「生産性が向上すれば、多くの生産ができるので、経済が成長する」
というわけだ。これはきわめて素朴な発想だ。
しかし、この発想は正しくない。なぜか? 「生産できる」ということと、「生産する」ということとを、混同しているからだ。
この発想のどこが間違っているかを、説明する。
──
不況対策として「生産性向上を」という発想は、広く普及している。サプライサイドと呼ばれる人々(経済学者というよりは政治家)は、この発想を取る。
ちょっと前では、小泉・竹中の発想がそうである。安倍もそれを踏襲した。今では福田がそれを踏襲している。具体的に、所信表明を見よう。
構造改革を進める中で、格差といわれるさまざまな問題が生じています。私は、実態から決して目をそらさず、改革の方向性は変えずに、生じた問題には一つ一つきちんと処方箋を講じていくことに全力を注ぎます。これを見ればわかるように、福田首相はまさしく、「生産性向上で景気回復」という構造改革路線を取っている。
地方は人口が減少し、その結果、学校、病院等、暮らしを支える施設の利用が不便になるなど、魅力が薄れ、さらに人口が減るという悪循環に陥っています。この構造を断ち切るには、それぞれの地方の状況に応じ、生活の維持や産業の活性化のためには何が必要かを考え、道筋をつけていかなければなりません。
(……中略……)
わが国の経済成長の原動力である中小企業の多くが、景気回復の恩恵を受けられずにいます。下請け取引の適正化や事業承継の円滑化、中小企業の生産性向上に向けた取組などを強力に推進し、大企業と中小企業の調和のとれた成長を図ります。
若者の非正規雇用が増加してきた状況などを踏まえ、若者たちが自らの能力を生かし、安定した仕事に就いて、将来に希望をもって暮らせるよう、正規雇用への転換促進や職業能力の向上、労働条件の改善など、働く人を大切にする施策を進めてまいります。
( → 産経新聞「所信表明・全文」 )
別に、彼らだけではない。首相や政府だけでない。政府の官僚の大部分もそうだし、企業経営者(経団連など)もそうだし、おおかたの経済学者(古典派経済学者)もそうである。「構造改革に反対する」と述べる経済学者は、きわめて稀有である。
しかしながら、彼らは正しくない。すなわち、「構造改革で景気回復(経済成長)」という発想は、まったく間違っている。そのことを、本項で示す。
──
(1) キャッチフレーズ
「生産性向上を」
と唱えるのは勝手だ。しかし、それはただのキャッチフレーズにすぎない。詐欺師の口車と同じである。
詐欺師は「お金が儲かりますよ」と口先だけで吹聴する。それと同じで、ペテン政治家やペテン経済学者は、「生産性を向上させます」と口先だけで吹聴する。
しかし、詐欺師がいくら吹聴しても、金は与えてくれない。ペテン政治家やペテン経済学者がいくら吹聴しても、生産性はちっとも向上しない。
なぜか? 当たり前だ。「生産性を向上させよう」というのは、あらゆる国民が日夜、汗水垂らして励んでいることだ。なのに、口先だけでお手軽に生産性の向上ができるはずがない。
比喩。
「私に任せてくれれば必ず合格させます」という家庭教師を雇った。では、彼は何をしたか?
家庭教師は、「学力の向上を!」と叫ぶだけだった。「学力の向上こそ、何より大事です。私の言うとおり、学力を向上させましょう。そうすれば必ず、合格できます」
こうして彼は、「学力の向上を!」「学力の向上を!」と百回も叫んだ。人々は、「なるほど、彼の言うことは正しい」と信じて、彼に多額の家庭教師代を払った。
しかし一年後、生徒は落第した。すると家庭教師は言い張った。
「学力の向上を! と私があれほど叫んだのに、学力を向上させなかったんですね。ふん。私の言うとおりにしない方が悪い」
こううそぶいただけだった。
(2) 社会主義政策
「生産性向上を」と叫ぶのは、ただのキャッチフレーズにすぎない、と述べた。
では、ただのキャッチフレーズでなければ? 実際に政府が企業経営を指導して、まさしく企業経営を改善すれば? それならばいいだろうか?
