◆ 終身刑の是非:  nando ブログ

2008年06月08日

◆ 終身刑の是非

 死刑廃止をめぐって、「死刑のかわりに終身刑を」という提案がなされている。その趣旨は、「終身刑ならば、命を奪わないので、残酷ではない」ということだ。
 しかし私は、これは妥当ではない、と考える。

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 「死刑のかわりに終身刑を」という提案は、しばしばなされる。特に、例によって死刑廃止論のキャンペーンに熱中する朝日がまた、大々的に特集を組んだ。(朝日・朝刊・特集 2008-06-08 )
 その趣旨は、「終身刑ならば、命を奪わないので、残酷ではない」ということだ。例によって例のごとし。
 しかし私は、これは妥当ではない、と考える。「終身刑ならば、命を奪わない」ということは、ないのだ。

 ──

 ここで、「命」というのを「生命」と見なせば、終身刑は「生命」を奪わない。しかし、「命」というのを「人生」と見なせば、終身刑は「人命」を奪う。狭い刑務所のなかで単に食事を取って生存しているだけにすぎない。たぶん、テレビや読書などの娯楽もないのだろう。体操さえも限定的になりそうだ。そこには「人生」などはない。
 また、逆に、そこに「人生」があるとしたら、それはもはや「終身刑」ではない。「三食昼寝付きの無料宿泊所」みたいなものだ。
 だから、「終身刑」は「人生」を奪うことによってのみ刑罰たり得るのだし、それゆえ、「終身刑」は「人生」を奪うものなのだ。

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 そして、「人生」を奪われた人は、どうなるか? その人はもはや人間らしい人生を奪われているのだから、形の上では生きてても、実質的には生きていないのと同様だ。
 そもそも「生きる」とは、何か? 自分の意思で自分の生きたいように生きることだ。単に生存していることではあるまい。そして、単に生存しているだけならば、その人はもはや生きているとは言えまい。

 とすれば、「終身刑」を「残酷ではない」と見なすのは、妥当ではあるまい。「終身刑」は「人生を奪う」という意味で、「生存」を奪う死刑と同程度に残酷なのだ。私はそう思う。

 ま、異論の余地はあるだろう。「たとえ人生を奪われても、生きていること自体が大切なのだ」というふうに。
 そこで、次の話を考えてほしい。

 ──

 ここで、事情をわかりやすくするために、次の刑罰を考える。
 「植物人間刑」
 この刑罰を受けた人は、生きてはいるが、薬で永遠に眠らされている。眠れる森の美女みたいに。……そして、単に年を食っていくだけだ。
 そして、70歳ぐらいになって、とうとう生存機能が衰えて、衰弱死する。とはいえ、その間も、本人は眠っているので、自分が死につつあることに気づかない。

 このような刑を受けた人は、形の上では生きているが、実質的な人生を完全に奪われている。終身刑との違いは、次のことだ。

  ・ 植物人間刑 …… 人生を 100% 奪われている。
  ・  終身刑   …… 人生を 90% 奪われている。

 両者の違いは、100% と 90% という程度の違い(人生を奪われる程度の違い)だけだ。大差ないのである。
 なお、どちらが残酷かと言えば、終身刑の方が残酷だ。なぜならば、終身刑の方は、意識があるゆえに、「自由を奪われていることの苦しみ」を味わうからだ。一方、植物人間刑の方は、何も感じない。麻酔を受けていると痛みを感じないのと同様だ。これはちっとも残酷ではない。(逆に言えば、終身刑の方は、麻酔をしないで手術をするような残酷さがある。)

( ※ なお、最も残酷なのは、「意識だけはあるが、体は植物人間」というやつだろう。「これだったら、安楽死の方がマシだ」と思う人も多いだろう。)

 ──

 似た例として、次のような犯罪も考えられる。
  ・ 麻薬供与 …… 麻薬を与えて、相手を廃人にする。
  ・ レイプ   …… 若い少女をレイプして、自殺させる。


 これは、犯罪者の側から見た事例だが、被害者の側から見れば、終身刑と同様に人生を奪われる。
  ・ 麻薬供与 …… 麻薬によって精神が交配して、人生は皆無になる。
  ・ レイプ   …… 未来をすっかり奪われて悲観して、自殺する。

