◆ 明治維新と武力:  nando ブログ

2024年02月29日

◆ 明治維新と武力

 明治維新を決めたのは何か? 勝海舟・西郷隆盛・坂本龍馬などの活躍か? いや、武力だ。武力こそが歴史の本質だ。

 ──

 前項では、明治維新の事情を説明した。そこでわかることは、こうだ。
 「明治維新では、鎖国を続ける幕府を、開国を唱える薩摩が打倒して、鎖国から開国に至った。それを決定したのは武力だった」

 ここでは次の二点が重要だ。

 (1)

 薩摩はもともと攘夷(≒ 鎖国)を唱えていたが、薩英戦争(勝敗は未決)を経たあとで、英国と和解して、開国に転じた。一方、長州は下関戦争で外国を攻撃して敗北したあとで、攘夷から開国に転じた。
 このいずれにおいても、外国の圧倒的な武力が藩の方針を 180度変更させた。武力こそが圧倒的な影響力を持ったのだ。

 ※ その後に、薩摩と長州を同盟させたのが坂本龍馬だ……と言われる。たしかに仲介の労を執ったが、それはただの仲介者ぐらいの役割でしかあるまい。比喩的に言えば、マッチングアプリみたいな役割だ。たいして大きな役割ではない。

 (2)

 薩摩は貿易によって多額の資金をもっていた。その資金で、西洋の近代的な兵器を大量に導入した。前項で述べた通り。
  → 明治維新の真相 : nando ブログ
 ここで得た近代的な兵器を長州藩に与えた。すると長州藩は、近代的な兵器を使うことで、兵士の数では圧倒的に劣っていたにもかかわらず、幕府軍を打破した。さらに薩摩軍がいっしょになって、討幕軍となって、江戸を侵攻すると迫った。これを見て、徳川慶喜の大政奉還に至った。
 ここでは、幕府が政権を譲ったのは、幕府の自発的な意図によるものではない。武力で討幕軍が圧倒的に有利だったからだ。要するに、戦う前から、敗北はわかりきっていたのである。だからこそ、徳川慶喜は政権を譲ったのだ。
 
 ここでは、(小説のなかの)坂本龍馬とか、あるいは、(現実の)勝海舟や西郷隆盛とかが、相談して(江戸を戦場とするような)戦争を回避した……というふうに説明されることが多い。ここから、「外交によって戦争を回避することが可能だ」という俗説が生じた。
 だが、本当はそうではない。戦争を回避させたのは、幕府軍を上回る、討幕軍の武力だったのだ。武力こそが圧倒的な影響力を持ったのだ。
 もし戦争を続ければ、徳川慶喜は敗北して首を切られてしまうかもしれない。最善でも、敗北後の切腹だろう。それに比べれば、和睦して、戦争を回避して、田舎で隠退生活を送る方がマシである。……そういう判断をしたからこそ、大政奉還に至った。

 ──

 以上の (1)(2) からわかるだろう。
 明治維新とは、進歩的な開国派が、頑固な鎖国派を打倒したことだ……と言われがちだが、そうではない。
 薩摩や長州は、もともと開国派ではなく、攘夷派だった。しかし外国との戦争を経たあとで、西洋の武力に目を覚まされて、攘夷派から開国派に転換した。それを決めたのは武力という現実だった。
 討幕軍が江戸に迫ったあとで、幕府は大政奉還をしたが、それは幕府が自発的に決めたのではない。武力で劣っているから、否応なしに、政権を譲らざるを得なかったのである。

 孫子の兵法にもある。
 「百戦百勝は善の善なるものにあらざるなり。
  戦わずして人の兵を屈するは善の善なるものなり。」
 
 つまり、「戦わずにして勝つ」のが最善だ、というわけだ。
 これを逆にして言えば、「戦って負けるよりは、戦わずに負ける方が、まだマシだ」ということになる。うまく和睦ができるならば(その保証が得られるならば)、戦わずに負ける方がマシだというものだ。……それを選んだのが徳川慶喜だ。(大政奉還)
 そして、そこでは「敗北」や「勝利」を決めたのは、あくまでも武力だったのである。武力こそが歴史を左右したのだ。

 ところが、歴史の教科書を見ると、そういう説明はなされない。むしろ、次のような説明が多い。
 「日米和親条約などで部分的に開国したあとで、国内物価の上昇が起こり、民衆に不満が高まって、幕府は弱体化していた。さらに討幕軍が迫って、江戸が炎上する危険を帯びたので、それを避けるために政権を譲った」
  → 講義ノート
  → 大政奉還を分かりやすく解説。時代背景から、起こった後の影響まで

 だが、そんな甘っちょろいものではない。「戦うのを避けようとした」という意思が出る前に、「戦えば負けるしかない」という現実があったのだ。その現実をもたらしたのが、武力の差だったのだ。
 つまり、大政奉還を決めたのは、討幕軍の武力だったのだ。そこでは「力こそ正義なり」ということが、武力の形で発揮されたのだ。武力こそが歴史を左右したのだ。

 このことを理解する必要がある。


  ※ 人類の歴史とは、そのほとんどが「戦争の歴史」である。さまざまな大国の盛衰が示されるが、そのほとんどは「戦争で勝って栄え、戦争で負けて滅びる」という、戦争の歴史だ。各時期の文化的な遺物は、そのオマケ程度であるにすぎない。

posted by 管理人 at 23:14 | Comment(0) | 歴史 このエントリーをはてなブックマークに追加 
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