もしそうすれば、それは「社会主義」政策となる。すなわち、
「民間企業は経営が下手だから、国家が経営指導をしてやる。そうすれば、民間企業はどんどん向上するだろう」
というわけだ。
これは、社会主義であり、自由主義に反する。そして、この方針が失敗するということは、歴史的に判明している。だいたい、保守派の政治家が社会主義政策を取るというのが、根源的に矛盾している。
ここには歴史の皮肉があるのだが、それに気づいていない人が多いようだ。実は、「構造改革」という発想自体が、社会主義の発想である。この言葉を最初に使ったのは、イタリア共産党だ。「自由主義経済では駄目だから、国家統制経済にしよう。そうすれば、社会経済は現状よりもよくなるはずだ」という発想だ。
こういう発想は、とっくに化石となって葬られたのに、今になってゾンビのようによみがえらせようとする。それが、小泉やその亜流の「構造改革」だ。
はっきり言っておこう。「構造改革」というのは、社会主義者の発想であり、そんなことでは、経済は改善するどころか、悪化する。たとえば、社会保険庁は、国営状態で、生産性が向上したか? もちろん、否。
というわけで、「国の指導で生産性を向上させよう」という発想が、根源的に間違っている。
なるほど、国は、経済においてなすべきことはある。しかしそれは、個別の企業の経営に介入することではない。もちろん、「生産性の向上」という旗の下で、個別の企業が日夜努力していることにあえて下手に介入して、政府の方針を取らせることではない。そんなことをしたら、生産性は改善するどころか、悪化するだけだ。
すなわち、「生産性の向上を」と国が言えば言うほど、民間企業の生産性は悪化する。
たとえば、あなたが毎日せっせと真面目に仕事をしているときに、経済学者がやってきて、耳元に「生産性の向上を」叫べば叫ぶほど、あなたの生産性は悪化する。
(3) 勘違い
以上からわかるように、「生産性の向上を!」と政府が叫ぶことは、有害無益である。
では、それにもかかわらず、なぜ、政治家や経済学者は、「生産性の向上を!」と叫ぶのか? そこには、根源的な間違いがあるからだ。
では、根源的な間違いとは?
それは、「長期的な視点では正しい」ということに基づく誤解だ。
「生産性の向上で経済成長」
という発想は、実は、長期的には正しい。この点は、問題はない。誰も反対しないだろう。
実際、昔に比べて、近年では、生産性が大幅に向上している。そのおかげで、人々は、昔に比べてずっと豊かな生活を送れるようになっている。
その意味で、「生産性の向上で経済成長」という発想は、長期的には正しい。
では、問題は、どこにあるか? それは、「長期と中短期の区別」だ。
実を言うと、不況というのは、中短期の問題である。すなわち、長期の問題ではない。
なのに、中短期の問題に対して、長期の問題に対する解決策を当てはめよう、というところに、根源的な勘違いがある。
比喩で言おう。
「たくさん食べると体が大きくなる」
ということは、長期的には成立する。幼児は少ししか食べないが、思春期になるとたくさん食べるようになる。こういうことは、長期的には成立する。
では、中短期では? たとえば、病気になって、食欲が減る。風邪になったり、下痢になったりして、食欲が減る。あげく、体重が減る。これを治すには、どうすればいいか?
