◆ 老若格差という虚構 2 (社会遺産):  nando ブログ

2012年09月16日

◆ 老若格差という虚構 2 (社会遺産)

 前項の続き。「老人ばかりが恵まれて、若者が恵まれない」という説が不当であることは、「社会遺産」という概念を用いるとわかる。

 ──

 「老人ばかりが恵まれて、若者が恵まれない」という老若格差論がおかしいことは、前項でざっと説明した。
 そのうち、「のオレたちは何も築いていない。先人の財産を使ってきただけ」という本田圭佑の見解について紹介したあとで、(4) 本質(投資と配当)という箇所で説明した。
 この件について、本項ではさらに詳しく説明しよう。

 ──

 この件は「社会遺産」という概念で説明できる。すなわち、次のことだ。

 (1) 現代世代は、過去世代から、社会資産を引き継いでいる。港湾、道路、空港、鉄道という社会基盤(インフラ)のみならず、キヤノン、トヨタ、NTT というような企業の形で生産基盤をも引き継いでいる。そのいずれも、終戦直後には存在しなかったも同然だ。しかるに、過去の 70年間ほどの間に、過去世代がゼロから構築したのである。それはあまりにも巨大なものである。そして、その巨大なものを、現代世代は無償で引き継いだ。
 (2) だから、現代世代が「稼ぐ以上に払っている」というふうに不満を垂れているときには、根本的な計算違いがある。それは、「払うもの(年金負担)については勘定に入れるくせに、受け取ったもの(社会資産)については勘定に入れない」ということだ。与えるものについては計算するくせに、もらったもにについては計算しないということだ。これでは「損する」という計算が出るのは当然のことだ。(アホの計算)。
 (3) では、もらったものも考えれば? 損か得か? もちろん、大幅な特に決まっている。そのことは、社会基盤を与えられなかったアフリカの途上国と比べればいい。もし先人が何も与えてくれなかったなら、現役世代はいまだにアフリカの途上国と同じレベルだったのだ。……ここまで考えれば、われわれがいかに多くのものを受け取ってきたかを理解できる。つまり、歩本田圭佑の認識が全面的に正しい。(多くの人々は、本田圭佑の理解したことを、いまだに理解できていない。)

 
 以上で、説明は終わりだ。あまりに簡単なことだろう。
 しかし、その簡単なことを、ほとんどの日本人は理解できていない。それは、韓国人に似ている。韓国人は、どうしようもない途上国だったのだが、日本併合後には、日本から莫大な投資を受けて、急激に成長した。
  → 日本併合前後の朝鮮の写真
 これほど巨大な恩恵を受けたのに、韓国人はその恩恵をすっかり忘れて、「すべて自力でなし遂げた」と思い込んだあげく、「日本はくたばってしまえ」というふうに非難している。
 ひどいものだが、これを見て、そっくりな人がいることに気づくだろう。そうだ。われわれ日本人だ。特に、現役世代だ。われわれ日本人の現役世代もまた、先人から受けた恩恵を忘れて、「すべては自力で生み出したものだ」と勘違いしたあげく、先人を非難する。……あまりにも韓国人とそっくりだ。
 まったく情けないことである。そこで、本項では、真実を示した。「社会資産というものを先人から受け取ったのだ」と。

 このことは、とても大切なことなので、「泉の波立ち」では何度も説明してきた。同趣旨の話はあちこちにあるので、それらを拾い上げて、以下に転載しよう。





 以下は「泉の波立ち」から、本項と同趣旨の話題を拾い上げて転載する。引用元は冒頭にリンクの形で示した。
(青字下線つきの日付部分。たとえばすぐ下の行。)

 

 1月05日b


 「高齢者は生涯を通算して、公的負担よりも公的受益の方がずっと多い。差し引きして、5000万円以上のプラス。逆に、若手は数千万円のマイナス。しかし、これは、不公平だ。このままだと、若手が逃げ出してしまって、日本に将来はない」という主張。(朝日・朝刊・社説 2002-01-04 )

 さて。この前半の基礎データ自体は、あちこちで言われていることだし、経済財政白書でも説明されている。肝心なのは、データではなくて、そのあとの解釈だ。
 こういうふうに「年寄りは得だ、若手は損だ」というのは、経済学的な数字比べのようなものである。統計を取って、データを比べて、「こっちが多い、こっちが少ない」と比べているだけだ。数字を比べるくらいは、子供でもできる。そのあとの数字の解釈が全然できていない。
 なるほど、高齢者は得で、若手は損だ。では、高齢者はすごくリッチな生活をしてきて、若手は貧困な生活をしているのか? 逆だ。高齢者は若いころ、まさしく「赤貧」という言葉がふさわしい生活をしてきた。今の若手は、不況でさえ、何ひとつ不足ない生活をしている。不足ないどころか、過剰でさえある。子供たちを見ると、ありあまるほどのオモチャやテレビゲームをもっていて、飽きては捨てる。まったく、過剰な物を与えられている。心がすさむほどに。

