◆ 情報の電子化と無料化:  nando ブログ

2007年08月05日

◆ 情報の電子化と無料化

 マスコミとしては、新聞のような紙媒体もあるが、近年は電子新聞のようなネット媒体が増えている。
 では、最終的には、紙媒体はなくなるか? また、現状のような変化の意味は、何か? 

 ──

 (1) ペーパーレス
 「ペーパーレス」という概念がある。紙の新聞が電子新聞に置き換わる、というようなことだ。この傾向は、確かにある。たとえば、若者が紙の新聞を読むことは激減して、テレビやネットから電子的に情報を得ることが多くなっている。ビル・ゲイツに至っては、「紙の新聞は五年後にはなくなるだろう」と言い放つ始末だ。(読売新聞・朝刊・経済面 2007-08-03 )
 しかし、ゲイツの言葉には商売の都合もあるだろうから、額面通りには受け取れない。
 それよりは、「オフィスにおけるペーパーレスが主張されたあと、実際には文書が増えた」という実状がある。つまり、情報伝達の媒体としては、文書はやはり有益なのだ。
 なぜか? メールのように個別性や速報性を優先する場合はともかく、通常の大量伝達には、「読みやすさ」を優先して、紙媒体の方が強くなる。その証拠が、Office2007 だ。ここでは、文書のデザイン(見映え)をきれいにすることばかりが優先されており、肝心の情報内容(つまり文字情報)はほとんど無視されている。情報内容を重視するのならば、Office2007 というソフトはあり得ないが、現実には Office2007 がデザイン優先になる。……これはつまり、紙媒体が大いに普及しているということを意味する。
(ネット上の文書ならば、デザインにいっぱい凝る、ということはほとんど考えられない。そもそも、たいていのオフィスでは、メールにおける伝達においてそんなに面倒臭いデザインなどをやらない。)

 (2) 無料化
 では、ペーパーレスがないとしたら、何があるのか? それは「無料化」だ。たとえば、若者たちが紙媒体を読まなくなった最大の理由は、電子機器が有利だからというより、電子情報が無料だからだ。
  ・ 新聞社のサイト
  ・ Yahoo や Google などのニュースサイト
  ・ テレビ
 これらによって、かなり大量の無料情報を入手できる。そして、「それだけあれば十分だ」と考える若者がが多い。……つまり、次のような二分化が起こりつつある。
  ・ 紙の新聞を購入して、ニュースを深く掘り下げる
  ・ 電子媒体の無料ニュースだけを読んで、深く掘り下げない。
 前者は、紙媒体の解説などじっくり読む。(これはネットにはない。)
 後者は、事件の簡単な要約ふうのニュースだけを読む。深く掘り下げない。知りたいときは、ネット上のブログの感想などを読んで、専門家の解説のかわりとする。(その方がわかりやすいし面白い)