長期的な方法を取るなら、
「たくさん食べると体が大きくなる」
ということで、風邪や下痢の病人に、無理やりたくさん食べさせようとするだろう。「体重が減ったのなら、どんどん食べさせればいい」と。
しかし、消化器が弱っている病人に、無理やり大量の食物を与えれば、消化できないので、かえって病気が悪化してしまう。
というわけで、中短期の「病気」という問題に対しては、長期の「食べて成長」という方策は適用できないのだ。
経済もまた同じ。
「生産性の向上で経済成長」
というのは、長期的には成立する。
しかしながら、「不況」という中短期の病気(経済的な病気)のときに、無理に「生産性の向上」という処方を与えても、状況は改善するどころか、かえって悪化してしまうのだ。
(4) 逆効果
不況期に生産性を向上させると、状況はかえって悪化する。では、なぜ、そうなのか? ── そのことは、学問からわかる。
すぐ上の比喩を見よう。医者ならば、「病人に無理に食物を与えても逆効果だ」ということはわかる。しかし素人はわからないので、「どうしてだ、どうしてだ」と不思議がる。
同様に、マクロ経済学者ならば、「不況期に生産性を向上しても逆効果だ」ということはわかる。しかし素人はわからないので、「どうしてだ、どうしてだ」と不思議がる。
ここでは、真実を理解するには、学問が必要である。「いいことをすれば状況はよくなる」というような、素人判断は禁物なのだ。「いいことをすれば状況はかえって悪くなる」という真実をちゃんと見極めることが大事なのだ。
では、真実とは? それは、「需要と供給」という概念からわかる。
この両者が釣り合っているときには、「均衡」である。
この両者が釣り合っていないときには、「不均衡」である。特に、不況では、「需要不足」(需給ギャップ)が生じる。
このあとは、二通りに分かれれる。
(i) 均衡のとき
均衡のときには、「供給 = 需要 = 生産量」が成立する。
ここで、「生産性の向上」は、「生産能力の拡大」を意味する。
生産能力が拡大すれば、需要も生産量も同じだけ増えて、経済は成長する。
通常の状況では、これは成立する。実際、バブル期以前の日本経済は、この経路をたどってきた。民間企業がどんどん生産性を向上させて、経済規模はどんどん拡大していった。(別に政府がキャッチフレーズを唱えたせいではない。)
( ※ 実を言うと、「長期」では「均衡」が暗黙裏に前提となっているので、「長期」ではこのことが成立する。前述の通り。)
(ii) 不均衡のとき
不均衡のときには、「供給 > 需要 = 生産量」が成立する。
( 供給 − 需要 = 需給ギャップ )
ここで、「生産性の向上」は、「生産能力の拡大」を意味する。(たとえば、月産 20万台の工場で、実際の生産量が 15万台であるときに、生産性の向上によって、生産能力が月産 25万台に向上する。)
ここでは、生産能力が拡大しても、もともと不均衡なので、需要も生産量もちっとも増えない。単に需給ギャップが拡大するだけだ。
ここまでは、需要と生産量は不変である。
その後、どうなるか? 生産性の向上にともなって、企業は余剰人員をかかえる。するとやがて、余剰人員を解雇する。そのせいで国全体では、国民全体の総所得が減る。購買力が減って、総需要も減少する。……かくて、総需要および総生産は、減少する。
要するに、「生産性の向上のせいで、生産量がかえって縮小する」というふうになる。逆効果。
(5) 現実
すぐ上で述べたことは、一見、不思議に見えるかもしれない。
しかし、これは、不思議でも何でもない。まさしく現実だ、とわかる。すなわち、現実は、次のようになっている。
・ 生産性はどんどん向上している。(毎年2〜3%)
・ そのせいで、企業はコストを低下させ、企業収益は向上する。(黒字)
・ 一方、必要な労働者数は減るので、労働者はどんどん解雇される。
・ 労働者が余るので、労働市場では、賃金が異常に低下する。
実は、これは、「格差の拡大」そのものである。つまり、経営者や資本家だけは、企業収益の向上にともなって、どんどん富を増す。その一方で、(下級の)労働者は余剰となり、労働者の賃金はどんどん低下していく。
そして、その理由は、次の二つだ。
・ 需給ギャップ ( ≒ 生産量の低迷 )
・ 生産性の向上
(6) まとめ
「生産性向上で経済成長」
という発想は、長期的には成立するが、不況という中短期的な現象においては成立しない。むしろ、逆効果になる。
なぜか? その理由は、次の差による。