 では、統計をどう解釈するべきなのか? それは、こうだ。「高齢者は、所得自体が少なかった。彼らの所得は、会社などの社会制度に蓄積された。若手は、そうした社会制度を、生まれたときから享受することができたので、所得が多かった。つまり、公的でなく私的な面で、高齢者から若手への所得移転があった。」
 要するに、こうだ。高齢者は、公的負担は少ないのに、公的受益が多くなるので、公的な面だけ見れば、高齢者は得をしてるが、私的な面で見れば、(所得減という形で)高齢者は損をしているのである。彼らは、正当な所得を得られなかったから、所得に比例する公的負担も少なかったわけだ。高齢者の世代が若い世代の金をふんだくっているわけではなくて、逆に、若い世代が高齢者の世代の金をふんだくっているのだ。
 実際、高齢者は、若いころは「年功序列」制度のもとで賃金を抑制され、年を取ってからは「年功序列の破壊」のもとで賃金を抑制された。踏んだり蹴ったりである。せっかく働いて日本を高成長させても、その富は会社や社会に蓄積され、その富を若手が「おれたちのものだ」とばかり享受している。公的な面だけ見れば得をしているように見えるが、総合的に見れば損をしているのだ。
 そもそも、よく考えてみるがいい。高齢者は、若いころは、食事もろくに取れなかった。彼らは自分たちの食事を削ってまで、子供の教育のために金をかけた。今日の日本があったのは、高齢者がそれほどまでに犠牲を払ってくれたからだ。南米の人々は、「その日だけが良ければいいさ」とばかり、金を酒代などに費やしてしまったが、日本の高齢者はわれわれの世代に多大なものを残してくれてくれたのだ。
 なのに、こういうふうに辛い境遇を甘受してまで自己犠牲を払ってくれた高齢者を、「ズルをしているやつら」とばかり見なす社説は、ほとんど人でなしである。人間のクズといってよい。
 だいたい、あなた、そういうことができますか? 自分のために多大な犠牲を払ってくれた親(祖父母)がいるのに、その犠牲を忘れてしまう。さんざんもらっているときは感謝の一言もいわずに、あとで彼らが年老いてから、「勘定をしてみると、もらった額よりも、負担する金の方が多いな。これじゃ、不公平だ」と言い出す。彼らの犠牲によって育ててもらった恩をすべて忘れて、「自分の金がもったいない」と言い出して、親(祖父母)をほっぽり出す。……そういうことが、あなた、できますか? (朝日の人ならできるでしょうね。朝日にしてみれば、そういう人でなしの勘定をするために、経済学はある。)

 社説はさらに言う。「今のままでは、若い人たちは、アホらしくなって、外国へ逃げてしまう」と。へえ、そうですか。だったら、逃げたければ、逃げればいい。今の日本は、高齢者の残しておいてくれた、多大な富があるのだ。会社にせよ、インフラにせよ、教育制度にせよ、技術水準にせよ、すべては、高齢者が長年をかけて育てていってくれたものだ。それを捨てたければ、そうすればいい。高齢者が何も残してくれなかった途上国が羨ましいのなら、さっさと途上国に行ってしまえばいい。(まず初めに、朝日の社員が、途上国に行ってしまえばいい。だいたい、日本にいれば、邪魔なだけだ。)
( ※ ついでに言えば、「先進国に逃げたい」という理屈は成立しない。日本は、高齢者のおかげで、途上国から先進国になったのだ。途上国の人間が先進国で好き勝手に暮らすことはできないのだ。それができるくらいなら、先進国に途上国の数十億人が流れ込むだろう。日本だって、中国からのボートピープルを押し流している。高齢者のおかげを受けなかったら、朝日の記者もボートピープルになっていただろう。だから、途上国にも行かずに、海で漂流していなさい。とにかく、自分の主張の通り、さっさと日本から出ていってもらいたいですね。)

 最後に、記事の矛盾を示しておこう。記事では「高齢者は金を使わずに遺す」とも記している。そうだ。高齢者はたしかに、多大な公的受益を得るが、その受益を自ら使うことはないのだ。ちっとも得をしていないのだ。
 彼らは、得た金を、貯蓄して、遺産として、子供たちに遺す。何千万円という金を貯めていても、それを自分たちで消費しないで、次の世代に遺す。そういう心をもった、けなげな人々なのだ。なのに、そういう人々をけなすのが、朝日だ。身ぐるみ剥いでやろう、というつもりだろうか。ほとんど鬼畜も同然である。
 私はこれまで何度も、「小泉は狂信者だ」と書いた。朝日は違う。人間の一種ではなくて、鬼畜であり、人間の顔をした悪魔である。

 2002年3月23日


「社会システムを先人(高齢者)が作ってくれた」ということを忘れた、恩知らずな発想。
 戦後の日本は、瓦礫の山だった。今の日本は、世界最高水準だ。無から有を生み出す。世界中で、ただ日本だけがなしえたことだ。(途上国と比べてみるがいい。)
 はっきり言おう。このようなことをするのは、強力な意思と精神力が必要である。今の高齢者世代だからこそ、なしえたことだ。同じことを、今の若手の世代に「やれ」と言っても、絶対に無理ですね。たぶん、「どうせ無理じゃん」とプーたれて、地面にしゃがみ込んで、ケータイとゲーム機をやり出すだろう。