 ──

 以上をまとめると、こうなる。
 「情報のペーパーレス化が起こっているのではなく、情報の無料化が起こっている」

 では、その意味は何か? それこそが問題となる。

 ──

 「情報の無料化は、社会に何を引き起こすか」
 これが、本項のテーマである。これについて、以下で述べよう。

 まずは、抽象論議の前に、具体例を見よう。次の例がある。
  ・ 紙の新聞と、無料の電子ニュース
  ・ 紙の百科事典と、無料の電子百科事典

 この対比を見ると、「紙と無料媒体」という違いを通じて、同じことが言える。それは、次のことだ。
 「小量・高品質と、大量・低品質」

 新聞であれ百科事典であれ、有料の紙媒体は、小量・高品質である。一方、無料の電子媒体は、大量・低品質である。

 第一に、「小量/大量」という違いは、「有料/無料」という違いから来る。何であれ、有料のものより無料の方が普及するのは、当然だ。有料の百科事典よりも、無料の百科事典の方が普及するのは、当然だ。
 第二に、「高品質・低品質」という違いもまた、「有料/無料」という違いから来る。何であれ、無料のものでは、高品質は望めない。なぜか? 高品質にするには、金を掛ける必要があり、コストがかさむが、しかるに、無料にすると、金を掛けることができないからだ。「粗製濫造」という概念に近い。たとえば、Wikipedia では、専門家が仕事として情報を書くことはなく、素人(主として学生)が文献を見ながら生半可な知識を書く。その例は、歴史分野に顕著だ。歴史では十分な知識を要するが、学生だとろくな知識がない。そのせいで、Wikipedia の歴史分野の項目は、ひどいものである。事実とは正反対(というよりは対照的)のことが書いてあるなんて、ざらである。白を黒と書くようなことはないが、赤と緑を取り違えて書く、というような赤緑色盲ふうの勘違いはしばしば見られる。粗製濫造だ。……そして、こういうことは、歴史に限らず、多くの分野で見られる。
 この見解に対して、不満をいだく人もいるだろうが、「無料のものによいものはない」というのは、当然のことだ。それは「打ち出の小槌がない」というのと同義である。「この世に打ち出の小槌がある」などと信じるのは、阿呆だけだ。
 何事であれ、プロとアマとは違う。プロにはアマにない技量がある。アマの技量はプロには及ばない。そういう厳然たる事実がある。「アマだってプロに近い水準にはなれる」ということならばあるが、「アマがプロと同等になれる」と思うのは思い上がりであろう。

 ──────

 さて。ここで、以上の話の全体をまとめると、次のようになる。
 「世の中の情報媒体は、有料から無料に(かなり)移行しつつある」
 「小量・高品質の有料媒体は減り、大量・低品質の無料媒体は増える」

 これが核心的な結論だ。
 
 Wikipedia を見ると、「無料の百科事典が増えていい」と思うだろうし、Yahoo などの無料ニュースを見ると、「無料のニュースが増えていい」と思うだろう。しかし、それは、「紙から電子へ」という流れというよりは、「有料から無料へ」という流れである。それは、量的には拡大を意味するが、質的には低下を意味する。

 この典型的な例は、NHKと民放だ。
 前者は有料だが高品質。後者は無料だが低品質。「無料のものだけがあればいい」というふうになると、国民の得られる電波の内容は、愚劣な低俗番組だらけになるだろう。
 先日の選挙のときも、圧倒的な信頼を得たのはNHKであり、民放では最大の視聴率を取ったのがフジテレビのSMAPによるボーリング大会だ。選挙のことなんかほったらかして、ボーリングを放送した放送局が一番儲かる。これが現実である。市場原理に沿う限り、こういう放送局ばかりがのさばることになる。……当然、普段の番組からして、下らない低俗番組ばかりが増えて、国民の知的水準を高めるような番組はNHK以外にはない、というふうになっている。

 そして、今後は、同様のことが新聞についても成立することになりそうだ。取材にたっぷりと金を掛けて取材をする、ということはなくなり、ひたすらコスト削減が優先する。その結果、政府発表の受け売りのような記事ばかりが増えて、自分で検証することがなくなる。

 ──

 新聞社が自分では検証できなくなる、ということの例を示そう。それは、「緑のオーナー」の話題がある。引用すると、次の通り。
「国有林育成に出資し、伐採の収益金を受け取る林野庁の「緑のオーナー制度」をめぐり、99〜06年度に満期を迎えた契約者の9割以上が事実上、元本割れしていることが朝日新聞の調べでわかった」
 これは、朝日新聞の調査報道である。これは、調査報道をしたことによって判明した。当然ながら、朝日新聞以外は、自社では調べていないから、わかっていない。(読売は朝日のなを出さないで無断引用したが。)
 では、朝日新聞はどうか? 自社で調べたから立派か? いや、立派ではない。なぜなら、「緑のオーナー」をさんざん宣伝したのも、朝日新聞社であるからだ。私は覚えているが、当時、「緑のオーナーで杉の育成により国土緑化」という林野庁の方針を、朝日は「環境改善」という名目で、さんざん宣伝してきた。
 これに対して、私は「杉の単一植林は駄目だ。生態系に有害だ。さらには、利回りは金利以下であって、収益性は望めない」と主張してきた。(私以外にも、同様のことを指摘した人は多いだろう。)
 なお、ここでいう「利回りが金利以下」というのは、「収益率が物価上昇率以下」ということである。普通ならば「元本割れ」にはならないが、金利水準が0%近辺になれば、「利回りが金利以下」というのは「元本割れ」を意味するようになる。……だから、「元本割れ」は、最初から指摘されていたことなのだ。
 にもかかわらず、「緑のオーナー制度はすばらしい」と朝日はさんざん宣伝してきた。なぜ? 専門家に対して、十分に取材をしなかったからだ。当時からあった「杉の育成は経済的に成立しない」ということをちゃんと調べなかったからだ。つまり、政府の出す情報を流して、政府の宣伝をするばかりで、自分では真実の情報を提供しなかったからだ。(緑のオーナーについては、現時点ではなくて過去の時点で。)