「均衡」 のとき …… 「生産性向上」と「経済成長」が等価だ。
「不均衡」のとき …… 「生産性向上」と「経済成長」が食い違う。
「生産性向上で経済成長」
という発想。これは、いわば、晴れのときには成立する。しかし、晴れのときに成立したことが、雨のときにも成立すると思ったら、大間違いだ。
また、健康な人間に当てはまることが、病気の人間にも当てはまると思ったら、大間違いだ。
そこにおける本質は、「晴れと雨の違い」「健康と病気の違い」を見極めることだ。このことは、経済においては、「均衡と不均衡の違い」を見極めることに相当する。
にもかかわらず、たいていの人々は、その違いを理解しない。そのせいで、誤った処方をなしてしまう。
・ 晴れへの対処を、雨のときに施す。
・ 健康者への処方を、病人に施す。
・ 好況への処方を、不況に施す。
いずれも、見当違いの方策である。それゆえ、悪化した状況を、いっそう悪化させるようなことをなしてしまうのだ。
比喩的に言おう。病気になった人が、病院に行って、「病気を治してください」と頼んだ。しかしそこにいる医者は、医学知識のない無免許医であった。彼はこう主張した。
「健康を増進するには、何といっても、スポーツですよ。私はスポーツをすることで、どんどん健康になりました。スポーツで体力増強! スポーツで体力増強! だからあなたもそうしなさい」
そこで患者は、体力増強をめざして、マラソンをした。すると、病気がいっそう悪化して、死んでしまった。
体力増強であれ、生産性向上であれ、素人判断でやれば、状況をかえって悪化させてしまうのだ。
しかるに、現状の政策は、あえてそういう間違ったことをなそうとしている。
すなわち、「格差の拡大」や「ワーキングプア」という問題は、現状において処方を間違ったからそうなったのではなく、現状においてまさしくそういうふうにしようとする方策を取っているから、そういうふうになっているのだ。
(比喩的に言えば、間違って首を吊って死んでしまうのではなく、あえて自分で首を吊ろうとして首を吊っているのだ。……ただし、まともな知識がないせいで、自分が何をしているか理解できない。)
結局、こうだ。
現状の政策は、(不況下において)「生産性の向上」という誤った方針を取っている。だからこそ、富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなっていく。
すなわち、ワーキングプアも、格差の拡大も、経済政策の成果が上がっていないのではなくて、まさしく成果がうまく上がっているのだ。まさしく狙い通りになっているのだ。
( ただし、自分が何を狙っているかを、まったく理解していない。比喩的に言えば、自分の頭に向けて拳銃の弾丸を発射しながら、「これで自殺する」と理解せずに、「これで宝くじに当たって幸福になれる」と信じている。そういう錯覚がある。)
なお、問題の根源を理解しないまま、問題への対症療法として、「最低賃金の賃上げ」「所得再配分」などをなしても、まったく無意味である。それはいわば、病気で痩せ衰えた人に対して、根源である病気を治さないまま、無理に体重を増そうとして、逆ダイエットによって肥満させようとしているようなものだ。それで、形の上では体重は増えても、病気はちっとも治らない。
肝心なのは、根源的な病気を治すことだ。そして、それがすなわち、前々項(ワーキングプアの本質)で述べた「生産量の拡大」なのだ。
【 解説 】
本項で述べたことは、直感的には、次のように言える。
「供給過剰のときに、さらに供給能力を向上しても、状況は改善するどころか悪化する」
「パンが売れ残って困っているときに、さらにたくさんパンを生産することができるようになっても、状況は改善するどころか悪化する」
「キャベツが売れ残って困っているときに、さらにたくさんキャベツを生産することができるようになっても、状況は改善するどころか悪化する」(豊作貧乏)
( ※ 注。 自分一人が生産性を向上させるのであれば、自分だけは儲かる。しかし、国中でいっせいに生産性が向上すれば、供給過剰となり、豊作貧乏の状態になる。……その違いを理解することが大切だ。これを理解するということが、経済学を理解するということだ。……現実には、理解する人は、ごく少ない。)
[ 付記1 ]
景気と生産性の因果関係について考えよう。
まず、次の事実がある。
「不況期には生産性が悪化して、好況期には生産性が向上する」
このことから、次のように主張する人がいる。
