◆ 受付 09:  nando ブログ

2006年10月01日

◆ 受付 09

こちらは過去ログです。
 
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posted by 管理人 at 22:23 | Comment(89) | ご意見の受付 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
永森卓郎氏の医療費抑制案について、違和感を
感じるのですが、南堂様のご意見をお聞かせいただけ
ませんでしょうか。

http://www.nikkeibp.co.jp/sj/2/column/o/134/index.html
Posted by xfer at 2008年05月27日 19:51
朝日批判はいいんですが・・・

自分と意見が違うときは金返せ
ですか

議論の余地なし,私は絶対正しい,かな

Posted by さくさく at 2008年06月06日 00:15
死刑廃止論者は他人の心の痛みを理解しない人。他人の心の痛みを理解すれば死刑廃止論者にはなり得ない。この二元論はあまりにも無謀ではないでしょうか。

そもそも他人の心の痛みを理解しているのか、理解していないのかという、第三者からみて極めてあやふやで、客観的には判じがたいことを、死刑廃止論者か否かで識別するのは、あまりにも卑劣なことではないでしょうか。

全くむなしい、無駄な書き込みをしてしまいましたが、自分自身が他人の心の痛みの分からない人間である、と断罪されることには、やはり耐えられないものがあります。

南堂様に取って、こんな私の気持ちは、他人の心の痛みにはなりませんでしょうか。
Posted by Murata at 2008年06月06日 00:58
> 自分と意見が違うときは金返せ

 そうじゃないですよ。「新聞は自社の意見を主張する場ではない」ということです。意見の是非ではなくて、情報提供かわりに意見を出すこと自体が、報道になっていない、ということです。
 トヨタが自社の見解を告げたいときには、広告料の形で、読者に金を渡しています。朝日だって、自社の見解を告げたいときには、そうするべきでしょう。なのに朝日だけは、自説の宣伝を無料で掲載している。いや、読者から金を徴収して、掲載している。(私ならば金を取りませんが。)
 それが行きついたら、記事は一つもなくなるでしょう。政党広報紙みたいに。いいんですかね? つぶれちゃいますよ。
 朝日の心配をしているわけ。ただでさえ、読者激減なんだから。私って親切だなあ。   (^^);

 ──

> そもそも他人の心の痛みを理解しているのか、理解していないのかという、第三者からみて極めてあやふやで、客観的には判じがたいことを、死刑廃止論者か否かで識別する

 そんなことは書いていませんよ。
  AならばB
 と 
  BならばA
 とは違います。

> 自分自身が他人の心の痛みの分からない人間である、と断罪されることには、やはり耐えられないものがあります。

 そうでしょう? そういうふうにして、痛みを感じてもらうことが、目的です。わが身をつねって、人の痛みを知る。
 家族を殺された人の痛みは、その程度のものじゃないですよ。自分が死にたくなるほどの痛みですよ。その痛みを想像してみてください。

> 南堂様に取って、こんな私の気持ちは、他人の心の痛みにはなりませんでしょうか。

 あえて痛みを与えようとしているのです。小さな痛みを。言葉だけの痛みを。……そのことで、巨大な痛みを想像する心を持ってほしいのです。

Posted by 管理人 at 2008年06月06日 07:15
死刑に関していいたいことはありますが,

少なくとも,”遺族の意志”ではなく
”故人の意志”であるべきではないかと

移植ドナーカードのように,生前に表明する制度
Posted by tanu at 2008年06月06日 12:24
> ”故人の意志”であるべきではないかと

 そうですね。それも書こうと思ったのですが、書いているうちに、文書がごちゃごちゃしてきたので、「遺族」という言葉で単純化してしまいました。

 現実には「故人」(生前の意思)も重視するべきでしょう。とはいえ、「故人の遺志を遺族が重視する」という形なら、同じことかもしれない、と思いました。

 話が複雑化しそうなので、本文では「遺族」に一元化して書きましたが。
Posted by 管理人 at 2008年06月06日 21:30
相当前のコメントで,南堂さんは単純な死刑推進論者ではないといっていましたが,
ここのところの発言をみると相当強硬な推進者ですね.

私は強硬な廃止論者ですがこのことに関して恥に思う気持ちは全くありませんね.

死刑推進論者のいやなところは
・冤罪処刑なんて山ほどあるのに全くふれないこと
(自分が冤罪でも処刑される方がいいですか)
・死刑判決の後,機械的にどっかの誰かが殺していると思っていること
(執行するは公務員ですが人間ですしね.死刑の現場がどんなのかを知らないくせに)
・遺族の気持ちを思うと,とかいいながらただの高みの見物気分
(三流のワイドショーそのまま.被害に遭っていない人ほど偉そうなことをいう)

まだまだありますが,言葉も汚くなるのでまあ自粛,ということで.
Posted by ぴの at 2008年06月08日 22:48
書き忘れましたが,オウム事件の時だって,
あれほど麻原は死刑だ死刑だ,と騒いでおきながら
今になっては,ほとんどの人がそんなこともあったね
ぐらいにしか思っていないでしょう.

それこそ遺族の方以外は
Posted by ぴの at 2008年06月08日 22:51
アメリカ合衆国には死刑廃止した州としてない州が混在しています。どの州が廃止したかしてないかは完全に公表されています。
殺人だけはしたいが死刑にだけはなりたくない人間は容易に州境を越えて行けますが、そんなこと実際起こってますか? 連続猟奇殺人事件の話はたまに聞きますが、犯人がわざわざ死刑廃止州を選んで犯行したなんて話がありますか?

あとついでに、現に死刑廃止した国は世界中に多々ありますが、南堂氏によれば、その国々は一つ残らず被害者の痛みが想像できないくせに善人ぶってる人でなしの国ということになりますね。
Posted by ルクス at 2008年06月09日 03:07
私が「遺族の味方」ヅラする連中に心底からの嫌悪感を覚えるのは、こいつらこそ遺族を利用して、罪を犯したという弱みのある人を正義ヅラして踏み躙ろうという下劣な根性を隠そうとも市内からです。

もし犯人に大きな後ろ盾が存在する場合(例えば大財閥、広域暴力団、テレビ局)、遺族が脅迫されるのは必至です。

刑罰どころか、犯罪の成立自体に、被害者が左右できる余地はありません(親告罪を除く)。何故なら、被害者にそんな権限を認めたら被害者を危険に曝すから。捜査当局はなんであれ犯罪の発生を知れば捜査を開始していい(被害届も通報すら不要)し、被害者に捜査を止めさせる権利はない。だから、犯罪の発覚を知った犯罪者は冷酷な知能犯ほど単に逃げるだけで、被害者へのお礼参りなんかしないのです。危険を増やすだけだから。

被害者に権利がないというが、責任や義務を被害者に課さず、国家権力を背負った検察官に全責任を課しているのです。そのことで、被害者をそれ以上の負担から保護しているということがわかってないやつが多すぎる。
Posted by ルクス at 2008年06月09日 03:21
殺人事件で検挙されるのは、まず親兄弟顔見知り。
http://www.npa.go.jp/toukei/seianki6/h19hanzaizyousei.pdfより
第4「刑法犯の現況」
1「重要犯罪」
(2)「殺人事件の状況」
エ「被疑者と被害者の関係別検挙件数」
親兄弟夫婦といった、親族だけで半分近く。知人友人加えると軽く7割以上?
もし、被害者の生前の意思が絶対だというのなら、(日本の死刑賛成派の数から考えて)この人たちもみんな死刑ですか。南堂さんよ、統計上あなたは見知らぬ他人に殺されるよりも家族に殺される確率の方がはるかに高いが、裁判官は「故人の意志に従って死刑」と判決すべきだと? そうそう、無差別殺人とかで、偶然被害者に死刑反対派と断固推進派が混じっちゃったらどうなるんだろ。推進派が優先? 南堂氏ならそう言いそうだな。何しろ、「被害者の味方」ヅラする連中というのは、利用できそうな遺族はとことん持ち上げるが利用できなさそうな遺族は無視どころか平気で攻撃するから。典型が週刊新潮。

渋谷とみこ氏が犯罪被害者の会幹事を辞任した時の声明です。「復讐権」ばかり絶叫する連中がいかに被害者の敵か、7年近く前に教えてくれています。
http://www.k2.dion.ne.jp/〜saiko/shibuya/zenshibuya/TS1229.htm
Posted by ルクス at 2008年06月09日 14:31
ちゃちゃをいれますが・・
南堂さんは、へそ曲がりで多数派より少数派の見方を重視するといっていましたが・・・、
死刑存続派はどう見ても多数派ですよね。
Posted by xi at 2008年06月09日 22:51
 粗っぽい2分類では存続派に分けられますが、論拠は全然違いますよ。多数派の論拠による死刑存続論に対しては、私は反対します。

 つまり、廃止論も存続論もどちらも駄目、というのが私の立場。両方の悪口を言うから、両方から攻撃を受ける。   (^^);

 あと、世間は単純な「存続論」ではありません。大量殺人があると「存続論」が優勢になり、しばらくたってほとぼりが冷めると、「廃止論」がぶりかえす。その繰り返し。

 その馬鹿らしさ(特に朝日の)を皮肉りたいのが主眼。   (^^);
Posted by 管理人 at 2008年06月09日 23:02
あはは,死刑廃止論になると南堂さんは常軌を逸して攻撃的になりますね.ちょっと見苦しいですよ.

xiさんの茶々(↑)が有効に見えてしまいます.

これは私の意見ですが,
死刑に賛成する以上は,その執行現場を目を背けずに見る覚悟があるか,そしてそれを見て,なお意見を変えずにいられる覚悟がある,というのが最低限必要だと思います.
どっかの誰かにいつの間にか死刑をやってもらうのではなく.
Posted by ぴの at 2008年06月09日 23:09
お早い返事をありがとうございます。

でも、・・・存続派は誰も攻撃していないような・・・

なんてちゃちゃを入れるから嫌われるんですが。
Posted by xi at 2008年06月09日 23:14
 ゴミ焼却工場の臭い匂いを嗅がない限りは、ゴミを捨ててはいけない? 
Posted by 管理人 at 2008年06月09日 23:19
「どっかの誰かにいつの間にか死刑をやってもらう」べし。「自分がやると思ってはいけない」というのが、今回(死刑と大量殺人事件)の私の論旨です。

(「自分の手を汚すのがいやだから、やりたくない」と思ってはいけない、と。それはいわば、「自分の手を汚すのがいやだから、ゴミの収集をやめてしまえ」というようなもので、社会を腐敗させる。どうせ誰かがやってくれるのだから、その人に任せればいい。余計な心配をするべからず、ということ。)
Posted by 管理人 at 2008年06月09日 23:26
とうとう,人を殺すのがゴミと同じですか.
(かっこ内は南堂さんらしくなく,論理がずれてますね.ムキになりすぎてますよ)

その,どっかの誰か,が自分かもしれないことは忘れてOKと.死刑を超えて差別温存の考え方につながりますね.
Posted by ぴの at 2008年06月09日 23:32
それでも朝日が死刑廃止を訴えるなら、見所があるということでしょうか。
(あるいはクズ?)

ないと思うけど
Posted by xi at 2008年06月09日 23:34
すくなくともゴミの処理に関しては主に肉体的な疲労で済むでしょう.考えによっては充実感ももてるものでしょう.
ただ,死刑の執行担当者はどうですか?
そんなこと考えなくてよい,と.

あまり,例え話につっこむのも論旨がずれる一方なので,これ以上はいいませんが.