 以上のように、新聞社は「調査報道」をほとんどやらない。それでも、たまには、やることがある。
 ところが、今後、情報の無料化がどんどん推進されると、情報の粗製濫造という傾向はどんどん強まる。安物の低品質の情報が大量に出回るばかりで、高品質の真実の情報は出回らなくなる。
 要するに、情報において「悪貨は良貨を駆逐する」という現象が起こる。

 ──

 以上が、近未来の情報社会の状況だ。
 人々は「ペーパーレスはすばらしい」とか「情報の無料化はすばらしい」とか言っているが、その内実は、「情報の粗製濫造」傾向である。

 なお、これは、必ずしも悪いことではない。たとえば、Wikipedia で言えば、何十万円もする百科事典を購入できない人にとっては、無料の Wikipedia があることはすばらしいことだ。
 とはいえ、その半面で、「紙の優秀な百科事典はもはや更新されなくなってきている」という現実がある。平凡社のものも、小学館のものも、何十年か前の古いバージョンを少し更新したものがあるだけで、最新の情報で全面的に改定されたものは発行されなくなっている。当然だ。たとえそういう高品質なものを発行しても、誰も買わないからだ。百科事典を編集するには、数百億円もの多大なコストがかかるが、そのコストをとても負担できない。だから、新しいバージョンのものはできない。こうして、一国の文化水準は、低下していく。

 とにかく、近未来の情報は、「小量・高品質」から「大量・低品質」へと移行しつつある。この現実を直視しよう。
 そして、この流れの中で、「その流れに沿って、自分も低品質のもので儲けよう」と思ってもいいし、あるいは、「その流れに抗して、自分は高品質ものを有料で入手しよう。世間の流れに抗しよう」と思ってもいい。どうするかは、人の勝手だ。
 とりあえずは、この現実を認識することが重要である。

 ( ※ お馬鹿なマスコミだと、「ペーパーレスはすばらしい」と騒いだりするが、そういう発想をしていると、物事の核心を見抜けない。)

 [ 付記 ]
 本項の話題では、「情報の粗製濫造」が核心だが、もう一つ、別の問題がある。それは、
 「広告主への迎合」
 だ。つまり、電子媒体が無料化すると、広告を取ることが目的となるから、広告主である民間企業への悪口は言えなくなる。
 その典型は、民放に見られる。民放では、広告主への悪口はタブーだ。
 現状では、新聞は報道の自立性を保っていられるが、それは、金を払う読者がいるからだ。広告主に迎合すると、読者が金を払わなくなるので、それでは困る。だから、報道の自立性は保たれる。
 しかし、有料の読者がいなくなると、報道する側は、広告主ばかりを見るようになる。すると、広告主への悪口となるような報道はできなくなる。
 たとえば、経団連が「環境税反対」と言い出せば、「環境税のメリット」というような報道は不可能となる。
 「情報の無料化」には、こういう危険がある。この危険にも、留意しよう。

 結語。
 「タダなら何でもいい」ということにはならない。「タダでもらえるのはゴミみたいなもの(低品質なもの)だけ」というふうになりかねない。
 特に、「広告主への配慮」という形で、「真実の隠蔽」が起こることがある。そういう状況を見て、「Web2.0はすばらしい!」なんて浮かれているのは、猿知恵の持主だ。