 2002年12月25日


 これを実施した成功例はある。高度成長期の日本がそうだ。当時の日本の人々は、自らの消費を抑制し、自らの生活の向上を犠牲にして、会社に富を与え、会社の高度成長をもたらし、日本経済全体を成長させた。「個を犠牲にして、国に尽くす」という形で、国民全体が豊かな果実を得たのである。かくて、かつては途上国レベルだった日本の経済力は、世界最高水準にまで向上した。)
( ※ ただし、である。彼らにとっては、誤算があった。それは、自らの子供の世代が、あまりにも忘恩であったことだ。── 子供たちは、親がさんざん努力して、この日本を築いたことを、忘れてしまっている。「俺たちの稼ぎがいいのは、俺たちの能力が優れているからだ。能力主義で成果を得よう。能力の劣る高齢者は、クビにしてしまえ。稼ぎのない高齢者にくれてやる年金は、減額してしまえ!」と主張する。国の経済財政白書にも、「高齢者ばかりがいい目をしている」と高齢者批判が掲載されている。高齢者世代がかつてどれほど自己犠牲をしてくれたかということを、すっかり忘れている。── 高齢者世代は、日本経済を成長させることには成功したが、自らの子供たちをまともな人間に育てることには失敗したのだ。その結果が、忘恩の子供世代だ。たしかに、高齢者世代は、家庭を顧みずに働いたが、そのせいで、家庭ではまともな教育をできなかった。育ったのは、道徳も倫理もなく、先人への感謝もない、半人半獣だけだ。オマケに最近の子供たちは、学力まで大幅に低下してきている。勉強時間は、先進国中、突出して最低レベルだ。日本の途上国化は、目に見えている。高齢者世代が築き上げたものを、孫の世代がぶちこわしていくわけだ。にもかかわらず、この愚かな若年世代は、「能力主義なら俺たちの方が上だ」と自惚れる。)

   ────────────

 さて。途上国の立場になって考えてみよう。途上国にとっては、どうか? 「投資偏重」というのは、最も理想的な成長路線か?
 単に「経済成長」だけを目的とするのであれば、これが最も理想的である。ただし、それには、代償がある。それは、「国民生活が苦しくなる」ということだ。
 国民は、今日の食事を我慢して、明日のために金を投資する。そうすることで、金はどんどん増えていくが、彼の人生は大幅に貧しくなる。たとえば、20歳から60歳までを貧困で暮らして、60歳になってからようやく果実を得る。しかし、そのときにはもう、彼の人生は終わりかけているのだ。今さら金を得ても、デート代にも使えないし、スキーやサーフィンや美食やエステにも使えない。かなり悲惨な人生である。「人生を捨てる」と言ってもいい。
 しかし、過去の日本は、この路線を取った。それゆえ、高齢者は、彼らの人生を犠牲にして、今日の日本の繁栄を築いた。では、彼らはなぜ、そのような路線を取ったのか? 自分たちは貧しさを我慢して、自分たちの人生を犠牲にしてまで、なぜ、そのようなことをしたのか? 彼らは金を増やすことばかりを考えるガメツイ守銭奴であったからか? 違う。彼らがそうしたのは、彼らが子孫を愛したからである。彼らは、おのれの人生を犠牲にしてまで、「わが子のため、わが孫のため」と思って、貧困に耐えた。自分の娯楽のためには金を使わず、社会資本形成や子供の教育のために金を使った。そのおかげで、日本は、敗戦後のガレキ状態から、今日の繁栄した経済大国となれたのである。
 このような路線を取った国は、世界を見ても、他にはなかった。欧州であれ、南米であれ、アフリカであれ、アメリカであれ、彼らはいずれも、「その日その日で、自分の人生を充実させよう」とだけ望んだ。そのおかげで、彼らは楽しい人生を送れたが、彼らの子孫は、彼らと同じような生活しか送れなかった。日本だけが、急成長をした結果、子孫が豊かな生活を送れるようになったのだ。そして、それは、われわれよりも過去の世代が、貧困に耐えたからだ。われわれが、アジアの最貧国に生きるのではなく、世界の先進国に生きることができるのは、過去の世代の人々が自らを犠牲にしてまで、子孫に多くのものを贈ってくれたからなのだ。つまり、われわれは、彼らから愛されたのである。その大きな愛を受けた結果、今日の豊かな生活を享受できる。
 しかし、そのことを理解できない人々が多い。「今日の日本の繁栄は、おれたちだけで維持しているのだ。高齢者の恩恵なんか、まったく受けていない。おれたちは年金料を払うばかりで損をしているが、高齢者は年金をたくさんもらって得をしている。だから、高齢者の金を、減らしてしまえ。おれたちの金を、もっと増やそう」と。
 彼らは、大きな愛を受けても、その愛を忘れてしまったのである。だから、最も悲しむべきことは、今日の人々が、いくばくかの金を損することではなく、忘恩の輩となってしまうことだ。「愛を贈ってくれてありがとう。恩返しに、ぶん殴ってやります」というようなものだ。金を失うだけらなら、貧乏になるだけだ。しかし、人間らしい心を失えば、もはや人間ではなくなってしまうのである。

 2004年3月05日


 では、途上国であれば、減価償却期間の長い投資をなすのが、最適か? 必ずしも、そうは言えない。長い目で一国全体を見れば、たしかに、そうするのが最適だろう。しかし、人間の寿命は、有限である。せっせとタネをまいても、そのタネが実を結ぶころには、人は死んでしまうだろう。将来の子孫は楽をできるとしても、現在の自分自身は生活苦に悩むだろう。だから、こういう高度成長路線が是か否かは、人生観による。つまり、子孫への愛情の有無による。子孫への愛情があれば、自分は貧しくても子孫が何倍も豊かになれば、満足だ。子孫への愛情がなければ、自分の暮らしが豊かになることだけが大事であり、将来の子孫が豊かになることなどは知ったこっちゃない。
 そして、日本は、前者を選んだ。つまり、「子孫への愛情」という道を。それは、「国家の成長」ということと同義なので、「個人蔑視の国家主義的な発想だ」と批判されたこともある。しかし本質的には、それは、「自己犠牲」と「子孫の幸福」を意味したのである。だからこそ、過去において人々は貧しい生活で高度成長をもたらし、現在においては人々は既存の企業や社会資本を利用して楽しい幸福な生活を送れるのだ。
 日本がいくら不況になったとしても、途上国よりはずっとマシである。それは、過去の世代が、多大な自己犠牲をして、いつまでも残るものを、現在の世代に贈ってくれたからなのだ。

