次の見解が話題になることがある。
「今の高齢者は、得をしている。一方、現在の若者は、損をしている。若者はさらに、ワーキングプアなどでも損をしている。だから、高齢者の優遇をやめて、若者を優遇しよう!」
これについて論じよう。(前項の続き。)
──
冒頭の見解は、次のようなものだ。
「今の高齢者は、得をしている。払った年金料に比べて、何倍もの金をもらえる。一方、現在の若者は、払った金よりも少しの金しかもらえそうにない。高齢者は得をして、若者は損をしている。若者はさらに、ワーキングプアなどでも損をしている。若者は損だ! だから、高齢者の福祉や年金を減らして、若者への配分を増やせ!」
これは、妥当だろうか?
経済学的に「損得勘定」を考える(古典派流の)発想では、これは至極もっともである。たしかに、損得勘定で言えば、高齢者は得であり、若者は損だ。
では、高齢者から高齢者へと富を移転すれば、それでいいのか?
考えてみればわかる。「ちびまる子ちゃん」や「巨人の星」や「あしたのジョー」たちの時代の中年は、どういう生活をしていたか? 目刺しと豆腐とちゃぶ台のような生活だ。自家用自動車などはぜいたくだ、という時代であった。さらに言えば、彼らが若いころは、頭から爆弾が降ってきて、餓死者も出る時代であった。そういう人生を過ごしてきた世代を「恵まれた世代」と見なして、遊びほうけながらケータイとゲームで遊んでいる世代を「貧しい世代」と思うのは、どこか狂っていないか?
さらに考えてみよう。ガレキの山と廃墟しか乗っていなかった日本を、世界最先端の国にまで高めたのは、どの世代だったか? そこまで国家建設をしたのは、どの世代だったか?
さらに考えてみよう。これほどにも「無から有を作り出す」ということをしたあとで、それを貰い受けたのは、どの世代だったか? 中国やアフリカに生まれていれば、ひどい生活しか送れなかったのに、たまたま日本に生まれたというだけで、とても豊かな生活を送れるようになった幸運な世代は、どの世代だったか?
ここまで考えれば わかるだろう。真実は、こうだ。
「先の世代が、日本という豊かな経済システムを構築して、それを現在の世代のプレゼントしてくれた」
現代の若者は、日本という経済システム・社会システムをタダで贈ってもらえたのだ。金ではなくて、国を与えてもらったのだ。たとえば、次のことだ。
・ 日本中の道路。鉄道。港湾設備。
・ 日本中の住宅や高層ビル。平地の開拓という不動産。
・ 日本企業における技術。
・ その他もろもろの社会的基盤。
これらは、ゼロから作り上げるとしたら、数千兆円もの金がかかるだろう。いや、数千兆円もの金をかけても、簡単には作り上げることができない。(アラブにはいくら金があっても、アラブは先進国にはなれない。それと同様だ。)
日本には石油はないが、莫大な財産がある。その莫大な財産をゼロから構築してくれたのは、先の世代なのだ。そして、先の世代が構築してくれたものを、タダで贈られたのが、現代の世代なのだ。
現代の世代は、それほどにも多くのものを贈ってくれた。なぜか? 彼らは自分のものを捨てるような愚か者だったからか? 違う。次世代を愛してくれたからだ。親は自分の子を愛する。自分の子だけでなく、自分の子の仲間である子孫の全体を大切にする。そのために、せっせと税金を払い、年金料を払った。
そして、そういう愛に報いるに、現代の世代は、「ありがとう」と語るかわりに、「おまえたちはさっさと死んでしまえ」と思う。だから、「道路の税金をケチって、後期医療制度の料金を引き上げよう」と思う。「自分さえよければそれでいいのさ。親の世代からは、もらうだけもらって、自分たちは与えるのはいやだよ」と思う。
一方、親の世代は、どうだったか? 彼らは逆だった。彼らの前には、年金制度というものはほとんどなかった。そのころは「子が親を養う」というのが社会的な常識だった。その一方で、年金制度が新たに導入されて、「自分の老後は自分で養う」というふうに、システムが切り替えられた。結果的に、彼らは、次のようになった。
「子の義務として、自分の親を養う」
「自分の老後は、自分の払う金でまかなう予定」