 [ 余談 ]
 余談として追記しておくが、「ペーパーレス化なんて、絶対にあり得ない」と断言できる。
 例1。私の書籍の「ライブドア・二重の虚構」は、電子書籍版はほとんど売れなかった。量的には無視できる程度。電子書籍を買う人なんて、あまりにも少ない。統計誤差みたいなものである。
 例2。電子ブックというものがあり、ソニーや松下が提供して、あれやこれやと普及に努めているが、まったく普及しない。
 例3。「ケータイ小説」というものがあり、女子中学生を中心に話題になっているが、いかにもケータイ画面向けの文章になっているのにもかかわらず、これを(ケータイ画面ふうに横書きにした印刷物である)書籍にすると、莫大な数が売れる。なぜそれほど売れるかというと、購入者が「書籍を保有する喜び」を感じるからだという。ケータイから無料の小説を読んで、そのあと千円程度を出して紙の小説を買って、保有する喜びを味わう。
 ──
 まとめ。
 ペーパーレスなんて、あまりにも古すぎる話題だ。それはパソコン普及の黎明期に当たる 90年代前半の思想である。現代では、次のことが判明している。
  ・ お手軽な短い記事は、電子的にネットからちょうだいする。
  ・ じっくり読む長い文書は、紙の印刷物として読む。

 メールは前者に相当し、会社の会議資料は後者に相当する。
 ペーパーレスとペーパーとは、「適材適所」である。双方に、得意・不得意の分野がある。「何でもペーパーレスにすればいい」と思う人は、「その人が普段から読書量が欠落している」と告白しているのも同然だろう。

 ゆえに、次のような便利な命題が成立する。
 「ペーパーレスはすばらしい、と主張する人は、お里が知れる」
 たとえば、ゲイツのようにペーパーレスを主張する人は、いかに軽薄な思想しかもっていないか、ということがわかる。ダビンチの手稿を購入しても、何も学べないわけだ。可哀想に。

posted by 管理人 at 18:35 | Comment(2) | 一般 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
諺「ただより高いものはない」

販売者がいますからペーパーのメディア、コン
テンツはなくなるとは思いません
 大半の紙媒体は書籍ですら一度読めば読み返す
ことはないのでゴミになるだけですから
ペーパレス化、電子化は進めて
欲しいです。キーワード検索等で電子化は
有利です。バックナンバーまで読めるのであれば
プレミアムを払ってでも購入したいです
  
Posted by mugu at 2007年08月05日 20:44
> 販売者がいますからペーパーのメディア、コン
テンツはなくなるとは思いません

 読売の記事の紹介が抜けていましたが、記事によると、米国では紙の新聞が減りつつあるとのことです。紙の新聞を読む人の割合は、中高年に比べて若者では半分ぐらい。つまり、長期的には、紙の新聞が消えていくことになります。
 現実に、米国の紙の新聞はどんどん部数が低下していっています。
(ただし、その最大の理由は、個別配達制度がないことで、店頭売りによること。)

 紙のコンテンツが皆無になることはないでしょうが、大幅に減少することはありそうです。
 たとえば、読売と朝日のうちのどちらか一方が消える。(たぶん朝日の方。)……その結果、日本からは、政府に対して批判の声を上げる新聞が消滅する。
 また、たとえば、読売と朝日の部数がどちらも半減して、紙面の質が大幅に低下する。どちらも東京新聞みたいになる。

> ペーパレス化、電子化は進めて欲しいです。

 そう思うのなら、その人が電子文庫や電子新聞を読めばよい。どうぞ、ご自由に。
 私はいやですね。トイレで読むのに不便だから。  (^^); 

> キーワード検索等で電子化は有利です。

 関係ありません。たとえば、私の「ライブドア・二重の虚構」は、紙の媒体ですが、電子化された文書でキーワード検索は可能です。私のサイトで検索用の文書を公開しています。
(本の中身は見えないが、検索だけはできる。)

 つまり、本文は紙の文書で、検索用の電子文書は別途公開する。
 ただし、検索することなんて、ほとんどないと思います。検索が必要な文書は、たいてい、巻末に索引が付いています。(教科書など)
Posted by 管理人 at 2007年08月05日 21:03
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