別に,命は何よりも大切,とかそういうことでなく.
(南堂さんのことだから,また死刑廃止論者はまたすぐムキになる,なんて書くのでしょう)
Posted by ぴの at 2008年06月09日 23:54
 私は別に、「死刑廃止論」そのものに反対しているわけじゃないんです。恨みがあるわけじゃないし。通常は、無視します。
 では、何に反対しているかというと、朝日の「死刑廃止キャンペーン」に廃止しているんです。なぜならこれは「洗脳」だから。
 一般に私はあらゆる「洗脳」(虚偽をキャンペーンして信じさせること)に反対します。見るたびに、本能的に怒り狂って、反発します。  (^^);
 これまでの例だと:
  ・ 小泉の構造改革(構造改革で景気回復)
  ・ 金融緩和政策(これで景気回復)
  ・ ブッシュの大量破壊兵器論(だからイラク攻撃は正当だ)
  ・ 読売のブッシュ支持
 などに強く反発しています。新聞はこれらをキャンペーンして信じさせ、そのあげく、日本を誤った方向に導いてきましたが、そのたびに私は強く反発してきました。
 また、次の例もあります。
  ・ 燃料電池
  ・ 風力発電・太陽電池
 こういうキャンペーンにもいくらか反発してきました。

 とにかく、マスコミのキャンペーン(しかも嘘)というやつが、大嫌い。ナチスドイツとか、金日成主義とか、そういうのが大嫌い。たいていの人は「長いものに巻かれろ」と思うか、あっさりだまされるか、そのどちらか。だから、朝日がキャンペーンするたびに、私は反発します。
 死刑廃止論も同じ。普段は気にしないが、朝日がキャンペーンしたときだけ、猛反発する。へそ曲がり主義。   (^^);

 ま、普通の人が死刑廃止論をもつのは、それはそれで構いませんよ。見解の自由ですから。
 個人の意見にまでは、いちいち踏み込みません。(ちょっと踏み込んでしまったこともあるが。お恥ずかしい。  (^^); )
Posted by 管理人 at 2008年06月09日 23:57
上の方にありますが,「新聞は意見を言うべきではない」となると,どこも似たり寄ったりのものになりそうですね.
政府はこういっています.それに対して,がすでに意見.
警察が容疑者を逮捕しました.警察はこういいます.容疑者はこういいます.あとは君たち判断してね.
では,ちょっときついのでは.
(まあ,権力の広報誌なら存在価値はもっとない.少なくとも立場の弱い人の意見を載せないのなら)

で,死刑の場合.
政府;推進,国民;推進,南堂さん;推進(理由は違うとはいっているが結果的に同じ)
廃止;少数の市民グループ程度.ほんの一握りの国会議員(亀井静香とか)
(単純な二元論で申し訳ないですが)
まだまだ立場の弱いものにどうしたのでしょう.当分はこの構図は変わらないと思いますが.早く芽は摘んでおけ,ということでしょうか.

これまでの南堂さんは少なくとも政府の広報機関となって,嘘を突き通すものに反発しているのに,今回の死刑はあまりに構図が違いますね.しかもあまりに常軌を逸して.

恨みはない,といいながら,なにかあったのは?

Posted by ぴの at 2008年06月10日 00:34
毎日の”泉の波立ち”も書かないといけないだろうに,長々と申し訳ない.
Posted by ぴの at 2008年06月10日 00:36
私は南堂氏を買いかぶりすぎていたようです。まったく恥ずかしい。
「おかしな論がまかり通っている。そのおかしな論を具体的に批判するにあたり、一例として朝日新聞のこの記事を引用すると…」というのならまだしも、「朝日新聞が記事にした時だけ罵倒する」というのは、単に朝日を罵倒したいだけで、口実なんかどうでもいいとしか思えない。
私はたぶん南堂氏より年下だが、朝日新聞を目の敵にする輩が例外なしに嘘吐きのならず者ばかりだということは経験上知っています。朝日新聞社に問題点は多々あるが、その問題点の多くは朝日特有ではなく読売など他の新聞社やテレビ局とも共通します。あるいは問題点でもなんでもない、単にそのならず者の妄想による罵倒。心理学でいう投影。自分こそ常習的な大嘘吐きのくせに偉そうに朝日を嘘吐き呼ばわりする輩は珍しくない(例えば週刊新潮)。

ところで南堂さん。死刑廃止した州や国は、例外なしに被害者の痛みを想像できない人でなしなんですよね? 欧州連合にいたっては加盟条件に死刑廃止を挙げてる(トルコは加入したくてわざわざ廃止した)ぐらいですが、欧州はひとでなしの集まりですか? 全米でも死刑執行が突出するテキサス州はブッシュ共和党の一大根拠地ですが、とても他人への思いやりにあふれた天国みたいな土地なんですね? 廃止した州よりずっと犯罪率は高いけど。

特定の誰かを罵りたい一心で、デタラメな論を捏ね上げるのは止めましょう。自分自身が堕落するだけです。
Posted by ルクス at 2008年06月10日 06:19
死刑執行があり,小躍りして喜ぶ南堂さんが目に浮かびます.

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080613-00000008-maip-int

> 米国ではほとんどの世論調査で5割以上が死刑を支持している。遺族感情が影響しているとされるが、83年に義弟を殺されたカールソンさん(52)は「死刑で遺族が救われることはない」と言う。

> 「犯人を死刑にしてほしい」と願った時期もあったが、98年に犯人の処刑に立ち会って認識が変わった。「恐怖だった。死刑に対し怒りがこみ上げてきた」

こんな人は南堂さんにとって,
”情がなく”,”恥知らず”で”愛のない”
”世の中を安定をなくす”人なので
(それこそ死刑にして)抹殺したい対象なのでしょうね.
Posted by ぴの at 2008年06月17日 23:46
> 死刑執行があり,小躍りして喜ぶ南堂さんが目に浮かびます.

皮肉ですか?   (^^);

私は「死刑存続論者」じゃありません。

「死刑廃止論者に反対している」というわけでもありません。

じゃ、何かというと、
「死刑廃止キャンペーンで読者を洗脳しようとしている朝日の一方的な洗脳キャンペーンに反対している」
 のです。死刑賛成論者と廃止論者がともに意見を交わすのならば、私はどちらもいいと思いますよ。それは民主主義だし。

 ただし、一方の意見だけを何度も大々的に掲載して、読者を洗脳しようとする人民日報みたいなのは、大嫌いです。それだけ。

 だから、逆に、読売が「死刑強化キャンペーン」という一方的なものを大々的にやり始めたら、私は今度はそれに反対します。
 「政府に反対する国民をみんな死刑にするつもりか? ふざけるなよ、フセイン・ナベツネ!」
 と「死刑強化論者を攻撃する主張」をしますよ。

 間違えないでね。  (^^);

 ──

 私の趣旨は常に、「遺族と本人に任せよ」です。どうするかは他人が決めるべきことではなく、本人が決めるべきことなのです。

 ま、何度も書いたことだから、誤読しなければわかるはずなんですが。



Posted by 管理人 at 2008年06月17日 23:58
死刑廃止論者は、(中略)現実知らずで、夢想世界に生きているからだ。
世間知らずの典型。
それでも「死刑廃止を」という偽善者
この世には「偽善者」という言葉がある
死刑廃止論者が「死刑を免除しろ」と押しつけるのは、差し出がましい(中略)つまり、「恥を知れ」と
「死刑廃止論者」というのは、「殺人犯」の同類なのだ。
死刑廃止論者は、(中略)エゴイズムの発想だけだ。
彼らには他人の悲しみを無視するという冷酷さがある。
まともな正義ヅラをした見解
「死刑廃止」というのは、殺人者のための法制度
、「死刑廃止論」というのは、「犯罪者による犯罪者擁護」にすぎない。一種のエゴイズムであり、自己弁護にすぎない。
死刑廃止論者は、(建前だけの空理空論にとらわれて)彼らの悲しみを理解できない


これだけの罵詈雑言を並べ立てておいて,死刑廃止論者に反対していることはない,といっても誰が信用できますか.朝日に投げかけた言葉ではなく廃止論者に浴びせた言葉です.
誰がどう見てもがちがちの死刑積極推進論者でしょう.
で,世間は死刑推進の方が多数だし,産経,読売とも大の死刑推進新聞ですよね.
南堂さんが多数の尻馬に乗っているか,死刑積極推進論者以外ではあり得ません.
違います,誤読だ,といっても,これは間違いないでしょう.このページの読者だって死刑推進者が多いわけで,これらの言葉のどこが悪い,南堂さんの言葉のどこが悪い,という意見の方が多数でしょう.

ただ,もちろん思想の自由はあるわけで,こうやって議論にのってくれるのはありがたいのですが.

前回のコメントのリンクにあるように,遺族と本人に任せよといっても,それが完全ではないのは確かです.単純に任せればいいというものでもないでしょう.遺族だって聖人君子でもないし(人間だからね).リンクの遺族のように後から廃止に傾いても,死刑になった人はもうどうにもならない,という気持ちにならないかな.

だから死刑廃止だ,というのは論理の飛躍であるのは十分承知してます.
Posted by ぴの at 2008年06月21日 01:14
> 誰がどう見てもがちがちの死刑積極推進論者でしょう.

やっぱり誤読ですよ。
なるほど、私は「死刑廃止論者」のキャンペーン者に大反対して、その不当性を咎めるために「死刑廃止論者」の難点を指摘しています。(悪口も言っています。ただし悪口は、ほとんどすべての項目で書いています。別に死刑問題に限ったことじゃなくて、ほとんどすべて。)
しかし、「死刑積極推進論者」じゃないですよ。「白に反対する」からといって「真っ黒だ」と主張するのは勘違いです。私は「白黒は遺族に委ねよ」と述べているのであって、そのために「白に反対する」と言っているのです。「がちがちの黒だ」と思うのは勘違いです。それは一種の被害妄想でしょう。

> 遺族と本人に任せよといっても,それが完全ではないのは確かです.単純に任せればいいというものでもないでしょう.遺族だって聖人君子でもないし(人間だからね).

これも勘違い。有罪か無罪かを決めるのは裁判所です。そこで誤認が起こることはあります。ただし、それは遺族は関係ありません。遺族は有罪か無罪かを決めません。遺族は「有罪かつ死刑」と判定された場合に、「死刑」を「無期懲役その他」に減刑する権利を得るだけです。当然ながら「無罪」や「無期懲役」を「死刑」に引き上げる権限はありません。

たとえば、あなたまたはあなたの家族が殺された場合に、あなたは殺人犯を「死刑」から「無期懲役」に減刑することができます。それでいいじゃないですか? あなたの望みどおりになるのだから。(この意味で私は死刑推進論者じゃありません。まったく。)

一方、別の遺族がいて、その遺族が悲しみのあまり人格が崩壊寸前になっていて、「どうしても死刑にしろ」と訴えているとき、あなたはその人に対しては何も言う権利はない、口出しをするな、というのが私の主張です。他人の悲しみについては誰も口出しをできない、というのが私の主張です。あなたが何をしても、他人の悲しみをかわりに負担することはできません。だったら(善人ぶって)口出しをするな、というのが私の主張です。
あなたが何かを主張できるのは、あなたがその悲しみを負ったときだけです。つまり、あなた自身が家族を失ったときだけです。そして、そのとき、あなたはまさしく「殺人犯」を「死刑」から減免する権限を得ます。それでいいじゃないですか? どうしてまた他人の悲しみに口出ししようとするのです? 

(というのも、あなたが私のことを「死刑推進論者」と勘違いしているからでしょう。誤読のせい。白じゃないから黒だ、という硬直した思考のせい。)
Posted by 管理人 at 2008年06月21日 09:00
私の立場は前にも書きましたが,廃止論者です.理由は簡単に言ってしまえば私に度胸がないからです.(長くなるのでこれ以上は説明しませんが)

南堂さんの文章からは”私は死刑廃止論に反対はしませんとはいいながら,単なる悪口以上に死刑廃止論者の人格を否定しているわけですから(つまり,死刑推進論者ではないと,人間でないぐらいの).単なる難点の指摘ではないでしょう.
だから,”がちがちの死刑肯定論者”といっているのです.廃止論者ではなければ推進論,という意味でなく.

