◆ 議論に勝つ方法:  nando ブログ

2007年08月20日

◆ 議論に勝つ方法

 議論に勝つには、どうすればいいか?
 「相手を論理で打破すればいい」
 と思っている人が多い。しかし、これは拙劣である。たとえこちらが論理的に正しいとしても、相手はそのことを感情的に受け入れるはずがないのだから、いくら論理で勝っても、勝負で勝てない。
 議論における最終目的は、論理で勝つことではなく、勝負で勝つことである。

 ──

 具体的な例を挙げよう。
 「日本政府は従軍慰安婦に責任があるから、謝罪せよ」
 という米国議会の決議案が可決された。これに対して、「そんな決議案はおかしい」という反論が、日本の右翼からわんさと湧き起こった。しかし、いくら反論をしても、まったく効果はない。それどころか、火に油を注いで、決議案を支持する議員を増やす結果になってしまった。
 つまり、「論理的に正しいことを主張した結果、かえって好ましくない結果を招いた」というふうになった。これでは「論理で勝ったせいで、勝負に負ける」というようなものである。まったく議論の仕方が拙劣だ。

 ここでは目的を理解しなくてはならない。目的とは、「対日批判をやめさせる」ということである。そのためには、どうすればいいか? 「論理的に正しいことを主張すればいい」と思う人が多いが、それだと、結果的には、逆効果になった。では、いったいどうすればいいのか? 

 ──

 ここで、私なりに、喧嘩の仕方を教えよう。次の二点が重要だ。
  ・ 防御しない。(自己正当化をしない。)
  ・ 肉を切らせて骨を断つ。


 (1) 防御しない
 防御しない。(自己正当化をしない。)──これが大切だ。
 ま、全然防御しないのではまずいが、防御ばかりにこだわっていてはならない。いくら防御ばかりしていても、勝つことはできない。
 従軍慰安婦の問題では、こうだ。
 米国は、「日本政府に責任がある」と攻撃した。
 日本は、「政府が関与した証拠はない」と防御した。
 しかし、この攻防は、どう考えても、日本に分がない。理由は、次の二点だ。
 第一に、「政府が関与した証拠がない」というが、いちいち証拠を残すはずがない、と米国は思う。本当はどうかは別として、米国はそう思う。「犯罪者が自分に不利な証拠を残すはずがない」と。ゆえに、「証拠がない」ということは、何ら防御には役立たない。
 第二に、当時は日本の統治下にあるのだから、統治下でなされたことの責任は原則として政府にある。従軍慰安婦は、どこかの一部で単発的に発生したことではなく、朝鮮各地で発生したことなのだから、日本政府には何らかの責任がある。ひょっとしたら「見て見ぬフリ」をしただけなのかもしれないが、だとしても、何らかの責任はある。ゆえに、「責任はありません」などと言い逃れをしても、何ら防御には役立たない。
 ……以上のように、いくら防御をしても、役立たない。なのに、防御にこだわれば、「言い逃れをしている汚いやつ」という印象を残すだけだ。
 はっきり言っておこう。当時の従軍慰安婦という問題は、多かれ少なかれ、いくらかの悪ではあった。これを「ほんの少しも悪でない」と言い張ることはできない。かりに、「ちっとも悪ではない」と思うのであれば、同じことを、米国に認めるがいい。つまり、米国の民間業者が日本人の貧しい女性を詐欺ふうに強引に勧誘して、公娼として米軍基地内で陵辱させられるのを公認すればいい。……もちろん、そんなことをしたら、日本中で怒りの声が湧き上がる。
 要するに、当時の日本がやったことは、現代ではとうてい許されないようなことだ。このことを「ちっとも悪ではない」というふうに防御することは、作戦上、下の下である。そんな主張は、相手の心に届かない。嫌悪されて、最終的には、玉砕する。
 「正しいことを主張すれば勝利できる」と思うのは、議論の仕方を知らない阿呆のやることだ。