 これらの場合、他人に生命を奪われるわけではないが、実質的には生命を奪われたのと同じように感じるだろう。

 だから、「生命さえ奪わなければいい」という発想は成立しない。「人生」こそが大切なのだ。「人生」を奪うことは、「生命」を奪うことと同じぐらい非道なことなのである。

( ※ 現状では、麻薬で人々を廃人にしても、レイプで女性をたくさん自殺させても、死刑になることはない。こういうのは甘すぎる、という気がしなくもない。)

  ────────────

 最後に、注記しておこう。
 本項は特に何も主張しない。「終身刑をやめて死刑にせよ」とか、「終身刑をやめて植物人間刑にせよ」とか、あるいは逆に、「残酷な苦しみを与えるために終身刑にせよ」とか、そのいずれも主張しない。
 では、何をしたいかというと、一つの点を指摘したいだけだ。それは、「生きてさえいればいい、ということはない」ということだ。
 人が生きるということは、溌剌と生きるということだ。生き生きと生きるということだ。そして、そういうことなしに、単に生命活動を保っているだけでは、植物人間と大差なくて、真に生きることにはならない、ということだ。

 同様のことは、普通の人にも当てはまる。単に朝起きて顔を洗って会社に出掛けて、帰宅してから疲れて眠る……というのでは、人間らしく生きたことにはならない。そこには「生存」はあるが「人生」はないからだ。
 とはいえ、現実には、こういう苛酷な生活を送らざるを得ない人も多い。というのは、企業がそういう生活を強いるからだ。(たとえばマクドナルドの店長が強いられるように。)

 とにかく、生きるとは何かということを、よく考えてもらいたい。それが本項の意図だ。

( ※ 特に、「人生を奪うだけなら生命を奪うことにはならないから残酷ではない」というような発想(終身刑論者の発想)の、難点を理解してもらいたい。前に、少女を監禁して何年間も人生を奪ってしまった、という異常性格の犯罪者がいた。こういうのがいかに残酷な犯罪であるかを理解してもらいたい。ま、終身刑論者ならば、「この犯人は人を殺したわけじゃないから大悪人ではない」と大甘に見るだろうが。)
 


 【 参考情報 】
  「終身刑よりは死刑の方がマシだ」という声が、終身刑の囚人から上がったという。
現在、イタリアの刑務所に収監されている終身刑囚は男子 1269人、女子 25人。このうち97人がすでに26年間以上刑に服している。
 (26年という数字を挙げた理由は、終身刑といっても決して終身ではなく、26年間、刑に服せば、条件付き出獄の可能性があるからだ。それどころか、10年以上で服役態度が良好なら一時出所の恩典もある。ただ、一時出所の終身刑囚の中には、仮出所中に再び犯罪を起こす例が少なくないのも問題だ。要するに、終身刑とは名ばかりで、一生を監獄で送る例はないといっていい。)
 さて、この5月下旬、終身刑囚 310人が署名を集め、「将来に希望がないわれわれの人生は無に等しく、毎日少しずつ命を削られるような刑ならいっそ死刑にしてもらう方がましだ」との嘆願書を大統領に出した。
( → 産経新聞 2007-06-25 リンク切れ)
 ここで言う終身刑は、仮釈放ありで、本当は終身刑ではない。それでも、長期間人生を奪われることは、死ぬよりもつらい、ということらしい。そう思っている囚人が4分の1ぐらいいる、ということだ。
 本当の終身刑(仮釈放なし)ならば、絶望することもあるだろう。
 



 【 補足 】

 「目には目を、歯には歯を」という言葉がある。(イスラムの戒律)
 これは「復讐をなせという戒律」というよりは、「復讐の量を示した戒律」と見なすのが正しい。つまり、「なされた以上の報復をなしてはいけない」(同じ量に留めよ)と。
 これはかなり文明的な発想である。そして、この観点からすると、一部の国で見られるような、次のことは妥当ではない。
 「麻薬密売屋を重大犯罪と見なして死刑にする」
 なるほど、麻薬密売屋は、多くの人々の人格を荒廃させ、自分だけが大量の金を得る。その意味で、まさしく「悪魔の犯罪者」と言えるし、生きる資格はない。
 しかしながら、「目には目を、歯には歯を」という戒律に従うなら、命を奪ったわけでもない麻薬密売屋の命を奪うのは、妥当ではない。この意味で、麻薬密売屋への死刑は、私は反対したい。(ちょっと微妙だが。)
 では、どうするべきかというと、やはり、「目には目を、歯には歯を」という戒律に従うべきだろう。すなわち、こうだ。
 「麻薬密売屋に、麻薬を注射して、彼の人格を荒廃させる」
 こういうふうに、同種の損害を与えるべきだ。「人格の荒廃」という損害を。ただの懲役なんかでは甘すぎるだろう。悪魔に対する処罰としては。
 「目には目を、歯には歯を」という戒律は、かなり妥当なのである。
( ※ とはいえ、現実には、報復の程度を弱めるのが普通だが。……弱めることの是非にまでは踏み込まない。おおむね同種・同程度であれば十分。)

