◆ 死刑と大量殺人事件:  nando ブログ

2008年06月09日

◆ 死刑と大量殺人事件

 通り魔大量殺人事件が起こった。秋葉原で、車と刃物で無差別殺人して、七人が死亡し、十人が重軽傷。(各紙報道 2008-06-09 )
 これと死刑廃止の問題とを関連づけて考える。

 ──

 この事件を聞いたとき、すぐに思ったのは、こうだ。
 「これで朝日の死刑廃止キャンペーンは中止だな」
 実は、朝日は前も、死刑廃止キャンペーンをやっていたが、オウムの大量殺人事件が起こると、死刑廃止キャンペーンをしばらく控えていた。死刑廃止キャンペーンと麻原の裁判記事とが並んだんじゃ、サマにならないからだろう。  (^^);
 だから、今回の大量殺人事件のあとも、死刑廃止キャンペーンをしばらく控えることになりそうだ。 (風見鶏主義。日和見主義。)

 ──

 ここで、朝日は嫌がるだろうが、朝日のやっていることを示そう。
 次の二つの見解が、並置されている。
 「大量殺人事件で、普通の人々の命が失われた。大変だ! 普通の人々の命を大切に!」
 「死刑犯の命を救うことこそ、何より大切だ。普通の人々の命が奪われたとしても、過去のことだし、いちいち気にすることはない」


 普通は、この二つを別々に報道する。だが、大量殺人事件が起こった直後にはいっぺんに並べて報道するとまずいから、死刑廃止キャンペーンをしばらく中止するわけだ。
 とはいえ、こうして並べてみると、朝日のような発想がいかにイカレているか、よくわかる。

 朝日は、死刑犯の命については、非常に重視する。
 「この殺人犯の命を守ることはとても大切だ。彼が何人殺そうと、何十人殺そうと、この殺人犯の命だけは絶対に尊重するべきだ」
 その一方で、普通の人の命については、ごく軽視する。
 「殺人犯がいくら人を殺したって、そんなことはどうでもいい。とにかく、死刑を廃止して、殺人犯の生命を救うべきだ」

 たとえば、現在、経済政策の失政やら、老人医療制度の失政やら、救急医療制度の失政やら、産婦人科医の失政やら、あれこれの失政があり、そのせいで、(自殺者を含めて)大量の死者が生じている。私はこれを問題視して、「人の命を救え。そのために政治をあらためよ」としばしば訴えてきた。
 しかしながら、朝日はそういうことを一切無視して、「殺人犯の命を救え」とだけキャンペーンする。一万人の善人の命を守ることよりも、一人の殺人犯の命を守ることが大切だ。
 そこには、大いなる錯覚がある。
 死刑の本質は、次の通りだ。
 (1) 恣意的な刑罰ではない
死刑は、政府が恣意的に決めるのではない。誰が死ぬかを決めるのは、死刑を受ける人自身である。彼が殺人をしたとき、彼自身がおのれの死刑を決める。(自動報復装置)
 (2) 倫理の有無
(1) のような自動報復装置がなければ、殺人がのさばる。そのことで社会の倫理が崩れる。
 (3) 死刑の理由
死刑の目的は、「犯罪抑止力」「遺族の報復感情」が理由とされることが多い。しかし私は「倫理の維持」こそが重要だと考える。
 (4) 生きる資格
死刑廃止の理由として、「人間の生命は何よりも大切だ」という見解がある。その通り。しかしそれだからこそ、その掟を破った人は、もはや「生きる権利」を喪失する。そして、それを決めたのは、殺人者本人である。
 (5) 死刑の本質
以上のことから、死刑の本質がわかる。それは、個別の事例で個別の犯人を処刑することではなくて、「自動報復装置」を備えることで、社会的な「倫理」を維持することである。つまり、倫理維持の制度だ。

 以上は、簡単に述べただけだ。詳しくは、次項で説明する。

  → 死刑の本質
 


 [ 付記1 ]
 今回の殺人は、朝日の「死刑廃止キャンペーン」の直後に起こった。これは、ひょっとしたら、偶然ではないのかもしれない。
 犯人は、朝日の記事を読んで、「ああ、そうか。人の命なんて軽いんだ」と思って、記事に触発されて、犯行に及んだのかもしれない。 (……イヤミだが。  (^^); )
 ま、犯人は、「殺したいから殺すんだ」と考えていたというから、倫理観の欠如が根底にある。

 [ 付記2 ]
 今回の事件の根底には、倫理観の欠如がある。そして、同様のことは、多くのアニメオタクに成立するかもしれない。
 実際、今回の殺人事件の犯人は、オタクだったという。次の友人の証言がある。
「(犯人の)部屋はモノもなく、殺風景。 カラオケに行ったときに歌うのはロリコン系のアニメソングばかり。『2D(アニメなど2次元世界)しか興味ない』と公言していたし、典型的なロリコンオタクでした」
( → zakzak
 さもありなん。  (^^);
 また、次の記事もある。
 (犯人は)孤独や派遣社員として働くことにたいする不満や絶望を事件前に携帯電話のネット掲示板に書き込んでいた。
 「彼女がいない、ただこの一点で人生崩壊」「一人の虚しさは異常」「友達もできない俺に彼女ができるわけない」などと。