 2004年3月10日


 3月05日(2) では、こう述べた。「高度成長期には、人々が各人の富を減らして、社会の富を増やした。富を社会に渡して、社会の富を蓄積した。過去の世代が、子孫のために、富を贈ってくれた」と。── この事実を理解すれば、いわゆる「年金問題」の問題は、大したことはないとわかる。
 「現在の高齢者は、払った金の何倍も受け取れるが、現在の若者(将来の高齢者)は、払った金と同額程度しか受け取れない。不公平だ。年金制度が破綻する」
 というふうに問題視されている。しかし、この問題は、根本的な勘違いの上に成立している。
 そこにある議論は、「払った金の何倍を受け取るか」ということで、損得を考えている。しかし、現在の高齢者は、もともと所得が少なかったのである。得るべき所得を得ずに、社会に渡していたのである。
 現在の高齢者は、自分の富を減らして、社会に富を与えた。手に入れる富はわずかであり、かわりに、社会全体に富を与えた。企業や社会資本という形で。……換言すれば、現在の若者たちは、ろくに働くこともなく、(社会的遺産としての)企業や社会資本を利用して、多額の所得を得ている。つまり、もともとの所得のなかに、過去の世代からの贈り物が含まれている。
 ところが、現在の若者たちは、ここを勘違いする。「おれが月給で 20万円をもらえるのは、おれがその分、優秀だからだ。成果を出しているんだから、その分の成果を受け取るのは、当然だ。企業が稼ぎ出した金は、全部、おれたちだけの力で稼ぎだしたものなんだ」と自惚れる。彼らは、自分一人では何もできないということを理解できない。日本にはホンダやソニーやキヤノンが自分たちの生まれる前から存在して、社会的遺産が莫大に蓄積されているということを理解できない。自分たちが過去からの贈り物を利用して所得を得ているということを理解できず、単に、自分たちだけの力で金を稼いでいると思い込んでいる。傲慢不遜。自惚れ天狗。
 彼らが本当に「おれの力だけですべてを生み出したんだ」と思うのであれば、途上国の若者たちと同様にするべきだ。つまり、日本の高度な企業を利用することもなく、日本の高度な社会資本を利用することもなしに、どこかの無人島で、独力で稼ぎを出すべきだ。そして、そうできないのであれば、当然、社会の富を利用しているのだから、その利用料を払うべきである。つまり、過去の世代から贈られたものに対して、その贈り物に対する返済をなすべきだ。(さもなくば、泥棒か乞食だ。)
 そういう真実を理解しないで、「おれの金はおれのもの」なんていう主張は、あまりにも自惚れが甚だしい。彼らは、過去からの贈り物に気づかず、自らが受け取ったものに気づかず、自らが愛されたことを忘れてしまっているのだ。
 なるほど、現在の若者は、払った金と同程度しか、年金をもらえないだろう。しかしそれは、悲しむべきことではなくて、喜ぶべきことなのだ。なぜなら、それは、「所得が多い」ということを意味するからだ。「得るべきもの以上のものを得ている」ということを意味するからだ。
 結局、問題などは、何もないのだ。問題と見えることは、経済学的な無知に基づいて、勝手に勘違いしているだけのことなのだ。
 なお、どうしても問題を解決したけば、問題を解決することはできる。それには、どうするか? 若い世代は、高齢者の世代を羨ましがっているのだろうから、立場を交換すればよい。つまり、かつて高齢者の世代がなしたように、「得るべき所得を得ず、低所得に甘んじて、おのれの富を将来の世代に送る」というふうにすればよい。具体的に言えば、こうだ。現状は、「 20万円の給料を得た上で、年金負担に5万円を払って、あとで 10万円を受け取る」というふうになっている。倍率は、2倍だ。これをやめて、かわりに、こうする。「 3万円の所得を得た上で、年金負担に1万円を払って、5万円を受け取る」と。倍率は、5倍だ。それがいいというのなら、そういう人生を選べばよい。そのためには、日本を脱出して、タイやマレーシアあたりで、月給3万円の極貧生活で暮らせばよい。
 外国だと具体的なイメージがうまく湧かないといのなら、とりあえず、過去の日本人を見習って、極貧生活をしてもらいましょうか。ボロ家に住みながら、イワシと漬け物だけを食べて、クーラーも自動車もなしに暮らしてほしいものだ。ちびまる子ちゃんやサザエさんみたいにね。そういう貧しい生活をしていれば、あとで、払った金の何倍も受け取れるようになります。何しろ、もともと受け取れる給料が少ないんだから。
 要するに、生活の絶対レベルを理解せずに、「払った金と受け取った金の倍率」だけを考えるのは、阿呆の計算なのだ。経済学というのは、阿呆の計算をするためにあるのではない。