 ※
 現実の相場は、ずいぶんと違う。
 神社の賽銭箱から十円を盗むと、懲役3年ぐらいになることがある。この場合、泥棒は人の金を盗んだのではなく、神様の金を盗んだだけだから、損害者はいないのだが。  (^^); (これを神社の損害だと申告するとしたら、神社は「神様に渡す金」と偽って、金を懐に入れているわけだから、詐欺罪に相当するだろう。  (^^); )
 「ああ無情」のジャン・バルジャンもまた、パン一切れを盗んで、長期の懲役になった。  (^^);
 その一方で、麻薬の密売は、あまり重くない。さすがに大量の密売をしている極悪人だと、懲役 11〜13年ぐらいになるようだが、それでも殺人に比べれば大甘だ。末端の密売人ぐらいだと、懲役5年程度らしい。( → 判決例 ) なお、マリファナの自家栽培程度だと、もっと軽くて、懲役2〜3年程度。

 私だったら、こう述べたい。
 「賽銭箱から5円を盗んだ泥棒からは、5円を徴収する」
 「麻薬の密売人には、何回も麻薬を注射して廃人にする」
 この方がよほど合理的だろう。
 ( ※ 麻薬密売人は、「馬鹿に売りさばくけど、おれは絶対に麻薬をやらないぞ」とうそぶいている。そういう連中にこそ、麻薬を打つべきなのだ。その恐怖を味わわせてやる。)



 【 関連項目 】
 → 死刑と大量殺人事件
  …… 死刑の本質。単に「死刑囚はかわいそう」という感情論でなく、
     死刑という制度の本質的な意味を考える。
     (個別的な死刑執行の是非ではなく、制度としての意味を考える。)

 → 死刑囚の更生
posted by 管理人 at 20:32 | Comment(4) | 一般 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
最後のカッコ内は,論点をずらしてますね

まるで佐高信みたいだ
Posted by さくさく at 2008年06月09日 08:30
私は過激な極論を言ってしまう人間です。
私は死刑肯定論者です。

罪を犯した。本来ならば死刑に相当する罪。
死刑か無期懲役かのどちらとも取れる究極の裁き。
あくまで裁く人間の主観が必ず入ると考えます。
その判断の揺らぎを考慮した場合、冤罪の可能性、人道的観点から終身刑が出て来るのかと考えてしまいます。

だからと言って死刑廃止は私は反対です。
ある程度の見せしめがないと抑制が効かないと私は考えるからです。
出来るだけ死刑囚が苦しまず恐怖を感じない薬物等の刑執行が良いと考えますが、、、確定した段階で死刑囚は必ず殺害されるという恐怖を感じ続ける訳ですから執行自体は少なくとも人道的配慮が必要に思えます。

私は終身刑など新設せずとも現在の無期懲役で良いと考えます。




Posted by 岡本 奈生己 at 2008年06月09日 12:17
 最後に「参考情報」と「補足」を加筆しました。上記 ↑ に
 タイムスタンプあり。            
Posted by 管理人 at 2008年06月09日 22:51
補足の考えですがそうですね。
やはり<目には目を>的な刑罰が妥当なのかもしれません。
しかし、実行者と指示者が別の場合はどうなるのでしょう。
実行者は当然ですが、指示者は場合によりましては実行者よりもたちが悪いですね。
その場合は<目には目と口も>でしょうか、、、?

終身刑の受刑者が彼らにかかる経費と同程度に何かを生産してくれるのであれば、終身刑はあっても良いのかもしれません。
現状の無期懲役受刑者の費用はわかりませんが、、、

死刑での安楽死との南堂先生のお考えですが、私は死刑囚に事前通告無しの笑気ガス?を使い?寝ている間に刑の執行をする方が少なくとも恐怖を感じずにすむと考えます。忘れた頃に、、、

意識があった上で、安楽死といえども針を刺される?薬を飲む?時は恐怖を感じるでしょうから、、、でもその位の罪の自覚の促しは必要なのでしょうか、、、わかりませんが、、、
Posted by naoki0217 at 2008年06月11日 13:31
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