南堂さんもがちがちの誤読ですね.
>これも勘違い。有罪か無罪かを決めるのは裁判所です。そこで誤認が起こることはあります。ただし、それは
完全に論点をそらしていますね.
そんなことをいっているのではないのは十分にわかっているでしょうに.
多少この論に乗っかってもいいですが,南堂さんも例の光市事件でもM君事件でもいいですが,裁判官が仮に無期懲役の判決を出していたら,この裁判官は愛がない,人の気持ちがわからない,etc.の罵詈雑言を投げかかけるでしょう.もちろん,南堂さんが覆すことはできませんが,もっと厳罰に法律を変えるべき,と主張するでしょう.

>口出しをするな、というのが私の主張です。他人の悲しみについては誰も口出しをできない、というのが私の主張です
主張はその通りでしょう.これに関しては文句なしです.ただ,善人ぶるのは”死刑にしろ”のほうでしょう.

反論があると,何でも”誤読”を盾にして逃げるのはやめましょうよ.
Posted by ぴの at 2008年06月21日 22:33
で,論点が最初からだいぶずれてきているのですが,

南堂さんとしては朝日みたいな公共性の高い媒体(新聞)が,意見を言うのが間違っている,というのが出だしでしょうが,これはそうなのでしょうか?
そんなことをいったら,新聞はただの無機質な情報媒体になってしまう気がしますが.

で,私がこれだけしつこくここに書くのは,前にも書きましたが,
・朝日がキャンペーンをしようが,世論は死刑廃止が多数.
・むしろ少数意見の掘り起こしをしている
・南堂さんの意見が2chの死刑推進論者のように雑で多数派なのに少数派の芽をつみ取ることに血眼になっている.
ためです.

南堂さんのいつも行っている”違う視点に立っていろいろ考えてみる”ことが,全く感じられないからです.
Posted by ぴの at 2008年06月21日 22:55
キャンペーンというのは、少数派だからこそ行なうものです。多数派であればキャンペーンなんかする必要はありません。

死刑賛成派と反対派は、ほぼ半々です。6対4ぐらいでしょうか。こう言うところでは、一方の意見だけを大々的にキャンペーンするべきではなく、双方を紹介するのが報道機関として正しいあり方だ、と私は考えます。勝手に一方だけを正しいと決めつけて、国民を一つの方向に誘導しようとするのは、「マスコミを利用した政治誘導」であり、マスコミそのものの自己否定だ、と私は考えます。読者のためにマスコミがあるのではなく、マスコミのために読者を利用しようとしているのですから。

死刑賛成論者と反対論者が議論をして、それを朝日が報道する、というのであれば、私はそれを民主主義と見なして、是認します。

しかし、世の中の意見が二つに分かれているときに、「世界の多数派はこっちだからこっちにしろ」というふうに強引に押しつけるのは、まっぴらです。
たとえば、「世界の多数派は英語だから、日本の国語を英語をせよ」というキャンペーンを朝日がやるとしたら、私は大々的に反対します。それと同じことです。たとえ「日本語の方がいい」という見解が多数派だとしても、新聞を洗脳の道具とすることには反対します。(異なる意見の紹介に留まっている限りならばいいんですが。)

──

なお、「少数意見の紹介」というのとは全然違う、ということに留意してください。

「誰でも知っている衆知の意見」という意味で、死刑廃止論は、私のいつも言っている「少数意見」(世間にほとんど知られていない意見)とはまったく異なります。

朝日が「誰も知らない少数意見の紹介」をするのならいいんですよ。誰も知らない少数意見を紹介することには意義があります。

しかし死刑廃止論なんて、誰だって知っていることです。誰も知らない少数派の意見の紹介ではありません。そもそも、紹介するのではなくて、それを強引に押しつけて政治的に立法化しようという政治運動です。国民に何かを教えようという情報提供ではなくて、国民に何かをさせようという洗脳活動です。それは、マスコミのやるべきことではなくて、政党が国民を煽動するときにやるやり方です。

比喩で言うなら、「煙草がありますよ」という情報提供ならば問題ないのですが、「煙草を国民に吸わせよう」というような強引な煽動には反対します。煙草でなくても、ビールでもワインでもパチンコでも菜食主義でもいいですが、「自分の信念に読者を従わせよう」という宣伝活動はまっぴら御免です。

朝日がどうしても死刑廃止論を報道したいのであれば、死刑廃止論とその反対論とを、並置するべきでしょう。それならば報道機関としての使命を果たしたことになります。

ついでですが、2ちゃんねるはマスコミではないし、読者から金を取っているわけでもありません。あそこで何を言おうが勝手です。そして、朝日のやっていることは、2ちゃんねると同じなんですよ。方向が違うだけで。

だから、私の言っていることは、「新聞を2ちゃんねるにするな」というのと、だいたい同じことでしょう。
Posted by 管理人 at 2008年06月21日 23:14
 私の論じているのは、「死刑廃止をめぐる政治論議」ではなくて、「死刑廃止キャンペーンをめぐるマスコミ論議だ」という点に注意してください。これが基本です。(ときどき逸脱しますが。  (^^); )

 その証拠に、次の二点があります。
  ・ 一般の死刑廃止論者には抗弁しない。
  ・ いま読売のやっている死刑廃止報道には何も言わない。

 読売の報道に着目してください。読売は廃止論の是非について、どちらにも与せず、客観的に第三者の立場で報道しています。だからその記事は「事実だ」と信じるに足ります。
 しかし朝日の記事は、特定の立場から特定の方向だけを是認しています。となると、その記事に書いてあることは「事実だ」とは信じることができません。「事実を歪めて報道しているのではないか」とか、「特定の一つだけを抜き出して、残りの999をすべて捨てて、一事が万事であるかのように報道しているのではないか」とか、疑われます。なぜなら朝日は第三者ではなくて、利害関係のある当事者だからです。「死刑は廃止するべきだ」という自己の信念があるがゆえに、その信念に沿ったことばかりを報道するようになっているのだ、と疑われます。(実際、その疑いの通りでしょう。)
 これはまあ、マスコミとしての自殺行為です。「自分の言葉を信じられないものにする」というのでは、存在意義がありません。(政党機関誌のようなもので、事実報道にまったく信頼性がありません。)

 このことが典型的に現れたのが、例の「素粒子」の問題でしょう。素粒子の筆者が鳩山法相を「死に神」と表したことに、法相が批判し、朝日の読者から素粒子の筆者に批判が殺到しました。当然でしょう。死刑を決めたのは裁判所であり、法相は単に職務を実行しただけです。職務怠慢でなかっただけです。それを「死に神」と表現するのは、根本的におかしい。頭がトチ狂っているとしか思えない。そして、このように頭がトチ狂っているとしたら、朝日がいつもキャンペーンをして、読者および社員を洗脳して狂わせてしまっているからです。
 素粒子の筆者は後日、「書く技術は難しい」と釈明していますが、とんでもない。「洗脳されてしまったこと自体が問題なのだ」「マスコミの一員として、客観的に物事を認識することができなくなったのが問題なのだ」と気づいていません。表現技術の問題ではないのです。そのことに気づいていない。

 朝日の社員は普段は、自民党にも民主党にも共産党にも与しないで、どれにも公平に当たります。だからその報道は客観性をもつことができるし、読者は信じることができます。
 しかし、死刑問題(など一部の問題)についてだけは、特定の方向に頭が染まってしまって、物事を特定の色目がでフィルターにかけてみています。そして、フィルターをかけた歪んだ情景を、読者に強制的に見せつけて、読者を洗脳しようとします。
 こういうことをやる体質が問題なのです。死刑廃止論そのものが問題なのではない。「死刑廃止論なんて世の中の問題のただの一つにすぎない」というふうに客観的に認識できず、「これこそ世の中の最重要の問題だ」とばかり妄想的に認識すること。ここが問題なのです。

 世の中には自殺者が毎年3万人以上も出ています。なのに、そういうことをほったらかして、救おうともしないで、年にたった数人程度の死刑囚の命ばかりを救おうとする。罪なき人々の命が大量に奪われても平然としていて、複数の人を殺した残忍な殺人犯の命ばかりを救おうとする。
 その意味で、朝日と死刑廃止論者と殺人者は、どれも同じなんですよ。人の命を奪うエゴイストという点で。
 違いは何かと言えば、殺人者が殺したのは数人程度にすぎないが、死刑廃止キャンペーンをやる人々はそろいもそろって毎年3万人以上も死なせている状況を放置している、ということです。
 一人殺せば殺人者だが、3万人殺せば英雄だ、と思っているのでしょう。……そして、そういう集団的狂気を指摘するのが、私の狙いです。

 悔しかったら、「3万人以上を救う状況を改善せよ!」というキャンペーンをやってみろ、ってもんだ。どうせできないでしょうけどね。彼らにとって大切なのは、殺人犯である数人の命だけなんですよ。3万人以上が死んでも、「彼らは自殺したんだからおれたちのせいじゃないんだ」と思って、平然としているんですよ。人々が自殺するハメになったのは、自分たちマスコミの無策のせいでもある、ということを忘れて。

(朝日が経済問題について真実を報道すれば、実際に3万人以上を救うことが可能です。しかし、朝日は、そういうことを絶対にやりません。偽善者というものは、そういうものなんですよ。強欲な社長が、自社の数千人を解雇して人々を不幸にしたあと、乞食に1万円を恵んでやって、「自分は善人だ」と思い込む。……それが朝日のやり口なんです。)
Posted by 管理人 at 2008年06月21日 23:47
鳩山法相の件は、・・・・

もともと頭のねじが2,3本とんでいるような人ですからねえ。
朝日をとっていないんで知らなかったのですが、むしろうまいこと言うわ、と思いましたよ。
むしろ、死神と呼ばれて、それがどうしたぐらいの度胸もないみみっちい人間ですよ。
死刑執行を機械的にやれ、というのだからそれぐらい言えばいいのに
Posted by xi at 2008年06月22日 00:31
近頃南堂氏のメッキがどんどん剥がれて来たように思います。
嘘吐きほど他人を嘘吐き呼ばわりします(例えば週刊新潮、産經新聞、統一協会)。

あのー、後期高齢者医療制度なんて、どこの新聞テレビももずいぶん強く反対して、賛成派と半々で客観的に取り上げるなんてしてますか? 国会審議の果てにちゃんと可決された法案なのに「法律で決まったことなのだ」「それに文句を言うとは、民主主義の否定だ! 許されない!」「これはテロリストの発想だ!」などと喚いてるやつがいますか?