 (2) 肉を切らせて骨を断つ。
 では、どうすればいいか? 自己の悪を認めればいい。「なるほど、それは悪です。わが国は悪をなしました」とあっさり認めればいい。
 その上で、「その悪は小さな悪だった」と主張すればいい。そのためには、他の悪と客観的に比較すればいい。たとえば、米国の東京大空襲や原爆と。
 これはつまり、「肉を切らせて骨を断つ」ということだ。そして、そのためには、防御に専念してはならず、「肉を切らせる」という覚悟をもつことが必要だ。
 「自分は正しい、自分は正しい」とだけ主張するのは、肝っ玉の小さい小心者のやることだ。そういうことをすればするほど、相手からは軽蔑される。そのあげく、最終的には敗北する。「自分勝手なことばかり言っているエゴイスト」と断罪される。
 それよりはむしろ、「あなたのおっしゃるとおりです」と認めればいい。そして、相手の論理を逆用して、「あなたの論理では奴隷制や原爆はこうなりますね」というふうに、切り返せばいい。……こうなると、相手は、自分の論理で自分が切られることになり、ぐうの音も出なくなる。
 相手は、日本の肉を切ったつもりが、自分の骨を切られてしまう。慰安婦問題だけを切って、そのあげく、米国の全体を切られてしまう。

 ──

 こういうことが、上手な議論の仕方だ。
 相手が喧嘩をふっかけたら、それにまともに応えて、防御ばかりしていても、何にもならない。それでは勝つことはできない。せいぜい軽蔑されるだけだ。
 むしろ、相手に少しだけ切られながら、相手の力を逆に利用して、相手を切ってしまえばいい。これが達人のやることだ。
 この場合、相手は、反論できない。なぜなら、自分自身の論理が、自分に返ってくるからだ。仮に、反論したとしたら、自分の論理が最初から崩壊してしまうことになるからだ。
 ともあれ、以上のやり方が、上手な議論の仕方だ。



 [ 付記1 ]

 「肉を切らせて骨を断つ」というのは、達人の方法である。一方、「全面的な圧勝」というのを狙う方法もある。しかしこれは、素人の方法だ。なぜか? 勝利では、勝利だけが目的であって、そのための最短距離を進むのが最も効率的だからだ。とにかく勝利すればいいのであって、勝利の仕方にこだわる必要はない。「大差で勝つ」よりは「早く確実に勝つ」ことが優先される。
 例。野球では、素人監督は、1試合を大差で勝って喜ぶが、玄人監督は2試合を1点差で勝とうとする。
 例。将棋では、素人はコマをたくさん集めて圧勝しようとするが、プロはコマを余さずに「1手早い」という1手勝ちをしようとする。
 どのような戦いでも、達人は「肉を切らせて骨を断つ」という勝ち方を求める。議論もまた同じ。しかるに、議論の素人は、「大差での圧勝」を求めて、無駄な作業をさんざん重ねたあげく、たいていは玉砕する。

 [ 付記2 ]

 では、「骨を断つ」ために大切なのは、何か? それは、「本質を見抜く」(核心を見抜く)ということだ。
 たいていの人は、目先の細かな議論ばかりを追う。「政府が関与していた証拠があるのか」とか何とか。あまりにもみみっちい話だ。言っちゃ悪いが、そういう議論をするのは、女の腐ったようなけちくさい根性だ。
 男ならば、物事の本質をつかむべきだ。それは、次のことだ。
 「あの戦争は、悪と悪の戦争であった」
 すなわち、欧米の侵略主義と、日本の(対抗した)侵略主義である。そのどちらも、侵略主義であった。そのどちらも、悪であった。
 ここでは、「双方が悪であった」という大枠がある。この大枠を認識することが大事だ。
 その上で、状況を見通す。
  ・ 米国の人権派は、「自分が正しい」と思って、自己の悪を認識しない。 
  ・ 日本の保守派は、「自分が正しい」と思って、自己の悪を認識しない。 
 どちらも、自分の悪を認識しない。悪があっても、悪を認識しない。そういう認識の欠陥がある。だから、そういう真実を理解すればいいのだ。