「生産性が悪化するから、不況になる。生産性が向上するから、好況になる」(不況の原因は、生産性の悪化である。)
しかし、論理的に考えれば、このような説が成立しないことは明らかだろう。
なぜか? 技術水準というものは低下しないからだ。たとえば、靴を 10個作れる技術をもつ人が、技術低下を起こして、靴を9個しか作れなくなった、というようなことは、原則としてあり得ない。
ま、例外的に、病気や事故にあった人なら、そういうふうに低下することもあるだろう。だが、国中でいっせいに技術低下をするということなど、あり得ない。
しかるに統計を見ると、まさしく、次のことが成立している。
「不況期にはあらゆる企業で生産性が悪化して、好況期にはあらゆる企業で生産性が向上する」
では、なぜ? それは、因果関係を逆にとらえることで、理解される。「生産性が悪化したから不況になった」のではなく、「不況になったから生産性が悪化した」のである。
たとえば、技術力はまったく低下しなくても、客の数が減れば、靴の生産量は一日10個から9個に低下する。需要の低迷のせいで、生産性が低下するわけだ。……というわけで、不況期には、国中でいっせいに生産性が低下する。こういうふうに理解するのが合理的である。
しかし、頭がおかしい人は、物事を逆に考える。「生産性が悪化したから不況になったのだ」と。
こういう人は、病人を診ても、同じことを考える。「病気になったから食欲が減ったんじゃない。食欲が減ったから病気になったんだ」と。
頭がおかしい人は、因果関係を逆に考えてしまうのだ。彼らの頭には、「相関関係」という発想があるだけで、「因果関係」という論理的な関係は理解できない。そのせいで、グラフを見て、相関関係が見出されると、勝手に自分好みの結論を出してしまう。何でもかんでも、自分好みの見解で解釈する。(ま、2ちゃんねらーみたいなものです。)
なお、彼らがいかに経済音痴であるかは、次の真実からわかる。
「生産性が悪化すると、不況になるのではなく、インフレになる」
たとえば、戦後日本では、生産設備が破壊され、生産性は最低になった。すると、物資の不足により、価格は高騰した。(闇市場など。)
つまり、生産性が悪化すると、供給が減るせいで、インフレになる。見かけは同じように「生産量の低下」があるとしても、実態は二つあるのだ。「供給不足によるインフレ」と、「需要不足による不況」。── この二つを区別することが必要だ。(区別しない人が、勘違いを起こして、「生産性の向上で景気回復」と主張する。デフレのさなかに、インフレ対策をなして、状況をいっそう悪化させる。)
(なお、実は、インフレというより、スタグフレーションというべき。物価上昇がある点では、インフレとスタグフレーションは共通する。どっちがどっちであるかは、ここでは特に問題にしないでいい。)
[ 付記2 ]
次の疑問も生じるだろう。
「生産性の向上で状況が悪化するのなら、生産性を悪化させれば状況は改善するか?」
実は、この問題に答えたのが、前項(戦争の経済学)だ。
戦争とは、生産能力の損耗である。生産設備を軍需に取られることにより、民需の生産能力は著しく悪化する。つまり、(民需の)生産性は大幅に悪化する。すると、どうなるか?
・ 物価は急上昇する。
・ 人員不足で失業は解決する。
・ しかし生産されるのは、軍需品が多く、民需品は少ない。
・ そのせいで、失業者は働けるが、国民の生活水準は低下する。
・ それでも一応、不況は解決する。
この件は、詳しくは、前項で述べたとおり。
実際、第二次大戦のとき、米国の(民需の)生産性は大幅に悪化した。にもかかわらず、それまでの長期不況を脱して、戦後においては好況を享受した。……つまり、生産性の悪化は、不況脱出の効果がある。
では、それは最善か? いや、次善だ。「供給力の破壊」によって不況を脱出することは可能だが、それは次善である。(不況は解決するが、国民生活はかえって苦しくなるからだ。働いても、富を得られない。)
では、最善は? 「需要の増加」によって、正常に不況を脱出させることだ。(働いて富を得ることだ。)
一方、最悪は? 「生産性の向上」によって景気低迷を持続することだ。(まともに働けない状況。)……そして、それが、日本の現状である。これに比べれば、まだしも戦争の方がマシである、という結論も成立するかもしれない。前項で述べたように。
