◆ 市場原理と医療崩壊:  nando ブログ

2008年05月18日

◆ 市場原理と医療崩壊

 「市場原理が医療崩壊をもたらす」という趣旨の記事があった。これについて論評する。
 市場原理が駄目なら、公的医療にすればいいのか? 単に社会主義的な制度を導入すれば、それで事が済むのか? 

 ──

 記事は、読売新聞(朝刊・1面コラム 2008-05-18 )である。「市場原理が医療崩壊をもたらす」という趣旨。要約は、次の通り。
  
 「市場原理で(慢性赤字の)医療制度は改善する」という政治主張があった。レーガンやサッチャーなど。そして、それを実行して、医療制度を民間に委ねた。すると、どうなったか? 効率は改善したか? いや、民間の医療会社ばかりが多大な利益を上げて、一般の人々は大損をするようになった。人々は、せっせと保険料を納付するが、いざ病気になると、いろいろと難癖をつけられて、医療費を受け取れない。いったん大病を患うと、一挙に人生が破綻する。また、貧者に至っては、もともと医療保険に加入できないので、あっさりと破綻する。こうして、人生の崩壊をもたらされた人々が続出し、社会そのものが崩壊しつつある。その一方で、人々から多大な利益を得た民間保険会社は、暴利をむさぼる。
 ──

 では、これは、どういうことか? 

 (1) 市場原理の不成立

 そもそも、医療では、市場原理は成立しない。なぜか? 市場原理というのは、万能のものではなくて、一定の条件の満たされた限られた場合にのみ有効だからだ。
 このことを理解するには、次のことを考えるといい。
 「市場原理で値付けをすると、最も高値をつけた人が最高の美女を得ることができるか?」

 市場原理主義者ならば、「イエス」と答えるだろう。しかし現実は、「ノー」である。

 では、なぜか? 市場原理が成立するには、次のことがあるからだ。
 「たがいに代替可能なもの(ほぼ等価なもの同士)があるという前提のもとで、わずかに品質がよかったり、わずかに価格が低かったりするものが、優位に立つ」


 一方、上の前提が満たされない場合には、上のことは成立しない。かわりに、次のことが成立する。
 「代替不可能なもの(まったく異質なもの同士)については、市場競争の原理は成立しない」

 たとえば、女性Aと女性Bだ。どちらもそっくりであれば、持参金の多い方が優位に立つ。しかし、通常は、「好み」というものが働く。となると、ここでは、市場原理は根源的に成立しない。
 医療もまた同様だ。各人の症状は十人十色である。それに処方される医療も、十人十色だ。「あの医者ならば絶対安全」ということも成立しない。

 結局、こうだ。
 「均一な商品については、市場原理は成立するが、不均一なニッチの集団については、市場原理は成立しない」

 前者は、商品が均一であるがゆえに、多大なものが競合する。
 後者は、商品が不均一であるがゆえに、ニッチ(微小市場)においてほとんどが競合しない。
 だから、医療においては、もともと市場原理は成立しえない。「医療においても、市場原理は成立する」というのは、ただの妄想にすぎないのだ。

 (2) 詐欺

 医療においては、市場原理は成立しない。それにもかかわらず、強引に市場原理を導入すると、どうなるか?
 市場原理とは、弱肉強食の原理だ。そこにおいて、圧倒的な強者(民間会社)と、圧倒的な弱者(一般人)がいれば、強者が弱者を食い物にする。

 その具体的な例は、次のことだ。
 「すばらしい医療を受けられますよ、と吹聴して金を集めた上で、客がいったん病気になると、あれこれと難癖をつけて金を払わない」
 これは、次のことと同じだ。
 「すばらしい品物をもらえますよ、と吹聴して金を集めた上で、トンズラする」

 これは、「客をだまして食い物にする」ということだ。つまり、「詐欺」である。(ただし、合法的な詐欺。)
 要するに、「医療における市場原理」とは、「詐欺の跋扈(ばっこ)」のことなのである。


 そして、そうなる理由は、「不均一」ということだ。「十人十色」であるがゆえに、それぞれのものはたがいに比較が困難となる。そこで、「あなたは例外ですよ」とうまく言いくるめる詐欺師が登場する。こういう詐欺師が大儲けをすることができる。(金を集めたあとで、支払いを免れるからだ。一種の債務不履行。)
 つまり、「医療における市場原理」とは、「優秀な医師が生き残る」ということではなく、「優秀な詐欺師が生き残る」ということだ。