 現実には、どうか? 
 「日本は悪だった」という米国の主張は、「米国は正しい」という虚構の上に成り立つ幻想である。
 「日本は悪でない」という日本の主張は、「自国は正しい」という虚構の上に成り立つ幻想である。
 どちらも虚構の上に、論理を組み立てている。だから、そういう幻想ばかりを信じている連中に、真実を突き立てればいいのだ。「実はどちらも悪である」と。

 論争で勝つコツは、目先の小さな論理の争いで勝とうとすることではなく、論争の大きな枠組みで勝つコツだ。そのためには、小さな争いで正論をぶつことよりも、大きな真実を見抜く目が必要だ。
 それと同時に、自己の悪を認めるだけの度量や勇気をもつことが必要だ。

( ※ 誤解を招くといけないので、注釈しておこう。「どっちも悪だった」ということが成立するとき、同時に、「どっちも善だった」ということが成立する。日本には日本なりの正義があったし、米国には米国なりの正義があった。……要するに、どちらにしても、悪も正義もともにあった。世の中、正邪を簡単に決めつけることはできない。そういうふうに真実をあるがままに見抜く目が必要だ。)

 [ 付記3 ]

 最後に、一番重要なことを述べておこう。それは、次のことだ。
 「議論の目的は、相手を言い負かすことではない」

 このことを誤解している人が、あまりにも多すぎる。ほとんどガキだ。「勝った、勝った」と騒ぎたいだけのガキと同じである。
 なぜか? たとえ言い負かしても、相手が「言い負かされました」と認めることはないからだ。慰安婦の問題でも、日本が正論を言ったところで、米国が「はいその通り」と認めることなど、あり得ない。(メンツや沽券があるからだ。)
 では、何が目的か? それは、その場その場で異なる。ケースバイケースだ。とはいえ、具体的に何かはともかく、「名目より実利」という共通点がある。
 従軍慰安婦の問題で言えば、米国が「間違えました、すみません」と頭を下げることが目的なのではない。米国が日本に対する矛先を向けるのをやめさせる、ということが目的だ。つまり、戦いで勝つこと(相手を負かすこと)が目的ではなく、日米の対立をなくすことが目的だ。戦いにおける勝利が目的ではなく、戦いをなくす友好関係が目的だ。
 そして、そのためには、相手を論理的に打破しようとすることは、かえって逆効果なのである。そんなことよりは、相手が「自分も間違っていました」と自発的に感じる(自発的に反省する)ように仕向けることが大事だ。

 イメージ的に言おう。最終目的は、自分のゲンコツで相手をぶんなぐることではなく、相手の攻撃のゲンコツを止めることだ。そのためには、「肉を切らせて骨を断つ」にしても、相手には何らかの救済の余地を残しておくことが必要だ。
 たとえば、「米国だって奴隷制や原爆をしただろう」と非難しても、それをもって相手を非難するよりは、「おたがいに過去には悪をなしましたね」と逃げ道を残してあげることが必要だ。
 真の強者というものは、敗者に対する優しさをもてるものだ。逆に言えば、余裕のないヘボ侍ほど、ワンワンと吠えて噛みつこうとする。