 [ 付記1 ]
 昨日(9日)以降、読売・朝刊に、東京オリンピックや万博などの担当者の回想録が連載されている。当時、貧しかった日本が、いかに社会資本の充実に心血を注いできたが、よくわかる。東京オリンピックの前の東京は、高速道路も高層ビルも何もなかった。それが今では先進国らしい大都会となっている。現在の日本の繁栄が、どれほど過去に負うているか、よくわかる。
 ときどき聞くが、「高速道路は、償還したら、料金をゼロにするべきだ」という主張がある。先人の遺産をタダで使いたい、という発想だ。それはそれで一つの発想だが、だったら、その分、先人に対して何らかの負担もまた課されるべきだ。「遺産はタダでもらいたいが、老人は山に捨ててしまいたい」というのは、人でなしの発想だ。たとえば、あなたの息子が、そう言いだして、あなたを山に捨てたがったとしたら、どうする? それと同じことを、今の若年や中年たちは言い出しているのである。鏡で自分の姿を見るといいだろう。どんなに醜い姿をしているか、よくわかる。── その鏡が、本項だ。

 [ 付記2 ]
 本項のポイントは、「年寄りに感謝しろ」という道徳的なことではない。経済学的なことだ。つまり、「高度成長期においては、(社会的な)投資が増えて、消費が減る」ということだ。
 そのことを、言葉を換えて表現すると、「投資を増やして、消費を減らしたから、高度成長を実現した」つまり「過去の世代が自己犠牲をしたから、現在の日本は豊かになれた」となるわけだ。3月05日 の話を参照。
 だから、私が言いたいのは、「年寄りに感謝しろ」ということではなくて、「すべてが自分の実力でもたらされたものだと自惚れるな」ということだけだ。つまりは、「事実を知れ。事実を誤認するな」ということだけだ。

 2004年4月27日


 年金の財源がないという。…(中略)…将来の支払いが破綻する。だから、保険料の値上げが必要だ。……という理屈。(読売・朝刊・2面 2004-04-23 )
 で、どうするか? 消費税の増税?
 いやいや。もっとまともな策がある。「相続税の増税」だ。「老人にプレゼント」ばかりでなくて、「老人からもらう」という手もある。特に、相手が、大金を残した場合には。
 老人を養うのが世間の責任であれば、老人の遺産をもらうのも世間であっていい。せめて、山分けにしていいはずだ。それとも、何ですか? 「うちの親父を養うのは、世間に任す。だけど、うちの親父の残した遺産は、全部おれがもらう。つまりは、親父が年金としてもらった金は、そっくりおれさまの財布へ」というのが正しいんですか? 欲張りすぎじゃないの? 

 2004年6月05日


  政府の新しい年金制度では、将来的に給付水準が低下することが判明した。(当初の説明とは異なるので、嘘つきがばれたわけだが、それは政治倫理の問題だから、ここでは問わないことにする。ここでは年金制度についてのみ考える。)
 将来的に給付水準が低下するとなると、多くの国民は「けしからん」と思うだろうが、ない袖は振れない。ここでは、次のことに注意しよう。
  ・ 政府の無駄遣いが原因ならば、給付水準が低下するのは悪。
  ・ 社会の少子高齢化が原因ならば、給付水準が低下するのは不可避。

 この区別をした上で、後者に着目しよう。要するに、「ない袖は振れない」「空からお金は降ってこない」わけだ。
 とはいえ、私は別に、政府を弁護したいとは思わない。国民の誤解をほどきたいと思うだけだ。そこで、この方針のもとで、「給付水準の低下」という問題を考察しよう。これは、換言すれば、「世代格差」の問題でもある。現在の高齢者世代は、年金制度で厚遇されているが、現在の若者世代は、年金制度で厚遇されている。これは不公平だ、とも思える。これを、どう解決するか? 「ない袖は振れない」し、「金は空から降ってこない」としたら、どうすれば、みなが納得の行く解答を得られるか? 

 まず、以前の話を振り返ろう。年金問題における世代格差については、こう述べたことがある。( → 3月10日
 「現在の高齢者は、自分の富を減らして、社会に富を与えた。手に入れる富はわずかであり、かわりに、社会全体に富を与えた。企業や社会資本という形で。……換言すれば、現在の若者たちは、ろくに働くこともなく、(社会的遺産としての)企業や社会資本を利用して、多額の所得を得ている。つまり、もともとの所得のなかに、過去の世代からの贈り物が含まれている。」
 このことから、「世代格差があってもかまわない」と結論した。

 ここで、あらためて考え直そう。このことを具体的な数値で見ると、どうなるだろうか? それには、次のように結論できる。
 「自分の富を減らして、社会に富を与えた」と見なせる高齢者とは、高度成長期以前に働いていた世代である。具体的に言えば、石油ショックによる不況の起こる 1973年以前だ。現在は 2004年だから、1973年までの間に、30年が経ている。30年前に20歳〜60歳であった人々は、今では50歳〜90歳になっている。
 だから、「払った以上に富を得る」資格があるのは、現在、50歳〜90歳までの人々だけである。その額を年額50万円とすれば、90歳の人は満額の50万円をもらえて、50歳の人は1万円ぐらいをもらえるだけだ。そして、50歳以下の人は「払った以上に富を得る」資格はない。「自分の払った金と、政府による奨励金」の合計だけを得る。
 これが正当な配分だ。そして、こうすれば、年金による不公平さの問題や、財源不足の問題などは、うまく解決される。高齢者は多額の年金をもらえるが、それは過去の「社会への投資」をしたことの正当な配分である。若年者は多くを払うが、それは高齢者に「社会への投資」をしてもらったことの当然の支払いである。そして、長期的には、年金の不公平は解消する。(今後の少子化を阻止すれば。 → 次項を参照。)