( ※ 実は、ケインズ政策も、戦争と同様である。ケインズ政策の「穴を掘って埋める」というのは、まったくの無駄働きで、生産性は大幅に低下する。それにもかかわらず、失業は解決し、不況も解決する。国民生活は大幅に苦しくなるのだが、形の上では不況は解決する。働いてもろくに金を得られないが、ともかく失業が解決する。……戦争というのは、巨大なケインズ政策なのである。)
( ※ では、ケインズ政策や戦争を、どう評価するべきか? それは、馬鹿のやることではあるが、「生産性の向上」という自殺行為よりはマシである。馬鹿は狂人よりはマシだ。なお、現状は、「自分は利口だ」と自惚れて自殺しかける狂人ばかり。最悪。)
[ 付記3 ]
ちょっと些末な話をしよう。
本項にはちょっと矛盾がある、と感じられるかもしれない。次のように。
・ 前半では「生産性向上の政策は無効だ」と述べている。
・ 後半では「生産性向上のせいで格差の拡大が起こる」と述べている。
一見、矛盾しているように思える。前半では「効果なし」、後半では「効果(逆効果)あり」だからだ。
ただし、実は、矛盾はしていない。実は、どちらも正しい。説明すると、次の通り。
・ 政府による政策は、民間の生産性向上にまったく影響しない。
・ 生産性向上そのものは、起こっている。(民間の自主努力で。)
・ 生産性向上による「格差の拡大」も起こっている。
・ 「政府のせいで生産性が向上して格差の拡大が起こる」ということはない。
・ 「政府のせいでなく、生産性向ゆえ格差の拡大が起こる」ということはある。
・ 「生産性向上をめざす」という無効な政策を取ると、有効な政策をとれない。
・ 政府が無策だと、民間が勝手に格差の拡大を起こすのを止められない。
まとめて言おう。
生産性向上があると、「富めるものはますます富み、貧しいものはますます貧しくなる」という形で、「格差の拡大」が起こる。そんなことを推進しても仕方がない(無効である)。なのに、「これで幸福になれる」と錯覚して、あえてその道を進む。……それが現状だ。
比喩。
人々が行進して、底なし沼に落ちようとしている。警告係が正しく警告すれば、「ここは危険です、ここに入らないでください」と述べるので、人々は底なし沼に落ちない。しかるに、警告係が「ここは天国ですよ」と述べると、人々は底なし沼に落ちる。……ここでは、警告係自身が人々を底なし沼に落としているわけではないが、警告係が本来の仕事とは逆のことをするせいで、人々は底なし沼に落ちる。このとき警告係は、「オレが落としたんじゃないさ、奴らが勝手に落ちただけさ」とうそぶいた。(責任逃れ)
比喩。
故障した交通信号がメチャクチャな信号を出したせいで、交差点の事故が頻発した。ここで交通信号は、「オレがぶつけたんじゃないさ、自動車たちがそれぞれ勝手にぶつかっただけさ」とうそぶいた。(責任逃れ)
比喩をはずして言おう。
政府には、正しい措置を取る必要がある。他人にはその必要はないが、政府だけにはその必要がある。(上記の比喩の警告係や交通信号の責任。正しいことをなす責任。)
では、正しい措置とは? 「正しいマクロ政策」だ。
[ 付記4 ]
「長期的には生産性向上は有効である」
と先に述べたが、ここで言う「長期的」という言葉の意味に注意。それは、
「期間が十分に長いので、短期的な不況からは脱している」
ということだ。
比喩的に言えば、
「人間は、長期的には健康であり、短期的な病気を脱している」
ということだ。つまり、「長期」という言葉の意味は、「短期の状況を無視できる」ということだ。それは決して「時間が長い」という意味ではない。
たとえば、「長期間の不況」というものがある。日本の現状はそうだ。これは「一生病気のまま」というような状況だ。ここでは、いくら期間が長くても、「短期の状況(不況・病気)を無視できる」ということにはならない。「ずっと病気である」ということは「健康である」ことを意味しない。
ここを勘違いしないように。
たとえば、「長期的には人間にはスポーツは有効だ」と言える。たいていの人について、「なるべくスポーツをしましょう」と言える。しかし、だからといって、ずっと病気である人に、「なるべくスポーツをしましょう」とは言えない。
ここでは、期間が長いか短いか、ということは、本質的ではない。何が本質であるかを、勘違いしないようにしよう。
[ 付記5 ]
本項では、「生産性向上」の効果について否定的であった。
では、「生産性向上」は、何の意味もないのであろうか? いや、そんなことはない。何らかの意味はある。
では、どんな意味があるのか? それは、こうだ。
「生産性の向上は、一国の通貨水準を引き上げる」