1930年代、まさに軍国主義が暴走して行った時代、朝日新聞主筆として社論を率い、明らかに軍国主義を後押しした緒方竹虎は、戦後そのことを大変悔やんだそうです。緒方は断じて風見鶏やコバンザメじゃない。226事件で本社が襲撃されたときの堂々たる応対(予備役とはいえ海軍大将の岡田総理と大違い!)や、学生時代以来の大親友である中野正剛の「戦時宰相論」を東條英機の絶頂期である昭和18年正月号に掲載するわ、その中野が東條の報復で自決に追い込まれると葬儀委員長を努め、東條からの献花を拒否するわ、時流に諂う権力亡者の態度ではありえない。
朝日新聞が軍国主義を賛美したのは、緒方が軍国主義に被れていたのではなく、国民が被れていたため販売上の策だったのです。戦後朝日新聞の幹部は総辞職し国民に全面謝罪する社説を出し、責任を取った。だから戦後の朝日が、時流に逆らおうとも悪い物は悪いと言おうという態度は戦前の反省を踏まえた当然の態度でしょう。気に入らない論だから何が何でも貶めようと矛盾だらけの屁理屈をこね回す警鐘者気取りの暇人なんか相手にせず。
Posted by ルクス at 2008年07月02日 11:43
もし南堂氏が1930年代に生き、緒方朝日が(部数減を怖れず、日本の未来の為に)勇敢に反軍国主義のキャンペーンを始めてたら、なんていうでしょうね。イラク侵略やあの日本人人質事件狂騒を鋭く批判した南堂氏なら、朝日を支持したでしょうか。それとも、近頃メッキが剥げて来た南堂氏なら、思いつく限りの屁理屈をこね回して罵倒したでしょうか。「自分の論(反軍国主義)だけが正しいと社会を洗脳しようとしている。報道機関の態度じゃない」とか何とか言って。

ところで南堂さん。自分が気に入らない論を貶めようと無理矢理屁理屈をこね回す偽善者でないというのなら、一度明言してくれませんか。「死刑廃止論者は被害者を考えない人でなしである」「だから死刑を廃止した欧州連合各国は人でなしの集まりである」「死刑を大量執行しているテキサス州や中華人民共和国は人でなしに立ち向かう、被害者への温情にあふれた素晴らしい国である」「テキサス州やキューバと違い、カナダからチリまでの米州諸国は人でなしの集まりである」「『死刑囚最期の日』を著し、青年期から終生死刑廃止論者だった文豪ビクトル・ユゴーは人でなしである」

劣等感に固まった馬鹿ほど、権威者を貶める巧い例えを思いついたつもりで「その例えが正しいならこんな方向にも適用されるぞ」ということを一切考えない。

さあ南堂さん。はっきり明言して下さいよ。ビクトル・ユゴーは人でなしですか!
Posted by ルクス at 2008年07月02日 12:08
南堂さん。国会の定めた法律に従って死刑を執行した法相を「死神」と揶揄するのがテロリストなら、やはり国会の定めた法律に従って仕事をしているだけの厚生労働省(大臣だけじゃなく多くの職員まで)を「姥捨て」呼ばわりするのもやはり頭がトチ狂ったテロリストなんですね? 遥かに大勢が同調してるから、そのほうが問題だろうに。

「死刑制度は断固正しい。反対どころか些細な揶揄(記事や論説はもちろん、小さな風刺さえ)絶対に許されない。そんなやつはどんな屁理屈をこね回してでも徹底的に叩き潰してやる。被害者を思えば、人殺しやテロリストの同類でなければ絶対にそんなことはできないはずだからだ」

私に安易な同調への危険を説き、「本質」を見抜く視点を教えてくれた南堂氏はどこへ行ってしまったのでしょうか。あのへそ曲がりだが自由を愛した南堂氏なら、こんなことを喚くやつこそ徹底的に罵倒したでしょうに。

文豪ユゴーと並んで、是非ご回答下さいな。法律で決まったことを執行している厚生労働省をマスコミ総出で「姥捨て」呼ばわりするより、小さな風刺欄で「死神」呼ばわり(それも、以前から法の規定の本質部を揺るがせるようなことを平気で公言している権力者を)するほうがはるかに悪質だと考える理由を。
Posted by at 2008年07月02日 13:06
 まずお断りしておきますが、私は死刑存続の全面肯定論者でもないし、死刑廃止論の全面否定論者でもないですよ。「本人と遺族に任せよ」と述べています。たとえば、あなたまたはあなたの家族が「死刑反対」ならば、あなたの最愛の人が殺されたときに、その殺人者の生命をあなたは救えます。あなたのお望みの通り。
 ただ、死刑廃止論者がどうしてそこまで熱狂的になるのか、ようやくわかってきました。

 これまでずっと不思議に思っていたんですよね。
 「毎年数万人もの自殺者や、医療崩壊被害者が出てきて、莫大な人命が奪われているときに、その問題をほったらかして、ほんの数人の殺人者の生命を救うことばかり、どうしてそんなに熱心になるのか?」
 と。
 「人は誰しも等しく生きる権利がある」
 というふうによく言われますが、その原理の例外があるとしたら、その原理を踏みにじった人(殺人者)でしょう。殺人者だけは、生きる資格がない。なのに、生きる資格のある人々が大量に死んでも平気でいて、生きる資格のない人が死ぬときばかり狂信的に弁護する。……それは、なぜか? 死刑廃止論者は、なぜそんな非合理的なことをするのか? 
 これまでずっと不思議に思っていたんですよね。

 ようやくわかりました。こうですね。
 「どんなことがあっても自分は殺人に手を染めたくない」
 莫大な人々が死ぬのは、自分が殺すわけではないから、平然としていられるわけです。しかし、殺人犯が死刑になるのは、死刑制度をもつ社会を是認している自分自身が死刑執行の一員になるから、そんなことはしたくない、と思うわけです。
 要するに、最高に汚い仕事をしたくない、というわけです。どこかで誰かが言っていましたが、「死刑執行のボタンを自分で押す気はあるのか?」というような質問がありました。ここに本質があるのでしょう。どんなことがあっても、自分は死刑執行のボタンを押したくない。自分の手を決して汚くしたくない。自分はあくまで善人でいたい。汚れごとには手を染めたくない。

 なるほど。こういう発想はよくあります。特に、社会生活で責任ある立場についたことのない人だと、そういうふうに「汚れごとはいやだ」というふうに思いがちです。
 こういう人には、説得の言葉はありません。人生経験が未熟な子供に社会生活の方法を教えても、本質的には理解できないのです。「長いものに巻かれる必要のあることもある」と教えても、「どうして間違ったことをしなくちゃいけないの」と反論してくるでしょう。
 しょうがないですね。子供には社会の現実は理解できません。あなたもいつか人生経験を積んだときに、社会の現実を知ることができるでしょう。「百の悪を防ぐときに、1の悪をしなくてはならないこともある。責任者はあえて自ら泥をかぶる必要があることもある。社会の幸福のために自らが汚いことをしなくてはならないこともある」と。
 しかし、そういうことは、子供には理解できません。なぜなら、子供にそういう犠牲を強いることはできないからです。汚い仕事をして社会を救うのは、大人の仕事です。子供は「いやだ、いやだ、僕はそんなことをしたくない」と逃げ回っていていいのです。
 というわけで、死刑廃止論者は、「自分は正しい」と言い張っていていいのです。……ただし、それを他人に強要するべきではありません。子供が大人を洗脳するようになると、社会が狂ってしまいます。

( ※ これは原発に似ています。「原発なんか汚いからイヤだ、廃止してしまえ」と子供は言います。しかしその言葉にしたがって、原発を廃止したら、社会は崩壊してしまいます。……大人は、汚いこととわかっていても、あえて汚いことをせざるを得ないことがあるのです。朝日って、そういうことがわからない子供論議が多いんですよね。)
Posted by 管理人 at 2008年07月02日 18:31
ビクトル・ユゴーは人でなしのテロリストなんですか?
厚生労働省を姥捨て呼ばわりするのはテロリストなんですか?

話を逸らさないでさっさと言い切って下さいよ。自分の言動に責任感があるのなら。
どうしても言い切らないのなら、あなたのメッキが完全に剥げ落ちるだけです。
Posted by ルクス at 2008年07月02日 20:26
人の話を読んでください。
私は死刑廃止論に反対しているんじゃなくて、朝日の報道姿勢を批判しているだけ。ビクトル・ユゴーは朝日じゃありません。おしまい。

これだけ言ってもわからないようならば、以後はコメント禁止にします。

Posted by 管理人 at 2008年07月02日 21:43
あなたがここまで恥知らずだと思わなかった。
ぴのさんが6月21日01:14で指摘している通り、あなたは朝日に留まらず死刑廃止論そのものを執拗に罵倒している。姿勢じゃなく、明らかに論そのものを全面否定している。

私は今まであなたを尊敬していた。イラク戦争を煽る読売新聞や、人質事件の狂騒の最中にあれだけのことを連日書き続けたあなたに目を見張った。冗談でなく私はあなたの教師だった。最後には反面教師に変わったが。

コメント禁止ですか。ここはあなたのサイトです。あなたの自由を尊重します。コメント禁止も、私の投稿を全て削除して自分が突かれた矛盾を隠蔽するのもいいでしょう。

私の投稿が急に全部消えていたら、きっとぴのさんか誰かが察してくれるでしょう。ぴのさんが南堂氏の「本質」を見抜いてくれることを願います。

「本質こそを見抜け」という大切なことを教わったお礼に、私からも大切なことを教えましょう。
「劣等感を持つな。権威者や気に入らない者を攻撃したいあまりに、支離滅裂な論に飛びついたり自分ででっち上げたりするな」
「分析力も判断力も情報収集力も何もかもが(敵を攻撃したい一心で)メチャクチャに歪んでいって、憎い敵より先に自分が堕落して惨めになって行くだけだ」

以上です。さようなら、我が恩師!
Posted by ルクス at 2008年07月02日 23:22
> 死刑廃止論そのものを執拗に罵倒している。

いやね、その部分は、私もちょっと反省しているんですよ。「悪口の書きすぎだったかな」と。だからその点は、申し訳なく思います。

ただね、私が言いたかったことは、死刑廃止論者への悪口じゃないんだ、というのが、あとで述べた注釈。「真意は朝日の独善的な洗脳記事が問題で、それを批判するために、朝日の死刑廃止論を否定した」ということ。

 朝日の死刑廃止論を否定したからといって、一般の死刑廃止論者まで強く否定するつもりはないんです。
 ただ現実には、そういうふうに受け取られるように書きすぎてしまったところもあるので、その点は反省しています。で、「本当は朝日の方針を批判したいだけなんだ」と繰り返し述べているわけです。

 「朝日にいる死刑廃止論者」を批判したいというのが趣旨で、民間にいる普通の死刑廃止論者を批判したいわけじゃないんです。
 ただ、現実には、朝日に対して書いているうちに、頭に血が上りすぎて、ちょっと筆が走りすぎたこともあるので、それについては反省しています。一般の死刑廃止論者の気分を害したとしたら、その点はお詫びします。「朝日憎けりゃ同類も憎い」というふうに受け取られてしまったとしたら、それは私が未熟だったんですね。ごめんなさい。
 私は別に普通の死刑廃止論者が憎いわけじゃないですよ。彼らは自分の意見をもっているだけであって、洗脳しようとしているわけじゃないんですから。私が憎たらしく思うのは、報道権力をもって洗脳したがる連中だけです。

Posted by 管理人 at 2008年07月03日 00:46
ただね。前言と矛盾するようですが・・・

死刑廃止論者の独善性というのは困ります。私が指摘したいことはその点。
 「死刑を廃止するべきだ」
 という見解については、それはそれで私は尊重します。
 ただし、
 「死刑廃止は絶対的に正しい人道的な善行だ」
 というふうに盲目的に信じるのは、困りものです。それはいわば、
 「祖国のために戦うのは絶対的な善行だ」
 と信じて侵略をするのと同様です。
 どちらにしても、盲目的な発想があり、思考がストップしています。絶対的に守りたいものが、殺人者の生命であるか、祖国の人々の生命であるか、という違いがあるだけです。どちらも独善的です。
 朝日にはそういう独善性が見られ、被害者の悲しみへ共感する心が欠落しています。その独善性を指摘することはあります。

 ちなみに、
 「殺人行為はぜひとも止めるべきであり、殺人者を許容する死刑廃止は悪であるが、それでもやむなく、死刑廃止という悪をなすべきだ」
 というような冷静な主張ならば、私は受け入れられます。
 なお、私の立場は、こうです。
 「殺人者にも生きる権利はあり、殺人者を死刑にすることは悪であるが、それでもやむなく、死刑という悪をなすべきだ」
 私は「死刑は善だ」と述べているのではありません。間違えないでください。
Posted by 管理人 at 2008年07月03日 00:58
 ちょっと思ったんですが、死刑廃止論者という人々は、これまで幸福な人生を送ってきたんだなあ、と思います。世の中の暗部を見ずに来た。とても幸福と言えましょう。(いいことずくめではなくとも、人間性の最も汚い部分を知らずに来られたので。)