 具体的な政策としては、どうするべきか? 次のようにするとよい。

  • 高度成長期以前の高齢者の分は、社会全体で負担する。つまり、「世代間の扶養」を前提とした上で、消費税などの租税を財源とする。それで過去の赤字を埋める。(今後十数年間は続くが、漸減する。)
  • 高度成長期以後の高齢者の分は、年金制度の枠内で運用する。つまり、互助・自立を前提とした上で、「貯蓄」型の年金制度を取り、自己積立金を財源とする。(十数年後よりもあとでは、原理的には赤字は発生しない。)

 とにかく、今後は、年金のシステムを、「貯蓄」型に改めるべきだ。高齢者は、自分の払った金をもらうだけだ。若年者が所得の一部を拠出することはない。(実際には、プレミアム分として、「年金の上積み」をすることになるだろうが、若年者が負担する分はそれだけだ。大した問題とはならない。)
 例を示そう。国民が生涯をかけて、「年金が月7万円になる」のに必要な額を納入する。その後、引退したら、まさしく月7万円を受け取る。さらに、プレミアムの分として、月1〜2万円を受け取る。(この分は税で負担する。)……こうすれば、何も問題はない。制度の破綻もしないし、「払った額より小額しか受け取れない」という問題もない。
 現行の年金のシステムは、「高齢者に払う分を若年者の拠出でまかなう」というふうになっている。これだと、資産を国内投資する形になるので、少子化に耐えられない。しかし、「高齢者に払う分を高齢者の貯蓄でまかなう」というふうにすれば、貯蓄を海外投資することができるので、少子化にかかわりなく、一定の利回りを得ることができる。
( ※ 例外的に、これが不成功に終わることも考えられる。それのは、世界全体で少子化やGDP縮小が進む場合だ。しかし現実には、そんなことは百年ぐらいはありえない。多くの国は途上国だから、GDPは百年ぐらいは必ず拡大していくし、そこに投資することが可能だ。)

 なお、「高齢者に払う分を若年者の拠出でまかなう」というシステムは、かつては正当性があった。なぜなら、急激な物価上昇や高度成長があったから、若年者の富を高齢者に渡すという形で、富の再配分が必要だったからだ。(前述のとおり。)
 しかし、その後、急激な物価上昇や高度成長はなく、低い物価上昇と低い成長が続いた。
 とすれば、こういうふうに経済状況が変化したことにともなって、年金のシステムもまた変化するのが当然なのである。ここに物事の本質がある。
 「高齢者に払う分を若年者の拠出でまかなう」という形は、かつては正当性があったが、今ではもう、その役目を果たし終えたのだ。現在の年金制度は、これまでの役目を果たし終えて、衣替えをする時期に来ているのである。
 「高齢者に払う分を高齢者の貯蓄でまかなう」というシステムは、これまでは正当ではなかったが、今後は正当になるのだ。経済状況や社会状況の変化(安定成長・少子化)にともなって、年金制度も変化を迫られているのだ。

 だから、二つのシステムのうち、「どちらが正しいか?」という質問に対しては、一方だけを示すことはできない。「今まではこちらだが、今後はそちらだ」というのが正しい。……こういうふうにシステムを変更する(乗り換える)のが正解だ。物事を硬直的に考えないように、注意しよう。
( ※ 一般に、前提が変われば、結論もまた変わるのである。ただし通常、人は、前提の変化があることを見失うから、結論をどうするかで迷ってしまう。)
( → 5月15日 「貯蓄」型の年金制度 )

 [ 付記 ]
 3月10日 に述べたことを要約すると、次の通り。
 年金では、現在の若年者は損で、現在の高齢者は得、と見なされる。しかし、高齢者は、自分の所得をもともと社会資本として残しておいた。元の所得が少なかった。自分の所得を減らして、社会に投資しておいた。だから、その投資の成果を、受け取る資格がある。それが高額の年金である。
 仮に、高齢者が当時、低所得に甘んじていなかったら、どうなるか? 日本は南米のように、その日だけは楽をしていられたが、社会資本や民間投資に投資がまわらなかった。道路や鉄道などは整備されず、また、企業にとって必要な資金も得られないままだった。トヨタやソニーが成長したくても、貯蓄不足による資金不足(高金利)のせいで、投資は不可能であり、これらの企業が大企業になることはできなかった。
 ところが、現実には、現在の高齢者は、若き日には、自分の欲望を抑えて、低所得と高貯蓄に励んだ。そのおかげで、投資の資金を得て、日本は高度成長が可能となった。(経済学の用語では「迂回生産」。)
 ただし、そういうことが続いたのも、石油ショックまでだ。それ以後は、低成長路線となった。また、人々は、その日暮らしを楽しむラテン諸国のような生活態度を取り、社会(国・企業)に富を渡さなかった。それどころか、莫大な借金・財政赤字を作る一方だった。
 とすれば、現在の50歳以下の人々には、「もっと金を寄越せ」と国に要求する資格はないのだ。むしろ、将来の世代に借金・財政赤字を残したことで、「金を追徴される」というふうになって当然なのだ。理由は、過去の財政赤字(増税不足)のツケ払いである。

