキング
明治期には欧米からさまざまな舶来品が導入されたが、それが可能だったのは、日本にも輸出品があったからだ。輸入品を買えるのは、輸出品を売っていたからだ。では、輸出品とは何か?
それは、生糸だった。上のグラフでも示されているとおり。そして、生糸というのは、初期は手作業で作られていたが、粗悪品だったので、新たに富岡製糸場という近代的な工場が作られた。(1872年に稼働)……これが日本の輸出の大黒柱となった。これが大規模に働いて、大規模な輸出をして、外貨を稼いだから、日本は外国の製品を導入できるようになったのだ。
たとえば、蒸気機関車がある。これを外国から導入できたのも、富岡製糸場で外貨を稼いだからだ、とも言える。富岡製糸場こそは、まさしく日本の近代化を担う大黒柱だったのだ。だからこそ、世界遺産にも登録されたのだ。
【 関連項目 】
日本の近代化を示す、蒸気機関車の線路の遺構として、高輪築堤が話題になったことがある。
→ 高輪築堤の遺構を保存?: Open ブログ
→ 高輪築堤の保存が決着: Open ブログ
【 関連サイト 】
富岡製糸場。
→ 日本の近代化モデル「富岡製糸場」 | Highlighting Japan
→ 富岡製糸場 | しるくるとみおか 富岡市観光ホームページ