 (3) 根源的な誤認

 では、市場原理をやめて、単に国営制度に戻せばいいのか?
 そうとは言えない。たしかに、公的医療制度は必要だ。だからといって、「自由主義が駄目だから、社会主義にすればいい」ということにはならない。
 では、大切なのは、何か? 次のことだ。
 「これはただの経済問題ではない、と理解すること」


 医療がただの経済問題であるのならば、単に利益を追求すればいい。そして、古典派経済学者ならば、「利益の追求をすれば社会は改善する」と主張するだろう。
 しかし、そのような発想は、根源的に間違っている。

 そもそも、医療というものは、金儲けのためになすのではない。
 一人一人の医師を見るがいい。彼は何のために医療をしているのか? 利益の最大化のためか? 自分の金を増やすためか? 違う。自分の金を増やすためではなく、他人の生命を救うためだ。……そこには、エゴイズムとは正反対の原理が働いている。「博愛」というような原理が。
 そして、その原理が正常に機能することが、医療制度の根幹なのだ。

 このことを認識するべきだ。そうすれば、次の結論も得られる。
 「エゴイズムよりも博愛精神に満ちた医師が疲労困憊して壊れることのないように、医師へのサポートを十分に施す」


 一方、市場原理主義者は、次のように結論する。
 「金儲けの意欲にまみれた強欲な医師が、どんどん金儲けをめざせばいい。そうすれば、状況は改善するだろう」

 しかし、その結果は、次のようになるだろう。
 「金儲けの意欲にまみれた強欲な医師や保険会社が、どんどん金儲けをめざしたあげく、患者は食い物にされる」

 ────────────


 ここまで見れば、どこに根源的な倒錯があったか、理解できるだろう。
 要するに、「医療における市場原理」を唱える人々は、「医療とは何か」とは根源的に誤解しているのだ。
 彼らは「市場原理」という 《 経済における原理 》 を盲信したあげく、その限界を見失う。やたらとおのれの勢力を拡大しようとして、医療の世界にまで支配力を及ぼそうとする。しかし、そんな強欲なエゴイスティックな思想の支配を受ければ、平和だった医療の世界は崩壊してしまうのだ。

 結局、「市場原理ですべては改善する」という発想そのものが、根源的におかしい。そして、その本質は、「おのれの限界をわきまえない」といことだ。
 市場原理そのものが間違っているのではない。何事も、その適用範囲というものがある。なのに、自惚れた人々は、自己の限界を理解できずに、自己を万能だと思い込む。
 それが「市場原理主義」の誤りだ。
( ※ なお、「市場原理」の誤りではない。……混同しないこと。)
( ※ 比喩で言うと、「コメ(炭水化物)は人間に必要だ」というのは間違いではないが、「コメさえあれば万能だ。人間はコメさえ食べていればそれでいい」という主義は、かなり偏っている。それで病気になるとしても、当然かもしれない。何事であれ、偏った考え方は駄目なのだ。)



 【 参考 】
 「市場原理が医療崩壊をもたらす」
 という話題については、世間でもしばしば話題になる。上記の記事も、特に目新しいというほどのこともない。すでによく知られた話題だ。
 似た話題については、ネットでも検索できる。
  → Google 検索 「市場原理 医療崩壊」
 
posted by 管理人 at 11:31 | Comment(1) | 経済 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
医療崩壊ー地域医療の崩壊は、今国民的な関心になっていると思いますが、わたしの知人の開業医の先生が最近、このテーマで執筆されています。
この本によると、その崩壊の主な責任は、医療行政の問題にあると指摘しています。つまり、医療費など年間2200億円削減のしわ寄せを、地域の医療現場に押しつけているとのことです。
このような、一開業の方々を含めて、現場の医療関係者から様々な議論が巻き起こってくることを期待したいところです。
『医は仁術か算術か―田舎医者モノ申す』(定塚甫著・社会批評社・1500円)
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/80-9.htm
Posted by 堀口舞 at 2008年10月04日 16:01
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。