 教訓。
 「もっと金を寄越せ、もっと金を寄越せ」と欲張ると、逆に、金を追徴される。人は、職場で過剰な高給を要求すれば、逆に解任・降格させられる。家庭で小遣いの値上げを要求すれば、逆に「もっと働きなさいよ」とケツを蹴飛ばされて食事から肉が減る。逆効果。
( ※ この家庭は、どこの家庭? それは聞かないでください。 → ご同輩ページ )

 [ 補足1 ]
 「遅く生まれて損したなあ。ちぇっ」と思う人も多いだろうが、それは、とんでもない勘違いだ。現在の高齢者よりも、現在の中年以下の方が、ずっと恵まれた生活をしている。現在の高齢者は、自動車もテレビもない時代に、若い日々を過ごしたのだ。また、彼らの同世代には、戦争で命や手足を奪われた仲間も多い。
 あなたがもし、そういう生活が羨ましいと思うのならば、さっさとイラクにも行きなさい。イラクには、あなたの理想の生活があります。戦争で命や手足を奪われる危険があり、日々の食事にも不自由する。ただし、何十年かたって、老人になったころには、稼いだ金の何倍もの所得を得ることができる。それがお望み?
 今の若者たちは、絶対水準で見る限り、40年前の超富豪のような生活をしている。そういうふうに絶対水準を見ればいいのだ。なのに、単なる損得だけを見るなら、極貧の国で生活をすることがベストである。特に、乞食が素晴らしい。働いて稼いだ金の何十倍もの金を得ることも可能だ。たとえば、毎日ちっとも働かず、乞食で百円をもらって、その後、年老いてから、生活保護を受ける。楽して、生きる。……そこには、あなたの理想の生活がある。かもね。
 なお、本質的に言えば、こうだ。経済は毎年、生産性の向上の分だけ、向上していく。人々の所得もその分、向上していく。とすれば、将来世代の方が、現在世代よりも、確実に幸福になれるのだ。
 そのことは、過去の歴史を見ても明らかだし、今後についても成立する。政府の試算では「将来世代は損をする」というふうになっているが、これは「生産性の向上」をほとんど無視した机上の試算にすぎないから、現実には当てはまらない。
( ※ ただし、原則的にはそうだが、「不況」が起こると、原則よりも悪くなる。そこだけが問題だ。……だからマクロ経済学が必要となる。)

 [ 補足2 ]
 ついでに言おう。このページを見ている読者の大部分は、50歳以下だろう。とすれば、高齢者のように、「払った金よりもずっと多くを受け取る」ということはできない。そして、それは、素晴らしいことなのである。なぜならば、老いてから大金を得るのではなくて、若いうちに大金を得たからだ。今の中年以下の世代は、働き盛りの年代のうちに、自動車であれパソコンであれ海外旅行であれ、さまざまな贅沢ができた。それは、高齢者には絶対に不可能なことだった。
 私の感想で言えば、現在の50歳ぐらい(昭和30年生まれぐらい)を境界として、それ以上とそれ以下とで、幸福度は分かれる。それ以上の世代は、「三畳一間の小さな下宿」(♪ 赤ちょうちん)のような貧しい青春を送ったが、それ以後の世代はさして不自由のない生活を送った。少年期に、ファミコンで遊んだり、肉をたらふく食べたりしたのは、50歳以下の世代だ。50歳以上だと、子供時代にはテレビもファミコンもなかったし、肉もろくに食べられなかったはずだ。ちびまる子ちゃんや、サザエさんのような生活である。ちゃぶ台でメザシを食べる生活だ。ひるがえって、50歳以下の世代では、テレビもファミコンも電話も高層ビルもある。パソコンはなくとも、ワープロ専用機があった。結局、インターネットを除けば、現在とほとんど違わない生活レベルだ。
( ※ どちらかと言うと、現在の若者の方が、ケータイがある分、悪くなっているかもしれない。昔の若者はケータイがなくて幸福でしたね。  (^^); )
( ※ 「ケータイは必需品だぞ」と今の若い人は言うだろうが、マクロ経済学的な発想をすれば、さにあらず。「全員がケータイを持っている」という状況では、ケータイは必需品だろうが、「誰もケータイを持っていない」という状況では、ケータイなんか不要なのだ。……で、もちろん、「誰もケータイを持っていない」という状況の方が幸福である。ケータイがあれば、いざというときには便利だが、いざというとき以外では時間をずっと奪われてしまうので不便だ。1日あたり、数分間の便利と、23時間の不便。その帳尻は、「学力の大幅な低下」「読書量の激減」となって実証済み。弊害は、先に述べたとおり。 → ネット時代の弊害