たとえば、生産性の向上にともなって、「1ドル=360円」から、「1ドル=100円」へと、通貨レートが変わる(円高になる)。そのことで、国民は外国の富を安価に購入することができるようになる。(逆に、自国の輸出品は、生産性の向上の分、価格上昇を迫られる。)
結局、生産性の向上は、「景気」ではなく「通貨水準」に影響する。これが経済学的な結論だ。何に影響するかを、間違えないようにしよう。
( ※ ただし、個々の企業の場合には、まったく事情は異なる。特定の企業だけで生産性の向上があれば、その企業だけで状況が改善する。利益が増えるし、仕事も増えるので、一見、その企業だけで、景気がよくなったように見える。ただし、そのことは、国全体には当てはまらない。すなわち、企業経営と国家経済政策とは異なる。……ここを混同してはならない。なのに混同しているのが、大方の素人的発想だ。)
( ※ 間違いの例。「景気回復には、構造改革を。農業や商業や郵政事業など、生産性の低い産業を構造改革することで、日本の経済成長は達成される!」……これはまったくの嘘である。仮にこういう構造改革が実現して、生産性が向上したとしたら、景気がよくなるのではなくて、日本の通貨レートが円高になるだけだ。景気には何ら影響しない。……ただし、個別の事業を見れば、生産性を改善した個別の事業についてのみ、事業収支は改善する。とはいえ、そのことは、国全体には成立しない。国全体では、通貨レートにのみ影響する。)
[ 付記6 ]
長期的には、生産性向上は有益である。次のいずれかをもたらす。
・ 労働時間の減少。
・ 生産量の増加。
「労働時間の減少」は、確実に起こっている。産業革命以前の英国では、週休もなく、1日14時間労働なんてことがざらだった。今では週休2日制が普通だ。……ただし、これを一部の労働者に集中させると、「失業」という形になる。これを回避する方法が、「ワークシェアリング」だ。
「生産量の増加」は、金額レベルの増加だ。これは、通常、「量の増加」ではなく「質の向上」という形で現れる。たとえば、今の自動車は、昔のベンツよりもはるかに高品質だ。バブル時代の BMW318 よりも、今のカローラの方が高品質だろう。パソコンだって、今のパソコンは、昔のクレイというスパコンよりも高性能だ。……このように「質の向上」という形で、私たちの生活を向上させてくれる。「生産性の向上」は「生活の向上」という形で現れている。
[ 付記7 ]
本項の件(生産性向上で景気回復)については、前にも述べたことがある。
「ITで景気回復、というのはあり得ない」
というふうに。
アメリカでは、ITで景気回復があったように見えた。しかし日本では、もっともIT化の進んだ90年代こそ、最も不況が悪化した時期であった。皮肉な現実があるのに、それに見て見ぬフリをする連中が多い。
( 詳しくは → 「需要統御理論」 簡単解説 )
[ 付記8 ]
本項には書ききれなかった話も、いっぱいある。より詳しい話を知りたければ、下記を参照。
→ 泉の波立ち 2月24日以降。
構造改革、規制緩和、生産性向上、これが不況原因の三大トリオだと思ってきました。
当たり前のことが当たり前に理解される世の中が早く来て欲しいものです。
ただ、疑問が二つほどあります。
1環境制約があるから、需要増はまずいのでは。
先に僕自身の考えを…車を作れば確かに環境問題は悪化するが、太陽電池や風力発電を作れば環境問題は改善する。
2国際競争がある以上、生産性が常に向上していなければ国自体が潰れるのでは?
いや、経済を動かしている人々が目的としているのは「民の幸福」ではなく「国際競争に勝利し、富裕層が儲かり、国が強くなる」ことでは。だから生産性の向上はそれ自体が目的であり、格差が広がり国民が貧しくなることは最初から容認しているのでは。
「今は嵐なのだから、たくさん鞭打って強く漕がせ、役に立たない者はどんどん海に放り込んで船を軽く速くして競争に勝て、そうしないと沈むぞ」という論理にどう反論できるでしょう?
僕は、そこまで弱肉強食に徹し、弱者を捨てる世界は生きるに値しない、としか反論しようがないです。
> 1環境制約があるから、需要増はまずいのでは。
需要増加は、物質消費の増加を意味しません。金銭の増加を意味するだけです。たとえば、安価な大型RV車のかわりに、高価なハイブリッド車を購入すれば、需要は増えて、環境は改善します。
金額と物質量は比例しません。
> 2国際競争がある以上、生産性が常に向上していなければ国自体が潰れるのでは?