 参考。
 従軍慰安婦問題について、具体的にどう論じればいいかは、下記を参照。「こう語ればいい」というふうに、具体的に説明してある。(冗談交じりで済みませんが。)
 → ニュースと感想 (8月02日)
posted by 管理人 at 21:24 | Comment(9) | 思考法 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
このトピックも結構際々ですね。ちょっとびっくりしちゃいましたよ。いうまでもないと思いますが、いわゆる従軍慰安婦などで日本がとやかくいわれているのは、そもそも議論以前の話で、何をいおうが反論しようがないわけですね。アメリカの奴隷制っていったいいつの話なのか。そんなこと真面目に言い出したら笑われてしまうでしょうよ。それに奴隷制などの人権侵害は程度の差こそあれどの国でも同じことで、泥のかけ合いになるだけ。今回の論争の論点からズレた話をしてもトンデモ発言と一蹴されてお終いだと思いますよ。またアメリカの場合、戦争の大義名分は基本的に民主主義という理念なわけで、その理念を否定できない日本(イラク戦争に加担してしまった)が、それをもって先の大戦でのアメリカイデオロギーを否定する論法はもう無効化しているといってよいでしょう。このあたりの根拠を聞かせてほしいな。
Posted by suda at 2007年08月21日 03:09
また管理人さんのマッチョイズムが少し気になるなあ。男ならばかくあるべし、というのは、頭の悪いおやじがよく使う自己正当化の典型でしょ。結局最終的に感情的な正当化へ走るとことが何かなあ、と思う次第。まあどうでもいいが。
Posted by suda at 2007年08月21日 03:12
あのー、横槍なんですが
管理人さんのこの記事は、
あくまで例え話であって
実際にそんな主張をアメリカに持ち掛けようなんて話ではないと
私は解釈しておりますが……。
管理人さんも最近コメントでの受け答え等で、そう主張なさっておられますよ。

マッチョイズムが気になるというのなら読まなきゃいいと思いますよ。

ちなみに私は管理人さんにマッチョイズムは感じませんよ。
日常に活かせる教訓を、時事的な話題に例えて(無償で)教えて下さる、
とても(奇特な)素晴らしい方だと思っています。

…どうも私ひねくれた性格故に、褒め言葉になっていないかも知れませんが、日々勉強させて頂いており感謝しております。

管理人様には、どうかお心の許す限り、ご主張を続けて頂きたいと願っております。乱文失礼致しました。
Posted by 一読者 at 2007年08月22日 11:08
初めまして、時々来ては楽しませてもらっています。
次は「もっと大きな」本質や真実である中国人や韓国・朝鮮人が事実を捏造してまで
日本を攻撃する活動にどう対処するか、という問題について記事をお願いしたいですね。
Posted by Kunif3 at 2007年08月25日 10:48
中国が事実を捏造しているのは事実かもしれないが、そうだとしても日本のトップも同じようなものじゃないか。われわれが批判すべきは、口からでまかせをいっているトンデモすべてだ。
Posted by suda at 2007年09月03日 22:36
↑さっそくこの記事の方法使おうとしてるwww
しかも何も具体的じゃない駄文で失敗
いやー苦しいね 圧倒的事実があるのを曲げるのはw
Posted by J at 2011年09月16日 12:38
コメントの人たちは、
批判の仕方が雑だとは思わないの?
自分の言いたいように言ったって
他に読んでる人たちには
不快に思う人たちもいるんだから。

それこそ↑の記事で言っていた、
自分の正しきを主軸にした意見でなく、
より人に思いが伝えられるように
コメントの時点で
率先すべきなのではないでしょうか。

しゃあしゃあと「ww」って
草生やして人のこと責めて
どーしてそんなお気楽に
生きてられるのか
教えて欲しいくらいだよ。
しかもこの記事を
読んでいるにも関わらず
コメントで率先して使ってる人を
そんな責め方しか出来ないなんて
自分のゲスさを
肯定してるようなもんですよ。

「おめーも人の口言えるもんじゃねー」とか
減らず口叩かれる前に
おいとまします。
私はこの記事の
実例がどーとか抜きで
読者にとても納得の
いかせてくれる記事だと思いました。
ありがとうございました。
Posted by shu at 2013年08月14日 09:14
この記事を読んで「おぉ、なるへそ」と納得
自分の議論に関する考えがコロリと変わりました。
Posted by マッケンジー at 2013年09月15日 13:03
お互いがただ相手を批判し、攻撃していてば
問題は解決されないまま結局はもの別れ
議論や会議、プレゼンや契約など
なにか特別な行動を採る必要がある時は
心で深呼吸をし、少し離れた位置から
自分の立場を周囲を含め客観的に視る
ほんの数秒数分ですが、自分には大切な時間です。
Posted by Kens at 2014年07月18日 05:33
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。