 ま、私も子供のころは、死刑廃止論だったと思います。「人間の生命はどんなことがあっても尊重するべきだ」というふうに。「自分が人を殺すような真似は絶対にしたくない」というふうに。
 今から思えば、現実を何も知らないガキでした。この世には本質的な悪というものが存在します。そういうものに目をふさいで、きれいなものばかりを見てきましたが、人間性というものを知るにつれて、そういうきれいごとでは済まない現実と直面せざるを得なくなりました。
 麻原が何万人も殺そうとしたのを見て、多くの人々は非難しますが、実は、似たような精神構造は、誰だって持っているんですよ。「会社の利益のためにワーキングプアを死なせてもいい」と思う経営者もいるし、「おれの人生が無意味だから秋葉原で殺してやれ」と思う人もいるし、「おれの死刑廃止論は絶対に正しいんだ、それを批判する南堂なんかくたばってしまえ」と思う人もいます。その誰もが似たようなものです。
 現代人の精神構造は、タガがはずれています。そういう狂気を抑制するための「重し」として、死刑という抑止は「必要悪」だ、と私は考えます。
 これがなくなって、狂気の人々を自由放置にすることがすばらしい、という見解もあるでしょうが、残念ながら、私はそういう見解に賛同できません。なぜなら愛する人を殺された人の悲しみを知っているからです。
Posted by 管理人 at 2008年07月03日 01:45
一度さよならと書いた以上、追加するのは抵抗がありますが、まだ南堂氏がわかってないようなので、もう一つ二つ。

ある論法や例えを思いついたなら、「ではこんな場合は?」「こんな場合は?」といろいろあてはめて確認してみることです。

「Aは黒である!」と断言するのなら、「じゃあ甲も乙もAじゃないか。すると甲も乙も黒なんだな、そうだな!」と追及されることを考えなければいけません。「そうだよ。甲も乙も黒だよ!」と言い切るか、「私が間違っていた。Aは黒だというのは飛躍しすぎだった」と撤回しない限り、無責任なデマカセ野郎として信頼は壊滅します。
だから三流ペテン師(言をクルクル変えても気づかないほどの馬鹿のみをターゲット)はやたら平気で断言しますが、誠実な人やペテン師でも一流は安易に歯切れのいいことは言わないのです。

再びユゴーを例示しますが、ユゴーがひたすら安泰な人生を送った世間知らずだったとでも思っているのですか? 7月革命と2月革命、パリの壮絶な市街戦、ナポレオン三世のクーデター、亡命と波瀾万丈の人生です。人間の狂気を言うなら19世紀のほうがよほどひどいと思いますが。「ああ無情」だって、不合理な因習への固執が社会の不幸を再生産しているんだということを何度も何度も訴えている(ジャン・ヴァルジャンも一度は死刑判決を受けたし、テナルディエ他どうしようもない悪人がひたすら登場する)。

死刑廃止とは、凶悪犯を野放しにしろというのでも、凶悪犯を救えというのでもありません。フランスが死刑廃止したときの司法相の議会演説をはじめ、格調高いのはいくらでもある。

あなたの言葉を少し引用するなら「死刑執行は絶対に正しいんだ。些細な異論でも何でも、これを機に朝日新聞を思う存分叩きのめしてやる」という「狂気」こそが今の日本に蔓延しているとしか思えませんが。「表現の自由」はどこへ行った? 後藤田正晴も執行命令出したけど、仮にあんなこと書かれても無反応か(いろいろ言われるのは)為政者の宿命だと達観してたでしょうに。あんな夕刊の小さな欄。深夜ラジオの女性歌手の些細な放言、それも実際の聴取者が全く問題にしなかったようなものを、売名目当ての暴力団のようなインチキニュースが後から執拗に騒ぎ立てた「事件」(歌手の放言ではなく暴力団の煽動のほうが事件)と同じです。暴力ニュースは松本人志にも因縁をつけたが、松本は毅然として撥ね付けたのでそれまで。

私がここに書き込みたくなったのは、「本質こそを見抜け。狂気こそが問題」と恒日頃説いていた師が、急に正反対のことをやったから。外国の人権状況、例えばあの国はテロ容疑者に非道な扱いをしていると偉そうに罵倒している政府が、自国を狙った(かもしれない)テロ容疑者に平気で非道な扱いをして、しかも公然と開き直っているのを見たような思いがしたから。
Posted by ルクス at 2008年07月05日 14:28
ルクスさんの気持ちが痛いほど伝わってきます。南堂様にも漸く誤りを認める記述をしていただき、多少救われた気もしますが、残念ながら女々しさの残る論調ではありますね。

私なぞは、今までのところは、確かに幸せな人生を送ってきた部類に属するので、死刑廃止論を唱える資格などないかも知れませんが、それなりに苦渋の選択をしているつもりです。別に、死刑存置派の人々に対して、南堂さんが死刑廃止論者に対して浴びせたような罵倒をする気も毛頭ありません。

そうなんです、大切なことは、南堂さんがされたことはまさに、死刑廃止論者を罵倒することだったのです。何と言い訳されようとも、受け取る側は、誤読であろうがなんであろうが、罵倒されて本当に悲しい思いをしたのです。別におばかさんに罵倒されたのならどうということはないのですが、それが南堂さんだったから許せなかったのです。
Posted by Murata at 2008年07月05日 21:19
> 南堂さんがされたことはまさに、死刑廃止論者を罵倒することだったのです。

普通の死刑廃止論者を罵倒することではなくて、朝日の死刑廃止論者を罵倒することです。

で、何でまた罵倒したのかというと、「愛する人を殺された者の悲しみ」を理解してもらうためです。

> 罵倒されて本当に悲しい思いをしたのです。

ルクスさんに話を戻すと、たかが自分の信念を罵倒されただけで、あれほどにも怒り狂うんですね。私にはほとんど不思議に感じられます。それでいて、どうして、「愛する人を殺された人の悲しみ」を理解できないのでしょうか? 自分の小さな苦しみについては大騒ぎするくせに、他人のものすごい悲しみについては平然としていられる。……まったく、不思議ですね。

私が言いたいのは、「愛する人を殺された人の悲しみを理解せよ」ということです。まあ、ルクスさんの気持ちは、わからなくはないですよ。私だって昔は死刑廃止論者だったし、「生命を尊重せよ」という自分の善意を罵倒されたことで怒り狂う気持ちはわかります。

ただね、自分の気持ちを訴えるだけでなく、人の悲しみも理解できるようになってほしい、というのが私の意図です。とはいえ、その過程で、死刑廃止論者の神経を逆撫ですることになったのは、申し訳なく思います。

ただし、神経を逆撫でしない限り、「愛する人を殺された人の悲しみを理解せよ」と告げても、全然理解できないんですよ。死刑廃止論者は、頭の上の理念で死刑廃止論を唱えるばかりで、「愛する人を殺された人の悲しみ」を感情で理解することができないから。
 「愛する人を殺された人の悲しみ」というのは、今ルクスさんが味わっている怒りの百万倍もつらいものです。そして、そのはちきれんばかりのつらさを否定して、「おまえは我慢しろ」と強制しているのが、死刑廃止論者です。

 そこで私は、「そんなことを強制する資格は誰にもない」と告げたいわけです。ただ、死刑廃止論者の気持ちもわかるから、「それならそれで、自分が殺された場合にのみ、自分の好きなようにすれば」と提案しているわけです。
 それに同意できないようであれば、死刑廃止論者はエゴイストだ、といわれても、仕方ないのではないでしょうか? 「自分が殺されるときには殺人者を許せないが、他人が殺されるときには殺人者を許せ」と言っているのと同じですから。

 ま、ともあれ、いろいろと死刑廃止論を否定していますが、特に狙いにしているのは、朝日だけです。朝日以外の人々を罵倒するつもりはありません。(罵倒されたと感じるのは、まあ、仕方ないですけど。)

 p.s.
 「愛する人を殺された人の悲しみ」
 については、殺人被害者の遺族の声が出版物などで紹介されていますし、テレビでも放送されたことがありますから、彼らの声を聞いてみてください。あまりにも痛々しい。自分の命よりも大切なものを失った人々の悲しみが切々として伝わってきます。
 そういう悲しみを理解できる人であってほしい、と願います。ま、そういう悲しみを理解した上で、その上で彼らの悲しみを踏みにじる、というのであれば、話は別ですけど。それほど悪魔的なことができるのであれば、もはや何も言いません。言っても無駄でしょうから。
( ※ 死刑廃止論者が遺族の感情を踏みにじるのは、第2の殺人にも相当します。自分が「感情における残虐行為」をしている、というぐらいの自覚はしてほしいものです。素粒子の事件でも、遺族は反対の声を上げました。ああいう皮肉を聞かされれば、遺族は、愛する人を殺された上に、マスコミから二重に踏みにじられたと感じるものです。殺された側が「死に神」扱いされるのですから、腹が立つのも当然でしょう。そういう悲しみや苦しみを理解してほしい、と願います。)

Posted by 管理人 at 2008年07月05日 21:43
 ちょっと思うんですが、「死刑廃止論者」というのは、「死刑とは(死刑囚という)人を殺すことだ」と思っているのではないですか? もしそうなら、私だって完全に反対ですよ。
 何だか、そういう誤解があるんじゃないかという気がしますが。

 比喩的に言うと、死刑とは、どこかの誰かを選んで殺すことではありません。原発のような危険設備の前に、高圧電流を流しておいて、「危険・触れるな」と書いてあることに相当します。なぜそうするかというと、それがないと、誰かが悪戯して、原発を暴走させて、何十万人もの被害が出るかもしれないからです。
 にもかかわらず、鍵をこじ開けて、壁を爆破して、高圧電流に飛び込んで、死んでしまう人がいます。これに対して、「日本を破壊するテロリストにとって危険だから高圧電流を流すな」と唱えるのが、たいていの死刑廃止論者です。
 死刑とは、誰かを殺すことではなくて、「明示された罠」です。そこに誰かが飛び込むとしたら、その人自身が死を選択したことになります。ここで「この人の生命を救え」と唱えるのは、ナンセンスでしょう。「テロリストの生命を救うために何十万人もの生命を犠牲にせよ」という論理だからです。

 とにかく、「人を殺してはいけない」という罠は明示されています。にもかかわらず、その罠に飛び込んでしまう殺人者がいます。そしてそれを決めたのは、裁判所でも法相でもなく、殺人者自身なのです。死刑に飛び込んだのは、殺人者自身なのです。
 死刑に反対するのであれば、殺人者自身に反対するのが筋でしょう。「おまえは人を殺すべきではなかった。そうすればおまえは死なないですんだ」と。
 殺人者以外の人に文句を言うのは、お門違いです。

 死刑囚を殺すものは、他人ではなくて、死刑囚自身です。そして、そういうふうに「自動報復回路」というものを用意しておくのが、死刑です。ここでは、死刑囚を殺すものは、死刑囚自身ですから、「死刑囚を殺すのは残酷だ」という論理は成立しません。
 にもかかわらず、「死刑囚を殺すのは残酷だ」という論理を展開するとしたら、根源的に物事を倒錯していることになります。天に向かって唾を吐いたあとで、自分に唾が落ちてきて、それに対して天に文句を言うのと同じです。論理的ナンセンス。

Posted by 管理人 at 2008年07月05日 21:43
甘い量刑というのは、実際に犯罪を増加させます。

たとえば、本日の新聞を見ても、巨額の談合の主導者が、猶予刑です。つまり、実質無罪。また、莫大な数の消費者をだましたウナギ偽装の犯人も、たいした罪にはなりそうにありません。(不当表示法違反は軽い罪。)
その一方で、五円玉を盗んだ人は、重い罪が課せられます。

巨大な罪に対して、ごく軽い罰しか科せられないから、相も変わらず、次々と似たような犯罪が続くのです。「犯人を許すことが人道的だ」という発想ばかりしていると、大多数の国民を苦しめることになります。