生産性は、国が何を言おうが言うまいが、毎年ほぼ一定量で向上します。民間が勝手に努力するので。
なお、国がつぶれるということはありません。国民生活が途上国のように貧しくなるだけです。現状の選択肢は、先進国で失業して餓死するか、後進国で貧しい暮らしで生きるか、ということです。
ただし、私は、どちらもお勧めしません。「需要増加」という方策を取れば、問題はすべて解決するので。(つまり、国の力で、選択肢を増やすわけ。詳しくは下記で。)
> 「今は嵐なのだから、たくさん鞭打って強く漕がせ、役に立たない者はどんどん海に放り込んで船を軽く速くして競争に勝て、そうしないと沈むぞ」という論理にどう反論できるでしょう?
各人は、競争するしかありません。
しかし、国の政策では、「需要増加」という選択肢が追加可能です。
これはつまり、比喩で言うと、嵐のなかで「船を増やす」ということが可能です。そうすれば、全員が救われます。
では、なぜか? なぜそんなふうに「船を増やす」ということが可能なのか?
それは、現状が不況だからです。不況のときには、需要が一時的に減っているだけです。だから、需要を元の水準に戻すことで、元の経済状況に戻ります。
船で言えば、船はもともとあったのだから、別に、新たに船を新造する必要はありません。船は漂流して、ちょっと横にズレているだけだから、その船を元に戻すだけでいいのです。……つまり、経済状況を、元の状況に戻すだけでいいのです。
ただし、経済状況を元に戻すためにどうするか、というのが問題です。
・ 古典派 …… 自由放任で最適化する。何もしないでいい。
・ マクロ経済学 …… 国のマクロ政策が必要だ。漂流した船を戻すために、何らかの操作が必要だ。
状況を元に戻すために、政府が最善のことをするべきか否か、という違いがあります。
ここで、「すべてを神の御心に任せて、政府は何もしないでいるのがベストだ」と信じているのが、古典派です。古典派の方針によれば、「そうすれば各人がたがいに他者を船から蹴り落とそうとするので、船の乗員の状況は最適化する」ということになります。
なるほど、船員の各人を救うためなら、各人が努力すればいいでしょう。「自分だけが助かればいい」と。
しかし、船員の一人でなく、船員の全員を救うためには、船長の特別な方針が必要です。「救命船を使って、そこに乗った人が助かればいいのではない。救命船を使って、漂流している別の船を引っ張ってくるべきだ」と。
こうして、別の船を引っ張ってくる(需要を元通りに戻す)という方針が、マクロ政策です。そして、それは、各人がいくら努力しても無駄なことであって、船長(政府)のみが決断して実行できることなのです。
生産性向上は向上した分の「人件費や設備費用を削減できた場合」に企業の収益を改善に寄与します。つまり、需要がない時に生産性向上すると(まぁ、やりますが)社員は良くてヒマになる、今なら解雇か給与が減り、捨てられない設備の稼働率は下がります。設備投資が抑制されますね。
よって、一番まっとうなのは空いた人や設備で新たな仕事を確保することですが、需要が縮小していると極めて難しくなります。運転資金(材料費+αなど)の金額で原価割れしても受注するのが一つですが価格破壊が起こり、景気回復時に足かせになります。
と言うわけで、仰るように景気が悪くなると、単純に生産性が悪化しますが、生産性向上が国レベルで機能するのは、需要>供給のときで、需要が少ない時にやると、雇用縮小・給与縮小、設備投資縮小、価格破壊というデフレみたいなことになるように思います。まぁ、企業はどんなときも生産性向上する必要がありますが。
南堂さんの指摘通りの事が、歴史をみるまでもなく、現在の日本でも再現しましたね。
新銀行東京。確か都痴爺、いや都知事が民間銀行が、アホだから貸し渋りがおきるとかいって、よりによってトヨタの経営陣をトップにして、失敗したのですよね。銀行マンが、ひぃひぃ働いている現実も見ずに、俺様がやればうまくいくんだっ!って。挙句のはてに、今年の都の新入社員に向かって、民間なんていいかげんだ!なんていってましたが、本当に馬鹿じゃなかろか・・と思いました。(あっ、この都知事に投票した、我々都民が一番馬鹿って事ですか・・)