( → J-CASTニュース

( ※ なお、すべてのオタクが同様だというわけではない。ただ、くだらない下劣なエロ・ソフトのオタクならば、倫理観の欠如していることは自明だろう。だいたい、女との付き合い方でも、「相手を尊重する」という基本原則をわきまえないで、一方的な性欲の嵐にとらわれている人が多いようだ。……想像です。現物を見たわけじゃないので違っていたらごめんなさい。)

 [ 付記3 ]
 さて。死刑廃止論者は、どうしてあんなに狂熱的に、死刑廃止論にとらわれるのか? それはたぶん、現実知らずで、夢想世界に生きているからだ。
 彼らは異常な潔癖性だ。そのせいで、こう思う。
 「殺人犯が人を殺そうが、そんなことは知ったこっちゃない。それは、そいつの手が汚れるだけであって、おれたちの手が汚れるわけじゃない。とにかく、自分たちの手を汚すことだけは、絶対にしたくない。自分の手をきれいに保つことが絶対に大切だ。そして、そのせいで、世間で大量殺人の被害者が生じようと、それはそれでやむをえない。おれたちの知ったこっちゃないさ」
 こういうふうに、「自分手をきれいに保ちたい」というエゴイズムのせいで、汚い仕事を避けようとする。そして、汚い仕事を避けるせいで、社会が崩壊しようと、「そんなことは知ったこっちゃない」というわけだ。
 これはいわば、「ゴミ掃除をするような汚れ仕事には手を染めたくない」というのと同様の発想だ。世間知らずの典型。
 それが死刑廃止論の根底にある。朝日の書生主義も、その一形態。

( ※ 「自分の手を汚したくない」と思う人が多いのであれば、犯人が自分で死にたくなるように仕向けるのが、ベストだろう。そうすれば、自分の手を汚さずに済むからだ。方法はいろいろとありそうだ。目の前の幸福で釣れば、多くの人はそれに引っかかるものだ。あるいは、虎の檻に入れて、虎にやらせる、という方法もある。……ただし、このような方法が倫理的かどうかは、別の問題。そもそもこれは、「自分の手を汚したくない」というエゴイズムから来ている。)

 [ 付記4 ]
 「死刑を認めるか否か」
 これは、典型的には、次のことにどう対応するかに相当する。
 「真の正義のために殺人をするか否か」
 具体的には、次の事例だ。
 「秋葉原で、殺人犯が次々と人を殺そうとしている。彼はすでに三人を殺した。このまま放置すると、さらに多くの人が殺されそうだ。どうしよう? これ以上、多くの人が死なないようにするには、犯人を倒すしかない。しかし、自分は武道の達人ではない。刃物ももっていない。下手に立ち向かえば、自分が殺されるだけだ。その可能性が最も高い。かといって、放置すれば、人々がどんどん死ぬ。残る方法は、たった一つ。この犯人を殺す覚悟で、一挙に倒すことだ。中途半端に倒せば、すぐに自分が殺されれるから、相手を殺す覚悟で、頭に巨大な衝撃を与える。それで相手が死ぬかどうかはともかく、とにかく相手を殺す覚悟が必要だ。では、そのことを、なすか否か? 殺人犯を殺す覚悟があるかどうか?」
 これに、どう答えるか? たいていの人は「自分の手を汚したくない」と考える。そして、遠巻きに放置するだけだ。そのせいで、死者七名、重軽傷十名という結果になった。
 ただし最終的には、警官が来た。彼は武器を持っていたので、犯人をうまく逮捕できた。とはいえ、それまでの時点で、人々はただ遠巻きに放置するだけだった。そして、遠巻きに放置した人は、最後に安堵した。
 「ああ、よかった。自分はとうとう、人を殺さないで済んだ。自分の手を汚さずに済んだ。私は幸せだ」
 こう思って、喜んで、現場をあとにした。そして帰宅後に、「あれを見ていたんだよ、ホントだよ」と人々に吹聴して、大いに楽しんだ。
 彼は、自分が他人の命を救うことができた、ということは、毛頭考えない。だからこそ、彼は「自分だけは幸せだ」と感じていられる。
 つまり、他人の生命より、自分の幸福。善人ぶっていられる幸福。

 なお、この世には「偽善者」という言葉がある。その意味を考えよう。
 


 【 関連項目 】

  → サイト内検索 「死刑」

 
posted by 管理人 at 20:55 | Comment(2) | 一般 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
死刑に関する御高見は興味深かったですが、個人的な好悪の対象まで敷衍して非難されるのは、犯人の下衆な行為への反発を奇貨として、尻馬に乗られている印象を受けました。
Posted by 通りすがり at 2008年06月10日 00:43
いつも鋭い洞察をされていて素晴らしいです!最高におもしろいサイトだと思っています。

倫理観の維持、秩序って大切ですよね。

インターネットなどの発達で情報化社会になって

価値観の多様化が相当にすすんで

社会の人々が共有できることが減ってきているところで

秩序っていうものを子供も青年も大人も保てるために

思いやりとか愛とか感謝とか健康とかそういう原則的なものを社会で共有しつづけることが大切だと思います。共有できるものはエゴイズムっていうのは嫌です。

自分と共有できるものがあると感じれる人は大切な人ですよ(殺したいの反対ですよね)

殺人や死刑という問題をあまり考えなくてもいい社会でありたいです。
Posted by ゆたちん at 2008年06月10日 11:52
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