 2007年3月02日


 ともあれ、現代日本で輸出企業が強いのは、ソニーやトヨタやキヤノンに勤める社員が優秀だからではなくて、ソニーやトヨタやキヤノンを構築してきた過去の社員が多大な貢献を後世に残してきてくれたからだ。そしてまた、過去の社員がそういうことをできたのは、過去の社員のまわりで彼らを支えてくれた大勢の人々がいたからだ。たとえば、過去のキヤノンの社員は、いきなりキヤノンの社員になれたわけではなく、それ以前に、多くの人々の努力によって義務教育などの環境が整備していたからこそ、教育を受けて、キヤノンの社員になれたのだ。
 人は決して独力では生きていけない。人はみな社会の力によって育てられてきた。そして、特に、過去の先人たちの貢献があまりにも大きい。現代の日本人の学力は、中国や台湾や韓国の人々と比べて、大差ない。しかし、過去の日本人の学力は、中国や台湾や韓国の人々と比べて、圧倒的に優位であった。だからこそ、その蓄積によって、キヤノンやソニーやトヨタなどの企業が世界企業として存続できる。
 現代のウエイトレスが途上国のウエイトレスよりも高給をもらえるのは誰のおかげかと言えば、過去の先人たちの多大な貢献のおかげなのだ。今の若者は、ゆとり教育などの名目で、ろくに勉強もしないで、ゲーム機などをピコピコやっているだけだ。それでいて、まともに給料をもらえるのは、なぜか? バカぞろいでも給料がいいのは、なぜか? それは、先人が非常に勉強して、ガレキだらけの敗戦国を、ほんの一世代か二世代ぐらいで、世界最先端の国にまで高めてくれたからだ。その蓄積があればこそ、現代の若者は、能力がなくても高い賃金を得られるのだ。また、能力のある若者もまた、おのれの能力を発揮できる機会を与えられている。彼らは、能力があるから稼げるのではない。能力を発揮できる機会を与えられたから、能力を発揮できるのだ。
 現代の一つ一つの企業の業績は、目に見える。過去の日本人全体による貢献は、目に見えない。しかし、目に見えるものばかりにとらわれて、目に見えないものを見失うと、真実を理解することはできない。あげく、「おれの稼いだ金はおれの力だけで稼いだ」というふうに、傲岸不遜な思い込みをするようになる。(そういう人たちはそろって、「税金を負けろ」と主張する。卑しいね。)

 2010年1月03日


 経済を論じているのは、日経だ。財政赤字の拡大を懸念して、「将来世代にツケ回すな」と論じている。
 なるほど、財政赤字の拡大は問題だ。ただし、「将来世代にツケ回すな」と論じるのは、いささか見当違いだ。日本の赤字は、外国への借金ではなく、国内での借金である。将来世代が借金を払うとしても、その金を受け取るのもまた将来世代である。その意味では、実質的な借金は存在しない。
 ではどういうことかというと、次の二点がある。
 第1に、将来世代は、過去の世代の遺産を食いつぶしている。本当ならば過去の世代の遺産をたっぷりともらえるはずだったのだが、それをもらえなくなる。たとえば、高速道路だ。過去の世代が高速道路を建設してくれて、それを無償償還してもらって、タダで利用できるはずだった。ところが、そうは行かず、高速道路を無償利用できなくなる。(税金の形で支払わされるか、有償利用。)……こういうふうに、遺産が減る。しかし、それは、特に大きな問題ではない。いずれにせよ、将来の世代は、過去の世代よりも、豊かになる。(その量が減るだけだ。)
 第2に、デフレが解決したときに、高度のインフレが起こる。そのとき、物価上昇に応じて、国債も借金も目減りする。(以下略。)






 【 関連項目 】

 次の項目も参照。
  → Open ブログ: 相関関係と因果関係

  ※ 話の後半で、「高齢者と若年世代」という話題を扱っている。
 

 
posted by 管理人 at 21:06 | Comment(5) | 経済 このエントリーをはてなブックマークに追加 
この記事へのコメント
老人への感謝の気持ちは必要ですが
年金などという形で返すのはほどほどで良いのではないでしょうか?
築き上げたものは未来へ引き継ぐべきです。
勿論今働いている世代もまた子供たちへ残せば良い。
余裕があるぶんだけ年寄りへ返せば良いのです。
Posted by sumeshi at 2012年09月18日 13:26
将来は若者一人で老人一人を支えるようになるとの指摘があるが、社会保障費の財源は給与の保険料だけではなく企業の事業主負担分も含まれる。
財界が事業主負担分の増加を避けるために、あたかも若者の負担が極度に増えるように吹聴し、消費税の増税を政府に強要したとの指摘には納得させられる。
Posted by passerby at 2012年09月19日 16:52
 すぐ上のコメントの

> 若者の負担が極度に増えるように吹聴し、消費税の増税を政府に強要したとの指摘

 というのを読者向けに解説しておくと、この話は、本項ではなく、前項にあります。財界というより、財務省ですけど。ま、どっちでもいいや。
Posted by 管理人 at 2012年09月19日 23:01
財界が云々の件は、こちらとは別のブログで
『野田政権の「肩車」型社会論は財界の主張の引き写しです。日本経団連は、日本の社会保障制度は「多くの現役世代が少ない高齢者を支えることを前提」にしてきたが、「現役世代が急激に減少している」として「現役世代の負担に過度に依存した社会保障制度」の見直しを要求してきました。(「経団連成長戦略2011」)
 自分たちの負担を減らしたいだけの財界の言うまま国民に20兆円もの負担を課す「一体改革」は中止し、大企業も含めて、負担能力に応じて社会保障を支えることが必要です。』と指摘されものを引用しました。
込み入って失礼致しました。
Posted by passerby at 2012年09月20日 01:05
今日までの日本の繁栄や素晴らしいインフラがあるのは前の世代の努力のお陰であることは全面同意です。
ただ少子高齢化も老若格差も現役世代のモラルの破綻が原因だとすると、解決策は子どもの頃から道徳教育をするぐらいしかないのでしょうか?例えば、少子高齢化は先進諸国の大半で起こってますが、その各国の現役世代もモラル破綻しているということなのでしょうか?
いずれにしろ短期的に問題を解決するには欧米のように移民に頼るしか選択肢はなさそうですね
Posted by CURRY at 2012年09月23日 04:20
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