私は、「あの犯人は悪党だから懲らしめてやれ!」とヒステリックに騒ぐことはありませんが、「悪には応分の罰を科する制度は、社会において必要だ」と考えます。比喩的に言えば、幼い子供には、お尻をぺんぺんたたくことも必要です。暴力をふるうのはまったくの悪だ、甘やかすのが善だ、と思うと、子供はかえってスポイルされてしまいます。
Posted by 管理人 at 2008年07月05日 22:40
 なお、死刑廃止を唱える場合には、「終身刑」を唱えるようでは何も実態をわかっていない、ということを理解してください。
 「(釈放なしの)終身刑ならば人を殺さないから人道的だ」と思っている人が多いようですが、とんでもない。終身刑というのは、あらゆる希望を奪うので、「人格の荒廃」をもたらします。彼は生きる意欲をなくして、だらだらと人生をむしばまれるだけです。それはいわば「廃人になる」ということであり、「麻薬中毒患者の人格の荒廃」と同じです。
 つまり、「死刑廃止のかわりの終身刑」というのは、死刑以上に残酷なのです。そのくらいだったらさっさと死なせてあげた方がまだしも人道的だ、という見解も成り立つかもしれない。
 とにかく、「終身刑」というのは、麻薬を注射するのにも似て、人格の荒廃をもたらし、それは「悪魔の手口」です。「終身刑」を主張すれば、その人は殺人者にはならないけれど、麻薬の売人と同じく悪魔になります。殺人者と同じぐらい悪。
 だから、死刑を廃止するのであれば、「20年程度の有期刑」であることが絶対に必要です。つまり、「人を殺してもあっさりと許してあげること」が絶対に必要です。

 ただし、例外的に、次の方法もあります。
 「生命そのものは奪わないが、人間としての活動を奪う」
 つまり、「植物人間状態」もしくは「永遠の睡眠状態」です。睡眠薬をのませっぱなしの状態。……これならば、非人間的でもないし、死刑でもありません。これならば、たいていの人が受け入れ可能かもしれません。
 だから、私の提案としては、これもあります。前出。
 
 ともあれ、 「(釈放なしの)終身刑ならば人を殺さないから人道的だ」と思うような勘違いは、避けてください。それは単に「自分の手を汚したくない」というだけのエゴです。それは犯人を死刑以上に苦しめる悪魔的なことなのです。そう理解してください。(全面的にそうだとは言い切れないが、そういう面も大きいのだ、と理解してください。「殺さなければいいんだ」というような単純な発想は、「生きるとは何か」を無視した、馬鹿げた発想です。それはいわば、「脳ミソを破壊しても、心臓が動いていれば、殺人犯にはならないので、たいして悪ではない」というのと同様です。……こういう馬鹿げた発想をする人が非常に多いので、注意。)
Posted by 管理人 at 2008年07月06日 00:15
南堂氏がこれほど読解力のない人であったことに今更ながら驚きます。
私が怒ったのは、南堂氏が死刑廃止論を罵倒したこと自体よりもそれが南堂氏が日頃から説いていた原理に真っ向から反する、矛盾だらけの暴論を喚いたことです。私が南堂氏の論立ての矛盾点(実際に死刑廃止している国や州の実例)を挙げてこれらはどうなるんだ、と追及すると、朝日新聞が憎いから朝日だけを責め立ててるだけだとみっともない逃げ口上を披露する始末。

「愛する人を殺された悲しみ」が問題なら、じゃあたまたま誰からも愛されていなかった人が(通り魔や無計画な強盗に)殺されたら何も問題はないことになる。そうじゃない。検察官は飽くまで社会の公共益をこの被告人がいかに侵害したか、犯行がいかに悪質であったかを立証するのが任務なのであって、被害者の係累なんか関係ない。被害者感情で刑罰が決まるんなら、直接被害者のいない罪(賭博関係や、脱税など)はどうなるんです?

亀井静香代議士が死刑廃止論者である理由は、「元高級警官として、警察がどんな(間違いをしでかす)組織かよく知っている」からだそうです。

なお、ちょっとでもまともに日本の現行刑事政策を調べてみる気があるのなら、「無期懲役刑が既に事実上の終身刑と化している(30、40、果ては50年以上服役している実例さえ存在し、獄死も後を絶たず、仮釈放の実例も服役20年以上、それも数から言えば例外的少数)ことぐらいわかるはずです(7年で出所できる、というデマが厳罰パラノイアによって執拗に流布されていますが)。

第一、被害者を思いやれというのなら、どうして国家や社会による被害者へのケアではなく加害者(そもそも刑事ではなく民事の言葉です)への復讐ばかりが絶叫されるんでしょうか。もし犯人が死ぬか時効までまで逃げ切ったら被害者には何もしなくていいとでも? 私には、被害者感情とやらをタテにひたすら厳罰のみを絶叫するやつら(特に、被害者でもないくせに)の狙いは、罪を犯したという弱みのある人をとにかく踏み躙って、日頃惨めに差別され搾取されている自分自身の惨めさを紛らわしたいのと、社会の一員として罪のない犯罪被害者に対し何らかの負担を引き受けるのを絶対に拒否するという卑しいドケチ根性のように見えますが。渋谷とみ子氏は「犯罪被害者の会」の異常さを明かして辞任したときも特に何も触れていませんが、週刊新潮という犯罪組織(裁判の判決が甘すぎるのをいいことに名誉毀損で金儲けやりたい放題の悪辣犯罪組織です)とつるんだところで私は「あっあの人たちおかしい」と思っていましたよ。
Posted by ルクス at 2008年07月06日 01:41
私とは頭のできと勉強量のまるで違う南堂様に、まともに議論を挑んでもかなわないので、真っ向から反論するつもりはなかったし、南堂様の死刑存続論に対する論理展開では、考えさせられることも大いにあるのですが、

自分の死刑廃止論が根ざしているところは、最終的にすべての人間は善なる存在である、と信じているところにあります。これは自分の人生観であり、人それぞれの考え方なので、議論の対象にはなり得ないところでしょう。

本当に不幸にも被害者としての立場に立たされた方の心が、もしも癒されることがあるとすれば、加害者の心に善なるものを見いだすことができた時ではないか、そんなことで癒されるものではないとは思いつつも、またそれ以外にはないとも思うのです。一方で、加害者が死刑になることで被害者の魂が救済されることを、私としては想像することができません。一時の感情論としてではなく、一生の思いの中の話ですが。

ここから先は、懲役刑の実態についてわからずに書いているので、突っ込まれてしまいそうですが、教えを乞う意味からも、あえて書かせていただくと、死刑を廃止したときにどのような方法がとれるのかについては、終身懲役刑が良いと思っております。一生自分の犯した罪と向き合い、懲役刑に服させるのが妥当ではないでしょうか。
Posted by Murata at 2008年07月06日 02:01

> 最終的にすべての人間は善なる存在である

もしそうなら、私も死刑廃止論を取りますよ。善なる人間を死なせることは絶対悪です。
要するに、死刑廃止論者は、この世界の現実を知らない、というところにあるのでしょう。私も子供のころは、この世界にある悪の存在を理解できなかったので、死刑廃止論者でしたから。
本当のことを言えば、体の病人がいるように、心の病人みたいなのがいて、精神に欠陥性のある人間はたくさんいるのです。その大多数は特に問題がないのですが、一部は癌細胞のようにふるまって本体そのものを破壊してしまいます。「癌細胞だって生命の一部だから生きる価値はある、除去してはならない」というふうに楽観視していると、癌細胞が本体を乗っ取ってしまいます。
そういう現実を知るか知らないか、という問題でしょう。「すべての細胞は善なる存在である」と思うということは。
(癌の存在を子供が知らないのと同じ。)

> 本当に不幸にも被害者としての立場に立たされた方の心が、もしも癒されることがあるとすれば、

絶対にありえません。死者がよみがえらない限り。
病気でも怪我でも、人は回復できます。しかし「人を死なせること」だけは絶対に回復不可能なのです。あらゆる犯罪と違って、殺人だけは不可逆的なのです。「賠償」というような方法が成立しません。
「人を死なせること」がどれほど絶対悪であるかを、死刑廃止論者は理解していません。「人を死なせることはいけないことだ」と思いつつも、それは、「自分が殺すことはいけないことだ」というだけであって、「殺人犯が被害者を殺すことはいけないことだ」ということを理解できないのです。いや、頭では理解できても、どれほどひどい現実をもたらすかを、理解できないのです。あくまで抽象的にしか理解できないのです。身をもってそのつらさを感じることができないのです。
だから、自分がちょっと悪口を言われると、狂ったように反論するけれども、被害者遺族がいくら苦しんでも、平気でいられるわけです。

> 加害者が死刑になることで被害者の魂が救済されること

そんなことはありえません。決して救済されません。ただし、苦しみをいや増すことを阻止できます。
死刑廃止論者が「こいつの命を救ってあげよう」と語るとき、被害者遺族がどれほど苦しむか。……そのことを理解できますか? あなたの言葉が、この世界で最高に不幸な人々を、もっと不幸にするのだ、ということを。自分の命よりも大切なものを理不尽に奪われた人々に対して、「そんなことはあってはならないことだった」と語るかわりに、「そんなことは諦めなさい。今さら仕方ないでしょ。泣き寝入りしなさい」と語ることが、どれほど残酷なことか。

殺人犯であれ、死刑廃止論者であれ、他人の痛みをわがこととして感じることができていないのです。頭のなかで抽象的に考えているだけなのです。だから私は死刑廃止論者に訴える。「あなた自身が殺されたときに、犯罪者を許してあげればいい」と。
それで十分ではないですか? 世界中の誰もがそう思ったときには、それで死刑は消えることになるのですから。論理的には。

> 死刑を廃止したときにどのような方法がとれるのかについては、終身懲役刑が良いと思っております。一生自分の犯した罪と向き合い、懲役刑に服させるのが妥当ではないでしょうか。

これも頭でっかちの発想ですね。ま、私も昔はそう思っていたから、人のことは言えないが。  (^^);
終身懲役刑というものがどれほど人格を荒廃させるか。生きる希望をなくして、単に機械的に三食だけをもらえるという、人間ではなく猿扱いの生活が、どれほど人間の精神性を荒廃させ、人間を「体は生きていても精神は死んでいる」という状態にさせるか。……そのむごさを、あなたが理解していない、ということです。
無期懲役犯の生活をレポートした書籍や映画を見て、その実態を知ることをお勧めします。あなたの言っていることは、麻薬の売人が「おれは悪いことをしていない、人の生命を奪って言いるわけじゃない」と言うのと同じです。麻薬が人格を荒廃させて、人間を廃人にする、という現実から、目をそむけているだけです。……ま、その現実を知らなければ、「麻薬を売ることは殺人に比べれば圧倒的に軽い罪だ。単に気持ちよくする薬を売っただけであって、自分は何も悪いことをしていない」というのと同じです。
要するに、現実のことを知らないから、「これは大して残酷なことじゃないさ」とうそぶいていられるわけ。無知ゆえの楽観主義。
Posted by 管理人 at 2008年07月06日 06:54
> (実際に死刑廃止している国や州の実例)を挙げてこれらはどうなるんだ、

 別に、問題でも何でもないでしょう。死刑廃止をやめるべき。それだけのことです。論じる意味はありません。自明。
 ただし、それはただの「死刑廃止の廃止論」であって、そのことを普通に論じればいいだけ。つまり、賛否両論を並べればいいだけ。別にキャンペーンを張って洗脳する必要はない。

> 「愛する人を殺された悲しみ」が問題なら、じゃあたまたま誰からも愛されていなかった人が(通り魔や無計画な強盗に)殺されたら何も問題はないことになる。

誰もそんなことを言ってはいないでしょう。遺族に向かって、「たまたま誰からも愛されていなかった人が(通り魔や無計画な強盗に)殺されたら何も問題はないのだから、あんたも問題ないはずだ」と言えますか? 

> そうじゃない。検察官は飽くまで社会の公共益をこの被告人がいかに侵害したか、犯行がいかに悪質であったかを立証するのが任務なのであって、被害者の係累なんか関係ない。

それは検察官の意見であって、私の意見じゃありません。死刑存続論と私の意見とは異なります。私の意見は「被害者が量刑を決める」(減刑できる)であって、「何が何でも死刑にする」ではありません。

> 被害者感情で刑罰が決まるんなら、直接被害者のいない罪(賭博関係や、脱税など)はどうなるんです?