「しかし現実には、医療費負担の増加や道路減税などで、子の世代に富を奪われる」
三重苦である。
では、本来は、どうするべきであったか? 「自分で貯蓄する」という形にするべきだったか? それも一案だが、「自分で貯蓄する」というのは、人間はあまりやりたがらないものだ。「宵越しの金をもたない」というふうに、金をすべて使ってしまって、「老後は生活保護費でまかなってもらおう」というふうに考えがちだ。だから、年金制度というものは、それなりに有益だ。(強制的な貯蓄制度として。)
では、年金制度の意味は? こうだ。
「貯蓄をすることで、今現在の生活を貧しくするかわりに、国家建設のために資金を投じる。(貯蓄・投資という形で。)そして、国家が成長したあとで、投資収益の回収という形で、国家から給付を受ける」
これが当然のことであった。
ところが、現代の世代は、この方針を破壊した。道路建設でもそうだが、先代の建設するものを利用するだけ利用して、その利用料を払おうとしない。ただ乗りである。いわば、無銭飲食の泥棒だ。
同趣旨のことは、先日( → 4月12日 )にも述べた。道路建設の話として。ただし、道路建設だけでなく、あらゆる意味の国家建設において、同じことが当てはまる。道路、ビル、開拓、技術など、あらゆる意味の国家建設において、現代の世代は、過去の世代のつくりあげたものに、ただ乗りしている。無銭飲食。泥棒。
そして、こういう大泥棒たちが、そのうちの一部を返済しているとき、「おれは返済しているんだぞ」とは思わず、「おれは金を奪われていて損をしている」と思い込む。あげく、「高齢者の富を奪おう! 彼らはおれたちより豊かだ!」と思う。そして、「自分たちは貧しい」と思いながら、自分たちのケータイ料金を払うために、高齢者の医療費を削って、高齢者の生命を奪うわけだ。
これが今の日本。姥捨て山国家。
( ※ 自分もまたやがてそうなる、と気づかない愚かな人々ばかり。)
[ 付記 ]
こういう愚かな連中は、ワーキングプアの問題にもさらされている。「自分たち自身が招いたツケだ」ということにも気づかないわけだ。
前にも述べたが、ワーキングプアの問題は、(一面的には)若者たちの気質のせいでもある。昔の世代ならば、労働組合を通じて、賃上げ圧力をかけて、インフレ傾向にした。だから、デフレにはならず、失業もなく、ワーキングプアの問題もなかった。
今の世代は、個人が団結しないから、労働組合がない。そのせいで、ストができず、企業収益が回復しても賃上げがない。かくて、いつまでも景気低迷が続く。 ( → 2月03日 )
要するに、テレビゲームとケータイに熱中しているから、ワーキングプアの問題を解決できないのだ。なのに、そのことに気づかないでいる。
そこで、自分の愚かさを反省するかわりに、他人に責任転嫁して、他人の富を奪おうとするわけだ。他人の富を。恩人の富を。……子孫に富を残した世代とは、正反対に。
※ 本項は、もともとは「泉の波立ち」の 2008年4月19日 の箇所にあったものを、移転したものである。
(前項とのかねあいで、ここに移転した。)
【 後日記 】 ( 2010-07-20 )
それでも若者は、「自分は損をしたくないなあ」と思うかもしれない。しかし、実は、損をしていないのだ。「若者は損だ」という理屈は、一種のペテンである。
理由は次の四つ。
(1) 若者と高齢者は、別々のグループではない。人は誰しも、若者から高齢者になる。
(2) 社会保障というものは、「勤労世代 → 高齢者世代」という所得移転がもともとある。若いときに破損して、高齢者になってから得する、ということだ。それを嫌がるなら、自分が年取ったときに、どうするつもりか?
(3) 老人が多くの金を得ているというが、老人はその金を自分で使い切ってしまうわけではなく、その金の大部分を相続財産として、次の世代に残す。それを否定するのであれば、「相続財産は一切放棄します」という念書を書くがいい。
(4) すでに本項(本文中)で述べた内容。
詳しくは
→ 泉の波立ち「2010年7月12日」
2008年05月11日
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