もちろん、死刑にならない、というだけです。当り前でしょ。

> 亀井静香代議士が死刑廃止論者である理由は、「元高級警官として、警察がどんな(間違いをしでかす)組織かよく知っている」からだそうです。

そうですよ。誤認逮捕はざらです。さらに言えば、裁判所の判決もざらです。ただし、それとこれとは、別の問題です。「警察や裁判所が間違いだらけだから」という理由にしたら、あらゆる犯罪者は免罪されます。
「誤認逮捕がある」ということの結論は、「死刑犯を無罪にしろ」ということであって、「死刑廃止にせよ」ということではありません。

> 第一、被害者を思いやれというのなら、どうして国家や社会による被害者へのケアではなく加害者(そもそも刑事ではなく民事の言葉です)への復讐ばかりが絶叫されるんでしょうか。

被害者へのケア? 何を言っているんですか? この世で最も大切なものを奪われて、回復不可能になった人に対して、どんなケアが可能だというのです? 他人の悲しみに対して、これほど残酷な言葉を言えるとは。「ケア」なんてものが存在すると思っているのですか? 命を失う問題を、アフターサービスみたいなもので解決できると思っているんですか? 
「人を殺す」ということがどれほどひどいことかを、全然理解できていないようですね。

> 被害者感情とやらをタテにひたすら厳罰のみを絶叫するやつら(特に、被害者でもないくせに)の狙いは、罪を犯したという弱みのある人をとにかく踏み躙って、

なるほど。そう思っているわけですね。やっぱり。この世界のなかで、特定の誰かを恣意的に選んで、そいつを見せしめふうに犠牲にしているのだ、と思い込んでいる。
「死刑囚を殺すことにしたのは、死刑囚自身だ」
ということを全然理解できていない。

> 「犯罪被害者の会」の異常さ

異常ですよ。当然。頭が壊れるほどの苦しみを味わったのだから。いくらか壊れかけていても、当然です。「あいつを殺せ、殺せ」などと訴えている人を見れば、世間の目から見れば、異常です。
ただ、問題は、そのように被害者遺族を壊してしまったのは誰か、ということです。彼らも身内を殺されるまでは、幸福な生活を送っていました。ところがある日を境に、人格を破壊されるほどの苦しみを味わうようになったのです。……ま、このことは、もう余り繰り返したくありません。「他人の苦しみ」を理解できない人には、何を言っても無駄なので。

とにかく、私の趣旨を誤解しないでください。
「死刑を存続せよ、死刑囚を殺せ」
と述べているのではありません。
「被害者と遺族以外には何も決定できない」
と述べているのです。最初からそうです。外国がどうのこうの、という制度問題は関係ありません。法制度をどうこうせよ、という政治運動をしているわけではありません。政治運動をしているのは朝日であって、私ではありません。

私の言葉を政治運動としてとらえるようであれば、私を朝日の同類(キャンペーンをする者)と見ているのであり、根本的な誤読です。
Posted by 管理人 at 2008年07月06日 07:12
最終的にすべての人間は善なる存在であると信じているのは、事実がそうであると信じるというよりは、自らの心の安らぎを得るためには、そう信じた方が良いと考えていると表現した方が適切であると思います。いわば宗教のようなものなので、当初より述べているように、議論の対象にはなり得ないことと思っております。

従いまして、私の立場としては試験存置派の方々を、それは間違いだと罵倒する気は毛頭ありません。

私の記述を読んでいただければ、私も被害者の魂が癒されることなどないと考えていることは、ご理解いただけるものと思っておりました。一方で、加害者の中に善なるものを見いだすことで、幾ばくかの心の安らぎを取り戻された例があることも、見聞きしております。

終身懲役刑については、私が論評する資格がないことは重々承知の上で記述したことなので、南堂様のご意見を参考にさせていただきます。

本質的に分かっていただきたかったのは、多分南堂様が考えておられるであろう以上に、言葉の暴力は恐ろしいものであり、論理的な正しさを超えたところに、受け取る側の思いへの想像力を働かせる必要があるのではないか、と言う点です。(これは僭越でしたね、そんなことは重々ご承知の上ですね。)

南堂様の知恵と知識と舌鋒の鋭さにはほとほと感心させられますし、今後とも勉強させていただきたいと思っておりますが、今回は暴走する南堂さんを少し押さえなければと思った次第です。
Posted by Murata at 2008年07月06日 08:37
> 暴走する南堂さんを少し押さえなければと思った次第です。

ありがとうございました。耳に痛い言葉です。私も常々、暴走を感じているので、反省いたします。

 ただし、毒を抜いちゃうと、面白みがなくなるので、かねあいが難しいんですよね。
 とはいえ、言葉で傷つけた分については、申し訳ないと思っています。本当は朝日を攻撃したいだけなんですけど、他の人までとばっちりを受けたとしたら、申し訳なく思います。ごめんなさい。


Posted by 管理人 at 2008年07月06日 08:59
私の予想がますます当りつつある。

>誰もそんなこと言ってはいないでしょう。遺族に向かって、たまたま
あなたの論法からいけば当然導きだせるんです。
>それは検察官の意見であって
意見? そんなレベルじゃない。とんでもない。法治国家の基本原則です。日本国天皇でも、米国大統領でも、就任時には憲法の遵守を誓約しますが、「それは天皇(大統領)の意見でしょ」なんて言うやつはいない。
>私の意見は「被害者が量刑を決める」であって
それが無茶だと私は言っている。理由は、広域暴力団やテレビ局といった後ろ盾があった場合被害者が脅迫されるから。権利には必ず義務や責任が伴う。犯罪被害者に何の責任がある? 裁判員制度の問題点に「裁判員が量刑まで決める。広域暴力団に死刑判決出せるか?」というのがあるのまでご存じない? 現行制度や、陪審員制度(陪審員は事実認定のみ。量刑は判事一任)なら、とりあえず責任は判事(志願してその職に就いて、給料ももらい、身分保証もある)に集中するが、否応無しにそうなった犯罪被害者に何の責任がある?
被害者のいない罪だって、検察官が調べ上げ、弁護人がつつき回しても揺るがないことが確かめられたら、判事は判決出したらいい。じゃあ被害者のいる罪だって同様にすればいい。被害者に負担をさせるな。というより、古今東西刑事裁判はそのようにされている。ハムラビ王が法典を作った理由は、「罪を犯したという弱みに付け込んで、被害者が過重な無茶を吹っかけて焼け太るのを防ぐ」というのが主眼だったのです。
>「誤認逮捕がある」ということの結論は「死刑犯を無罪にしろ」ということであって
警察の誤りというのは誤認逮捕に限らない。例えば、本当は従犯なのに主犯にしたてられる(有罪なのは確か)という事例もありうる。南堂氏は「念のため保留」という発想ができないのでしょうか。大体、無期懲役刑や終身刑でも充分にきついというのなら、「抑止効果(あるとするなら)」はこっちでも充分でしょうに。「警察は不完全な組織だ。だから、最終処置は取り返しが完全につかないものより少しは余地が残りうるもののほうがいい」という発想ができないようですね。
>被害者へのケア? 何を言ってるんですか?
ここまで平気で「修復的司法」を否定するとは思わなかった。所詮何やっても無駄だから何もやるな。お前は無駄なことして満足してる偽善者だと? 警察の被害者対策職員や犯罪被害者給付金も全廃すべきでしょうね。その論法じゃ。
>「犯罪被害者の会」の異常さ
私が異常と言ったのは、身内を殺した犯人を憎むことではなく、「復讐権」ばかり絶叫して修復的司法を憎悪し、同じような犯罪被害者さえ裏切り者扱いする中央集権的な運営ですが、最近は朝日新聞社にエセ同和のような因縁をつけているのを見るに、ますます歪んでいるなと思わざるを得ません。「表現の自由」さえ踏み躙る政治運動をしているのは「被害者の会」であって朝日じゃない。
>本当は朝日を攻撃したいだけ
週刊新潮か産經新聞みたいな真似はお止めなさい。飽くまで「おかしな論が広範囲にまかり通っている。その一例として、今日は朝日のこの記事を」という取り上げ方に徹すべきで、「とにかく朝日を叩く」ことが第一になると今回のように自分自身が堕落してメチャクチャになっていく。「とにかく朝日を否定する」ことしか考えない産經新聞が、イラク戦争でどれほど醜態を曝したか(そしてそれを恥とも思わぬ醜態をも)、そんなに「恥辱の殿堂」入りがしたいんですか?
Posted by ルクス at 2008年07月06日 13:50
>死刑に賛成する以上は,その執行現場を目を背けずに見る覚悟があるか,そしてそれを見て,なお意見を変えずにいられる覚悟がある,というのが最低限必要だと思います.
>どっかの誰かにいつの間にか死刑をやってもらうのではなく.

我輩は医者による手術に賛成するが、その現場を目を背けずに見る覚悟はない。どっかの誰かにいつの間にか手術をやってもらうだけだ。

老人の介護で大小便の世話をすることに賛成するが、その現場を背けずに見る覚悟はない。どっかの誰かにいつの間にか介護をやってもらうだけだ。

ぴのさんの主張によれば、我輩は手術にも介護にも反対しなければならないようだが、なんと馬鹿げたハナシだろう。管理人がゴミのたとえを出した気持ちがよくわかる。

それにしても、ルクスさんのように頭に血が上ってる人はやっかいだ。
Posted by 楼主 at 2008年07月20日 18:37
>楼主氏

私が「差別につながる考え方」といった意味が全くわかっていませんね.
Posted by ぴの at 2008年07月22日 22:45
>管理人様

以下のお話を読み返して気になった点があります。


有罪か無罪かを決めるのは裁判所です。そこで誤認が起こることはあります。ただし、それは遺族は関係ありません。遺族は有罪か無罪かを決めません。遺族は「有罪かつ死刑」と判定された場合に、「死刑」を「無期懲役その他」に減刑する権利を得るだけです。当然ながら「無罪」や「無期懲役」を「死刑」に引き上げる権限はありません。

たとえば、あなたまたはあなたの家族が殺された場合に、あなたは殺人犯を「死刑」から「無期懲役」に減刑することができます。(中略)
一方、別の遺族がいて、その遺族が悲しみのあまり人格が崩壊寸前になっていて、「どうしても死刑にしろ」と訴えているとき、あなたはその人に対しては何も言う権利はない、口出しをするな、というのが私の主張です。』

遺族が死刑から無期懲役への減刑の権利を得る場合、その権利の行使には全ての遺族の合意が必要となる、という理解でよろしいでしょうか?
尊属殺人の場合などは遺族内で意見が分かれる場合もあるかもしれませんが、この制度ではそのうち一人でも死刑を主張した場合、その意向がより優先されるのでしょうか?
Posted by 通りすがり at 2008年07月23日 03:15
 基本的な理念の話をしています。細かな法律談義ではありません。
 物事の考え方の話をしています。実行方法ではありません。
Posted by 管理人 at 2008年07月23日 07:02
「8月09日b「景気の後退」について」についてです。

「企業の収益は企業の内部留保になり、労働者に還元されない」
というのは確かにそうだと思います。
ですが、だとすると、大規模減税をしても、天下の回りものは一回転はするでしょうがそこでまた内部留保として止ってしまうのではないでしょうか。
ここ10数年くらいの間で、企業はすっかり労働者に金を払わない経営に味をしめていて、金が入っても賃金を上げないのではないでしょうか。
Posted by poimandres at 2008年08月09日 13:50
 マクロ経済学というのはGDPを変動させるにはどうすればいいのかを考える学問です。配分の問題ではありません。
 教科書のページから体系的に勉強してください。
Posted by 管理人 at 2008年08月09日 16:49
配分の話をしているのではなく、「回りもの」にならないのではないかという話なのですが。
内部留保になってしまってお金が還流しなければ、単に投入した場所が違うだけで、減税も金融緩和も同じことにならないか、ということです。
こうなると当然GDPも成長しません。
Posted by poimandres at 2008年08月09日 22:41
だから、「内部留保にならない」というふうに説明してあるんですよ。

なぜ内部留保にならないかも説明してありますが、その点について特に詳しく知りたければ、「需要統御理論 簡単解説」を読んでください。

とにかく、相手の話を聞かないで、「わからない、わからない」と言う前に、相手の説明をちゃんと読んでください。微積分について知りたければ、「分からない」と言う前に、微積分の教科書を読むはずです。それと同じ。読みもしないで「分からない」と言っても無意味。相手の返事を求めるのであれば、こんな狭いところで一言だけの返事を求めないで、ちゃんと説明済みの文書を読んでください。

 なお、ちょっと説明するなら、「投入した場所が違う」ということが決定的に重要です。ボトルネックを解消する効果が出るからです。この本質を理解しましょう。
Posted by 管理人 at 2008年08月11日 13:00
もしかして、「教科書」とは「泉の波立ち」トップで紹介されている「経済学講義 〜悪魔の見えざる手〜」のことでしょうか。どこかその辺の経済学の教科書でも読めということかと思ってしまいました。先ほど読み始めました。
また、「需要統御理論 簡単解説」も読みました。ここでは主に個人について書いてありますが、それを企業に当てはめればいいと考えればよろしいでしょうか。
なるほど、これなら仰有る通りになりそうです。

ただ、まだきちんと考えたわけではありませんが、外貨など国外の要素を考慮に入れると何か抜け道ができそうな気がします。気がするだけですが。
もし何か考え付いたら、またご質問させていただくかも知れません。
Posted by poimandres at 2008年08月11日 21:02
南堂様 こんにちは。

しばらく、更新がなかったので心配しておりました。
ところで、トップページの日付が8月になっていますよ。
Posted by XFER at 2008年09月10日 18:34
ご指摘ありがとうございます。次回から修正します。

ご心配おかけしました。仕事が忙しいのと、疲れて休んでいました。
Posted by 管理人 at 2008年09月11日 06:25
http://www.j-cast.com/2008/09/11026863.html
によると、「国内では接着剤などの原料に米を使用することは殆どないことがわかった」そうです。
いよいよ農水省が怪しく感じられます。
Posted by poimandres at 2008年09月12日 10:00
私は、イラク人質事件では、被害者の身内(の一部)が悪かったのだと思います。
記憶だけで書いているので間違いかも知れませんが、高遠氏でしたか、その妹が記者会見で姉の心配もせず自分の政治的な主張を声高らかに述べていました。私はあれで印象が悪くなりました。
Posted by poimandres at 2008年09月21日 15:01
今、報道ステーションでアメリカ人の一般的なカード感覚なるものを紹介していますが、これによると平均的なアメリカ人はほとんどリボルビング支払いだそうです。

数年前、幼い頃からお金の教育をする投資先進国アメリカ、とかなんとかを同番組で見た覚えがあるのですが、これが実態ならば米国の投資教育もお粗末なものですね。
Posted by XFER at 2008年10月24日 22:20
はじめまして。
http://openblog.meblog.biz/article/1310967.htmlの迎撃ミサイルの迎撃の反論です。

迎撃ミサイルの多弾頭化で対処できると思うんだけど。
http://obiekt.seesaa.net/article/95471567.html

http://jp.youtube.com/watch?eurl=http%3A%2F%2Fobiekt.seesaa.net%2Farticle%2F109960076.html&v=hsPKYDcfw4k
あと日本のMDはSM−3とパトリオットPAC3の二段構えですよ。
http://homepage3.nifty.com/kubota01/
Posted by 巫女の竜 at 2008年11月21日 22:47
 情報ありがとうございました。

 上記の点について、本文に加筆しました。

> あと日本のMDはSM−3とパトリオットPAC3の二段構えですよ。

 それはわかっているんですが、今回はその問題は別になるので、言及しません。ま、関連があることはわかります。

Posted by 管理人 at 2008年11月22日 00:24
加筆の部分読ませてもらいました。
でもそれじゃ、斜めや横から当てたり多弾頭の一部を先行させたりと簡単に反論できますよ。
http://www.kojii.net/opinion/col070507.html

http://mltr.ganriki.net/faq05a02.html#MD
Posted by 巫女の竜 at 2008年11月23日 17:42
それは想定の範囲内。   (^^);

記事にもあるように「盾と矛」の関係だから、一方が発達すれば、他方はそれへの対抗策を立てることができる。「矛」の方が絶対的に有利だ、とは述べていません。相手がだまそうとして、そのだまし方への対抗策は、可能です。

ただし、問題は、対抗策のコスト。対抗策の有無ではありません。
Posted by 管理人 at 2008年11月23日 19:25
MDシステムの記事を拝見しました。
高高度で核爆発が起こると、電磁パルス(EMP)が発生します。EMPは普通のコンピュータを破壊します。(
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9B%BB%E7%A3%81%E3%83%91%E3%83%AB%E3%82%B9 より)
そして、典拠を見つけられないのが心苦しいのですが、自衛隊は、おそらくEMPに抗堪できるコンピュータをほとんど持っていません。なので、攻める側とすれば、ミサイルを改造する必要すらなくて、水爆を日本上空で炸裂させるだけで、MDシステムは無力化されると思います。
Posted by ゴリポン先生 at 2008年11月24日 18:47
漢字が読めないが英字が読めるような読字障害について聞いたことがあります。大ざっぱな言い方をすれば、表意文字は駄目だが表音文字は大丈夫というものです。
字の形が意味を持つものと単に音を表すのみのものとで、脳の使い方が違うからという話のようです。
ただ、今ちょっと探した限りでは、それに類する説明は見つかりませんでした。しかし、なんだかそういうのもありそうな気がします。
Posted by poimandres at 2008年11月26日 21:59
ちなみに、麻生太郎の場合はやはり単なる勉強不足ではないかと思います。正しくはなくとも一応読んでいるので。
Posted by poimandres at 2008年11月27日 05:59
> 12月05日b「aa」について。

池田氏の主張は、
「本来長期的に均衡へ向かうはずの雇用なのに、解雇規制が厳しいために中高年の首切りも賃下げも進まず、(給与原資は一定なので)失業者の再雇用が進まない」ということではないでしょうか?

要するに「もっと賃下げと首切りを自由にしろ!それが"経済学的に正しい"」と。

私は、その考え方に違和感があるので、是非、論破して上げてください(応援)。
Posted by 西麻布夢彦 at 2008年12月05日 10:44
こんにちは。

ニュースと感想(12月25日b)の、
雑誌「小悪魔ageha」からの引用リンク先が
無い様ですので、ご連絡いたします。

Posted by XFER at 2008年12月25日 19:59
こんばんは。初めまして。

ニュースと感想(12月24日b)に関して。まず、つまらない指摘から。
「イスラム語でイスラム語を教える」とありますが
これ、「アラビア語」の間違いですよね?

以下、記事に対する意見です。

これだと、「英語発音の不得意な教師」や「英語ヒアリングの不得意な生徒」にとっては、「以後の教育がすべてわからないものになる」という蟻地獄に陥ることになる。

とのことですが、この場合、生徒はともかく教師に配慮する理由とは何でしょう?
むしろ淘汰されて良いのではないかと思うのですが。
文法学の専門的な知識を交えた教え方ができるとか、優れた技能があるなら
発音指導ができなくてもいいかもしれませんが、そういう人は限られてきます。
ならば、発音もできず通り一遍な教え方しかできない人には
いなくなってもらった方がよいのではないでしょうか。
泳げない人に泳ぎ方を教わっても仕方ないでしょう。

私は実際、数年前まで学校で習っていた身ですが
教室でカタカナしか耳に入ってこない状況は泣けてきます。
大学になっても [th] の発音の仕方一つ知らないなんていうのはザラですし。
Posted by 中道斜派 at 2009年01月11日 01:41
イスラム語の件は、ご指摘ありがとうございました。次回更新で訂正します。

 ──

 > 教師に配慮する理由とは何でしょう?

 これは、教師に配慮しているわけではありません。下記参照。

> 淘汰されて良いのではないかと思うのですが。

 現実には、できる人はほとんどいないので、ほぼすべての英語教師が淘汰されます。「赤字の会社を淘汰せよ」という発想になると、日本中の企業が壊滅してしまうのと同様。日本廃墟化計画。英語も同様で、日本から英語教師が消えてしまいます。
 似た発想で、「バグのソフトを作る会社をつぶしてしまえ。そうすればバグがなくなる」という発想もありますが、その結果は、バグがなくなるのではなく、ソフトが消えてなくなることです。
 「駄目な男をみんな殺してしまえ。そうすれば素敵な男ばかりになる」というふうに女が発想したら……
 いや、これだけは可能かも。たった一人のスーパーマン男性が自分の精子を世界中にばらまく、……というわけ。これは可能でしょう。(ただし遺伝子が均一化されるせいで、人類そのものがいつか突然絶滅する。   (^^); )

 「淘汰で改善」という発想をすると、ろくなことはないですよ。「まずは自分が淘汰される」と思いましょう。   (^^);

 参考サイト
http://blog.livedoor.jp/dankogai/archives/51157065.html
Posted by 管理人 at 2009年01月11日 09:05
南堂様
ご無沙汰ですね.今日は死刑の話ではなく量子論のお話で.
電子の二重スリットの説明が南堂さんのページのどこかにあったと思うのですが,
いま,量子論のページを探したのですが,うまく見つけられなくて.

読みたかったのは,二重スリットの場合,電子を順番に1つずつ飛ばしていっても,
最終的には干渉縞が出来上がる,といった有名な実験ですが,
この部分を南堂式の解釈ではどうするのかな,
といったところを見たかったのですが,見つけられませんでした.
前に読んだような気がするのですが,別のページでしたっけ?
Posted by ぴの at 2009年01月18日 20:38
 量子論のページの検索欄で「二重スリット」を検索するだけです。

 もっと簡単にGoogle で「二重スリット 量子論」か「二重スリット」を検索するだけでも見つかります。超簡単。

Posted by 管理人 at 2009年01月18日 20:59
ありゃほんとだ.すいません,お手数をかけて
Posted by ぴの at 2009年01月18日 21:04
「泉の波立ち」のアクセス解析の結果が HTML タグの範囲外に表示されているようです。
Posted by 田中 at 2009年01月27日 13:02
今更,なんですが・・・

前に質問した二重スリットのページですが,
ホームページからリンクはつながっていますか?
(リンクをたどって行けばつなっている?,という意味)
それとも孤立している?

もちろん,検索すればすむのですが,単にクリックだけで探せなかったので.
Posted by ぴの at 2009年03月14日 21:54
あることはあるのですが、小さなイタリック体にして、見つかりにくくなっていました。

ご指摘に従い、見やすい形に書き改めました。
Posted by 管理人 at 2009年03月14日 22:24
「「定額給付金の使途」について」について。

ネットの某所(本コメントの最後に記述)で、政策に反対だという理由で「この政策を失敗に終わらせるために、周囲にも可能な限り消費に回さないことを強く推奨したいと考えています」などと言って、期待されない使い方をしようとか考えていた人がいました。
もう、何を考えてるんだか。自分の払った税金をそんなに無駄にしたいのか。景気回復が嫌なのか。それに、わざわざ失敗するようにしたいと考えるということは、放っておけば成功するということでは。
まあ確かに、ベストの政策であるとは言えませんが、とにかくツッコミどころ満載の人でした。

URLは、以下です。
http://slashdot.jp/askslashdot/comments.pl?sid=437385&cid=1503740
Posted by poimandres at 2009年04月17日 22:13
ふるい話題かもしれませんが、お礼をいいたくなったので。
私は今も死刑存続派ですが、
ぴのさん、ルクスさんのおかげでちょっと死刑に関して視野がひろがりました。ありがとうございます。
変なことに場をかりてごめんなさい。

Posted by 通りすがり at 2009年04月18日 08:51
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